涙と膿 22
佐山町は泥間市の東北部に位置し、山間にある泥間市の中では、もっとも標高の高い所にある。
山を切り開き、道路を通し、住宅地ができ・・・。都市開発の途中で投げ出されたかのように、急斜面の上、中途半端に自然と建造物が混在している。
泥間市には大学のキャンバスが八つあるが、そのうちの一つがこの斜面を下ったところにある。そのせいで、この辺りは学生向けのアパートが多い。
その中の一室に、十塚十郎はいた。
築四十年は下らないであろう、古いアパートだ。
もう何年も住人がいないのだろう。部屋の中には雪のように埃が積もっている。
以前住んでいた者が置いて行った冷蔵庫やテレビが置いてあるが、電気が通っていないので使うことはできない。
アパートの所有者に十塚が話して、一日いくらで借りたのだ。
正式な手続きは踏んでいないので、電気やガスの契約もしていない。
正直に探偵の張り込みだなどと言うと大家が訝しむので、表向きは、引っ越しの際の一時的な荷物置き場に使わせて貰うということになっている。
色褪せたカーテンの隙間から、暗い部屋の中へ光の筋が伸びている。
埃と、十塚が吸う煙草の煙で、部屋の中は尋常でなく曇っている。
弁当ガラの入ったコンビニ袋が、一食分ずつ縛られて三つ積み重なっている。
昨日食べたサバの水煮の空き缶に、煙草の吸殻がびっしり詰まっている。
フゥと細く煙を吐き出して、その中にもう一本、十塚は吸殻を突っ込んだ。
「なかなか、出て来る気配がねぇなぁ」。十塚が張り込みを始めて36時間以上が経つ。「同棲したてのカップルなら、そんなもんかね?」
十塚のいる部屋からは、新田香織の部屋―二〇三号室の玄関のドアが見える。
このアパートも香織の部屋も、斜面が低くなっている側に窓があるので、窓から内部を覗くことは難しい。しかも二〇三号室の窓はカーテンが閉じっぱなしだし、夜もかなり暗くならないと明かりすらつかない。
「下品な想像してるんじゃないわよ。ジジィのくせに」。ベティが答えた。
「人間の行動原理だよ。この商売は人を知らなけりゃできねぇんだ」。十塚は窓の外を見たまま言った。
「だから、アンタは実地学習ばかりしているってわけ?あのドラッグストアの店員とかね。あの馬鹿みたいに長い付けまつ毛の・・・」
十塚はワイシャツのボタンを二つ外し、首に緩めたピンク色のネクタイをぶら下げている。その先がひとりでにクネッと曲がった。
十塚は下を向いてネクタイを見た。
「おい、メグミちゃんのことを悪く言うな。その話はもう済んだだろ?」
「ああ、また腹立ってきた!やっぱり絞め殺してやろうかしら」
ネクタイの結び目が上に上がってキュッと締まった。
「バカ、やめろ!仕事中だぞ」
十塚は慌てて首に手をやり、ネクタイを緩めた。
ベティは十塚の相棒でお目付け役。事務員で恋人で話し相手で喧嘩仲間。短気だが涙脆く、情に弱い。
十塚が探偵事務所を始めるきっかけになった事件で知り合い、もう十四年の付き合いになるが、もっととも言える。
あと、たいしたことじゃないがネクタイの姿をしている。




