ラズの願い〈side/エルヴェ〉
実の母親、幼少期からの恩人――ラズは次々に巻き込んでいった。
『旦那様を崇拝しています。旦那様の素晴らしさをみんなに広めたいんです』
そうラズは言っていた。本心だと思うけど、何か他に狙いがあったりするのだろうか。
メルドナさんは安らかな寝顔でベッドに横たわり、ラズはそのすぐ隣で僕をじっと見つめて、ときどき「うふふ♡」と微笑みかける。
「サキュバスって、みんなこんな感じなの?」
「えっちには素直ですけど、ここまでみんなが夢中になるのは初めてだと思います。本当に、旦那様だけです♡」
ぴょこんと起き上がってにっこり笑う。両腕を前に揃えて、お座りする猫みたいだ。
褒めてくれているとは思う。だけど同時に危うさを感じる。たまたま僕はサキュバスにとって強い毒性を持っているだけで、本来彼女たちに補食される側の人間のオスでしかないのだから。
そういえば、バンパイアのラズにも僕の毒は何やら効果があった。僕らを襲ったイザベルにも。催淫効果があったかは定かではないけれど。
「ねえラズ。傷が完全に治ったらどうしたいって思ってる? ここで暮らしたい? それともすぐに旅に出たい?」
「ラズは旦那様と旅がしたいです。ここには……あまり長居したくなくて……」
明らかに表情が曇った。サキュバスみんなに僕のことを広めたいと言いながらここには居たくないなんて、矛盾している。
「どうして居たくないの?」
俯いて、唇をきゅっと噛んでいる。聞いてはまずいような複雑な事情があるのだろう。けれど、ラズはぽつりぽつり話してくれた。
「私、実はお姉様たちとあまり仲がよくなかったんです。他のサキュバスとも……」
「……そうなの?」
「はい。私は半分が淫魔、もう半分がバンパイアの、中途半端な存在ですから」
そうだ、ラズだけ出生が特殊だった。半分は他の種族――バンパイアの血。本来ならありえない特殊個体だって、ラズ本人が言っていた。
「お母様とお父様、それにメルドナだけが私に優しくしてくれたんです。他からは、いじめられました」
その理由を、噛みしめるように話してくれた。
サキュバスは受精では増えないこと、魔力を素に母体の一部から作られること、故にラズは純血でないこと。
穢れた血だと非難を浴び、サキュバスとしてもバンパイアとしても認めてもらえず、自分はだめな子だと思い続けていた――と。
リリスさんがヴィンセントさんと愛し合ってラズを妊娠したことは、純粋な愛情が起こした奇跡だ――そう主張して周囲を説得したのがメルドナさんだという。
「淫魔四女帝というお立場でも、当初お母様は誹謗中傷を受けたそうです。メルドナも無事では済まなかったって聞いています」
「ラズのこと、本気で守ってくれてたんだね」
「はい。産まれたときからの恩人なんです。それなのに私……」
ベッドに横たわるメルドナさんをちらりと見ると、ラズは涙を浮かべ始めた。僕はそっと抱き締めて、背中を優しく撫でた。
「悪いことしたって思ってるの?」
「はい……」
「気にしなくていいと思うよ」
「……なぜですか?」
「サキュバスの本能でしょ、それ」
顔を上げて僕の胸元をぎゅっと掴む。溢れ出ないように、強く――。
そのとき、優しい声が僕らを包んだ。
「そうだよ、ラズ。気にしなくていい」
「メルドナ?」
ラズは振り向き、驚きの声で返す。僕らの目線の先に、ひたすら穏やかな微笑みがあった。
毒気が抜け切らないせいか色気を帯びていたけれど、それに勝る慈しみが場を染めていった。
「おまえは奇跡の子だ。そしてもうひとりの奇跡の子をここへ連れてきた。すべては運命なのさ」
空気の振動が心臓に直接響いてくるようだった。僕まで目頭が熱くなってきた。
「怒らないの? 私を怒らないの?」
「その理由がどこにある。……恥ずかしながら私は久しぶりに燃えてしまった。怒るとすれば己の愚かさに、かもしれんな」
メルドナさんはふんっと小さく鼻を鳴らした。はにかんだ笑顔を見せている。血の繋がりさえ感じる和やかな雰囲気。
「勝手なことばかりして、ごめんなさい」
「謝る必要はない。我々淫魔は性的好奇心に溢れた、実に本能的な生き物だ。おまえは真っ直ぐに生きている。それでいいんだ」
ラズは耐えていた。涙が零れそうになりながら笑顔で返していた。
「ラズや、エルヴェ殿のことが好きか?」
「……うん。好き」
「ずっといっしょに居たいか?」
「……うん。離れたくない」
メルドナさんは瞼がくっつくほど目を細め、うんうんと二度頷いた。それから優雅な動きで身支度を整えると、扉の前で顔だけ僕らに向け、もう一度頷いた。
「あと3日もすれば出られるだろう。ふたりともしっかり養生することだ」
「メルドナ…………ありがとう」
「ああ……。なあラズや。時々でいい、顔を見せに来ておくれ」
「……うん」
振り向いて左手でさよならを伝えていた。その後ろ姿を、僕たちは目に焼き付けていた。
――しばらくソファで寛ぐことに。
ラズはずっと僕にぴったりくっついて、時折顔を擦りつけたり、僕の手を愛しそうに撫でたりしていた。顔を一度も上げることなく。
月明かりが部屋のベッドまで伸びてきたとき、僕はラズにそっと口づけをした。




