第十四章:「九柱の遺産」
老人は、鍋へ沈めていた柄杓をゆっくりと持ち上げた。端に積み重ねられていた椀のひとつを取り、湯気を立てる料理を静かに注ぎ入れる。柄杓を鍋へ戻すと、椀を両手で下から支え、ブミンへ向き直った。
膝をついたまま、その椀をまるで神聖な捧げ物でも差し出すかのように両手で抱え、瞬きひとつせずブミンを見つめていた。ブミンは、自分を見上げる老人をじっと見返した。そして視線を、曇っていながらもなお力を失っていない老人の目へ向けた。
老人の瞳は、言葉では言い表せない歓喜に輝いていた。唇は震え、目に溜まった涙は、今にも皺を伝って零れ落ちそうだった。
彼はゆっくりと頭を垂れ、椀をブミンへ差し出した。声は抑えようとしても、興奮で震えていた。
「どうか、この老人の鈍さをお許しくださいませ。私は何年も、あなた様のお越しをお待ちしておりました。」
他の者たちは、老人の予想外の敬意とその言葉に呆然としていた。だが警戒だけは解かず、手を柄にかけたままブミンを見た。
ブミン自身も混乱していた。数週間前、彼は虚無のただ中で目覚めた時、自分の過去について欠片ひとつ思い出せなかった。だというのに、この老人は、自分を何年も待っていたと言うのだ。
彼は驚きと頭の中の混乱を巧みに押し隠したまま、あの厳しく揺るがぬ声色を保って尋ねた。
「それでは答えになっていない。お前は何者だ?」
老人はさらに深く頭を下げ、答えた。
「クタドゥムシュと申します、我が君。私は、あなた様を見つけ出すよう命を受けておりました。」
ブミンはピエトロへ振り向いた。二人の視線が交わる。
ピエトロは、ブミンの目の奥にある激しい混乱に気づいた。すぐさま視線をクタドゥムシュへ戻し、鋭い声で問いただした。
「誰の命令だ?」
同時に、ユルトの中にいた全員が、息を呑んだままクタドゥムシュへ目を向けた。
クタドゥムシュはゆっくりと頭を上げ、ピエトロを見た。それから再び視線をブミンへ戻し、再び頭を垂れながら答えた。
「生命のアルコンにございます。」
ピエトロは、いつでも剣を抜けるよう構えていた他の者たちを制止するために上げていた手を、ゆっくりと下ろした。その声は、耳にした名の重みに押し潰されたように驚きに満ちていた。
「お前……アルコンの使徒の一人なのか。」
「弟子です。」
クタドゥムシュは謙虚な声で言った。
「なぜだ?」
ピエトロはなお信じ難そうに尋ねた。
「なぜ生命のアルコンは、お前に俺を探させた?」
ブミンも声色を変えずに続けた。
この名は、彼にとって何の意味も持たなかった。彼の心の空白の中には、神も主も存在していない。だが、ピエトロの揺らいだ態度と、部屋に降りた重苦しい畏怖から、この存在が単なる名ではないことだけは理解できた。
皆が、クタドゥムシュがどう答えるのかを待つ中、老人は答えの代わりに問いを返した。
「我が君……ご自分が何者か、思い出しておられますか?」
ブミンは答えなかった。
右手の上に浮かんでいた、あの唸りを帯びた魔法陣が、一瞬で消え失せる。マナが引いたことで、ユルトの中には、まるで実体を持つかのような重い静寂が落ちた。唸りが途絶えた瞬間は、まるで世界中の音が一度に呑み込まれたかのように感じられた。
他の者たちの視線は、その不気味な静寂に引き寄せられるように、ゆっくりとブミンへ向いた。
数秒――だが何時間にも感じられる空白の後、ブミンは目を閉じ、その暗闇へ向かって囁いた。
「……いや。」
クタドゥムシュはわずかに頭を上げ、ブミンを見た。老人の顔には驚きも非難もなかった。むしろ、その目には、ブミンの心に広がる巨大な空白を最初から知っていたかのような、深く悲しい受容が浮かんでいた。
ブミンの目は、なお閉じられたままだった。彼の精神は、虚無のただ中で道を失った旅人のようだった。
ピエトロたちは、耳にした名の重みと、ブミンのこの衝撃的な告白との間に挟まれ、身動きできずにいた。視線はブミンと、跪く老人との間を行き来する。二人の間にどのような繋がりがあるのか、ブミンが本当は何者なのか、そしてこの「生命のアルコン」という話が自分たちをどこへ連れていくのか、誰にも理解できなかった。
疑念と困惑が、ユルトの埃っぽい空気に重い霧のように混ざり合っていた。
