第十一話 産婆ギルドとの対話
馬車が止まった。
セレスティーヌは、ラファエルの手を借りず、自分で扉を開けた。
「決裂を覚悟ですか」
「ええ」
「では、行きましょう」
二人がくぐった扉の上には、子を抱く女神の紋章が、銅で鈍く光っていた。産婆ギルド本部——王都西部に建つ、この国で最も古い建物のひとつ。
---
長老室には、七人の年配の女が半円に座っていた。
中央——ギルド長、マルタ・ラビニエ。六十代、灰色の瞳が刃物のように鋭い。この王国の産科の頂点に、四十年座り続けてきた女だ。
「シャティヨン家のお嬢様。本日はお運び、ご苦労様」
「マルタ様、ご挨拶感謝申し上げますわ」
セレスティーヌは丁寧に礼をした。
(古参看護師長、医局の重鎮、理不尽な患者家族——緒方真理子の四十年は、この手合いとは数え切れないほど渡り合ってきた。誇りと技と保身を、同じ重さで抱えている女たち。可愛いものだわ)
「お嬢様お申し付けの、ベル・サンテなる病院構想について、本会は長らく議論してまいりました」
「ありがとうございます」
「結論を申し上げます」
マルタはゆっくりと口を開いた。
「我々産婆ギルドは——あなた方の構想に反対いたします」
「左様でございますか」
「理由を申し上げます」
マルタが指を一本立てた。
「一つ。我々千年の産婆の技を軽視している」
指が二本目に伸びる。
「二つ。男の医師が女性の出産に立ち会うなど、許されざる構想」
三本目。
「三つ。サン・ジュスト公爵令息の治癒師としての能力を産科に持ち込むのは、王国神殿の聖務に抵触する懸念がある」
「ふむ」
「四つ。資金面でも政治面でも、これはヴェルニエ侯爵様はじめ保守派のお歴々の意向を確実に害する」
「ふむ、ふむ」
「五つ。何より——あなた様、ご結婚もなさらず、お子もいらっしゃらない十七歳のお方が、産科を語ること自体が不遜」
セレスティーヌは扇を軽く開いた。
「マルタ様」
「うむ」
「一つ目から四つ目まで、それぞれ有意義なご議論でございます。後ほど書状にて丁寧にお返事申し上げますわ」
「そうですな」
「ですが、五つ目ですが」
「うむ?」
セレスティーヌは扇をぱちんと閉じ、長老たちの半円の中央へ、一歩踏み出した。
「結婚せず、子を産んでいない十七歳の女が産科を語ることを不遜とお申しになるのなら——」
「それで?」
「では、お聞きいたします。マルタ様、貴方様のギルドの過去五年の新生児死亡率は何パーセントでございましょう」
「……」
「お答えいただけますか」
「お嬢様、それは——」
「お答えいただけますか、マルタ様」
長老たちがわずかにざわめき、マルタが不機嫌そうに口を結んだ。
「……二割ほどでございますが」
「二割ですか」
「うむ」
「では、お母様の産後一年以内の死亡率は何パーセントでございましょう」
「……一割」
「合計三割の母子が、産で死んでいるというのが、貴方様のギルドの過去五年の実績ということでよろしゅうございますね」
長老室に沈黙が降りた。
セレスティーヌは扇を再び開き、軽く自分に風を送った。
「結婚も出産もしておりませんが、その三割を一割未満に下げる手段を、私は知っておりますの」
「お嬢様……」
「煮沸消毒と申しまして、出産前後に産婆様の両手と器具を湯と薬で清める、たったそれだけのことをすべての産婆様に義務付けるだけで、新生児死亡率は半減いたします」
「……なんと」
「もう一つ、産後出血の止血に新しい技法がございます。これは現場でお見せいたします。三割減ります」
「お嬢様……」
「合計、母と子の半分が救われます」
セレスティーヌは半円の女たちを見渡した。
「マルタ様、長老様方」
「なるほど」
「貴方様方の千年の技を軽視しているのではございません。貴方様方の千年の技に、私の知識を加えたいのです」
「追加……?」
「もし、貴方様方がベル・サンテに合流くださるなら——」
セレスティーヌは深く頭を下げた。
「貴方様方こそが、ベル・サンテの主軸になってくださるということです。私は知識の提供者に過ぎず、現場の最前線は貴方様方の千年の経験です」
長老たちが、互いに顔を見合わせる。
マルタは、しばらく答えなかった。やがて、深く息を吐いた。
「お嬢様」
「はい」
「あなた、その煮沸消毒なる技、いま、ここで私に教えてくださることができますか」
「もちろんでございますわ」
「すぐ?」
「すぐでございます。お湯と布と、産婆のいつもの器具をお持ちいただければ」
長老たちが互いに頷きあった。
マルタが立ち上がった。
「実演、お願い申し上げます」
「喜んで」
セレスティーヌは扇を閉じ、長老室を出た。
ラファエルがわずかに口元を緩めて、彼女の後を追った。
(あの気難しい常連患者より、御しやすいわね、緒方真理子)
半分は、味方にできる。ヴェルニエ侯爵から、引き剥がせる。
——よし、頑張ろう。
---
一時間後。産婆ギルド本部の別室。
火にかけた鍋から、白い湯気が立ちのぼる。せっけんと熱湯の匂いが、部屋に満ちていた。
セレスティーヌは、煮沸消毒の実演を行った。
七人の長老たちが、興味深そうに彼女の手元を見守る。
最年長、七十二歳の長老が、震える指で、湯から上げたばかりの清潔な銀の産科用はさみを手に取った。
「お嬢様」
「ええ」
「私、五十年、産婆でございます」
「そう……」
「あの夜、私は産湯の汚物のために、新生児を十三人、感染症で失いました」
「……」
「いま思います、お嬢様」
老いた長老の目に、涙が滲んだ。
「もし五十年前、私がお嬢様の教えを知っていたなら、十三人すべて救えていたかもしれぬ、と」
セレスティーヌはしばらく答えなかった。それからしゃがんで、老婆の皺だらけの手を両手で握った。
「マダム」
「はい」
「いまから貴方様の知恵で、これから五十年、未来の産婆様たちにお伝えくださいませ」
「はい……はい」
老婆は何度も頷いた。頷きながら、泣いていた。
---
その日、産婆ギルドの長老会は、ベル・サンテ構想に「条件付き賛成」を表明した。
条件は二つ。産婆ギルドがベル・サンテの産科部門の主軸として参画すること。サン・ジュスト公爵令息の治癒師としての関与は、補助に限定すること。
ラファエルは、もちろんその条件をすべて飲んだ。
---
馬車の中で、ラファエルは深く息を吐いた。
「セレスティーヌ嬢、見事だった」
「ラファエル様こそ。ご自身の関与を補助に限定するとすぐに同意なさるとは、おそろしいご決断ですわ」
「私の目標は、母と子を救うことだ。私が表に立つことではない」
「……ラファエル様」
セレスティーヌは馬車の窓の外を見た。
夕暮れの王都が、ゆっくりと流れていく。
(この人は、本当に信頼できる人だわ)
——だが、ヴェルニエ侯爵は、産婆ギルドの寝返りを、黙って見過ごしはしないだろう。
必ず、反撃してくる。
セレスティーヌは、窓の外へ視線を戻した。
王都の甍が、夕闇に静かに沈んでいく。
——今夜、来る。
そんな気が、した。




