蛇足編 「パパになった日」
あれは、初めて飲み会に参加したときの事。
私と稚陽は上司に誘われて、六時半から居酒屋で飲んだ。
「優子、お前金貯まってんだろー?」
「絡み癖やめてくださいよ先輩ー。ごめんね優子くん、この人」
「何に使うんだよ、結婚か?」
「結婚は考えてませんね」
「テロでも起こすのか?物価高、円安、税金やめろーって」
「お金がないから蜂起するのに、それにお金をかけてちゃ馬鹿みたいじゃないですか」
「ん、そうだな」
急に真面目腐った顔になった。
「じゃあ世界征服」
「今度は足りなさすぎです」
「じゃああれだ、稚陽だ。手に入れたいんだ、女を。私も婚期逃してさぁ、お前はなんか、天然女たらしだから駄目だ」
「もう、飲み過ぎですよ〜」
先輩が上司に水を渡す。
口が空いたので、優子は稚陽を見た。
「まだ何か要る?」
「......」
「稚陽?」
「何でもないです!」
「ここの近く、出て右にラブホがあるから――」
「もう駄目ですね、帰りましょう」
「えーやだあ」
優子たちは店を後にした。
「優子さん、終電は?」
「駄目だこりゃ。変に距離あるとこ行くんじゃなかった」
「......寝泊まりする必要がありますね」
「ここ辺りだと、個室のビジネスホテルがあるか、狭いけど」
「狭いのはナンセンスですね。一度、右から近くに何かないか見ましょう」
二人は歩く。
「あの人、だいぶ酔ってましたね」
「恋バナ、いや下ネタ言うくらいにはね」
稚陽が立ち止まる。
「泊まるの......ここに、しませんか?」
「ここ?」
私は見上げる。
ラブホだ。
稚陽を見る。
「それは......?」
「はい、です」
唾を飲んで、中に入った。
「......わかった」
安かったからだ。
「受付の人は居ないんですね」
受付の人が居ないのは初めて知った。これから致すのに、顔を覚えられる客も嫌だろう。そこあたりは配慮出来てるんだな。
「うぅん居たら嫌だけどね。でも、稚陽って若く見えるから、年齢高校生と間違えられるかもしれなかったし、セルフの認証があったから何とかなったけど......」
「口説いているんですか?」
「羨ましいなぁと」
子どもと間違えられる、なんて言えない。
「話、覚えてますか?」
「どの?」
「どのって言うあたり、少しは覚えようとしてくれているんですね」
「ニワトリじゃないからね」
「パパになると」
「......コケッ」
ちょっと覚えていた。
部屋に入る。
稚陽がどういう気持ちなのかわからない。酔っているだけか、婚期を逃すまいとしているのか。
「ちゅーしていいですか?」
「え」
「......」
私は努力した。そちらを認めてもらえた、という事にしておく。
「............いいよ」
「初めてのキスですから、責任、取ってくださいね――」
朝チュンか......。
リア充って、こんな感じなのかな、改めて嫌いになった。
胸辺りが一部ヒリヒリする。段々ときちゃったのか、爪を立てられた。
隣には稚陽。寝ている。
裸だが、布が全容を隠している。
昨日、稚陽はすぐ寝てしまったのだ。
チェックアウトもあるので、起こした。時間は寝坊になる。
え、会社......休日か今日。
「大丈夫ですかね、何もしてないのでわからないですが」
最初くらい、いろんな意味での安全を考えようとしたが、稚陽があかん。おかんが泣くぞ。止められなかったのも悪いと思うけれど。あ、でも、おかんがあかんかったのか。
馬鹿な事は考えるな。
責任を取ろう。
「じゃあ、大学はやめとこっかな」
「え?あ......」
「責任は取るよ。いいの、どうせ入試の勉強し直さなきゃいけないし」
「......ちゅっ」
「あー、やっなぁ?」
「きゃーっ!」
私は本当に駄目だった、失敗した。
だから、もう恋愛とか交際に本気になることはないかと思ってたけれど、こうも簡単に。
肉欲があるからか......いや、稚陽が積極的に受け止めて、安心させてくれたからかもしれない。少し、いやそこそこ......大分小さかったけれど、今はその話はいいかな。
その後は、誘われてた同居のための事をいろいろした。
夫婦じゃあん?まだ早いけど。
稚陽は、腕がないからとか、だらけ癖があるからと、私のことを嫌がることはなかった。
稚陽は今までも配慮してくれていたように思う。
優しくしてくれる人間は、人生で限られている。
初めて誰かを大切にしようと、その時誓った。
同居して一年、結婚を決めた。
一年という期間が短いとも思うけれど、お互い心に決めていたし、同居しても問題はなかった。元々、少し同居してたしね。あの頃は、お互い恋愛の初心な気持ちもなくて、取り繕ったりもしてなかったから、安心出来る部分はあった。
婚姻届は初めて見た。へぇー。稚陽は酷く興奮していた。夢だったのかな?
