兄からの言葉
撫でられているのも少し恥ずかしくなってきたので兄を見上げて口を開く。
「お兄ちゃん、もういいわよ」
「えー、そうかい?可愛いローリーを撫でるのはいつまででもできるよ?」
嬉しそうに頬を緩めている兄に口を曲げる。だからそれが恥ずかしいのだ。
「もういいの!それよりカリナにユリアさんへ宣言した件を説明してよ」
目を鋭くして凄むと兄は真剣な顔をする。
「それはそうだね」
そう言って私の頭から手を離すと、兄はカリナの方へと歩み寄る。
カリナが緊張した面持ちで歩み寄った兄を見た。
「カリナさん、説明が遅れて申し訳ない。僕は君のお姉さんのことを慕っている。それで先日、彼女への想いを口にした。僕は彼女をとても大切に想っている。カリナさんには突然のことで驚いたと思う。ただ……僕のメーベル医務官への想いを彼女の妹であるカリナさんにも知っておいてほしい」
兄の述べた話には『嘘』は一つもない。それがカリナへの誠意なのだろう。
カリナは深呼吸してから兄に微笑んだ。
「姉は魅力的な人なので、リックさんが姉を慕ってくださっているのは嬉しいです。ただ姉の気持ち次第なので、私からは何も言うことはありません」
「ありがとう、カリナさん。僕はメーベル医務官の意志を尊重するよ」
カリナに微笑み返して言った兄の言葉は力強い。兄はユリアさんのことを大切にしているから意志を無視するようなことは……。
――…………今現在、している真っ最中じゃないかしら?
ユリアさんは兄がこうして宣言していることを絶対に了承していない。ユリアさんを守る為だけれど、これは意志を無視していないと言えるのかしら。
そう考えて首をひねる。兄を怪訝な目で見ると少し目を逸らされた。兄にしては珍しい。一応今回の件に関しての後ろめたさはあるようだ。
――でもユリアさんを守る為なのよね……。
私も今回の件に関しては兄の行動がユリアさんの意志を尊重しなかったのは仕方ないと考えている。だってユリアさんは理不尽があってもそれに耐えてしまう人だから。
兄に助けを求めなかったユリアさんの気持ちも理解できる。相手はシュタフェール侯爵家の方だ。けれど兄は相手が誰であっても、ユリアさんを助けたかった。
私だってユリアさんが理不尽な目に遭っているなら助けたい。相手がどんな人でも。
――あ……。
ふっと笑う。
――私、カリナを助けようと思った時も同じ気持ちだったわ。
相手が誰であっても関係ない。ただカリナを助けたかった。
その事に気づかせてくれたのはカリナとアリオンだ。
――ふふ。助けたいっていう、単純な気持ちだから大切なのよね。
カリナを見ると兄を嬉しそうな目で見ている。兄がユリアさんの相手なのはわかっているし、さっきも嘘の設定は言わなかったから好印象なのだろう。
――というかカリナ、お兄ちゃんがユリアさんへ愛を宣言したって聞いてすごく燥いでたものね。
最初から悪印象はなかったのだろう。
次にアリオンへ目を向けると目が合った。私と目が合った途端、蕩けた笑みを浮かべるアリオンに頬が熱くなる。
――ど、どうして私を見て……!
