またね。
「お父様、お母様……私も寂しいです」
お父様がじっと私の目を見つめる。お母様の顔色が変わる。
「でも、今の私はまだ半端者なの。突然家出しておいて、今のままじゃ、まだここに帰るわけにはいかない。サキュバスとしても、バンパイアとしても、私なりの答えを出せてないから……」
そんなことはどうでもいいと、お父様とお母様はきっと思っている。私だけが気にしているのかもしれない。それでも、堂々と胸を張って帰れる日まで、私はここで甘えるわけにはいかない。
また旅立つとふたりに伝えたとき、旦那様を利用すればサキュバス達を黙らせられるって提案された。でも、私はそんな畏れ多いことできないって断った。それじゃ解決したとは言えないし。
「だから行きます。もっと強くなるために」
お母様が歩み寄って、抱きしめてくれた。
「いってらっしゃい、ラズちゃん」
「はい、お母様」
お父様はただ頷いた。言葉の代わりに、瞳を揺らしていた。思うがままに行け、と伝えているようだった。私も頷いて返した。誇らしく感じた。
少し離れた家屋の屋根に、ディジーお姉様とリジーお姉様の姿があった。その隣の家屋の煙突の上に、ミューズお姉様の姿もあった。三人ともこちらを見るわけでもなく、ただそこにいた。
お姉様たちに認めてもらうには、まだ――。
隣に立っている旦那様が私の左手を取った。私はしっかりと握り返した。
「それじゃ、行ってきます」
「お世話になりました」
いっしょに頭を下げる。そして顔を上げたとき、お母様は無邪気な笑顔で手を振っていた。お父様は何も言わず見送ってくれた。お姉様たちの姿は、もうなかった。
私は旦那様と視線を交わして、同時に頷いた。街を背にして、握る手を持ち替えた。指と指をしっかり絡め合い、離さないように。人間はこのつなぎ方を恋人つなぎっていうらしい。
今の私の旦那様への想いが、恋かどうかは分からないけれど――。
私たちは歩き出した。街外れの森の入り口まで。
これは旦那様の提案だった。そのまま飛んで行くよりは良いと思うからって。旦那様が私に抱き着いて飛んで行くのが恥ずかしいからかな、そう思ったりしたけど、違うみたいだった。
またひとつ、旦那様の素敵なところを見つけられた気がした。
森の入り口で旦那様が立ち止まった。ふたりで街の方へ振り返る。お父様とお母様の姿がまだあった。旦那様が、繋いでいた私の右手をぎゅっと握りしめた。汗ばんでいた。
心の中で「またね」って言って、向き直った。
「旦那様、ここからサドラまで飛びます。つかまって下さい」
「ありがとう、ラズ。旅のつづきだね」
子供みたいな笑顔に、きゅっと胸が苦しくなった。抱き着かれたら、もっと。
旦那様と宿泊するはずだったサドラの老舗宿へ。ロゼリア=ノクスを出たら旅の再開はどこからがいいか旦那様に聞かれて、私が迷うことなく選んだ場所。旅に空白を作りたくなかったから。
イザベルに襲われて戻れなかった宿、鸚鳴館。
あの日は、お父様の従者が支払いを済ませてくれていた。私たちが急用で戻れなくなったと、それらしい理由をつけて。今夜の宿としてあの日と同じ部屋の予約まで済ませてくれていた。
飛び立ってすぐ、旦那様が私に尋ねた。
「あのさ……お姉さんたちとは会わなくて良かったの?」
「大丈夫です。それに、お姉様たちは私とは話したくないと思います」
旦那様はうすうす気がついている。私があの街で特に誰とも会おうとしなかったから。今さら何も隠す必要なんてない。聞かれたことは全て素直に話そうと、もう決心はついている。
「……何かあったの? 話したくなければ無理に話さなくていいんだけど」
「いいえ、聞いてください。……私はお姉様たちから嫌われてるんです。昔、毎日のようにいじめられてました」
「ええ? そんなことが……」
私は包み隠さず話した。
お姉様たちは魔力受胎でお母様――淫魔四女帝リリス――の体から産まれた純血種の【リリン】であること、本来ならありえないバンパイアとの生殖によって生まれた私は、周囲に疎まれていたこと。
前例のない恋愛結婚の結果産まれた私をお父様とお母様が特別可愛がっていたことが、お姉様たちにはおもしろくなかったこと。
おまけに私は幼いころ力が弱くて、サキュバスとしてもバンパイアとしても誰にも認めてもらえなかったこと。そんな私を不憫に思ったお父様とお母様、それに影響力のあるメルドナが私を庇ったこと――。
気づけば涙が溢れていた。
「ラズ、聞かせてくれてありがとう」
「はい…………」
声が震えていた。素直になるたび、私は泣き虫になってしまう。
思えば、幼い頃は毎日のように泣いていた。泣いてはお父様やお母様に宥められて、ときどきメルドナが遊んでくれて寂しさを紛らわせてくれた。
でもそのままじゃいけないんだって、いつからか私は泣くのをひどく嫌うようになった。心配かけたくなくて、強がって鍛錬や勉強に一生懸命取り組んで、それが楽しいって笑って見せた。
旦那様に出会うまで、誰にも涙を見せなかった。それなのに――。
「ごめんなさい……泣いたりして。私、こんなんじゃ……ないのに」
「つらい話をさせちゃったね。僕の方こそ、ごめんね」
「そんなこと……そんなこと…………」
私は――――旦那様に会えてよかった。
会えてなかったら、きっとずっと孤独だったかもしれない。汚らしい心を持った連中ばかりを捕食して、それで自分を慰めるような自堕落な日々を送っていたに違いない。
――私は旦那様に彩ってもらえたんだ。救ってもらえたんだ。
「これからもよろしくね、ラズ」
「はい……旦那様」
止めたくても止まらなかった。
この涙にはきっと、幸せが詰まっているから――。
魔界を出ると、真っ青な空があった。雲ひとつない、快晴だった。空気は凍てついていたけれど、ちっとも寒くなかった。旦那様の温もりが心強かった。
涙は止まらなかったけど、飛んでいる間、私はずっと笑っていられた。
――――第1部 了――――




