行っちゃだめ
人間は恋をする、そして愛し合う。でも淫魔は恋をしない。恋させたとしても、自ら恋に落ちることはない。そもそも、恋する感覚さえない。
愛というものも曖昧。愛に相当する感情があるかどうかも定かじゃない。
その常識を初めて壊したのが、お母様だった。最強の淫魔と呼ばれるお母様は吸血鬼の男性と恋をした。愛し合い、受胎した。そして私が産まれた。
――私にも、その感覚はあるの?
「ううっ……ああ、だめええ」
意識がはっきりしない。体が悲鳴をあげてる。体がぐしょぐしょに濡れてる。
ああ、体がまた――びくんびくんって。
恋じゃない。愛でもない。だったら、旦那様を想う今の私の気持ちは何なの?
狩りをするにも生身の体で行為を愉しんでいるお姉様たち。私はそんな風にできない、気持ち悪いの。
旦那様のことになると、私の心はゆらゆら揺れる。怖いとうれしいが、不安と幸せが、いっぺんに襲ってくるの。
「苦……しい…………旦那……様ぁ」
「ラズ、僕はどうしたら……」
何かしてほしいわけじゃない。胸が苦しいの。息が苦しいの。でも、体はひどく気持ちいいの。
何か方法はないかって、旦那様は辺りを見回してる。違うの、探さないで。このまま毒が切れるまで、どうか私を見守って。
「魔石が光ってる。もしかして、魔力が漏れ出してるのか? それなら……」
旦那様は剣に嵌め込まれている魔石を私の体にそっとあてがう。光が強くなる。けれど何も起こらない。私は変わらず苦しいまま。
「くそっ、どうしたら……。そうだ、魔力を何かに移すことができれば」
お願い、探さないで。傍にいて、私を見て。
「さっきこの町を歩いていたとき、ここの数軒隣に確か魔道具屋があった。あそこならきっと魔力を吸い取る道具くらい売っているはずだ。今から急いで行ってくるよ!」
お願い、行かないで。私は大丈夫だから、ひとりにしないで。
伝えたいのに声が出ない。脳まで蕩けそうになってて、体が言うことを聞かない。口には旦那様の血の味が広がって、全身の細胞が感動に酔いしれてる。
「すぐ戻るからね!」
多分、旦那様の判断は正しい。私の体から不正に漏れ出してしまっている魔力を処理できれば、この状態異常を和らげることくらいならできるはず。毒を吸い出すように魔道具に魔力を移す方法なら、誰にでも簡単にできるし一番有効な方法だと思う。
だけど、私が言いたいのは解決法のことじゃない。あの岩山から飛び立って、そのすぐ後から、ずっと嫌な気配がしてるの。もちろんお母様のものじゃない。お父様のとも違う。
振り切ろうと私はできる限り速く飛んできた。その気配が、この町に入る少し手前で不自然に消えた。
魔力の放出を伝える【魔力振】。
魔族同士はそれを感じることができる。人間の魔術師でも感じられる個体はいる。魔力振の主に敵意があるかないか、ある程度は判別できる。私が感じた魔力振は、完全に前者の方だ。
(行っちゃだめ……。ひとりでは絶対に!)
伝えたいのに、できない。旦那様は部屋を出て行ってしまった。
もし旦那様の身に何かあったら、もし誰かに傷つけられたりしたら――。
不安でたまらないのに、旦那様の毒に支配された私の体は悦ぶばかり。たとえ私が魔族だとばれて宿を追い出されたとしても、今すぐにでも飛んで追いかけて行きたい。最高速で旦那様の元へ。
脳内でイメージばかりが完成したって、指ひとつ満足に動かせない。あまりにも強い媚薬の威力。このまま夢見心地でずっと快感に身を任せていられたら。
だめ、行かないと。旦那様を追いかけなきゃ。だって、あの魔力振に感じた敵意には怨念に近いものを感じた。それに、敵意と言うより悪意に近い。
「あう…………だん……な……さま」
喘ぎながら、やっと声が出せた。何分くらい経ったのか、頭がぼうっとして全然分からない。手を動かそうとすると、わずかに指だけは動かせた。
けど、人差し指がシーツに擦れた瞬間――。
「やああっ……ああ……」
たったそれだけで、また意識が朦朧とする。気持ちいい、すごくいい感じ。だめなのに、もっとほしい。
旦那様の姿を思い浮かんで――。
「ああああああ!」
ひとりぼっちの部屋の中で、私は何をしているの? 私の声だけが情けなく響いている。シーツに滲んでいく私の本性。なのに――はしたない自分を、なぜか許してしまっている。
だめ、媚薬に心を持っていかれては。
そのとき捉えたのは――。