てっきり兄の方に視線を向けていると思っていたのに。
恥ずかしくなって視線を別の方向へと逸らすと、シオンとフューリーさんの疑心を持った顔が目に入った。
――……あれ、兄とユリアさんの『犬猿の仲』って噂を知っているからこその顔ね……。
『犬猿の仲』で通っていたのに意志を尊重するとは……?と言いたげな顔が見事なまでに揃っている。ちなみにユーヴェンも少し似た顔だ。一応ユーヴェンは『犬猿の仲』が嘘であったと知っているけれど、それはそれとしてやはりまだ信じられないらしい。訓練場に来る前にその事でカリナに悲しまれたのだから、早く考えを改めるべきだと思う。
スカーレットはどうなのだろうと見ると、キラキラした目を兄に向けている。
――……スカーレットは噂、知らないのね……。
あれはこの間のカリナと同じ目だ。恋の話に燥いでいる目。
――けれどよく二人が犬猿の仲だって噂が耳に入らなかったわね……。
ユーヴェンの反応を見ると騎士団の中ではかなり広がっていそうだった。
――んー……でもスカーレットってあんまり噂知らないみたいなのよね。
私とアリオンの噂もスカーレットを心配した女の子達に教えてもらうまで知らなかった。
そもそもスカーレットから噂話を聞いたことがあまりない。たぶんスカーレット自体があまり噂話を耳に入れないタイプなのだろう。
それでいて今回の『犬猿の仲』という噂はうまくスカーレットに届かないようにされたのだと思われる。スカーレットの周りには情報操作に長けている人物が揃っている。
シオンは人懐っこく顔が広いので昔から情報通だ。そしてフューリーさんも短い期間でしか流れなかった私とユーヴェンの噂を知っていた。ということはフューリーさんにも情報が集まりやすいはずだ。
そんな二人がいるならばスカーレットに届かないようにすることは可能だろう。情報の多さとは人との繋がり。だからスカーレットに届かないように頼んだと思われる。
――くっ……私はそこまではできなかったわ……!
カリナを噂から遠ざけようとしていることに気づかれてしまっていた。私一人でなんとかしようとしていたのだから仕方のないことではあるけれど、もう少しやり方を考えるべきだった。
――でもカリナにとっては知りたい情報だったものね……。
そう考えると難しいところだ。カリナは知れてよかったと思っているのだろうから。
――……カリナが知らないのも嫌って言っていたから……これでよかったのよね。
一つ息を吐く。当事者であるカリナが噂を知れてよかったと言っているのだ。私が噂をうまく隠す方法をとれていたらと考えても仕方ない。今更ではあるし。
訓練場の端に設置してある大時計を見て時間を確かめる。そろそろ魔導具部署に向かった方がいい時間かもしれない。
ちらっと隣のアリオンに目を向ける。相変わらず優しくこちらを見ている灰褐色の瞳に溺れてしまいそうだ。少し頬を赤くしてから柔らかく微笑んだ。アリオンに会えてよかったという意味を込めて。私の微笑みを見たアリオンは緩やかに顔を崩した。喜色が表れたその笑みに幸せな気持ちが心に舞い降りる。
一つ深呼吸した私は引き締めた顔を上げる。
「アリオン、そろそろ行くわね」
「おう、わかった。会えて嬉しかったよ」
顔を緩めて言うアリオンにこくんと頷く。
「あの……ね……わ、私も……あ、会えて嬉しかった、わ……」
とても小さく呟いた言葉は届いただろうかとアリオンをちらりと見上げる。
灰褐色の目を瞬かせたアリオンに目を逸らしかけた時、嬉しくて堪らないという表情で破顔した。それに顔が赤くなるのを自覚しながら羞恥でいっぱいになってアリオンの隣から動く。
「カリナ、ユーヴェン、そろそろ行きましょ!」
必要以上に大きな声になったのは致し方ないだろう。
「あ、そうだね。そろそろ行かなきゃ」
「もうそんな時間なんだな。じゃあ二人共送っていくよ」
カリナとユーヴェンの返事を聞いていつもより大きく頷く。それで顔の熱も引いてくれると嬉しいのだけれど。
「よろしくね、ユーヴェン」
先程のような事もあるし、色々な貴族の方や騎士団内の事情を知っているユーヴェンが送ってくれるのは心強い。
「お兄ちゃん、あんまり無理しないでね」
兄に近づいて小さく声を掛ける。兄の思惑があるのはわかっているけれど、やはり心配なのは心配だ。
「わかったよ、ローリー。……これ以上、心配かけないようにするから」
私とユリアさんに、という主語が入るだろう話に安心して微笑むと、ぽんぽんと頭を優しく叩いてくれた。
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