ブミンはゆっくりと目を開け、クタドゥムシュを見た。その視線には、これまで鉄の意志で隠し続けてきた深い喪失感が、今や隠しようもなく浮かんでいた。仮面は一瞬だけ剥がれ落ち、その下には、自分の名さえ異物のように感じる魂だけが残っていた。
「俺が何者か、お前は知っているのか?」
ブミンは尋ねた。その声は、長い間隠し続けてきた揺るがぬ姿勢の亀裂から漏れ出した、絶望的な探求のようだった。
クタドゥムシュは、なお神聖な捧げ物のように椀を抱えたまま、一瞬だけブミンから視線を逸らした。
「お許しくださいませ、我が君……かつてあなた様が何者であられたのか、私は存じません。」
そう言ってから、彼は一度言葉を切った。ユルトの中の空気は、その答えでさらに重くなった。
やがて再びブミンへ視線を戻す。
「……ですが、今のあなた様が何者であるかなら、お伝えできます。」
ブミンはゆっくりと手を伸ばし、クタドゥムシュの持つ椀を片手で受け取った。そしてピエトロへ向き直り、その椀を差し出す。
ピエトロはブミンと差し出された椀を見比べた後、受け取りながら小さく頷いた。
ブミンはクタドゥムシュへ向き直る。
「なら、話せ。」
ブミンの声は、先ほどユルトを震わせた魔法の唸りよりもなお重く、鋭かった。
クタドゥムシュは、その真っ直ぐな問いを受け、両手を膝の前の地へつき、敬意を込めて深く頭を垂れた。
「あなた様は、我が君……」
クタドゥムシュの声は、ユルトの埃っぽい空気の中に静かに浮かんだ。
「あなた様は、新たなるアルコンにございます。」
「なっ……!?」
ピエトロは叫んだ。目を見開き、まるで目の前に立つブミンを初めて見たかのように凍りついていた。
他の者たちも、何が起きたのか理解できぬまま互いを見合った。ガッロはバスティアンへ身を寄せ、彼だけに聞こえるほどの声で囁いた。
「おい、爺さん……その“アルコン”ってのは何なんだ?」
バスティアンは、ピエトロの石灰のように真っ白になった顔から目を離さぬまま、同じく低い声で答えた。
「まったく分からん。」
ブミンは、普通の人間なら聞き取れないその囁きを、まるで耳元で話されたかのようにはっきりと聞いていた。
ピエトロの受けた衝撃と、クタドゥムシュの揺るがぬ畏敬の間に立ちながら、彼は、この言葉の重みを理解しているのが、その場で二人しかいないことに気づいていた。
彼はクタドゥムシュへ視線を固定したまま、静かな声で言った。
「正直に言うと……“アルコン”と言われても、何のことか分からない。」
ピエトロはゆっくりとブミンへ向き直った。だがブミンの目は、なおクタドゥムシュから離れていない。
その瞬間、ピエトロはブミンという存在の悲劇を完全に理解した。目の前の男は、ただ過去を失った者ではない。自分自身の本質すら分からぬほど、深い空白の中に落ちているのだ。
クタドゥムシュはゆっくりと顔を上げ、ブミンの目をまっすぐ見つめた。声は先ほどより確信に満ち、どこか古めかしい響きを帯びていた。
「アルコンという言葉をご存じないのも無理はありません、我が君。土地や言語によって、別の名でも呼ばれております。統べる者、至高なる者、超越せし者……あるいは、最も一般的な呼び方で言えば――神。」
「神」という言葉がクタドゥムシュの口から落ちた瞬間、ガッロは反射的に身体を後ろへ引いた。背後の敷物へ強く手を突き、その指の関節は真っ白になっていた。
バスティアンは胡坐を崩さぬまま、その場で凍りついたように動きを止める。身体はわずかに前へ傾き、その目はブミンの顔に縫い付けられていた。
ニコとファビオもまた、凍りついたようにその場に座り込んでいた。
「神……だと?」
ブミンはゆっくりと言った。その声には驚きの色はなかったが、自分の心に広がる巨大な空白を、これほど重い言葉で埋めようとされていることが、かえって混乱を深めていた。
ピエトロは、自分の中の論理が粉々に砕け散っていく感覚に襲われながら、どもるように口を開いた。
「だ、だがそんなのはおかしい。アルコンの力は自然災害に例えられる存在だろう。あ、あいつはそこまで強くない。俺たちは見たんだ。草原でオークから逃げた……アルコンが、なぜ数匹のオークから逃げる必要がある?」
その必死に縋るような論理がユルトの中に響く中、クタドゥムシュは彼へ顔を向けた。
「その通りです、若者。」
クタドゥムシュは言った。