会社に報告した。
あの上司に少し怒られると思っていたけれど、上司は居酒屋で稚陽と私に突っかかってたからか、「ちゃんと働けよ」としか言われなかった。
それと、今は上司ではない。
私は海外事情の担当をすることになり、チームを作った。大家のお姉さんとも会うことがある。
つまり、お金が入る!ぐはははは......アパート時代はお金なんてなかったから、何に使うか二人で考え中だ。
会社はおめでとうムードだ。
結婚式は挙げてないが、指輪は作った。
そこに指輪をつけて出社するの、何だか嬉しい。
結婚してから数ヶ月もなかったかな、稚陽......いや妻が授かった。
妻には退職させるつもりだった。
一番は、子育てもあるのに仕事の事も考えるのは、本人にとって相当なストレスになると思った。
お金には困らないし、逆に何に使うか困るけれど、子育てもあるし、働きたかったらバイトでいい。
と思ったのだけれど、社長はそんな雰囲気で働いてOK〜と大分軽く言って、育休を取った。
それから、家を買った。
払えるだけのお金と、あとはローン。
立派な人間になれた気がする。
家具も買った。冷蔵庫と電子レンジ、机と椅子、エアコン、ベッド系、食器系、洗濯機と服の収納と、沢山。
家具も買うと、お金がギュンとなくなった。
なので全部は買わない予定だったが、お姉さんが家に凸ってきた。それで、少しオシャレな照明やらを買ってくれて、リモート会議の様子を見てか書斎を作ってくれた。
驚いたのは、大家さんがテレビを送ってくれたことだ。あの人は本当に人がいい。
稚陽は新しい家にとても喜んでいて、ぴょんと跳ねて飛び込んできた。
「飛び跳ねると、お腹の子に障りますよ、私のお姫様」
「いいんです、お腹の子にも運動させないとひ弱な子になっちゃうので」
なんて、イチャイチャしたい口実だ。
ただ、人生なんて何周もしてないから、今の稚陽の状態で飛び跳ねていいのかわからない。
けれど、稚陽は私の心配に気を遣ってか、ゆっくりとした動きをしてくれるようになった。
ご褒美に見かけるたびにお腹を持ってあげるのは私の定めだ。
というか、この頃からすっかりリア充になってしまった。
一年もないくらいで、出産日を迎えた。
不甲斐ないが、私は最初の方は病院に居なかった。買い物をしていた。
急いで向かって、なんとか間に合った。
着いたらめっちゃ清浄して、妻の手を握る。
怖かったけれど、稚陽の方が不安に決まってる。
実際、稚陽は可哀想なくらい不安そうにしていた。何度も「大丈夫かな、本当に私に産めるのかな」とこちらを見ながら言ってきた。
神は信じない派だが、祈るように、稚陽の震える手を握っていた――。
無事、産まれた。
母子共に何事もなくて良かった。
稚陽は身体が小さいくて、出産は特に心配された。
子作り期間には、いろいろどっこいしょあって、それで二人して焦ったこともあった。
これまでを通して心配だったけれど、見た目と反して強かった。
産まれてきた子は娘だった。事前に知ってはいたけれど。
赤ちゃんは助産師から稚陽に返され、稚陽はそれを抱く。
さっそく、母乳を吸っている。
ともあれ、まずは話しかけよう。
「大丈夫?」
「ええ、まあ」
「今日からママですよ、あなた」
「それは私のセリフです。あなたもパパですね」
「ありがとう」
「どういたしまして!」
こうして、パパになった。




