利用する者される者 2
ユールと呼ばれた少女が、はい、と頷く。彼女が使用人の待機室に向かうのを見送ってから、クレアはのんびりと腰を上げた。
「それじゃあ、早速きみの話を聞かせて貰おうかな。わたしも聞きたいことが色々あるし。――ああ、座って座って。長い話になるだろうから、ついでだからわたしのお茶にも付き合ってよ」
お茶はともかく、話をするのに否やはない。
イライアスは促されるまま応接用のソファに腰を下ろし、正面に座ったクレアに視線を向けた。年代物のテーブルの上に、書類綴じを滑らせる。
「話をする前に、これを。頼まれていた検体提供の要請書だ。うちの隊は二名が該当して、両名ともに了承している。ただし検体の採集は、ここではなく作戦司令部で頼みたい。原因を特定出来ていない現状、また彼らに倒れられては困るからな」
「うん、その辺のことは任せて。ちゃんと考慮しとくから」
言ってクレアは苦笑する。
「そもそもの話、きみの隊には優良株が多いんだ。そんな彼らをここに呼んで、彼女たちに近付ける訳にはいかないからね。ああ、もう、本当にまいったよ。あんなことがあったって言うのに、まだ諦めてないみたいだし」
「そうか。……予想はしていたが、懲りないな」
「あの子たちも、引くに引けなくなったんだろうね。アリシア・ハイドがやらかしたことで、国での立場はまず間違いなく悪くなったはずだ。なりふり構ってられないんじゃないかな。まあ、自業自得なんだけどさ」
そう無感動に言ったところで、待機室から少女が戻ってくる。彼女は手早く茶の支度を調えると、クレアが指示するまでもなく扉の横に控えて姿勢を正した。
ローテーブルの上には、茶の他に菓子と軽食がずらりと並べられている。思わず眉根を寄せる。
砂糖と果物の甘い香りに、穀物と脂とが焼けた香ばしい匂い。それらがシトラ宮に充満する匂いと混じり合って、麻痺しかけていた嗅覚が不快に刺激される。目の奥を針で刺されたように痛んで、イライアスは眉間に指をやった。
それを見て取ったクレアが、苦笑を滲ませて言った。
「そこまで嫌そうな顔をしなくても良いじゃないか。甘いものは嫌いだったかい?」
「……そういう訳ではないが、ここで食べ物を口にする気にはなれん」
「随分と用心深いね。そんなに警戒しなくても、ここにいる子たちは、みなオドネルの縁者だ。なにか盛るような不届き者はいないから安心してよ」
それはすなわち、そこまでする必要があるという証左だろう。
一見すると飄々としているクレアだが、彼女も負う立場以上の苦労をしているらしい。
イライアスは眉間を指で揉み解しながら、深く溜め息を零した。
「おまえの用心深さは信頼しているが、そうではなくて生理的な問題で不可能だ。すさまじく吐き気がする。恐らくこれは、近衛騎士の間で頻出している体調不良と同種のものだろう」
イライアスの返答が想定していない内容だったのか、クレアが目を丸くしている。
頭の回る彼女にしては珍しく数瞬黙り込んで、それから頭をがしがしと掻き毟った。
「あー、そっか、そうだった。そう言えば、きみも狼だったんだ。言動がらしくないから、すっかり頭から抜け落ちてたよ。それで、症状はいつから?」
「なにを症状と定義するかによるだろうが、不快感は着任当初からだ。臥せるほどではないにせよ、気分の悪さは常にある。今はそれに加えて軽度の頭痛だな」
急いで治療を、と立ち上がりかけたクレアを手で制して、イライアスは首を横に振った。
「必要ない。ここを離れれば回復する程度の不調だ。そのためにも、さっさと話を済ませよう。おまえのおかげで、確信を深めることも出来たしな」
「……わたし?」
きょとんとしているクレアに頷く。
「ここで平然と物を食えるおまえは、ここにいる連中の臭いに気付いていないのだろう? まったく羨ましい限りだ」
