剣聖の噂
ウィルストップ伯爵領の領都、その高き城壁が囲む中心地は、すこし小高い山のうえにある。そこに築かれた重厚な城壁、うちに建っているのはちいさな城だ。
窓から城内を一望できる執務室では、いつも立派な白い髭をたくわえた初老の男が、パイプで煙をふかし、ペンを走らせている。
ウィルストップ伯爵領の領主ガイメルン・ファン・ウィルストップその人だ。
冬を越えた今、この部屋は静かなものだった。時折、窓の外で小鳥が鳴くのと、インクがチャプチャプと鳴る音、それと硬いペン先がカツカツと擦れる音がするばかりだ。
コンコン。
部屋の静謐を乱すノック音。
「入れ」
厳かな声で響いた。
ガチャ。扉が開いた。
部屋に入ってきたのは、茶色いあごひげと短い茶髪の壮年の男だ。白いふさふさとした襟元のマントを羽織って、腰には装飾のついた立派な剣をさげている。
壮年の男は「失礼します」とかしこまりながら入ってくる。背中はやや丸まり、そそくさと執務机の前に移動する。そのさまは、いささか小心者に見えた。
「ご機嫌麗しゅうございます、親父殿。お元気そうでなによりです」
「はん。生きて戻ったか、この無能息子め」
「恐縮ながら生きて冬を越えさせていただきました」
壮年の男──ベルリオット・ファン・ウィルストップは、飄々としながら答える。ガイメルン伯爵の実の息子、その三男坊だ。
彼はこの冬、父の厳命に従い、ウィルストップ伯爵領の北側に位置する領境沿いの砦に派遣されていた。
「実に5カ月に及ぶ任務、ご苦労」
「本当に思ってますか、親父殿……? 生きて戻ったかって、今しがた残念そうに言ってましたよね?」
「かの地で騎士たちを立派にまとめあげ、亜人どもへ目を光らせてきたのだろう? これほどの任務をこなした息子にねぎらいの言葉をかけて何がおかしい」
「いや、おっしゃる通りです。寒かったし、怖かったし、辛かったですよ」
「お前の実力なら亜人ごときに遅れを取ることはあるまい。胸を張れ」
「はい。善処します」
「して、もうひとつの任務のほうは」
「もうひとつですか?」
「『奇形達の教会』の調査はどうなんだ?」
それをつつかれるのを、ベルリオットは恐れていた。
(『奇形達の教会』……ここ数年、ヴァスコルニア国で暗躍が確認されている怪しげな者たち。統率する司教は複数人いるらしく、それぞれが別個で活動しているっぽいところまではわかってる。王の厳命で、この調査が方々で行われている。当然、俺の親父殿もそのためになにかやる必要があって……えー、そして俺が働くハメになった)
ベルリオットは咳払いをわざとらしくしてから話し始める。
「あー、そっちはちょっと。一応、参謀の指示通り、北の砦を拠点として、周辺の集落を隅々まで調査をしましたが、特に進展は……」
「はあ。お前はなんだったら出来るのだ。お前の優れた実力を見込んで、この危険仕事を任せたというのに」
「いや、仕方ないじゃないですか、そこは。俺、サボってないですからね? 部下たちにちゃんと確認してくださいよ。『ベルリオット様、マジ頑張ってた』って口をそろえていうはずですから」
「うーむ。北にいないとなると、あとは三方向か……いや、待てよ、ちょうどあのふたりが帰ってきてるんだ。もはや無能なベルリオットをこの件に当てる必要もないか……」
「あの、親父殿、その独り言が実の息子を現在進行形で傷つけていますよ?」
「よし、ベルリオット、ご苦労だった。下がっていいぞ」
ガイメルン伯爵は、ひらひらと手を振る。
ベルリオットはしょぼくれた表情になる。
(俺もなにか家のために役立ちたいのに、あー、兄貴たちみたいに要領がよくねえんだよなぁ。自慢できるのは、この女を惹きつける顔立ちと剣の腕くらい。でも女絡みで親父殿にはたくさん迷惑かけたし、剣の腕もいまいちデカい手柄に繋がらない。いっそのこと戦争とか起こらないかな……とか思っちゃうのが俺のダメなところなんだろうな。ぐぐぐ、俺はもっとやれるって証明したいだけなのに)
肩を落として扉に向かうベルリオット。
「あ」
足を止める。
「そういえば忘れてました、親父殿」
「どうした。まだなにかあるのか」
「いえ、それが面白い話を聞き及びましてね。免許管理局のほうで」
「免許管理局?」
「3日前に上級許可証の試験が開かれたんですってね?」
「そういえば、今日は友人たちに会う予定があったな」
「ええ、ええ、それです。みんな試験のために領都に足を運んでるんですよ。それでね、そこでアクシデントがあったとか」
「もったいぶらずに言え、ベルリオット」
「あ、はい。あの……剣聖が現れました」
ガイメルン伯爵は、執務の手を止めて「は?」という顔をする。
「どういう意味だ?」
「リーファス上級騎士いるでしょう。可愛くて、おっぱいの大きい子」
「ベルネレットのとこのだろ。”100年に一人の天才”様だ。お前より一回り以上若いのに、お前より出来が良い。はあ、お前、名前ちょっと似てるんだから、入れ替わってこい」
「無茶言わないでくださいよ、親父殿」
「頑張れ」
「はあ、もう。アレと比べないでください。あの子と比べたら、ヴァスコルニア国のすべての剣士は出来が悪いことになってしまいます」
「まあ、それもそうか」
「それでですね、あの子、受験者に負けたんだとか」
