17 星を送る
遺跡に火が灯り、空が赤く染まる。
七日にわたった「星見の祭典」も、いよいよ最終日だ。昼の熱を忘れさせる涼風に乗って、香料と焼き菓子の甘い匂いが漂っている。人々の声と楽師の奏でる笛の音の中、ナディアは遺跡の中央へ向かっていた。
華奢な平靴を紐で膝のあたりまで編み上げられているので、歩くだけで足がギリギリと締めあげられる。白を基調とした長衣は薄布が幾重にも重なり、夕陽を受けて淡い桃色の光を返している。髪の毛にもなにやら重い飾りをつけているせいで、動くたびにしゃらしゃらと金属の擦れる音がする。
儀式までは顔を見せない習わしだとかで、頭からは薄い布をかぶっている。
そんな服装だから否が応でも目立ってしまい、たった数歩であちこちから「巫女様だ」とか「今年はあの子なのね」なんていう声が聞こえてくる。
日暮れ後に行われる儀式まで目立たないように隠れておけばよいのだろうが、こうして人目に晒されてでも行きたい場所があった。
剣舞の奉納だ。
遺跡の一角に設けられた舞台の周囲にはすでに多くの観衆が集まっている。人の頭の隙間から何とか覗いた舞台の中央にタリクが立っていた。
笛と太鼓の音が響く中、目を閉じて静止している。黒地に銀糸を縫いこんだ上衣は砂漠の夜空を思わせ、腰に佩いた半月刀の鞘が松明の炎を弾いている。
音が消えた。
静寂の中に、タリクが息を吸い込むスゥという音が落ちた。
スラッ。
手に持った半月刀の鞘から剣を引き抜き、その場で回転する。風を裂く音が空気を震わせる。放り投げた剣を空中で持ち替え、高く跳躍したかと思えばピタリと止まる。長い服の裾がひらりひらりと舞い、その足元で砂粒が渦を巻く。刃が夕空を割くたびに、赤い光が散る。
観衆が息を止めているのがわかった。ナディアも同じだった。その場に響くのは、風を裂く刃音と彼の静かな息遣いだけ。
やがて剣が最後の一閃を描いてギンと地を打った。
一瞬の沈黙のあと、割れんばかりの歓声がそこかしこから噴き出した。
ナディアも手のひらが痛くなるくらい拍手をした。
友人として、彼の素晴らしい演技を誇らしく思った。この場にいる全員に「あの人は私の友達なんだ。剣舞が上手なだけじゃなくて、優しくて、素晴らしい人なんだ」と言いふらして回りたくなるような気持ちだった。
――でも、言いふらすまでもなく、皆知ってるんだよね。王子だから。
歓声に応えて手を上げるタリクを見つめながら、ナディアの胸がぎゅうと鳴る。
――彼が王子だなんて、最初からわかってるのに。
普段よりも彼の地位を強く意識してしまうのは、彼の剣舞や衣装のせいだけではなかった。王都以外からも多くの人が集まる場だからと、舞台の周囲には護衛の姿が複数見える。
護衛の外側に王族、その外側に観衆、そしてそのさらに外側に立つ自分。
――遠いなぁ。
さざめくような余韻の中、タリクが舞台を降りる。
巫女の服を着ているせいだろう。すぐにこちらに気づいたらしく、手を上げて歩いてくる。
人だかりをかき分けてナディアの隣に来た彼は上気した顔をしていた。息を整えながら「どうだった?」と問うてくる。
「……すごかったです」
ため息とともにそう漏らすと、タリクは微笑んだ。
「君にそう言ってもらえて嬉しいよ」
頭から被せられた薄い布を隔てて数秒間見つめ合う。
「……今日はあの便利な術をかけてくれないのか?」
「あ、汗の、あ、はい」
慌てて汗を乾かす術をかけた。
砂漠のせいで魔力の調整がうまくいかず、まごついてしまった。
「やはり便利な術だな。私も覚えたほうがい――いや、君に頼めばいいか」
「はい。お安い御用です」
「君はどうやって覚えたんだ?」
「母の看病です。眠っている人の体を拭き清めるのは骨が折れるので」
「……なるほど」
納得した様子で頷く。
「店はもう見て回ったか?」
「いいえ。ちょうど剣舞が始まる直前に準備が終わったところなので」
