愚か者の末路 1
王室警護隊から報告会議と称した呼び出しがかかったのは、混乱の一夜が明けて早朝のことだった。
使者が携えてきた手紙によると、場所は王室警護隊の応接室で、時刻は昼過ぎに指定されている。使者の慌ただしさに反して会議の時間がゆっくりなのは、あちらに余裕がないからだろう。
昨夜の一件で捕らえたオーサント人ふたりの処遇に、それに付随するあれやこれやの後始末。積み上がるだろう仕事の量を考えるだけでも気が重くなる。しかも取り扱うのは外部に漏らせない情報ばかりだ。関わる人員は絞られているだろうし、であれば昨夜は眠る暇もなかったに違いない。
そんな多忙を極めているだろう最中に、コーデリアを呼び出す意味があるとは思えないが、命じられたのだから粛々と従うのみだ。
時間に余裕があるのだから、と閑散とした食堂できっちり昼食を摂って、コーデリアは王宮に足を向けた。
王族の側近くに侍る王室警護隊は、部隊の配置だけでなく事務方の執務室も王宮の最奥部に配されている。すなわちコーデリアが向かうのは、王族の居室の目と鼻の先だ。ただの一騎士では普通、足を踏み入れるどころか近づくこともない場所である。
王宮の入り口で武器を預けたコーデリアは、待機室で入念な身体検査を受けた後、ようやくのことで応接室に通された。そこで待ち構えていたのは母エレンで、黒色のお仕着せに身を包んだ彼女は、コーデリアを見て微苦笑を浮かべてみせた。
「手間をかけてすまないな、コーディ。大したもてなしも出来ないが、良かったら掛けてくれ」
思っていたよりも、ずいぶんと疲れた顔をしている。野放図に伸びた金褐色の髪も、いつになく萎れているように見えた。
手振りで促されるのに頷いて、コーデリアは母の正面に腰を下ろす。ほどなくしてワゴンを押した侍女がやってきて、茶の支度を完璧に調えていった。
添えられた焼き菓子の量の多さに、コーデリアは思わず苦笑する。
「忙しいのは分かりますが、菓子を昼食代わりにするのはいい加減止めたほうが良いですよ。義父上に知られて、叱られたくはないでしょう?」
「ウィリアムは口うるさいからな……。あれさえなければ、文句なしに良い父親なんだが」
呆れたように言いながら、焼き菓子を次々口に放り込んでいる。多忙を言い訳にした悪癖だが、誰がなにを言っても改善する気配がない。唯一義父ウィリアムの忠告だけは耳に入るようなのだが、彼の姿がない場所ではご覧の有様だ。
義父には後で手紙を書こう、とは心の中だけで零し、コーデリアは湯気の立つ茶に口をつける。香り高い茶で喉を湿してから、コーデリアは慎重な声で訊ねた。
「それで、母上。わざわざ私を呼び出したのはなぜです? なりゆきで渦中に立たされたとは言え、私はただ巻き込まれただけに過ぎません。内務調査室が動いていたなら、私ていどの動きはすべて把握しているでしょう。改めてなにか問うことがあるとは思えないのですが」
「……そうだな、おまえの行動はこちらで粗方把握している。ならばなぜおまえをここに呼んだかと言えば、話しておくべきことがあるからだ。急いで場を整えたのは、今日くらいしか時間を作れなくてな」
疲れの滲む声で言って、母は手についた砂糖をぱたぱたと叩いて落とした。お仕着せに落ちた分も払ってから、すらりとした脚を組んで言った。
「――まずは、ことの起こりから話そう」
改まった口調が訓練教官のそれのようで、覚えずコーデリアの背筋が伸びる。それを小さく微笑った母は、よく通るなめらかな声で続けた。
「隣国オーサントがベルサリウスとの国交を断ったのは、かつての大戦の後のことだった。スレイン山脈に隔たれ交易の利もない両国にとって、この断絶はさして問題にならなかった。だが海向こうの国で新しい技術が生まれたことにより、情勢は大きく変化することになる」
母の語る言葉に耳を傾けながら、コーデリアは室内を照らす灯りに視線を当てた。
この煌石灯を始めとする力ある石を用いた様々な道具は、海向こうの国に住むひとりの天才によって生み出されたという。
これまでの常識を覆すようなそれらを求め、周辺各国はこぞって貿易に乗り出すことになった。かねてより交易関係にあったベルサリウスは、その黎明から恩恵に与った国のひとつだ。一方オーサントは大戦の復興に手間取られ、かなりの後れを取ったという。
「オーサントにとって想定外だったのは、交易に対する地形的不利を抱えていたことだろう。そもそも遠洋航海には、大型の貨物船が不可欠になる。そして貨物船を受け入れるには、それに見合う規模の港が必要だ。だがオーサントの沿岸部のほとんどは、港湾に適した地形をしていない。今ある港も中型船を受け入れるのが精々で、大型船に比べれば当然、必要となる補給の回数も多くなる。航路も限られ寄港地を選ぶ余地が無かったのも、オーサントには不幸なことだった。運がなかったのだろうな」
