表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
23/30

涙と膿 23

 ネクタイの繊維が捩れて両目と口が開いている。

 口と目が開いた姿は、見ようによっては(或いは慣れてしまえば)可愛くもあるが、はじめて見た者なら、まず悲鳴を上げるだろう。

 閉じてしまえば普通のネクタイにしか見えない。


「まさか受けると思わなかったわ」


 十塚は缶コーヒーを啜っていたので、答えなかった。


「この依頼のことよ。仕事してくれるのは、ホント有難いんだけどね。何せ、事務所の経営はいつも火の車なんだから」


 中身の大半が残っている缶を地べたに置いて、十塚はフンと鼻を鳴らした。

「探偵なんてヤクザな職業が儲かるわけもないだろう?」


「せっかく来た依頼を、あんたが片っ端から断っちゃうからでしょうが!その気になれば、浮気調査でも探し人でもできるじゃないの」


「そんな、つまんねー仕事ができるかよ。俺を誰だと思ってんだ」


「プライドだけじゃ、ご飯を食べられないのよ?」


「お前は食う必要ないだろ」


「あんたは人一倍食うでしょうが!」


 それ以上言い返さず、十塚は黙って窓の外に視線を向けた。

 二〇三号室のドアは相変わらず閉じていた。


「でもさ。あんたが受けたってことは、アレが絡んでるってことよね?」


 十塚は答える代わりにため息をついた。

 アレ・・・。つまり悪魔市、デモンズ・マーケットのことだ。


「あの子、なんて言ったっけ?可愛らしい顔した子ね。ちょっと馬鹿だけど・・・。あの子の話、私には特別なところは見当たらなかったけど?」


「強いて言うなら・・・」。十塚は外を見たまま、何処か上の空で言った。「勘かな」


 ベティはため息をついた。

「ま、いいけどさ」


「おい。刑事時代も含めれば、俺は四十年間こんなことやってるんだぜ?その勘を馬鹿にするなよな」


「だから、そのベテランさんの勘は何処に引っ掛かったって言うのよ?」


「フラれ方だよ」


「は?」


「俺はこれまで数々の女にフラれてきたが、あんなのは聞いたこともねぇ」


「四十年のキャリアは、スケベの話だったのかしら?」


「あとは、匂いかな」


「匂い?」


 ふいに十塚の携帯電話が鳴りだした。ピンクパンサ―のテーマだ。

 塗装のはげた、二つ折りの携帯電話。俗に言うガラケーというやつだ。

 もう何度も故障したことがある。一度は原型がないほどグチャグチャに壊れてしまったが、知り合いに優秀なメカニックがいて、直してもらったのだ。


 液晶画面には『日野江進之助』の名前があった。


「やれやれ。噂をすれば・・・、だ」

 十塚は電話に出た。「なんだ?」


『十塚か?』

 進之助の声だ。失礼な口調に、十塚は顔をしかめた。


「なんだ?と聞いたんだ」


『何処いんの?』


「張り込み中だ」


『だから、何処いんの?俺、差し入れ持って来たんだよね』


「は?」

 まさかと思い、十塚は立ち上がって新田香織のマンションの、その玄関の辺りを見た。

 茶髪の青年がスマートフォンを耳に当てている。反対側の手には大きなスーパーの袋をぶら下げていた。


「あのバカ・・・」。十塚はため息とともに呟いた。


『なんか言ったか?』


「帰れ。仕事の邪魔だ」


『おい。人がせっかく気を利かせてやってんのに・・・』


「それが邪魔だと言ってるんだ。張り込みってのは、相手に警戒させたら終わりなんだぞ。そんなところでウロウロしていて、北村に気付かれたらどうする?」


 十塚は事前に北村について調べていた。

 新田香織は泥間市に来てから日が浅く、交友関係も会社の人間に限られていたから、割り出すのに時間はかからなかった。


『北村?誰だよ、それ』


「いいから帰るんだ!」


 進之助は『チェッ、愛想のない奴だぜ』と言って電話を切った。


 マンションの下で茶髪の青年が、ポケットにスマートフォンをしまって歩き出すのが見えた。


「どうしたの?」

 ベティが顔を覗き込んできた。


「依頼者殿だよ。差し入れだとさ。・・・何考えてんだか」


 ベティは笑った。

「可愛いじゃない。もらってあげれば良かったのに」


「馬鹿の相手をしてるほど暇じゃないんでね。俺は・・・」

 言い終わらないうちに、再びピンクパンサ―のテーマが流れた。

 液晶画面を見て、十塚は

「またあいつだ」と言った。電話に出て

「今度はなんだ?」


『家に帰る前に、アイスクリームが融けちまうよ』

「アイスクリームだぁ?!」。十塚は悲鳴のように叫んで、頭を抱えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