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涙と膿 24

 6分後、進之助は十塚が張り込みをする部屋にやってきた。


 両手に大きなスーパーの袋をぶら下げた進之助を見て、十塚はうんざりして言った。

「ピクニックに来てるんじゃないんだぜ?」


「わっ、ひでぇ埃と煙だな。窓開けろよ。こんなところにいたら、俺肺がんになっちまうよ」


「窓を開けるとカーテンが揺れるんだよ!」


「ま、いいや」

と進之助は床に直に腰を下ろすと、スーパーの袋を開いた。

「食うだろ?」

 モナカのアイスを放ってよこした。


 十塚は甘い物が好きではない。だが、突き返すのも気が退けるので、しぶしぶ受け取った。


 袋の中には、他にスナック菓子や炭酸飲料なんかが入っているようだった。


 進之助はカップアイスを取り出して蓋を開け、木のスプーンでほじくって食べ始めた。

「で、何か分かったのかよ?」


 十塚はモナカアイスを袋から半分出してかじった。

 アイスクリームを食べたのは何年ぶりだろう。思ったほど甘くはなく、火照った体に気持ちが良かった。


「36時間、一歩も部屋から出てねぇってこと以外、何にも分からねぇよ」


「一歩も?」


「ああ」


「二人ともか?」


「そうだ」


「そんなはずないだろ。平日だぜ?あの野郎は知らねぇけど、香織さんは仕事があるはずだ」


「さぁな。有給でも取ったんじゃないのか?」


「有給まで取って、部屋に閉じこもって、いったい何してるって言うんだ・・・」

 そこまで言って進之助は黙った。


 外を見ていた十塚は振り返って進之助の顔を見たが、そこにはショックの色がありありと浮かんでいた。


 十塚はフッと鼻で笑った。


 進之助にとって、それはショックなことだろうが、それは所詮単なる失恋であり、多くの男(または女)が当たり前のように経験することだ。何も特別なものではなく、大きな目で見れば不幸でさえない出来事だ。


 しかし十塚はこの事件に、別の〝裏〟があると睨んでいる。


 進之助が新田香織のマンションで嗅いだという酸っぱい匂い・・・。

 ホルマリンか?

 断定はできないが、ロザリアの涙の可能性がある。


 防腐剤のような粗悪な手法を使って遺体の腐敗を遅らせ、死者の蘇生を商売にする輩が、この町には一人ならずいることを、十塚は知っていた。


 恋に狂った輩は何をやらかすか分かったもんじゃない。

 手に入らないのならいっそ殺してしまおう。

 そう考える奴もいる。


 ロザリアの涙は悪魔市で取引されている商品の一つだ。見かけ上人を生き返らせることができるが、生き返った代物は生前と似ても似つかない。

 その正体は特殊な微生物の集まりで、死んだ人間(なぜか人間のみだ)の肉体に寄生し、まるで生きているかのように体を動かす習性がある。

 人間の死体に寄生した微生物は爆発的に増殖するが、単体で生きるには向いていないらしく、自然界に出るとすぐに死滅してしまう。人間の死体であっても、ある程度以上腐敗が進むと増殖できなくなり、死滅する。しかし、たとえ排水溝から流れ出た僅かな量であっても、そこにたまたま新鮮な人間の死体があった場合(たとえ腕一本でも)、それに寄生し、増殖を始める。

 いくら見かけ上生き返ったとしても、動かしているのは脳があるかどうかも怪しい下等生物の集まりであるから、当然複雑な動きは不可能だ。自分で考えることはないし、言葉を発することもない。内臓は全て機能を停止しているし、呼吸さえしない。


 十塚はどちらかと言えば大人しい女性の方が好みだが、いくら大人しくても死体と付き合いたいとは思わない。




 十五世紀のイギリスで起きた〝マデリン事件〟は有名だ。


 当時、イギリスではペストが猛威を振るっていた。人口の八割がこれにより死亡したというのだから、相当なものだったのだろう。


 幼い娘を失くした富豪の夫婦は、知り合いの魔術師を頼ってロザリアの涙を手に入れた。


 この娘の名前がマデリンだ。彼女が死んだ理由がペストだったのか、それともほかの理由であったのかは知られていない。


 娘は生き返ったが、それは元の娘ではなかった。

 明るく活発であった彼女の姿は何処にもなく、一日中ボーッと座っていた。さらに何かの拍子に家族や召使に襲い掛かることがあった。

 しかも日に日に肉体は腐敗し、髪は抜け、肉は削げ落ち、耐えがたい悪臭を放つようになった。


 ここまでは、よくある話だ。

 ロザリアの涙を用いたがために起きた不幸な出来事の記録は、世界中にいくらでもある。

 イザナギとイザナミのように。オルペウスとエウデュリケのように。たいていは親しい者の死に耐えられず、悪魔との取引に手を染める。しかし、やがて訪れる肉体の腐敗、その残酷なまでの醜さ、おぞましさに耐えきれず、最後には大きな犠牲を払ってまで生き返らせたその人物を、再び葬るはめになるのだ。


 見かねた両親は思い悩んだ末、やはり同じ道を辿ることになる。

 しかし、この両親の許し難いところは、その埋葬方法にあった。

 世間体のためか、罪悪感によるものか。あろうことか二人は、娘が動かないよう雁字搦めに縛り上げ、頭に袋を被せて、外からは死体だか生きているのだか分からないようにし、棺に入れて墓地に埋葬したのだ。


 その後、数カ月は何も起きなかった。


 だがその年の夏、降り続く長い雨で川が氾濫し、墓地全体が水に浸かってしまうという災害が起きてしまった。


 マデリンがそれだけ長い間、棺の中で縛られたままもがき続けていたのかどうかは誰も知らないことだし、そうだとして、肉体がどれほど傷み、腐敗が進んだかなど想像もしたくないことだが、体に含まれたロザリアの涙は水を媒介して墓地中に広がった。


 墓地にはペストで死んだ新鮮な死体がごまんとあった。


 ロザリアの涙がそれらに作用し、土の中から聞こえる呻き声が一日中墓地を包み、多くの死体が土の中から這い出し、町を歩き回った。




 まるでゾンビ映画の再現だが、映画ほど恐ろしい事態にはなり得なかった。

 ロザリアの涙で生き返った死体は、映画の中のゾンビほど好戦的ではない。日に何度か、だれかれ構わず襲い掛かって噛みつくことはあっても、大半の時間は放心したようにボーッと座っている。


 大騒ぎになったマデリン事件であったが、最後には教会が全て片付けたと伝えられている。


 当時は教会の内部に、悪魔市との取引の後片付け(というよりは証拠隠滅と言った方がいいかもしれない)をする部署があった。

 その部署はもう百年以上前に教会本部から分離し、とある新興宗教へと形を変えているが、今も存在している。


 現代では、悪魔市の管理は国の手に委ねられている。アメリカではCIA、イギリスではMI6といった諜報機関がその役目を担っている。

 日本では警視庁公安部の中にその部署がある。


 かつて十塚がいた部署だ。


 手に入らないのなら、いったん殺してしまおう。

 そう考える奴がいたとしてもおかしくない。


 だとしたら、北村章夫がどうやってオスロ―の膿を手に入れたのか。尋常な伝手では手に入れることのできない代物だ。たまたま魔術師の知り合いがいたか、或いは北村自身が魔術師か・・・。


 何れにせよ、十塚は自分の勘が外れることを祈った。

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