「負ける? 試験は負けるとか勝つとかじゃないが」
「ええ、そうなんですけど、見ていた者の話によれば、『確かに負けたんだ』と。というのもですね、その受験者が14歳の少女らしくて。第三級の剣術試験に臨んだと」
ガイメルン伯爵は目を丸くする。
「……第三級、か。ベルリオット、お前はいくつでとった?」
「27歳の頃です」
「お前でそれなのか。じゃあ、相当すごいじゃないか。とんでもない話だぞ」
「ええ、その通りです、親父殿。ちなみに”100年に一人の天才”は、16歳で第三級を取っています」
ガイメルン伯爵は、ようやく事態の異常性を察した。
「馬鹿な……合格したのか?」
ベルリオットは頷いた。
「最年少記録の更新ではないか……あの天才”剣姫”リーファスを上回るほどの才能だというのか。しかもまた女か。奇妙なことばかり起こるな」
「リーファスは、その最年少記録を守るために、過剰な試験難易度を与えたと思われます。そして、反撃にあった」
「なるほど! そういうことか。あの欲張りな娘らしい」
ガイメルン伯爵はおかしそうに口元を歪める。
「しかし、恐ろしい話だな。あのリーファスを、14歳の少女が倒すとは」
「剣に愛された者。かつての伝説の大英雄。剣聖の流派の開祖にちなんで、ちまたでは”剣聖”とひそかに呼び名が広まっています」
「ふん、”剣姫”の次は”剣聖”か。で、何者なのだ。その14歳の少女とやらは。どこの娘だ」
「オーファルのスカーレット、と聞きましたね」
「オーファル? どこの領地だ?」
「さあ? たぶん、領地名じゃないと思いますよ。どっかの村じゃないですか? スカーレットを見た者は、村娘だと断言していましたし」
「じゃあ、なんで探さない。お前、暇だろ」
「いや、俺、さっき帰ってきて、噂話を耳に挟んだところですよ!?」
「オーファルがどこかは知らないが、領都で免許を取りにきたということは、この周辺地域なのは間違いない。その優秀人材がどういうつもりかはわからないが、まだ私の耳には届いていなかった。試験から3日経ってるんだぞ。わかるか、この意味が」
「……さあ?」
「その娘は私に、私の騎士団に売り込むつもりがない、ってことだ。そのつもりならとうに来ているはず」
ガイメルン伯爵は口元に手を当て、眉をひそめる。
「いずこの貴族家の娘ではない。つまり村娘。つまりは平民。そして、うちに与しない。リーファスを上回るほどの武力が、自由に歩き回ってるのだぞ? 天才を越える天才といえど、所詮は子供、おおかた冒険でも夢見て、冒険者にでもなろうとしているに違いない」
「確かに、その線はありそうですね」
「私は冒険者という奴が大嫌いだ。あいつらは無責任で、自由で、勝手だ。すべての武力は統率された騎士団の下にあるべきなのに!」
「おっしゃる通りかと、親父殿」
「ふらっといなくなって、ふらっと現れて。必要な時にいないくせに、いらない時はうろつき回ってる。そして、風が吹くようにほかの領地に渡り歩く。国境だって越えて、敵国で稼ぎ始める。戦争が始まれば、きっと平気で私の騎士の命を奪う。武力の管理という観点から見ても、冒険者は不要な存在だ」
(始まったよ、親父殿の冒険者嫌い……適当に相槌打って済まそうと思ったけど、これはブレーキかけたほうがいいかな……)
ベルリオットは咳払いで、ヒートアップする父に割り込む。
「こほん。おっしゃりたいことはよくわかりました。すべて正しいです」
「だろう!?」
「で、えっと、どうしますか?」
「話を聞いていたのか、この馬鹿! そのオーファルのスカーレットとかいう娘、お前がデタラメのホラを吹いてるわけじゃないのなら、いますぐに引き込むんだ。冒険者などという治安を脅かすだけの無法者にさせるな。もし冒険者になどなれば、フラフラとほかの領地に行って、どこかの貴族と懇意にし、奪われるかもしれない。このことは、すぐに貴族たちに知れ渡る。今、動くんだ、今、すぐに見つけるのだ。今、ここに連れてこい」
「連れてきて、どうするんですか……?」
「特別待遇で騎士団に迎え入れる。騎士の崇高さ、意義、素晴らしさを教え込んだ上でな。興味を示さなかったら、餌をやればいい。カッコいい板金鎧、装飾の剣、なんだってくれてやればいいんだ。子供の心は移り気だ。それでイチコロよ」
「あぁ、なるほど。親父殿、策略家ですな」
「お前が頭を使っていないだけだ、馬鹿め」
ガイメルン伯爵は顔を赤くしながら、深くため息をついた。
「わかりました。このベルリオット、親父殿が何を言いたいかわかりましたよ。納税記録ですね? オーファルという地名、必ず見つけてみせます」
ベルリオットは、父の思惑のすべてを理解したとばかりに、邪悪な微笑みを浮かべ、分厚い胸板をポンポンと叩く。頼ってくれていいですよ、親父殿──。
「違う」
「ふえ?」
「納税記録はいい。まだ3日だ。領都にいる可能性が十分にある。足を使って探せ」
「あ、はい……」
言われてみて「確かに……」とベルリオットは納得する。
(やっぱり、俺って無能なのかな……)
ベルリオットは顎髭を撫でながら、少し自信をなくすのだった。
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