愚か者の末路 2
コーデリアの問いに、母はこくりと頷いた。
「そのつもりだったらしい。あれが贔屓にしていた賭場はグラセスにあるんだが、胴元の男が領主の子飼いでな。すった金を肩代わりする代わりに、ご息女と我が当主との縁談を結んでいただきたい、と持ちかけてきたそうだ」
思わず溜め息が漏れる。
「どうせ賭けはイカサマでしょう。借金を背負わせて、帳消しにする代わりに狙いのものを手に入れる。こんな単純で古典的なやり口に、まんまと引っかかる間抜けがいたとは驚きです」
「間抜けだからこそ狙われたのだろうよ。なにしろその間抜け野郎の娘であるおまえは、野心を抱く者にとって恰好の獲物だからな」
自嘲するような声で母は続ける。
「王家が獅子の再興に血道を上げているのは、ベルサリウス貴族であれば誰もが知っていることだ。事実、獅子として生まれた私は王の庇護のもと爵位を与えられ、娘であるおまえの姉は、傍系の王族に嫁いでいる。豹の一族ではあるが私によく似た見目をしていて、未婚の若い娘。王の威光にあやかりたい者にとって、おまえほど都合の良い存在はない。食らいつける余地があるなら、多少の汚い手も構わず使うだろう」
「狙いや理屈は分かります。ですが娘と言っても良い年齢の私を娶ろうとする、その神経はまったく理解出来ません。と言うかグラセス領主には確か、子供どころか孫もいたはずですよね。もしかして耄碌しているんですか?」
「いいや、その逆だ。あれは強欲で腹の黒い女好きでな。何人か抱えている愛人のひとりは、おまえよりも歳下だ。老いて尚ますますお盛んのようだが、どうも身の程を知らんらしい」
「どいつもこいつも碌でなしだらけだ。私に関わってくる連中で、まともな男はいないのか」
吐き捨てるように零すと、母がにやりと笑った。
「まともな男なら、一番近くにいるじゃないか。おまえの恋人は一途で献身的で、それになかなかの色男だと思うぞ」
一転してからかう物言いになった母に、コーデリアは言葉を詰まらせる。
イライアスとの関係は見せかけのことで、本当に恋人として付き合っている訳ではない。そう母に打ち明けるのに良い機会だと言うのに、なぜかそれを口にするのに躊躇いがあった。
気まずいだとか、後ろめたいとも違う。自分自身でも説明がつけられない感情に、コーデリアは平静な顔の裏で動揺していたのだが、母はそれに気づいたふうもなく言った。
「強欲で腹の黒い女好きの碌でなし――グラセス領主ロバート・ディクソンは、以前よりその素行が問題視されていた男だ。とは言え国や人種の異なる者たちが行き交う港湾地区は、綺麗事だけで治めるのは困難だ。それで多少の火遊びならばと目をつぶってきたのだが、さすがに国を売るような真似は看過する訳にはいかない」
「――ああ、なるほど。内務調査室の本命はそっちだったんですね。私の碌でなしの父親は、哀れで間抜けな駒のひとつでしかなかった訳だ。……それで、グラセス領主は一体なにをしでかしたんです」
胸中の動揺をひとまず脇に置いて問いかける。すると僅かに考え込むような間があって、母は淡々とした口振りで言った。
「オーサントからベルサリウスに向かって船を出して、最初に辿り着く港がグラセスだ。馬蹄状の湾内は波も穏やかで、港街は栄えて物資も豊富。補給地とするにはまさにうってつけだろう。オーサントが交渉の席で、寄港地として真っ先にグラセスを挙げたのも頷ける。外務府も裏を取ったが特筆して不審な点はなく、かくしてオーサントの入港は認可された」
そして代償にオーサントの姫が人質に差し出され、それに伴いベルサリウスは予定外の留学生を受け入れる羽目になったのだ。もしグラセスが荷と人流の管理を厳重にしていれば、シトラ宮を開けることは無かったかもしれない。
コーデリアはそこまで考えてから、はたと面を上げた。
「まさか留学生の受け入れに、グラセス領主が関わっていた、とは言いませんよね?」
「残念ながら、そのまさかだ。そもそも姫の受け入れは外交案件だ。当然、二国間では事前に細かな取り決めが成されている。随伴を許された侍女や護衛たちは、来歴や為人に問題がないと判断されたものだけだ。王宮に迎え入れるのだから当然だろう。それをあとから姫の付き添いや話し相手と言われて増やされても、到底受け入れられるはずがない」
「それならシトラ宮を開け、彼女らを留学生として扱ったのはなぜです?」
