高級ブランディング「ルテティア・ラグジュアリー」
ガリア帝国から出撃を開始したという「十万の遠征軍」の報せ。
王宮の軍事会議室では重臣たちが青ざめ、机を囲んで「防衛線をどこに敷くべきか」「全軍を動員しても三万が限界だ」と悲痛な悲鳴を上げていた。
だが、会議室の片隅で優雅にハーブティーを嗜んでいた王妃マリアージュは、扇子をパチンと閉じると、あまりにも静かな、しかし確信に満ちた声で言い放った。
「皆様、落ち着きなさ覚え。大軍を動かすには、莫大な『遠征軍費』と『兵糧の調達』が必要ですわ。ガリア帝国がどれほどの大国であろうと、長引く戦争は彼らの財政を内側から食い荒らします。……ならば、戦う前に彼らの『資金源』を完全に枯渇させてしまえばよろしいのです」
「資金源を枯渇させる……? 一体どうやって!?」
「相手の『欲』を利用するのですの」
マリアージュの青い瞳に、悪魔的とも言える知的で不敵な光が宿った。
「帝国軍が我が国の国境に到達するまでの猶予は、およそ二ヶ月。……その間に、帝国の皇族、大貴族、そして軍の費用を融資している豪商たちの懐から、戦費となり得る莫大な金貨を『すべて』合法的に吸い上げて差し上げますわ!」
数日後。
ルテティア王宮の離宮『未来サロン』は、かつてないほど絢爛豪華な、しかし洗練された美の殿堂へと姿を変えていた。
マリアージュが打ち出した新たなる国家戦略——それこそが、ルテティアが誇る最高の職人技と希少素材を結集させた、超高価格帯の最高級ブランド『ルテティア・ラグジュアリー(Lutetia Luxury)』の設立であった。
この日のために、マリアージュはアルビオン王国を経由し、ガリア帝国の皇族や高位貴族、大富豪の使節団および商人たちを、サロンで開催される『最高級極秘オークション』へと招待していた。
「……フン、ルテティアの王妃が何を企んでいるか知らんが、我がガリア帝国の圧倒的な資金力を見せつけてやるとしよう」
ガリア帝国の筆頭使節であり、皇帝の弟でもあるカルロ大公は、威圧的な笑みを浮かべてサロンの豪華な革張り椅子に腰掛けた。彼の目的は、ルテティアが裏でどのような新技術を隠し持っているかを品定めし、買い叩くことであった。
だが、オークションが始まった瞬間、カルロ大公をはじめとする帝国の貴族たちの目の色は一変した。
「——皆様、第一の出品物でございます」
ステージの中央、漆黒のベルベットの上に置かれたのは、手のひらに収まるほどの繊細なガラス瓶だった。
「我が国の希少ハーブの精油と、南方の極上花油を独自の比率で数年間熟成させた、世界でわずか十瓶しか存在しない至高の香水——『王妃の残り香』でございます。一滴肌に纏えば、三日三晩、天上の庭園のごとき高貴な香りが持続いたします」
会場にほんの僅かだけその香りが漂った瞬間、帝国の婦人たちが「まあ……!」と感嘆の声を漏らし、瞳を輝かせた。
「開始価格は……金貨百枚から」
「金貨五百枚だ!」
「ふざけるな、一千枚だ!」
会場は一瞬にして熱狂の渦へと巻き込まれた。
たった一瓶の香水に、家が何軒も建つほどの莫大な金貨が跳ね上がっていく。
だが、それはほんの序の口に過ぎなかった。
「続いての出品物は、王立窯の職人たちが開発した、光を透かすほどに薄く、宝石のごとき滑らかさを持つ奇跡の磁器——『ルテティア・白磁ティーセット』でございます。これでお茶を召し上がれば、ハーブの香りは十倍に引き立ちますわ」
展示された白磁の美しさに、帝国の豪商たちが身を乗り出した。これまでの無骨で重い土器や粗悪な陶器とは次元が異なる、まさに「神の手による芸術品」。
「最後にご紹介いたしますのは……」
マリアージュ自身が立ち上がり、ステージの幕が落とされた。
そこに現れたのは、極細の『ルテティア・エアシルク』に、純金糸と純銀糸で繊細な星空の模様を刺繍し、職人が三千時間をかけて縫い上げた唯一無二のドレス——『夜空のドレス』であった。
光の当たり方によってペールブルーから深みのあるネイビーへと色が移り変わり、重さを一切感じさせない羽毛のようなドレープを描く。
「な……なんという美しさだ……!」
カルロ大公は息を飲んだ。
過剰な装飾で固められた帝国の重苦しいドレスなど、この奇跡の一着の前では「野暮な布切れ」同然であった。これを我が妻、我が娘に着せることができれば、皇帝の弟としての威信は大陸全土に轟くことになる。
