体裁
「そんな、旦那様……。私とあんなに激しく唇を求め合ったじゃありませんか! しかも2回も……」
「お嬢ちゃん、そりゃ本当か?」
「はい。今夜その続きをするよう命じられております。ですから私は誠心誠意、旦那様にご満足いただけるよう精一杯務めさせていただく所存です」
(ちょっと待って……。命じたんじゃないってば。でもこの状況じゃ、言っても信じてもらえそうにないかも……)
ボルガに軽蔑されてしまう――。
「あっはっはっは! ぼっちゃんも隅には置けませんな。まさか魔族を虜になさるとは、たいした色男じゃありませんか」
「へ?」
受け入れるにしても早すぎる。ボルガは昔から僕を気に入ってくれているし、特別目をかけてくれてもいる。でもそれにしたって、すんなり受け入れていい話ではないはずだけど。
「ちょっと待ってよ。人間が魔族と一緒にいるってだけでも問題あるのに、僕はそんな楽観的にはなれないよ」
「何をおっしゃいますやら。従魔ならば別に構わんでしょう。それに、このお嬢ちゃんからは邪気が全く感じられん。本気でぼっちゃんを好いておるように見えますぞ」
「いや、だからって、それでこの先うまくやっていけるかどうか……」
僕が言葉を詰まらせていると、ボルガは目を伏せて穏やかな声で言った。
「ぼっちゃんは昔から世間体を気にしすぎですよ。形はどうあれ、居たい相手と一緒に居るのがいつでも最善だと思いますがね」
それは確かに彼の言う通りかもしれない。僕は今でも体裁を重んじるところがある。貴族として教育されてきたせいか、その癖が残っているのだと思う。
でも、家を失い、身内を失い、今さら僕は何を気にする必要があるんだろう。考えてみればそんな制約はない。自由な身なんだ。けれど、僕はまだそれを持て余してしまっているのかもしれない。
長い沈黙がやってくる――と思ったら、ラズが突然ボルガに話を切り込んだ。
「人間の男性と従魔のサキュバスが寝食を共にするのは、やはり異常だと思われますか?」
僕は息を飲んだ。いきなりの告白に何と言えばいいか分からなかった。さすがのボルガも許容してくれないだろうと思ったからだ。
けれど、それは杞憂だった。
「異常かどうかはおふたりさん次第だろう。捕って食おうというなら、とっくにぼっちゃんの精気を吸い尽くして殺しているはずだ。今そうなっていないなら、心配いらんということだろうさ」
「私が……半分はバンパイアの血を受け継ぐ特殊個体だとしてもですか?」
ボルガはほんの一瞬だけ顔を強ばらせた。小さなため息をつき、ゆったりとした口調で答えた。
「それは大事なことなのか? 種族がどうとか出自がどうとか、社会はいちいち偏見を好むが、おふたりさんはそこを気にしているのか?」
「私は気にしていません」
ラズはきっぱりと言い切った。その眼に一点の曇りもなかった。
「ぼっちゃんはどうなんです?」
「僕は……。気にならないと言えば嘘になるかな」
これは素直な気持ちだ。もちろんラズを拒否して言っているわけではない。
普通に考えれば、サキュバスにしてもバンパイアにしても、人間はその餌に他ならない。一般論で語るなら奴隷はむしろ僕の方で、行動を共にしていれば世間から「悪魔が侵略しにやって来た」と言われてもおかしくない。
ラズは普段人間の姿で行動しているけれど、ボルガのように正体が魔族だと勘づく人もいるだろう。悪魔祓いに目をつけられる可能性だってある。旅して回るにしても、安全な場所を探すことさえ困難だと思う。
「ぼっちゃんは正直なお方だ。それに、心配されているのはご自身の身ではなく、お嬢ちゃんの身の方ではないですかい?」
意外な言葉に感じた。でも、核心だった。
出会ったそのときから、僕はずっとラズの身を案じている。初めは人間族の少女としてだった。だけど今は、自然にラズという存在そのものを案じている。
「……うん。そうだと思う」
「旦那様……」
ラズが頬を赤くして顔を近づける。胸で両手をおさえて、目を潤ませて、上目遣いで。
「とてもうれしいです。ラズは果報者です。私はエルヴェ様に絶対服従を誓います」
その姿があまりにも愛らしくて、僕は彼女に見とれてしまった。まわりにあるはずの音や匂いが、まったく感じられなくなるほどに。
どれくらい見つめ合っていただろう――。
ボルガが「こほん」と咳ばらいをするまで、僕はそうしていることにさえ気がついていなかった。
「イチャつくのは他所でやってくれますかい?」
言われて、急に顔が熱くなった。ちらりとラズを見たら、彼女も同じ反応をしていた。
(これじゃ、付き合ったばかりの恋人みたいじゃないか)
ボルガの顔を窺ってみたら、頬杖をついて呆れ顔をしていた。そんな様子にだめ押しするかのように、ラズがうっとりした表情で、また誤解を生むようなことを言った。
「夜まで待ちきれないかも……」




