哀れなもぐらと狼の本分 1
ホールの喧騒を遠くに聞きながら、コーデリアは眉間に深く皺を寄せた。
先を行くクレアは廊下を足早に進んでいる。向かう先にあるのは貴賓用の控え室が並ぶ区域だ。立ち入りは厳しく管理され、万にひとつがないよう厳重な警備が敷かれている。
クレアの言を疑うつもりはないが、イライアスが治療を必要とするような事態など、普通ならば起こりようはずがない。そもイライアスの配置場所からは遠く離れている。職務に忠実な彼が持ち場を離れるなど考えにくく、あの慎重さ用心深さで下手を打つとは思えない。
それなのに何故、とコーデリアが疑問を抱いたのを見透かしたかのように、クレアが口を開いた。
「オーサントの留学生たちが、はた迷惑で厄介な香を焚いてたことは知ってるよね?」
「ああ、イライアスから報告を受けている。それが一連の原因だったんだろう?」
なにをとは言わずに問うたコーデリアに、クレアは満足そうに微笑んでみせた。
「今回の件に関して、きみの貢献は計り知れないね。わたしに手がかりをくれたことも、鳩を飛ばしてくれたことも、すべてが良い方向に転がっている。今回の件で後れを取らずに済んだのも、実を言うときみの存在がとても大きいんだよ」
さらりと賛辞を寄越して、クレアは笑みを浮かべたまま続ける。
「手がかりから確証を得てすぐ、わたしたちは留学生たちの周囲を徹底的に洗うことにしたんだ。そしたら出るわ出るわ、どうやって持ち込んだんだと思うくらいに凄まじい量の香と香水だった。しかもそれだけじゃ足りなかったのか、それとも思ったような効果が出なかったからなのか、こっちで自作もしてたみたいでね。使用人に与えてた一室は実験室みたいな有様になってたんだ。この数ヶ月でどれだけ使ってたのか、考えただけでぞっとするよ」
「……回収はすべて済んだのか?」
「ひと通りは。でも普通に考えたらさ、出せって言われて素直に全部出すはずがないんだよねぇ。隠せるなら隠すでしょ。わたしだって、彼女たちの立場ならそうするからね。国の支援が期待出来ない状況で、使える手札は多いに越したことはないだろうし」
疲れ切った声音で言うクレアに、コーデリアは同情の目を向ける。
「それが分かりきっているのに、留学生として受け入れているうちは強引な手段には出られない、というわけか。おまえも苦労するな」
「ああ、もう、本当にうんざりだよ。でも仕事だからね。仕方がないから彼女たちの監視だけは続けて、そしたら面白いものが網に引っかかったんだ」
「面白いもの?」
訝って問い返したコーデリアに、クレアは微苦笑を浮かべる。
「内務調査室だよ。オーサントを起点とする一連の事態で、彼らも独自に動いていたらしい。その彼らの追ってたもぐらが、留学生のひとりに接触を図ってきてね。それで急遽、共同戦線が張られることになった」
名目としては内務府の一部門でしかない調査室は、だが王の腹心中の腹心で構成されている。部隊を有しながら騎士団の則に縛られず、独自の調査権限を持ち、領分を超えた部隊や作戦への介入すら許されている。その性質と強権が故に、表舞台に上がることはほとんどない。
翻せばそのもぐらの件はつまり、よほどの事態ということになる。思わず眉間に皺を寄せて、コーデリアは口を開いた。
「それで、接触を図った理由は?」
「ディグラントだよ。イライアス・ルーサー・ディグラント。オーサントのお嬢さんは彼が欲しくて、内務調査室が追うもぐらは彼が邪魔で消えて欲しかった。彼らも必死だったんだろうね。もしくは後がないくらいに追い詰められていたのか……。効果の程が定かじゃない惚れ薬を持ち出して、計画の要に据えようって言うんだから相当だよね。かくして利害の一致を見た彼らは、愚かにも協力関係を結ぶことになった、という訳さ」
ここまで聞いてしまえば、もぐらが誰を指すかは明白だった。思わず呻きが漏れる。
「あれと血の繋がりがあることが、これほど忌々しく感じたことはないな。碌でもない男だとは分かっていたが、とうとう内務調査室に追われるだけのことをしでかしたか」
