美容師、マチルダとの出会い
平民街の、北の、はずれ。
古い、二階建ての、理髪屋の、軒先。
色あせた、看板には、
「ボワイエ理髪、創業、三世代」、
と、
書いてあった。
—-
セレスティーヌは、馬車を、降りた。
ロザリーと、護衛二人が、付き添った。
「お嬢様、本当に、ここで、よろしいので?」
「ええ。マチルダさんに、お会いに、来たのよ」
セレスティーヌは、扉を、軽く、叩いた。
中から、若い、女性の声が、聞こえた。
「はい、ただいま」
—-
扉が、開いた。
若い、女性が、立っていた。
十九歳。
栗色の、短めの、髪、を、後ろで、しっかり、束ねている。
平民の、簡素な、麻のドレス。
左手に、櫛。
右手に、布。
そして、
その目は、
しっかりと、
意志を、
持って、
セレスティーヌを、
見つめた。
—-
「あ、
「あ、貴族の、お嬢様」
「マチルダさんで、よろしいかしら」
「は、はい、私、マチルダ・ボワイエ、で、ございますが、お嬢様、何の——」
「お話、よろしくて?」
「あ、はい、どうぞ、
「あ、いえ、お屋敷の中、汚くて、お嬢様には、お見苦しゅう——」
「いえ、構いませんわ」
セレスティーヌは、軽く、微笑んで、扉を、潜った。
—-
理髪屋の、店内。
簡素な、椅子が、三脚。
壁に、鏡。
鋏、櫛、剃刀、ブラシ、整髪料、の、瓶、瓶、瓶。
その、瓶の、並び方が、
セレスティーヌの、
目に、
すぐ、
留まった。
—-
——、
——、
——、整っている。
——、
——、
——、
——、瓶の、ラベル、
——、
——、
——、
——、すべて、見えるように、
——、
——、
——、
——、並べてある。
——、
——、
——、
——、清潔。
——、
——、
——、
——、これ、
——、
——、
——、
——、几帳面な、
——、
——、
——、人だわ。
「マチルダさん、ご家族は」
「祖父が、奥に、おります。先週、風邪で、寝込んでおりまして」
「お父様、お母様は」
「父は、五年前に。母は、半年前に、産褥で——」
マチルダの、声が、わずかに、震えた。
「お悔やみ、申し上げますわ」
「あ、ありがとう、ございます」
セレスティーヌは、しばらく、店内を、見渡した。
「マチルダさん、お一つ、お聞き、よろしくて?」
「は、はい」
「あなた、女性の、髪を、切られたことは?」
「私、いえ、平民街では、女性は、髪を、切りませんで、私、まだ、母の遺髪を、切ったきり、で——」
「お母様の、遺髪を?」
「はい、棺に、納めるのに、母の髪が、ぼさぼさで、それを、私が、整えました。母を、最後に、お送り、するために」
「……、それは、優しい、お話、ですわ」
セレスティーヌの、胸が、軽く、ぎゅっ、と、なった。
——、
——、緒方真理子、
——、
——、産婦人科医として、
——、
——、産褥死で、
——、
——、母を、
——、
——、見送らねばならなかった、
——、
——、
——、十九歳の、娘の、
——、
——、
——、
——、痛みを、
——、
——、
——、
——、私は、
——、
——、
——、
——、
——、知っている。
「マチルダさん」
「は、はい」
セレスティーヌは、店の、椅子に、座った。
そして、自分の、ボブヘアを、軽く、撫でた。
「私の、髪を、見て、ください」
「お、お嬢様の、お髪、で、ございますか」
「ええ。先月、刺客に、長い髪を、切られましたの。それを、私の、屋敷の、侍女が、揃え直しましたの」
「……」
「平民街、には、まだ、伝わってないかしら、最近の、貴族の、若い、令嬢たちの、間で、これが、流行り始めて、いるのですわ」
「いえ、ボワイエ家の、家業上、王都の、噂は、私も、入ってきます。お嬢様の、お話、いろいろと、伺っております」
「あら、そうなの」
「お嬢様、医療の、お事業を、始められた、と」
「ええ」
「貧民街の、難産の、母子を、ご自身で、お救いに、なられた、と」
「ええ」
マチルダの、目が、わずかに、潤んだ。
「お嬢様」
「うむ?」
「私、半年前、母の、お産の、夜、私、私、自分の、無力さで、母を、失いました」
「……」
「もし、お嬢様が、半年前に、いらっしゃったなら、私の、母は、助かったでしょうか」
「マチルダさん」
「はい」
「分かりません」
セレスティーヌは、誠実に、答えた。
「医学は、すべての、命を、救えるとは、限らない。ですが、可能性を、最大限まで、引き上げることは、できる」
「……」
「お母様の、その夜、私が、その場にいたとして、確実に、お救いできたか、と、問われたら、その答えは、神様しか、知らない」
