呼び出しともてなし 1
休日の午前中を買い物に費やしたイライアスは、並べた食材を前にむっつりと考え込んでいた。
コーデリアとの約束を翌日に控えている。健啖家の彼女はなにを作っても喜んでくれるが、どうせなら美味いと思ってくれるものを食べさせたい。前回もその前も張り切った甲斐あって満足していたようだし、であれば今回も腕によりをかけるつもりだ。
牛の脛肉は今から下ごしらえをして、後は鶏レバーのテリーヌと、不足があっても対応出来るようにチキンのストックを仕込むつもりでいる。野菜の酢漬けは十分に残っているし、手間のかからない干し鱈のグラタン、野菜のグリルを作るのは明日で問題ないだろう。
後は葡萄酒をいくつかと、自分用に火酒も用意してある。
香辛料屋に勧められるまま買ったチョコレートは、夜が冷えるようならホットドリンクにしても良いかもしれない。
イライアスは頭の中で効率的な手順を組み立てると、いざとばかりに袖を捲った。エプロンをして香草を毟りはじめたところで、だが不意に玄関からノッカーの音が響いた。
ほとんど客を招いたことのないこの家に、訪れてくる者など限られている。それでイライアスは溜め息を吐いて、エプロン姿のまま玄関に向かった。
扉を開けると、お仕着せに身を包んだ壮年の男がうやうやしく頭を下げた。
イライアスが幼少の頃から仕えてくれている、ディグラント家の従僕だ。
「アーサー」
名を呼ぶと顔を上げて、アーサーは温和に微笑んだ。
「イライアス坊ちゃま、お久しゅうございます。お休みのところ先触れも無しにお訊ねして、大変申し訳ありません。奥方さまより、こちらをお渡しするよう言付かって参りました」
アーサーが差し出す手紙を受け取って、イライアスは苦笑する。
「こんな大きな成りをした男を相手に、頼むから坊っちゃんは止してくれ。――それで、これに返信は必要か?」
「いいえ。いつも通り、目を通していただければ充分でございます」
つまり手紙の内容は、母からの呼び出しなのだろう。
多くの騎士がそうであるように、イライアスも従騎士の時分に家を出ている。以降はまとまった休暇があっても特に寄り付きはせず、新年の祝いに顔を出す程度だ。だが家族大事の母はそれが面白くないらしく、それで時折こんなふうに手紙を寄越してくる。拒否すれば面倒なことになるので、都合がつく限りは応じるようにしていた。
群れを大事にするのは狼の気質だが、独り立ちした身には少しばかり煩わしい。気にかけて貰えるうちが花であるのは分かっていても、身内に対する感情の複雑さは如何ともし難いものだ。
手紙を眺めて複雑な表情をしたイライアスに、アーサーが微苦笑を浮かべて言った。
「奥方さまは、坊っちゃんにお会いできるのを楽しみにしておいでです。ですからくれぐれも無視はなさいませんよう、よろしくお願いいたします。――それでは、わたしめはここで失礼させていただきます。どうぞ坊っちゃんは良い休暇をお過ごし下さい」
「ああ、ご苦労。皆によろしく伝えておいてくれ」
もちろんでございます、と穏やかに頷いてアーサーは去っていく。それを見送ってから、イライアスは改めて手元に視線を落とした。
封蝋を剥がして開くと、見慣れた母の手蹟が目に入る。内容は短く、来月の頭にディグラント家で正餐の催しがあること、そこにパートナーを必ず連れてくること、その二点が持って回った文章で記されていた。
母がなにを言いたいかは、問うまでもなく明らかだった。まず間違いなくコーデリアとのことが耳に入ったのだろう。動きの早さは気になるが、ともあれこの展開は予想通りである。
さてどう切り出すかと思案しながら、イライアスは食材の待つキッチンに引き返した。
コーデリアに母からの件を打ち明けたのは、作った食事をあらかた片付けて、取って置きの葡萄酒を開けた後のことだった。
少しは心象良くなるだろうかと思ったことは否定しない。それが功を奏したかどうかは判らないが、コーデリアは嫌そうな素振りは見せず、グラスを片手に目を瞬かせた。
「――ディグラント家の晩餐会?」
「ああ。と言っても、さほど大袈裟なものではない。親族だけが集まる、ごく内輪の催しだ」
「いや、ディグラントってだけで大袈裟だろうが。おまえの親戚に、どれだけ中央高官がいると思ってるんだ」
呆れの混じった口調に苦笑する。
「数が多いのは否定しないが、身内と言えるほど親しくしているのはほんの一握りだ。本家筋から離れれば、付き合いも間遠くなるからな。今度の晩餐に来るのも、両親の兄弟と、その家族くらいのものだろう」
「……おまえの叔父、内務府の長官じゃなかったか?」
そう白い目で言われると返す言葉が無い。
ディグラントは古びた血筋だが、今も絶えず残り続けているのは優秀だからではなく、その数が多いからに尽きる。父母の兄弟を合わせれば両手の指では足りず、その子らに至っては数えるのも面倒なほどだった。
生物としての狼がそうであるように、狼の一族であるディグラントも多産だ。実際イライアスも六人兄弟の三番目で、すぐ上の姉は既にふたりの子持ちだ。
恋に全力を傾ける狼の性質も相まって、一族には十代の内に家庭を持つ者も少なくなかった。
そうやって数を増やしていけば、中には優秀な者も出てくるだろう。叔父もその口ではあるのだが、立場だけを見れば確かに近寄りがたさは否めない。
イライアスは苦笑して、コーデリアが空けたグラスに葡萄酒を注ぎ入れた。
「叔父は忙しい方だから、今度の晩餐には参加なさらないだろう。そもそもが母の急な思いつきだからな。予定を合わせるのは難しいだろうし、参加する親族は半数にも満たないはずだ」
「要するに、私を引っ張り出すのが目的か」
「おそらくは」
言って溜め息を吐く。
「……すまない。いくら母でも、この時期に動くことはないと思っていたんだが」
「気にするなよ。おまえに協力するって決めた時点で、こういうのも想定済みだ。……でも晩餐会か。おまえのパートナーとして参加するからには、騎士団の礼装というわけにはいかないだろうな……」
「それなら俺にドレスを贈らせて欲しい」
前のめりに言うと、コーデリアは目を瞬かせた。
手にしていたグラスを揺らして、ぷは、と吹き出して笑う。
「とんだ仕立屋泣かせだな、おまえは。あと二週間しかないのに、今から頼んで間に合う訳がないだろうが」
「いや、しかし」
「心配しなくていい。ドレスなら冬の社交用に仕立てたものがある。今の時期に着るには少しばかり派手だが、そこは、まあ、大目に見てくれ」
苦笑するコーデリアをじっと見る。
知人としての付き合いはそれなりの長さだが、思えば彼女が着飾った姿を見た記憶がない。参加を義務付けられている新年の宴も、彼女が身に着けていたのは騎士の礼装だった。そのコーデリアが着飾る姿を見られるのだ。母の暴走も人の役に立つこともあるらしい。
そうしみじみ思っていると、コーデリアが居心地悪そうに身じろいだ。