「絶縁を言い渡したきみの母上は慧眼だね。そしてディグラントの献身も実に素晴らしかった。自らの身を省みず囮役を引き受けるなんて、なかなか出来ることじゃない。これはぜひとも覚えておいて欲しい。きみが反逆者の親族ではなく被害者の立ち位置にいられるのは、彼の協力と働きかけがあったからこそだ」
「……なるほど、あの同意書か」
「それだけじゃないんだけど、今はちょっと詳しくは話せなくてね。後で必ず機会は作るから、気になることがあればそっちで聞いて」
あればどころか気になることだらけだが、ここで食い下がっても意味がないことは分かっている。コーデリアは渋面をつくって、それでも不満は言わずに頷いた。
会話が途切れたまま廊下を進むと、悲鳴のような声とけたたましい物音とが聞こえてくる。それに気づいたクレアが弾かれたように駆け出し、コーデリアもその後を追った。
廊下を突き当たった先、王室警護隊の姿がある。ろくでなしの父が絡んでいる時点で予想はしていたが、先頭に立っているのはコーデリアの母エレンだ。指示を出す母は、常に無く厳しい表情を浮かべている。コーデリア同様、今回の事態を苦く思っているのは間違いないだろう。
暗紅色のお仕着せ姿の侍女と、アリシア・ハイドが拘束され連れて行かれるのを見送っていると、クレアがコーデリアの肩を軽く叩いた。手前の扉を指差して言う。
「あっちの部屋が控え室になってる。ディグラントの治療が済んだら行くから、悪いけど少しだけ待ってて」
「……分かった。余計な気遣いだろうが、充分に用心してくれ」
うん、と微笑って頷いたクレアが懐から布を取り出す。それで口元を覆ってから、クレアはイライアスの元へと駆けていった。
この状況でコーデリアに出来ることはない。それでせめて邪魔にならないよう、大人しく控え室に引っ込んだ。
貴賓用の部屋だけあって、室内は品の良さを感じさせる調度品で纏められている。刺繍の美しいカウチソファは絹張りで、騎士のお仕着せでは腰を下ろす気にもなれない。
コーデリアは所在なく室内をうろついてから、テラスに続く掃き出し窓の前で足を止めた。
曇りひとつなく磨かれた窓から、煌石灯に照らされた庭園がよく見える。警護に配置された騎士たちを見るともなしに眺めていると、不意に廊下に続く扉がノックされた。顔を上げるとすぐに扉が開いて、現れたのはクレアだった。
彼女は何ごともなかったかのような顔で、ひらひらと手を振ってみせた。
「ごめんね、お待たせ。ディグラントはちゃんと無事だよ。排毒が済むまでは倦怠感が残るだろうけど、あの様子ならすぐに現場復帰が叶うはずだ。――ああ、そうだ。せっかくここまで来たんだし、顔を見ていったらどうかな。心配しただろう?」
有無を言わせない口調に少し面食らう。だがイライアスを心配していたのは事実だ。それでコーデリアは頷いて、クレアに促されるまま隣室に足を踏み入れた。
臨時の病室となった部屋は、貴賓室だったとは思えないほどの殺風景さだった。調度品のほとんどが運び出され、カーペットすら剥がされていて、部屋の中央に診察用のベッドと洗面台だけが置かれている。
コーデリアたちに気づいた介添人の少女が、クレアがなにを言うでもなく洗面台を下げていった。すぐに折りたたみ椅子が運び込まれて、ベッドの脇に据え置かれる。
クレアはコーデリアの背を軽く押してから、にこやかに言った。
「それじゃあ、ごゆっくり。わたしたちは下がるけど、なにかあったらすぐに呼んで。ちゃんと隣で待機してるから」
「……クレア、色々とすまない。助かった」
統括という立場にいるクレアにも思惑はあるのだろうが、それでも職務の範疇を越える便宜を図ってくれたことは確かだ。
コーデリアが真摯に礼を告げると、クレアは曖昧な笑みを浮かべてみせた。
「うん、まあ、これがわたしの仕事だからね。だからあまり気にしないでくれると助かるよ」
そう言って介添人の少女を伴って、あっさり部屋を出て行ってしまう。
患者を置いていって良いのだろうか。コーデリアは首を傾げながら、ぽつんと置かれた診察用のベッドに向かった。




