愚か者の末路 3
「……さて、どうだろうな。おまえの父を賭場に誘ったのは、マイア・ブロシアだ。愛人の座に納まったのも、おそらくはグラセス領主に命じられたからだろう。おまえの印象はともかく、今回の件に深くまで食い込んでいる可能性は無きにしもあらずだ。屋敷に留めて監視しているが、呼び出してみるのも面白いかもしれないな」
「グラセス領主の身柄は、既に拘束されているんですよね?」
「ああ、もちろんだとも。オーサントが動いたのと同時に、うちの別働隊が確保している。今は取り調べの最中だが、判明していることだけでも相当の罪になるはずだ」
オーサントからの収賄、経営する賭場での詐欺行為、違法薬物の輸入に、外国人の人身売買。グラセス領主が残りの人生を牢で過ごしたとして、犯した罪の重さには足りないだろう。
「余罪も多そうですし、関係者を洗うだけで大変そうだ。新年の休暇は返上ですか?」
「多分そうなるだろうな。……仕事だから仕方がないこととは言え、ウィリアムが拗ねそうだ」
愛妻家で家族大事の義父である。義娘のコーデリアが寮に引っ込んでいるのも由としないのに、大事な妻が仕事で不在となれば、臍を曲げること間違いなしだろう。
普段は温和な義父が不貞腐れる姿を思い描いて、コーデリアは微苦笑を浮かべた。
「ジョージ・マッケイが片付いた、と言えば機嫌を直してくれますよ。義父上はあの男のことを蛇蝎のごとく嫌っていましたから。処分はもちろん、されるんですよね?」
「されない訳がない。とは言えあれは、巻き込まれただけの小物だ。おまえの縁談も口約束の段階で、それだけなら父親が持つ権利の範囲から逸脱はしていない。オーサントの調香師に繋ぎをつけ、留学生を煽ったのはあれだが、実際のところはグラセス領主が言うがままに動いていただけだ。おそらく収監はされず、領地で蟄居がせいぜいだろう」
ただし、と言って琥珀色の瞳を獰猛に光らせた。
「爵位の生前移譲と、領地の一部没収は既に決定している。マッケイの嫡子は未成年だが、夫人は聡明な方だからな。これまで苦労なさった分、のびのびと家を盛り立てていけることだろう」
ちなみにマッケイ夫人は、母の熱心な信望者だ。そして碌でなしの男に関わった者同士、なぜか親交を深めている。
コーデリアの異母弟たちは、そのマッケイ夫人の薫陶を受け、母のような騎士になるべく邁進しているらしい。目標にするには向かないと思うのだが、ともあれ碌でなしの父親に似ていないようでひと安心である。
「没収される領地は穀倉地帯のダンターシャだ。グラセスから王都への街道も含まれているから、見せしめと罰には丁度良いだろう。ダンターシャは一時的に国の預かりとなるが、その後おまえに譲られることになっている。これまでの迷惑料のようなものだな。ついでに爵位も与えようという話も出たが、そっちは私から断っておいたぞ」
感謝しろよ、と笑う母を呆然と見る。
「……は? あの、なんて言いましたか?」
「踏まなければならない手続きはいくつかあるが、然る後にダンターシャはおまえのものになる。良かったな、おまえはもうじき地方領主だ」
「え、いや……ちょっと待ってください。領地なんて、寄越されても困ります。私は神殿騎士ですよ。ガレアンの森から離れられないのに、領地の運営など不可能です」
「そんなものは代理統治者を立てれば問題ないだろう。既にウィリアムが人選を始めているから、休暇の間にしっかり話をしてくるといい。ついでに私の不在で拗ねるあいつを、宥めておいてくれると助かるんだが」
「それはさすがに荷が重過ぎます」
母の不在に萎れている義父の相手など、考えるだけでも面倒くさい。
頼むから自分の夫の面倒は自分で見て欲しい。そう白けた目を向けると、母は仕方がないというふうに肩を竦ませた。
「おまえがなにを言おうと、領地の割譲は決定事項だ。辞退することは許されない。だが結果だけ見てみれば、これはなかなか悪くないタイミングだったと思うぞ。おまえはディグラントと縁付くのだろう? それなら嫁入り道具にダンターシャはもってこいだ。イライアス卿が爵位を得たときの後ろ盾にもなれるしな」
「…………」
さっぱり意味が分からない。真実付き合ってすらいないというのに、いったいどこから嫁入りなんて話が出てきたのだろうか。
寝耳に水な発言に言葉を失っていると、母が不思議そうに首を傾けた。
「なにを驚いた顔をしている。おまえのその首、イライアス卿に咬まれたんだろう? まさか知らなかったのか? 狼がうなじを咬むのは、他に己の伴侶だと知らしめる行為だぞ」
はっとして巻いたままの包帯に触れる。
「……それは獣の話でしょう? 獣人の狼が、そんな真似をするなんて聞いたことがない」
「確かに声高に言うことではないが、付き合っていればそういう話も――ああ、そうか。本家の者なら慎重にもなるか」
ひとり納得する口調で言って、母はコーデリアに気遣う眼差しを向けた。