オーサントが王族の姫を人質に差し出してでも、ベルサリウスと国交を回復しなければならなかった理由がこれだった。それだけに飽き足らず、誘惑要員として貴族の子女を送り込んできたのだから、その必死さのほどが伺える。
その割には随分とお粗末な結果となったようだが、とコーデリアは小さく苦笑を漏らした。
「いくら運がないからと言って、なにをしても良いという訳でもないでしょう。下手に欲をかくから痛い目を見るんです」
コーデリアが呆れた声で零すと、母は肩をすくませた。
「こちらを野蛮な獣の国、と思って舐めてかかっていたから仕方がない。事実、送り込まれた姫は王の実子ですらなかったんだ。人質の姫は先の王弟の庶子で、ベルサリウスに出すことが決まって慌てて養子縁組みをしたそうだぞ」
「……あちらの国では、それで王族と通るのですか?」
「それが通るらしい。気の毒な生まれと境遇はともかく、王弟が手を付けた者の娘だけあって、素晴らしく見目の良い姫だぞ。姫が言うには、王太子の愛妾になれと王から命じられたそうだ」
「それは、また……ずいぶんと無駄なことを」
ベルサリウスの王族は大鷲の一族だ。
鳥の一族は婚姻を結ぶ種族に拘泥し、自身が選んだ伴侶以外は見向きもしない。王太子も他の王子も既婚者だ。たとえどれだけの美姫を揃えたとしても、彼らを誘惑することは不可能だろう。
なにか思い出したのか、母が喉を鳴らして笑っている。
「確かに無駄ではあるのだが、あの姫はなかなか見どころがある。王子たちの興味が引けないと分かるとすぐに、自分に課された役目を包み隠さず打ち明けて、外交に影響の出ない相手を紹介して欲しい、と王妃に願い出たそうだ。なんでも碌でなししかいない故国には、二度と戻りたくないらしい」
楽しげな調子の母に反して、コーデリアはうんざりと言う。
「姫君の置かれた境遇には同情しますが、婚姻など結べば余計な火種になるだけでしょう。王妃のお気に入りのあなたが、それを面白がってどうするんです」
「必死さが可愛いじゃないか。妙な薬を持ち出した同郷の者と違って、正面から交渉しようとしたところも好感が持てる」
「では姫君は香を使ってはいなかった、と?」
「ああ。誘うに丁度いい相手もいないのに香を焚く意味が無い、だそうだ。所持していたものも、頼めばすべて提出してくれたからな。回収した中には調合に使う成分表なんてものもあって、そっちは解毒薬を作るのに大いに役立った」
クレアの対処がずいぶん早いと思ったら、どうやら裏で様々な動きがあったらしい。もちろんそれらの情報が無駄にならずに済んだのは、クレアが統括役として動いた功績も大きい。独断専行のきらいがある内務調査室だけでは、こうは上手く回らなかったに違いない。
そうだ内務調査室と言えば、とコーデリアは首を傾けた。
「……ジョージ・マッケイが絡んだのは、どのタイミングだったんですか?」
コーデリアが父の名を出すと、母はうんざりと溜め息を吐いた。
「あの男か。あれがどのタイミングから関わっていたかと問われれば、ある意味では始めからと言えるだろう」
苦り切った声だった。縁を断って無関係となった相手だが、だからと言って過去が消えてなくなる訳ではない。あの性根の悪さを思えば、コーデリアが生まれるまでに、不愉快ななにかがあっただろうことは想像に難くない。
母は渋い顔で菓子を口に放り込んでから、すっかり温くなってしまった茶をひと息に飲み干した。うんざりとした表情を繕いもせずに言う。
「あの男の碌でもなさは今に始まったことではないが、近頃では賭博にも手を出すようになってな。まだ違法なものには関わっていないが、それでも順調に借金を積み重ねていたらしい」
「女遊びの次は賭け事ですか。身の持ち崩し方としては、予想通り過ぎて面白みの欠片もありませんね」
「確かにくだらなすぎて笑う気にもなれんが、その愚かさのつけを払うのは当人ではなく周囲の者たちだ。あれの今の奥方や子息らは至極まともだからな。あれに巻き込まれるのは気の毒だ。なにより今回のことで最も迷惑を被ったのは、コーディ。おまえだろう」
「私、ですか?」
予想外のことに戸惑いながら問う。
碌でなしの父親とコーデリアとの間にあるのは、血縁上の繋がりのみである。家としては一切の関係がない。どれだけ借金を重ねようとどうでもいいはずだが、なんの迷惑がかかると言うのだろうか。
思わず首を傾げたコーデリアに、母は苦笑を浮かべた。
「ロクサーヌから聞いたことを忘れたのか? マッケイがおまえに縁談を用意している、と言っていただろう。もっとも企んでいたことごとくを、おまえに潰されたそうだが」
「……ああ、そう言えば。確かにそんなこともありましたね。やることなすことに手応えがなかったので、すっかり記憶から抜け落ちていたようです」
しみじみ言ってから、コーデリアは眉を上げる。
「つまり、私はあの男の借金のかたに売られるところだったんですか?」




