七十一話 「社員デビュー」
三年後。
優子の朝は、ベランダの窓を開けるところから始まる。たまに、網戸を閉め忘れて虫が入る。会社へは駅三つといったところ。身嗜みを整えて、会社へ赴く。
自分の席について、バックからは何も出す事なく、パソコンをいじりだす。
「おはようございます、優子さん。昨日の続きの、あの資料はどうされました?」
「あれ?完成して、目は通しましたので、課長に出しておきましたよ」
「ならよかったです。ありがとうございますいつも」
「いえいえ」
(ちぇっ。もっと働けよな。まぁ、お蔭で給料高くなったけれど)
その日、優子は同期のOLと計画書の作成をしていた。しかし、殆どが優子の作業であった。
「あ、そういえば、室町安音議員の演説見ましたか?ニュースでも話題になってますよ」
「ん?あぁ、あれか......」
安音は、福利厚生について演説していたのだが、誰に吹き込まれたのやら、気の狂いなのか、狐の着ぐるみを着てヘッドバンドをし始めた。
「どうしたんですか?」
「いや、知り合いだったから」
「そうなんですか」
「はい。まともなやつだとは思――」
「こら!喋ってないで、企画書は!?」
喋っていたら、部長がタイミング悪く様子を見にきた。彼女は厳しい。
「はい!すみません!」
OLは頭を下げて、走って自分の席へ向かった。
「優子、お前もだぞ。面白い企画ではあるし、会社の名も上がるが、立案者がぽえぽえしていては何も始めらない」
(ぽえぽえ)
「それに、三年目とは言え、新入社員の面倒を見てもらうんだからな」
「新入社員?」
「そうだ。お前と同じところから引っ越してきたっけなぁ。田舎者だが、頭だけは賢いようだ」
「はぁ」
「なんだ、不満か?」
「いえ」
なんだか嫌な予感がするな、と優子は思った。
「そろそろ戻って来る頃だ。その時改めて紹介し――」
「ゆ、う、こ、さ、ん〜〜!!」
「ぐふぇ!?」
やっぱり、と優子は思った。
「追っかけちゃいました」
「それはそうとして、いきなり人の鳩尾に猪突猛進してくるな」
「すみません。余りにも嬉しかったので、優子さんと会えて」
「おいお前。優子の女か?」
そう聞かれた稚陽は、少しギクッとしてから、落ち込み気味に下を向いた。
「いえ......ただ、仲良くはしたいと思っています」
「ほーん......」
部長は腕を組んだ。
「私より仕事が出来るようになったら、考えてやる」
まるで、自分ごとのように話す部長に、優子は「こんな変な人だったっけ」と思ってしまった。
「どちら様ですか。私の部長はそんな事言いません。返してください」
「お前の仕事が遅くなるからだろう!?」
「はぃ〜」
情けない。
「少しはここで話させてやる。いや、折角だから、お前が新人の案内とかしろ」
少し投げやりに、稚陽への説明を優子は任された。
あれ、仕事しろって言ってたよね?と思ったが、それは口にしない。
―優子―
任されてしまった......なんなんだあの人。
とりあえず、稚陽の案内はするか。
「稚陽、行こうか」
そう言うと、稚陽は少し顔を赤らめた。
「は、はい!」
緊張しているのだろうか。入社初日だしな。ちゃんと会社に勤務すること自体初めてだろう。
「ひとまず、お手洗いは二階と四階かな、行くとしたら」
「それは......昔の事をいじってるんですか」
「昔......?あ、そんな事もあったね」
あれか。なんか、沢山濡らされた記憶がある......。
「いやああああああ!!思い出さないでください!」
ごめんて。あ、やべ、視線が集まる。そそくさ歩くか。
歩いてすぐ、もう見慣れた部屋に着いた。
「ここ、会議室。立案とかもここで出すかな。多分、ここばっかり使うと思う」
「ここばっかりというのは?」
「さっきの部長が陣取ってるから。温泉行ったときのアヒルが置いてある」
「なんですかそれ」
稚陽は、まだ少しぎこちなさそうでも、笑ってくれた。少しは緊張も解けてくれたかな?
「そうだ。サボり方も教えるよ」
「え?」
「息抜きも大事だからさ」
そう言って、自販機の近くの窓の隣にある壁の裏を紹介した。
ここは、エアコンの風も当たるし、ガラス張りだから外も一望出来るし、冬なんか日光がポカポカだ。
逆に、なんで誰もここに来ないかが不思議なくらいだ。
「どう?冬に来るのがおすすめだよ、日光気持ちいいから」
「へぇ〜。でも、サボって怒られないんですか?」
「あんまバレない。でも、怒られる」
「怒られたんですか?」
「うん、サボって。でも、その日は早く仕事が終わったせい」
「......」
黙らないでくれよ。
んーと、そうだな。
「わからない事ある?」
「いえ......ただ、優子さんは充実した生活を送れていますか?」
充実した生活か。うん、前よりよっぽど人らしくなった。人らしくが何かは知らなちが。
「うん。でも、向こうも少しは楽しかったよ」
「そうですか、よかったです。そうだ、みんな元気にしてるって、伝えてと頼まれていたんです」
「安音が、なんだ......有名になったね?」
「あー、はい。あれ、本人の導き出した、人を惹きつける奥義なんだそうで」
「意外、安音がそんな事に走るとはね。野美子の酔った提案かと思ってたよ」
「野美子さんも元気ですよ」
「酒癖は?」
「はい、飲んではいますが、誰かと飲んでいますし、本人も自重してます」
そうか、えらいな。きっかけは意味わからないものだろうが、それで軌道修正出来た彼女はすごい。
「そっか。稚陽はどうだった?」
「私は優子さんが居なくて寂しかったです」
「そう言ってくれるなよ」
「............一緒にまた暮らしませんか?」
「えっ?」
そんな、以前みたいに同居する程金欠か?この会社で?
「あわよくば、これからも......」
―稚陽―
「一緒にまた暮らしませんか?......あわよくば、これからも」
言った。
野美子さん、アネキ、見守ってくれてますか!あ、いや、死んでない。これじゃ、まるで死んでるみたいじゃないですか。
「それって、ねえ。男女で暮らすのは大変だよ?野美子が居るわけでもないし」
「......はい」
「下着とか大変だし、余程困ってるんじゃないなら、自立した生活も大事だよ」
「はい。ですが、そうじゃありません」
「......じゃあ?」
「優子さん......」
「ん、あ、その話、帰りにしようか」
「え、え?あ、はい」
あ......どうしよう、無意識に顔を近づけてたかもしれない。
優子さんは「帰りは連絡するよ」と言って、私を部長の女性に渡して、仕事に戻ってしまった。
「どうだった?ウチの会社は」
「ええ、窓が綺麗でした」
「窓?田舎じゃ霞んでいるのか?」
その日の仕事は簡単で軽いものばかりだったので、考えても仕事に支障が出ることはなかった。だけど、部長が何を話していたかは覚えていない。
暇つぶしにプリント用の紙を整理してちると、優子さんから連絡が入った。
【ごめん待たせて】
【いえ】
【出口の外で待ってる】
そっけない。いや、これは優子さんの配慮です!
会社を出ると、優子さんは待ってくれていた。
「どうも、待たせましたか?」
「いや、今来たところ」
付き合いたてのカップルみたいな会話をして、帰り道を歩いた。




