第六十七話 「薫る風はお茶日和」
引っ越しの束の間の休日、優子は以前より少し体力はついたが、それでもこの日はしっかり休みたかった。
窓を開けると、田舎ならではの自然の空気。こちらに来て、すっかり日常の一部になった。空気が澄んでるとよく言われるし、実際それはわかる。しかし、何だか臭いのがリアルだ。虫は多い、道も古いし、便利なインフラは何一つない。そんなこの場所も、そろそろさらばだ。
コンコン。そんな音がした。気のせいかとも思うけれど、もう一度コンコンと扉が鳴った。どうやら人が来ているらしい。
仕方がないので、出ることにした。
「はーい」
扉を開けると、そこには日和がいた。彼女は碌な女じゃない。何を考えてるんだか。
「あの、これ......」
ちょっと照れくさそうに、紙袋を渡してきた。
「これは?」
「香りがいいお茶。引っ越すって安音さんから聞いたから」
ああ、そういう事か。お別れをしに来たのだ。
「ありがとう、貰っとくよ」
「あと、もう一個」
「なに?」
「どこ行くの?」
これは、どこに行くか言ってはいけないやつだ。また会いに来るなどと言い出すかもしれない。
「秘密」
そう言うと、まるでわかっていたように「そう」と言って、少し落ち込んだように見えた。
「......折角ならさ、飲んでかない?お茶」
「え、でも」
「いいのいいの。て言うか飲み方知らない」
もう会うのも最後と言うのなら、お別れしてやるのも悪くはない。少し常識を身につけたし、元とは言え付き合った仲だ。
どぞ、といった感じで迎え入れると、彼女は小さくおずおずと入ってきた。
以前までなら野美子や稚陽も居たが、引っ越しをするので別の部屋で過ごしている。大家は意外と仕事が早い。と言うより、大した事じゃないし。
「お茶、頼める?」
「うん」
「やかんそこ」
お茶の淹れ方を教えてもらいながら、私は座りながら待った。
「お待たせ」
淹れただけで少し香りがしてきたけれど、持って来られるともっと香りがする。桃っぽい、少し甘い香りだ。
「お菓子はないよ」
「知ってる。こんなところにいるようじゃ、碌なもの買ってないでしょ」
少し刺さるような言葉にカチンとなるが、私を知ってのことだと思い自重した。
「これでお別れだと思うけれど、何か言いたいことある?」
「んー、いっぱい!だけど言ってあげない」
「なんだよ」
「だって、もうちっちゃい島に住み続けるんでしょ?これからまた女の子と付き合うこともないだろうから、アドバイスもいらないでしょ」
「島って、やっぱり知ってた。てか、逆に何かあるの?」
彼女は「失礼な」と言って、少し考えてから、渋ったように口を開けた。
「もう少しちゃんと人生生きたら?」
「んな、ちゃんと人生生きるお手本見せてから言ってください」
「なんだって?」
「感慨深いよ。なんせ人生生きてなかったやつにこんな事言われるんだから」
「最低。でも私、今はちゃんと立派な社会人ですけど」
彼女と会うのはこれが最後だと言うのならば、私の人生に、これから生きていく中に彼女は現れない。三年後には声も顔もはっきり覚えていないだろう。
お互い、かつての出来事のほんの一部として、これからの人生で消化していくのだ。
私は、手摺《すり》のところから日和を見送って、外の風に当たった。その風は、ほんのりと桃の香りがした。
日和と入れ替わるように大家が歩いてきて、ハゲあ......太陽に照らされていた。
「おう、優子。くじの景品で桃当たったんだ」
「どういう状況?」




