旦那様の想い
全身の泡がシュワシュワと微かな音を立てて弾けていく。小さな刺激が断続的に私の肌を責めている。私に快感を与えて、それに加えて旦那様はどんな言葉をくれるんだろう。
「はい、何でしょうか」
「まずは、あのさ……イザベルから必死で僕を守ってくれてありがとう」
「……当然のことをしたまでです」
「ひどく痛い思いをさせちゃったね」
「大丈夫です。旦那様のことを想えば、些細なことです」
言葉を噛みしめるように、うれしい言葉を浴びせかけてくれる。ひたすら優しい眼差しにほんのり憂いが含まれているように見えた。
「これから先も僕はラズを危険な目に遭わせてしまうじゃないかって、それだけが気掛かりなんだ」
「そんな……それはむしろ私の方です。私がもっとしっかりしていれば、旦那様をあんな危険な目に遭わせることはありませんでした。私がいけないんです」
「いや、そんなことないよ。僕はラズに頼りっぱなしなんだ」
なぜそうお考えになるのか、私には全然分からなかった。急に取り付けられた手枷と足枷が邪魔に感じて、ひどくもどかしかった。跪いて許しを請いたくても、できない。
「そんなことありません! 旦那様が居なければ、私は何者でもないただの淫魔に過ぎません。頼っているのは私の方なんです。旦那様が気に病むことではないんです」
「ラズ……」
チリリチリリと、足枷に繋がる鎖の音が情けなく響く。ギリリギリリと、手枷に繋がるロープがふたりの距離を測るように軋む。手の届く場所にいる旦那様が、悲しいほど遠くに感じた。
でも次の瞬間、私の心は天へと突き上げられた。
「僕は君を離したくない」
旦那様が泡だらけの私を正面から抱き締めた。苦しいくらいに。
「ラズと寄り添って生きていきたい。僕はラズに甘えるから、ラズも僕に甘えてきて。ラズのしたいこと、できるだけ僕が叶えていくから。これからもずっといっしょに旅をさせてほしい」
だめ――また涙が出ちゃいそう。
満面の笑顔で「うれしいです!」って言うところなのに――。
(どうして私は泣いてしまうの? どうして旦那様の前でだけ……)
体は見せるところがもうないくらい見せられてるのに、心はどこか裸になり切れない。全部を見せたいのに、なぜか隠してしまう部分がある。
それでも、私を必要としてくれることが、私をこの世に繋ぎとめてくれる。
旦那様の想いが、私という存在を彩ってくれる。
「仰せのままに……。どこへでもついて行きます、旦那様」
――その後。
旦那様は私についていた泡で自らの体も洗い流し、ふたり静かに湯船に浸かった。お互い恥ずかしくなってしまって、目が合うたびに顔を反らすのを繰り返していた。
裸のままベッドに入ると、今度は一転して見つめ合う。ときどき目線を胸元に落としてまた戻す、を繰り返す。その度に距離が縮まっていく。ちらりと唇に視線を移す。そして重ね合った。
言葉はなく、お互い全身へ唇を滑らせていった。肌に接触する湿った音と、シーツが擦れる乾いた音。程よく刻まれる拍動のリズム。熱くて、夢みたいで、ひとつも飽きたりしなかった。
涙の跡をさりげなく拭ってくれた旦那様。何も言わず、何も聞かずに。
そのときの手を、優しい心を、私は離さないって決めた。
絶対離さないって――。決めたの。
絶対に。離れないって。
――数日後。
旦那様の体からイザベルの毒が完全に抜けた。お父様は「人間の体は難儀だ」って言ってた。
それより少し前に、私の翼の継ぎ目は綺麗につながった。好きに飛び回っていいって、メルドナから正式に許可が下りた。
お母様はちょっと寂しそうに見えた。それなのに、何を言うかと思えば――。
「エル君といっぱいえっちなこと楽しんでね♡ ママ楽しみにしてるから♡」
「お母様! また覗くつもり?」
「だって~、サキュバスなんだから見るくらい仕方ないじゃない?」
「絶対ダメ!」
とんでもない母親がいたもんだよね。でも、私の味方でいてくれる最強のサキュバス。本当に心強いな。
お父様は静かに見守ってる――と思ったら。
「寂しくなるな……」
「あなた、何を涙ぐんでるのよ」
ずっと心配してくれていたのは知ってる。私がロゼリア=ノクスに留まることを期待していたのかもしれない。あくまで淡い期待でしかないって、分かっていながら。
90年前、私は家を飛び出してしまった。今度はちゃんとお父様とお母様の許可をもらって家を出る。だから私は伝えなきゃいけない。
素直な気持ちを、自分の言葉で――。




