崇拝〈side/エルヴェ〉
魔界の夜が明け、目覚めると、傍にはいつもの寝息が聞こえた。
いつもの、と呼ぶにもまだ数日の仲。でも、僕はラズと何年もいっしょに居るような感覚がある。いっしょにいて、こんなに興奮して、こんなに安らげる、心の落差の激しい関係が僕を満たしていく。
どんなに胸のすく冒険譚を聞いても、ラズとの日々で得られる興奮には及ばない。どんなに静かで落ち着いた保養地に身を置いたとしても、ラズとの日々で得られる安らぎにはきっと及ばない。
「あ……おはようございます」
シーツの擦れる音が心を和ませる。ラズの今日の第一声は、ちょっと掠れた幼い声だった。
「おはよう、ラズ」
きょろきょろと辺りを見回す姿が愛らしい。
「何を探してるの?」
「あの、違くて、明るさから何時くらいかなと」
「ずっと夜に見えるけど、時間って分かるの?」
「えっと……人間で言うと朝9時くらいです」
魔界の空は明けない夜のようで、僕には明るさの変化はほとんど感じられない。それでもラズには分かるみたいだ。
時計の類いは見当たらない。魔族は感覚で時刻を捉えているようだ。あらためてラズは魔族なんだなと意識させられる。
「旦那様、昨日の夜から何も召し上がってませんよね?」
「そういえば、そうだね」
「すぐ調達してきますね」
ラズは起き上がって服を着る。それからすぐに部屋を出て行った。さすがに窓から飛ぶわけではなく、扉を開けて廊下を歩いて。
僕はベッドを整える。昨日の夜の匂いが残っている。覆い隠すようにシーツと布団で挟み込む。
ほどなくしてラズが帰ってきた。
「旦那様、お食事は準備してあるそうです。お父様がぜひご一緒したいとのことですが、よろしいですか?」
「構わないよ。というか、ありがたいよ。でも、あのさ……なんでそんな固い言い方なの?」
「え? えっと、私は旦那様にお仕えする身なので……いつも通りと、思いますけど……」
何だろう。いつも通りと言われれば確かにそう感じるけど、どうもラズが緊張しているように思える。
「そっか。ごめん、変なこと言って……。案内してもらえる?」
「あ、はい。こちらです。着いてきてください」
扉を出て廊下を歩く。柱も床も石が敷き詰められていて、人間族の建物とは雰囲気が違う。ひんやりしているけれど、何となく落ち着く。
「あの、旦那様」
「何?」
「私は昨日の夜、思い知らされました」
「ん? 何をだい?」
「改めて旦那様は素晴らしいお方だと……」
「僕はたいした人間じゃないと思うけど」
やっぱりラズから緊張が伝わる。その訳は、ラズ本人が語ってくれた。
「いいえ。神にも値する存在でいらっしゃいます。だって、あのお母様を旦那様は支配してしまわれました。前代未聞のことです」
「大袈裟だよ。だって昨日はリリスさんが仕切ってたじゃない?」
「いいえ。お母様は完全に旦那様の言いなりになっていました。誰かの命令を素直に聞いているお母様なんて、私、初めて見ました」
「そうなの?」
「はい。ですからエルヴェ様は、これまでに私が思っていたよりも遥かに尊ぶべき存在だと、崇拝に値する神にも等しきお方なのだと確信しました」
話が随分と盛られている気がするけれど、僕のことを心から信頼してくれているのは伝わる。出会ってからずっと、ラズは一度も僕を疑わない。
「さすがにそれは極端じゃない?」
「そんなことありません! 人間にお生まれでありながら、その器量、特殊な体液、そして類いまれなる支配力……もはや奇跡の存在でいらっしゃいます」
一瞬、魔界の音が途切れた気がした。キーンと耳が静寂を告げている。その後に続くラズの声が、ところどころ震えて聞こえた。
「こんな中途半端で未熟な私など、側仕えさせていただくだけでも畏れ多きことです。どんなご命令も、それがどれほど恥ずかしいものでも……精一杯務めさせていただきます」
ラズは胸を両手でおさえて背を丸めていた。小柄な彼女が一層小さく可愛らしく見えた。
心の中で、ひとしずくの水の滴る音がした。
前を歩くラズを呼び止め、後ろから抱き締めた。右の耳元に息を吹きかけると「きゃっ」と声を上げた。
「今から、僕がいいって言うまで声を出すのを我慢して。いい?」
びくっと体を震わせ、従順に「はい」と答えた。息遣いが跳ねるように変わった。
僕はラズの右耳を唇で軽く挟んだ。彼女はたまらず吐息を漏らした。僕は何度も繰り返した。
「声が出てるよ。ちゃんと我慢して」
「……はい」
漏れるのが吐息だけになった頃、今度は甘噛みを加えていった。
「ほらまた。声を我慢して」
「うう……は、はい。……んん、んっ」
「じゃあ反対の耳もするよ」
「え? あ……はい」
左耳に息を吹きかけ、同じように唇で挟み、頃合いをみて甘噛みを繰り返した。
「ひゃう♡」
「左耳が感じるんだね。じゃあ、入念にしてあげる。でも、声を出しちゃだめだよ」
「そんな……」