「だがそれを差し引いても、おまえたちには話し合いが足りていないようだ。獣の本性に関わることだから、口にし難いのは解る。それでも種族の特性と常識とをきちんと擦り合わせておかないと、後になって揉めることになるぞ」
珍しく母親らしい忠告をして続ける。
「昨夜のイライアス卿は、妙な薬物のせいで理性が飛んだ状態だった。おそらくそれで伴侶を咬みたい、という本能に抗えなかったのだろう。おまえには災難だったかもしれないが、卿を責めるのは止めておけ。さすがに気の毒だし、事前に婚約の打診を受けていたのだから、親としてはまったく問題はないしな」
「いや……本当に、ちょっと待ってください。色々と理解が追いつきません。そもそも伴侶ってどういうことです。婚約の打診? 私はなにも聞いていません」
困惑しきった声で言うと、母は不思議そうに首を傾けた。
「おまえはイライアス卿の求愛を受けたのだろう? 私が贈った護身用の短剣、あれの鞘に鍵を付けているじゃないか。家の鍵を渡すのは伴侶を迎えるための巣を用意した、というアピールだ。婚姻の申し込みとして一般的だと思うんだが……もしかして、それも知らなかった、とは言わないだろうな」
「それはさすがに知っていますけど、でもあれは他に事情があったからです。イライアスは別にそういう意図で渡してきたわけではない、と思います」
おそらくは、と自信なさげに付け足したコーデリアに、母は意味深長な笑みを向けた。
「おまえが気づかぬうちに、着実に根回しをしていた男だぞ。間違いなくそうと意図して渡しただろうし、おまえが勘違いしたがっていたことも織り込み済みだろうよ」
そんなことはありえない、と言い切れないのが恨めしい。
それにしても、この手の話を母とするとは思いもよらぬことだった。だがそれを感慨深く思うよりも、恥ずかしさと居た堪れなさが凄まじい。頭を抱えて喚きたいのをなんとか堪えて、コーデリアは母をちらと睨めつけた。
「……私に対する婚約の話があったなら、どうして教えてくなかったんです」
「イライアス卿から頼まれたからだ。オーサントが妙な動きをしている状態で、表沙汰にすればおまえが巻き込まれかねない。だから黙っていて欲しい、と頭を下げられてしまえば、親としては了承するより他ないだろう」
信じられない。そもそも巻き込んだのはおまえだろうが、とは胸中だけでイライアスに吐き捨てる。だがこれで確信することが出来た。どこの時点でそれとして動いていたかは知らないが、コーデリアが知らないうちに、イライアスが着々と外堀を埋めていたことは疑うべくもない。
なんだか騙された気分だ。鍵を渡されて擽ったく思った、あの嬉しさと感動とを返して欲しい。
イライアスの思いや寄せられる感情を自覚して、そのことにそわそわしてしまう自分も気に食わない。むすっと唇を歪めたコーデリアに、母は優しい眼差しを向けた。
「私が置かれている境遇や、碌でなしの父親を長年見てきたせいで、おまえが結婚に対して消極的なのは知っている。誰かと家族を築くことに、抵抗を覚えてしまう気持ちもよく解る。だが親としては、おまえには信頼出来る相手と一緒になって欲しいと思う」
それに、と言って気の毒がる声で言う。
「うなじを咬まれた時点で、もうどうしようもないからな」
「どうしようもない、ってどういうことです」
「咬んで痕を残し他に知らしめる、と言っただろう? 要するにこれはかなり強烈なマーキングなんだ。手を出すのは縄張りを荒らすことだから、狼や犬の一族はまず近づこうとしない。それ以外の種族でも、匂いに敏感なものたちには忌避される。だからもし別れることになったとしても、おまえが新しい恋人を作るのは難しくなるだろうな」
「あの野郎……」
とうとう吐き捨てたコーデリアに、母は豪快な笑い声を上げた。ひとしきり愉しげに笑ってから大きく息を吐き、口元に笑みの気配を残したまま告げる。
「それだけおまえが愛されている、ということだ。咬むのは独占欲の発露だからな。とは言え薬で本能を剥き出しにされて、やったのがそれだけなんだから可愛いものじゃないか」
「だから困ってるんです。一体どんな顔をして、あいつに会いに行けば良いっていうんですか」
「気に食わないなら、思う存分に文句をつけてやればいい。言っただろう? おまえたちに必要なのは、腹を割った話し合いだ」
そのことを否定するつもりはない。話し合いが足りていないのも事実である。ただ問題なのはそれをするのに、コーデリアも心の裡を晒さなければならない、ということだ。
今は混乱と戸惑いが頭の大半を占めている。だがイライアスに向ける感情に、甘ったるいものが含まれているのは否定出来なかった。それを言葉にするなど、考えただけで頭を抱えたくなる。
思わず顔を歪めたコーデリアに、母は真面目なものが滲む声で言った。
「退路を断つようなやり方はともかく、イライアス卿は信用に足る人物だ。なにより伴侶と定めた狼は一途だから、おまえを裏切ることもないだろう。だから潔く諦めて、幸せになりなさい」
それは珍しく母親らしい、とても愛情のこもった言葉だった。