「このドレスは、世界にただ一着。……二度と同じものは作れませんわ」
マリアージュの甘い声が、会場の全員の欲望を極限まで煽り立てた。
「ここでしか手に入らない、至高の逸品。……さあ、この美の所有者となるのは、一体どなたかしら?」
「金貨三万枚!!!」
カルロ大公が叫んだ。それは、帝国が誇る歩兵一連隊の半年分の給与に匹敵する、正気の沙汰ではない金額だった。
「カルロ大公殿下に落札されました!」
大喝采が巻き起こる中、カルロ大公は満足感に胸を膨らませていた。
しかし、彼は気づいていなかった。自らが「美の所有権」という優越感と引き換えに差し出したその金貨が、ルテティアの国庫を力強く潤し、逆に自国の戦費を激しく削り取っているという事実に。
オークションは大成功のうちに幕を閉じた。
香水、白磁、新素材ドレス、最高級ハーブティーの限定茶葉——それら『ルテティア・ラグジュアリー』と銘打たれた至高の逸品たちは、すべてあり得ないほどの超高値で帝国の貴族や豪商たちに買い占められた。
その夜。離宮の執務室で集計結果を確認していた財務卿は、腰を抜かさんばかりに叫んだ。
「王妃様……! た、たった一日のオークションで獲得した外貨(帝国の純金貨)が……我が国の年間国家予算の『二倍』に達しました!!」
「ふふ、素晴らしいことですわね」
マリアージュは優雅に紅茶を口に含んだ。
富裕層向けに極限まで価値を高めたブランディングを行い、原価の数十倍、数 foolish な高値で売りつける。
これにより、ルテティアは資源を浪費することなく、最小の労働量で「莫大な帝国の金貨」を根こそぎ吸収することに成功したのだ。
「……マリアージュ、恐ろしい報告が入ったぞ」
執務室に入ってきた国王リュシアンが、可笑しくてたまらないといった様子で口元を綻ばせていた。
「帝国軍の遠征準備が、深刻な資金難によって大幅に遅延しているそうだ。カルロ大公をはじめとする大貴族たちがサロンで金貨を使い果たした上、帝国の豪商たちが『ルテティアとの貿易が止まればラグジュアリー商品が入手できなくなる』と激怒し、皇帝への戦戦融資を一切拒否し始めたのだという」
「あらあら、それは大変なことですわね」
マリアージュは白々しく胸に手を当て、クスリと笑った。
「戦費が払えなければ、十万の軍勢もただの『お腹を空かせた集団』に過ぎませんわ。……リュシアン様、集まったこの莫大な金貨を使って、サロン銀行から『ガリア帝国の兵士たちの家族』へ向けた、低金利の生活救済融資を開始いたしましょう」
「な……敵国の兵士の家族に融資だと!?」
リュシアンが驚きで見開いた。
「ええ。皇帝は戦争を望んでいても、末端の兵士やその家族は飢えと貧困に苦しんでいますの。ルテティアのサロン銀行が彼らに手を差し伸べ、『戦争をやめればルテティアの豊かな商品と雇用が手に入る』と教え届けるのです。……戦う前から、敵軍の士気を内側から完璧に分解して差し上げますわ!」
リュシアンは一瞬あっけにとられ、やがて腹の底から楽しそうに爆笑した。
「ハハハ! 見事だ! 剣を一度も交えることなく、敵の戦費を奪い、敵の民の心を掌握するか!……まさに『ラグジュアリー(至高の価値)』による無血の征服だな!」
リュシアンは歩み寄ると、マリアージュの華奢な身体を強く抱きしめ、その額に深い愛を込めて唇を寄せた。
「お前は本当に、私の誇りだ。マリアージュ」
「ふふ……リュシアン様。私の贅沢は、まだ始まったばかりですのよ?」
マリアージュは夫の胸に顔を埋め、幸せな笑みを浮かべた。
高級ブランディング『ルテティア・ラグジュアリー』の成功により、ルテティアは軍事大国ガリア帝国の遠征計画を内側から崩壊させ、大陸における圧倒的な「経済的・文化的優位」を決定づけた。
そして、戦費を失い、民心まで奪われたガリア帝国皇帝は、ついに自ら降伏と同等の「平和友好条約」を結ぶため、王妃マリアージュのもとへと頭を下げて訪れることとなる。
断頭台の陰謀を跳ね返し、貧しい小国を世界最高の「ブランド・金融帝国」へと生まれ変わらせた元・悪役王妃マリアージュ。
彼女が描く「全員が豊かで美しい、新しい時代の平和」が、今ここに完成しようとしていた——。