「……」
「ですが、マチルダさん」
「はい」
「これから、私が、たどり着く、お産の、現場では、お母様が、亡くなる確率は、半分以下に、なります。ここから、半年、私が、医療を、整えれば、必ず」
「……、お嬢様」
「マチルダさん」
「はい」
「私と、一緒に、その、半分以下、を、もっと、もっと、低く、する、お手伝いを、して、くださいませんか」
マチルダの、目から、涙が、こぼれた。
「お、お嬢様、私、平民で、ございますが」
「平民の、力が、必要なのです」
「……、私に、何が、できるのでしょうか」
「あなたの、手先」
セレスティーヌは、軽く、マチルダの、手を、取った。
それは、彼女と、同じくらい、若く、しかし、
職人らしい、堅実な、筋肉と、傷跡を、湛えた、
手だった。
「あなたの、手先で、女性の髪を、切ってください。私と、一緒に、新しい、お店を、立てましょう」
「お、お嬢様、お店、と、おっしゃるのは」
「美容と、医療と、女性の安心を、一つに、した、お店です。場所は、王都の、北の、ベル・サンテの、隣」
「ベル・サンテ、と、おっしゃると、お嬢様の、病院、で、ございますか」
「ええ」
「そ、その、隣に……、美容、と、医療の、お店?」
「『ベル・エトワール』。美しい、星。あなたが、平民の、髪結いの、最初の、店長です」
「……、お、お、お、お、お、お」
「ふふ、お、お、お、と、止まらないで、マチルダさん」
「お、お嬢様、わ、私、平民、で、ございます」
「ええ、平民が、店長になるの。それが、いまの、王国に、必要な、ことなのです」
「……、お嬢様、私、私、お受けして、よろしいので——」
「もちろん、ですわ」
セレスティーヌは、軽く、笑った。
「ベル・エトワールの、店長は、あなた。私と、ロザリーと、あなたで、立てるのよ。お給金、もちろん、王都の、職人の、上位、と、同じ、で、お約束ですわ」
「お嬢様……、お、お、お嬢様……」
マチルダは、両手で、顔を、覆って、号泣した。
—-
そして、震える指で、
セレスティーヌの、
その手を、
両手で、
握り返した。
—-
「お嬢様」
「うむ」
「私、お受け、いたします」
「ありがとう、マチルダさん」
「お嬢様、母の、お墓に、これから、報告して、参りたいので、ございますが——」
「ふふ、もちろん、ですわ。私も、ご一緒、いたしましょうか」
「お、お嬢様、それは、畏れ多くて」
「私、行きますわ。あなたのお母様も、これからの、王国の、母子の、命を、救う、最初の、礎で、いらっしゃるのですもの」
—-
二人は、
理髪屋の、
奥の、
簡素な、
神棚に、
祈った。
—-
セレスティーヌは、
小さな、
肖像画の、
中の、
マチルダの、母の、顔を、
見て、
静かに、
呟いた。
「あなたの、命の、続きを、私が、ここから、生きます」
「あなたの、ご家族の、痛みが、もう、誰にも、起きないように」
—-
馬車に、戻る、道すがら。
マチルダが、ふと、立ち止まった。
「お嬢様」
「うむ?」
「私、ボブヘア、と、おっしゃるあの髪型、すごく、可愛いと、思っております」
「ふふ、ありがとう」
「私、お嬢様の、髪型を、参考にして、いくつか、デザインを、起こしてみたいのですが」
「あら、デザイン?」
「はい。長さや、毛先の、整え方で、印象は、ずいぶん、変わります。若い、令嬢、お年を、召された、奥様、それぞれに、似合う、形が、あるはずです」
セレスティーヌは、目を、見開いた。
——、
——、
——、これ、
——、
——、
——、来たわ、
——、
——、
——、本物の、
——、
——、デザイン、
——、
——、
——、感覚を、
——、
——、
——、
——、持っている、
——、
——、
——、若い、
——、女性。
——、
——、
——、これは、
——、
——、
——、
——、本物、よ。
「マチルダさん」
「はい」
「あなた、絵を、描けるかしら」
「は、はい、子供の頃から、絵を、描くのが、好きで、ございました」
「では、明日、私の、屋敷に、いらして。デザイン、見せて、ください」
「……、はい、参ります」
—-
馬車の、中で。
ロザリーが、ぽつり、と、呟いた。
「お嬢様、すごい、お方を、お見つけに、なりましたわね」
「ふふ、神様の、お導き、と、思いますわ」
「お嬢様も、神様、信じるのですか」
「いままでは、信じませんでしたわ。ですが、最近、信じる気が、しております」
セレスティーヌは、軽く、微笑んだ。
—-
【次話、公爵嫡男の、求愛、そして、ヴィクトールの、本気の自覚】




