罪な子
抵抗する力なんて、もう微塵もなかったんだと思う。ディジーお姉様は突然笑顔を咲かせた。心の中で何かが弾けたのか、その口から聞いたこともない言葉が出た。
「エルヴェ様……わたしのご主人様♡ どうかわたしを詰ってください♡」
人間を捕食するときには女王様プレイを好んでいたディジーお姉様。自ら被虐で悦ぶなんて、姉妹の中でも一番ありえないと思っていたのに。お母様をも狂わされた旦那様の毒は、お姉様のプライドをたった一度の接触で崩壊させてしまった。
――このとき初めて罪だと感じた。
サキュバスの繁栄を思えば、旦那様を生かしておくべきではなかったかもしれない。出会ったその日に精気をすべて吸い取って、私もろとも葬るべきだったのかもしれない。
わずか少量の体液がサキュバスの威厳を狂わせてしまう。あまりの凄まじい快感に誰もが飲み込まれていく。私の言うことにさえ抗えずに、みんなおかしくなっていく。
エルヴェ様は危険な存在。連れ込んだ私はきっと罪な子なんだ。
「ディジー、はしたない声を出して、いけない子だね」
「ごめんなさい、ご主人様♡」
「リジーもだよ!」
「すみません……主様♡」
ふたりとも私と同じ呼び方を選ばない。多分、残されたなけなしのプライドがそうさせているのだと思う。人間に対して支配権を握ってきたサキュバスが、被支配に甘んじるなんて本来ならありえない。それをあっさりと旦那様へ明け渡してしまった。
私は重罪人かもしれない。
――でも、後戻りはできないの。
「ディジー、リジー。タオルを持って来るから、ふたりで拭き合いっこするんだよ」
「はい、ご主人様♡」
「承知しました、主様♡」
別人のように蕩けた表情で返事をするふたり。旦那様は部屋の洗面台に備え付けてあったタオルを持って来ると、ふたりの足元へ広げて置いた。拭き合いっこが始まり――でもそれだけでは終わらなかった。
旦那様はふたりの背中を同時に素手で撫で出した。たまらず歓喜の声を上げるふたり。また狂いそうになるのを耐えながら互いの体を拭き進めていった。その様子を静かに見守っていた旦那様が、私に視線を一切向けずにつぶやいた。
「ラズもいっしょに責めてあげようか?」
心臓が飛び上がる思いだった。快楽に酔っているお姉様たちを見て、羨ましいと思った。はしたなく乱れる自分の姿を重ねていた。
(旦那様は一瞥もせずに私の欲求を感じ取っているの?)
音もなくすっと立ち上がる旦那様。その瞳は憂いを帯びていながら、獲物を捕捉した獣のようにぬらりと鈍く光っていた。惚れ惚れするほど純粋で、サディスティックな旦那様。
目を捕らえたまま無言で近づき、私の顎を掴む。一瞬目を細め、乱暴に唇を重ねた。激しい旦那様に思考は即座に塞がれた。私は首に腕をまわして旦那様の責めを求める。絡んだ唾液で躊躇なく喉を潤した。
「ああ、旦那様。ご命令をください♡」
すると旦那様はご自分の左手の甲に歯を立て、小さな傷を作って私に差し出した。
「ラズ、僕の血をあげるよ。僕がいいって言うまで吸ってみて」
「そんなことしたら、私バンパイアに――」
「うん、見たいんだ。ラズのバンパイア姿」
旦那様のお考えが分からない。えっちなご命令ならサキュバスの私の方がご要望にお応えできるのに。
「分かりました。では、遠慮なくいただきます」
「そんなに畏まった言い方しなくていいよ」
私は跪き、旦那様の左手を取って口をつけた。流れ出る血を少量ずつ飲み込んでいった。喉を通るたびに体温が上がる。細胞が次々と宴に参加するかのように全身へと喜びを伝えていき、私の体はみるみるバンパイアへと変貌していった。脳が痺れを感じ始めた頃、ようやく「もういいよ」と声がかかった。
「バンパイア姿も可愛いよラズ。すごく綺麗だ」
「ありがとうございます旦那様。でも、私をこの姿にしてどうするおつもりですか?」
サキュバスのときと比べれば、戦闘能力は格段に高まっているのが自分でも分かる。でも今は全く必要のない能力なのに、どうして旦那様はこの姿を望んだのだろう。困惑する私に旦那様は答えた。
「イザベルさんは僕に性的興奮を覚えていたよね? マゾというよりサドの興奮をさ。だったらバンパイアのラズはどっちなんだろうって気になったんだ」
サキュバスだけでなくバンパイアの私の性癖も知ろうとしてくれていたんだ。旦那様は知るだけでなく、きっとどちらの私も受け入れようとしてくれている。これまでのお優しい人柄を考えれば、そうに違いない。
「うれしいです。ですが、私にもどちら寄りなのか分かりかねます」
「だから、今から試してみよう」
旦那様はそう言って膝の上に座らせ、両手で私の腰をがっちりと掴んだ。
「ラズ、今から質問するから素直に答えてね」
「はい、旦那様」
獣の眼が私を釘付けにした。
「僕の首を絞めて苦しがるのを見たい? それとも、首を絞められて苦しくされたい?」