「知られているアルコンたちの力は、都市を滅ぼすことさえできます。しかし我が君は、まだ新たに昇ったばかりのアルコン。魔術の使い方は知っておられても、まだ慣れておられません。」
老人は再びブミンへ向き直った。ブミンの視線の奥にある底知れぬ混乱を見て取り、説明を続ける。
「魔術とは、楽器を扱うことに似ております、我が君。誰でも楽器を学ぶことはできます。しかし、誰もが音楽家になれるわけではありません。あなた様には……鍛錬が必要なのです。ご自身の弦がどれほど張り詰め、どれほどの音を響かせられるのか、まだ知らぬだけなのです。」
ピエトロは、自分がここ数日、アルコン――神と共に旅していたという事実の重みに押し潰されるように、うつむき加減で椀を見つめていた。その肩は、まるで目に見えぬ重荷を背負わされたかのように沈んでいた。
ガッロはピエトロへ身を寄せ、不安げな声で尋ねた。
「若様……大丈夫ですか。」
ピエトロは答えなかった。聞かされたことは、彼の世界そのものを根底から揺さぶっていた。
ニコとファビオは互いに小声で囁き合いながら、バスティアンへ視線を向けた。だがバスティアン自身も、この話をどう受け止めればいいのか分からずにいた。
ブミンは、最初に目覚めた時、虚無の中で自分の手の上に見た、あの奇妙で透明な層を思い出していた。視線は無意識に自分の手へ落ちる。
クタドゥムシュは、穏やかで導くような声で続けた。
「ですが、いくつかの力は、あなた様が望まずとも働いております。我が君の心臓が鼓動し、呼吸をなさるのと同じように自然に……すでに気づいておられるものも、あるのではありませんか?」
ブミンはクタドゥムシュを見た。そして、なお衝撃の中にいるピエトロへ視線を移し、再び老人へ尋ねた。
「……だから俺は、こいつらの言葉を理解できるのか。オークの言葉も。」
クタドゥムシュはわずかに微笑み、静かに頷いた。
ユルトの天井の煙抜きから差し込む弱い光が、老人の顔の深い皺を、古代の地図のように浮かび上がらせていた。
彼はブミンから一瞬たりとも目を離さぬまま、煙を帯びたような声をさらに真剣なものへ変えて続ける。
「我が君……私があなた様を探すよう命じられた理由は、ただあなた様が何者であるかを囁くためだけではございません。アルコンたちの務めを、お伝えするよう仰せつかっているのです。」
ブミンは答えなかった。他の者たちも同じだった。
老人が語り、問いに答えるたびに、彼らの心には新たな疑問が芽生えていく。誰もが無言のまま、続きを待った。
誰ひとり呼吸すら憚るような重い沈黙の後、クタドゥムシュは再び語り始めた。
「生命のアルコンのお話によれば……創造主は、死すべき者たちを創った後、最初のアルコンたちを生み出されたそうです。死者にも互いにも似ぬ、九柱のアルコン。彼らの役目は、死すべき者たちを導き、闇の中の灯火のように道を示すことでした。」
老人は静かに目を伏せた。
「しかし時が経つにつれ、アルコンたちは痛ましい真実に気づきました。死すべき者たちの問題は、決して尽きなかったのです。創造主は、アルコンたちに世界へ直接介入せず、助言のみを与えるよう命じておられました。ですが、やがて彼らの言葉に耳を貸さぬ者も現れました。そして、ひとつの問題を解決するたび、まるで地面から湧き出るように、別の問題が姿を現したのです。」
クタドゥムシュの声は、次第に深い悲しみを帯びていった。
「さらに、死すべき者たちの数は年ごとに増え続けていたにもかかわらず、アルコンはなお九柱しか存在しませんでした。」
老人は両手を地面から離し、膝の上へ置いた。そして、ブミンの顔も見えなくなるほど深く頭を垂れ、悲しげな声で続けた。
「やがてアルコンたちは、自らの務めを決して果たせぬことを悟り、絶望と諦念の闇へ沈んでいきました。そして、一柱、また一柱と姿を消していったのです……最後の一柱、生命のアルコンだけを残して。」
彼は一度言葉を切った。
「ですが、その生命のアルコンも、やがて世界から身を引き、深い隠遁へ入られました。」
老人はゆっくりと顔を上げ、ブミンを見た。
「アルコンたちが姿を消してから、およそ千年後――予期せぬことが起きたのです。新たなアルコンが現れました。しかしその存在は、それ以前の者たちとは違い……まるで人間そのものの姿をしていたのです。」
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