「ひとたび王都まで来てしまったものを、要らぬからと言って追い返すことは出来ないからだ。いくらオーサントの手落ちでも、外聞を傷つければ相手に付け入る隙を与えることになる。グラセスで留めておけたなら、また話は違ったのだろうが……」
うんざり言った母に、コーデリアは得心して頷いた。
「つまりグラセス領主がオーサントに融通を利かせた、と」
「積み荷に目を瞑る代わりに、入港料の上乗せと若い娘たちを得ることで手を打ったようだな」
「救いようのない下衆ですね」
「まったくだ」
しみじみ同意して、母は続ける。
「それ以外では留学生たちが使用していた香、あれの原材料の横流しもしていたようだな。オーサントにのみに生える植物と言っていたが、蓋を開けてみればただの麻薬だ。少量であれば陶酔感を覚えるくらいで済むが、過ぎれば当然害になる。そして留学生のひとり、アリシア・ハイドはかなりの量を摂取していたらしい」
予想していなかった名が母の口から出て、コーデリアは思わず目を瞬かせた。
ただ言動の奇妙な少女と思いきや、まさか薬物の影響下にあったとは驚きである。だが物語の内容を盲信していたのも、薬物による思考力の低下が原因であるならば納得出来る。そう思うと同時に胸の中が苦いものでいっぱいになる。
未成年に色仕掛けをさせようとしただけでなく、薬物を使用させて思考を奪っていたとは実に度し難いやり口だ。不快感に顔を歪めたコーデリアを見て、母はちらと苦笑を浮かべた。
「留学生に付いていた侍女がいただろう。あれは本当は侍女ではなく、オーサントでは調香師として身を立てていたらしい。随伴は国に命じられたもので、異国の地で汚らわしい獣人に身を売る娘たちに、せめてもの救いと癒やしを与えて欲しいと頼まれた、だそうだぞ。まったくオーサント人は清々しいほどの外道ばかりだな」
「そこまで虚仮にされて、まだ外務府はだんまりですか?」
コーデリアが冷たい声で問うと、母は難しい顔になる。
「国交を断つべきだ、という意見も一部から出始めている。だが既に動き始めた物ごとを止めるのは難しい。おそらくは賠償の請求と入港料の見直し、受け入れる貨物船の数量制限が落とし所となるだろう。この件に関しては、王が揉め事を望んでいないからな」
「多くの騎士に被害を出していながら、それですか。ずいぶんと慈悲深いことだ」
「さすがに戦争は回避したいらしい。それと目先の利に釣られたのだろう。だが風見鶏の割には、比較的良く動いた方だぞ」
母娘ともども不敬の限りだが、あいにくとこの場には窘める者が誰もいない。掃いて捨てるほどある愚痴も不満も言いたい放題である。
ふたりの間にある空気が一瞬和んだが、母はすぐに改まった口調で言った。
「今回のことで他の騎士たちはもちろんだが、イライアス卿は実に災難だった。まさにめぐり合わせが悪かった、のひと言に尽きるだろう。女運がないな、彼は」
あっさり言う母に、コーデリアは溜め息を吐く。
「身も蓋もないことを言わないでください」
「だが事実だ。グラセス領主は己の利益のために、イライアス卿をオーサントに差し出したかった。だがそれには恋人であるおまえの存在が邪魔になる。ここで碌でなしの父親が効いてくる。あれを利用すれば排除するどころか、獅子の娘であるおまえを手中に出来るんだ。目の前に好機が転がり込んできた、と思えば欲をかいて当然だろう?」
皮肉な口振りで訊かれて、コーデリアは溜め息を吐いた。
「クレアの話を聞いて、奇妙な利害の一致があるものだと思っていたんですが……。彼らを結びつけ、裏で糸を引いていたのはグラセス領主だったんですね。それすらも偶然の要素が多かった、というのは興醒めにもほどがありますが」
「そうは言っても、一応の暗躍はしていたようだぞ。なにせ、あの碌でなしの今の愛人は、グラセス領主の娘だ。――名はマイア・ブロシア。別れた三番目の妻の子で、夫を亡くし出戻ってからは母方の姓を名乗っているようだな」
ごく最近聞いたばかりだった名に、コーデリアの眉間に皺が寄る。
「イライアスが街中で声を掛けられた、と言っていた相手です。話を聞いた限りの印象では、警戒が必要な類ではなさそうでしたが」
ほぼ初対面のイライアスに贈り物をねだったというが、その程度なら駆け引きとしては珍しくもない。すげなくされてあっさり引いた辺り、その手のやり取りに慣れているのだろう。
その後に接触があったとも聞いていないから、父の横槍以上のことがあったとは考えにくい。そう主張するコーデリアに、母は考え込む顔になった。