「は? 臭いって、いや、ちょっと待ってよ」
「ああ、礼儀を無視した物言いなのは自覚している。だが今は見逃してくれ。あまりの酷さに、体裁を取り繕う気にもなれなくてな」
そう辟易しきった口調で言う。暴言に等しいそれにクレアが戸惑っているのは分かっていたが、イライアスは構わず続けた。
「これは種族や生物固有の臭いとは別物だ。使い勝手を考えれば香水だろうと思っていたが、ここまで充満していることを考えると、香を焚き染めている可能性もある。壁と言わず床と言わず、そこら中に臭いが染み付いているからな。おかげで嗅覚が鈍って断言は出来ないが、おそらく動物性の香料が混ぜられているはずだ」
「いや……ほんと、ちょっと待って。きみが冗談を言うような奴じゃないってことは分かってる。でも、わたしにはなにも感じられない。香水らしき匂いは確かに感じるけど、わたしたちが耐えられる程度だよ」
「そうらしいな。ロリンズも同じことを言っていた。だからこその仮説なんだが――」
コーデリア曰くの思いつきを話して聞かせると、クレアが難しい顔で考え込んだ。口元に指先を当てて、そうか、と呟く。
「嗅覚、なるほどね。情けないけど毒物を警戒するばかりで、そこに考えが及ばなかった。でも確かに、嗅覚が影響しているなら、種族よる被害差にも説明がつく。――まったくお手柄だよ、ディグラント。これは突破口になる」
「それはロリンズに言ってやってくれ。俺はあいつの伝言役に過ぎないからな」
ごく当然のこととして返したイライアスだったが、クレアは面白がっているのがありありと分かる表情で言った。
「近衛騎士さまを鳩代わりに出来るなんて、思ってもみなかったよ。それにしても、ロリンズ、ねぇ。ずいぶんと他人行儀なことだ。きみたちが仲良くしているって話は、こっちにも回って来ているよ。士官学校にいた頃が嘘みたいに仲良くしてるらしいじゃないか」
イライアスは渋い顔になる。
そう言えばコーデリアには、クレアの口止めを頼まれていたのだった。
既に広まった噂を制御することは不可能だ。人の口に戸は立てられない。だがコーデリアがそうして欲しいと望む以上、イライアスは手を尽くすべきだろう。
「……親しい付き合いをしているのは事実だが、このことに関してひとつ頼みがある」
「きみが頼み? 珍しいね」
「ロリンズのためだ。あいつが面倒な事情を抱えていることは、おまえも知っているだろう? 余計なところにまで噂が出回るのは困る。おまえに口止めをする気はないが、話題にする相手は選んで欲しい」
イライアスがなにを言いたいのか、すぐに理解したのだろう。クレアはにやにや笑いを引っ込めると、殊の外硬い口調で言った。
「ねえ、ちょっと待ってよ。コーディとは真面目な付き合いじゃなかったのか? おい、ふざけるなよ、ディグラント。もし遊びであの子に手を出したって言うなら、腕の一本や二本は覚悟しておくんだな」
「そうやって感情のままに噛み付く前に、そのご立派な頭を働かせてくれ。ちゃんと考えているからこそ、こうしておまえに頭を下げているんだろうが。ロリンズを案じていると言うなら、おまえこそその口の軽さをどうにかしろ」
図星を指されたクレアが、ぐ、と言葉を詰まらせる。
イライアスの口から覚えず溜め息が漏れる。揚げ足を取るような真似はしたくなかったが、酷い吐き気と頭痛のせいで、今はクレアを気遣うだけの余裕がない。この埋め合わせは後でしようと内心だけで決めて、イライアスはおもむろに席を立った。
「こちらの用件は以上だ。ロリンズに繋ぎを取りたい時は言ってくれ。おまえが動くよりも悪目立ちせずに済むだろう」
「……了解」
苦い顔をしているクレアに暇を告げて、イライアスはシトラ宮を後にした。