「ならば少し歩いてみないか。星の祭典は初めてだろう?」
「はい」
さっきまで遠く感じていた人がすぐそばにいる。いつもの声で話し、いつもの歩幅で隣を歩く。
剣舞を見ているうちに胸に積もった畏れのようなものが薄れていく。
「そんなに肩に力を入れてると本番までにバテるぞ」
「でも、この服装で普通にしているなんて無理です」
そう言いながら、ナディアは自分の頭に手をやった。飾りがしゃらしゃらと揺れる。重い。
隣を歩くタリクを見た。
彼のほうはナディアと違って堂々としたもので、特別な衣装を纏っていることで気負う様子もない。
彼の護衛に囲まれ、人でごった返す道をゆっくりと進む。四方からは「タリク殿下だ」「剣舞すごかったね」「やっぱり目立つなぁ」「巫女様と一緒だ」なんていう声が聞こえてきている。
香辛料をまぶした串焼き肉、透き通った飴細工、極彩色の織物。魔石のレプリカまで売られている。それを想い人に渡して告白するのが最近の流行だと、先日グループ課題の学生たちが話していた。
「準備でロクに食べていないだろう。儀式の前に軽く腹ごしらえをしておくか」
「いえ……」
衣装を汚してしまっては大変だし、緊張で喉を通りそうもない。
そう思って首を横に振ったときだった。
「フィオ、どうしたの?」
人ごみの中からそんな声が聞こえて、ナディアは振り向いた。
人の頭三つ分くらい向こう、人の隙間にフィオレンシアの姿が見えた。晴れた空のような色の服を着ている。だが、その美しい服には不釣り合いな悲しい表情をしている。
「ごめんなさい、やっぱり私……帰らなきゃ。屋敷を抜け出してここに来ているってお父様に知られたら……」
「でも、せっかくの思い出作りなのに。働き出したらこんな風に皆で集まる機会なんてなくなっちゃうでしょう? 幻影を部屋に置いてきたから大丈夫よ」
「でも……」
どうやらハサン卿の言いつけを破ってここに来ているらしい。
先日の会話を聞いてしまった手前気まずくて、ナディアは身を小さくした。
――頭の飾りが向こうから見えませんように。
そのときだった。
食べ物や、たくさんの魔力の匂いに混じって、嗅ぎ覚えのある匂いがした。
――お母さん
違うことはわかっている。母がこの場にいるはずはない。ということは――
ナディアは慌てて人をかき分けた。
――ハサン卿が近くにいるって、フィオに知らせなきゃ。
髪飾りが誰かの服に引っかかるのも構わず、左右から迫る人壁をぎゅうと押して進み、フィオレンシアの全身を視界にとらえた。それとフィオレンシアが大きく息を呑んだのが同時だった。彼女の視線の先に誰がいるかは確かめるまでもなかった。
ナディアは思いついた順に術を唱えながら指を動かした。幸い顔を布で覆われているおかげで、口の動きで周囲から怪しまれることはないだろう。
フィオレンシアの髪の色、睫毛の長さ、鼻の高さ、耳の形、唇の厚さ、ドレスを順に変えていく。
この間、数秒。
彼女の隣にいた友人が驚いて変な声を上げたが、こちらもハサン卿の存在に気付いたらしく、口をつぐむ。
術をかけ終えたナディアは、ようやくフィオレンシアの視線の先を見た。
白髪を後ろに撫でつけた男性が立っていた。
彼の位置からはフィオレンシアの姿が見えているはずだが、視線を留めることなく、スタスタと歩き去っていく。
フィオレンシアの友人が彼女に何か囁く。固まってハサン卿を見つめていたフィオレンシアは、それでようやく自分の容姿が変化していることに気付いたらしい。体を見下ろしてドレスに驚き、髪の毛に驚き、きょろきょろと視線を動かして――ナディアを見た。そして得心したように息を吐き、眉尻を下げた。
『あなたの仕業ね?』
彼女の唇がそう動く。
『ありがとう』
とも。
少しして、彼らは人波のなかに消えて行った。できるだけ長く術が持続するように、いくつかの似たような術を重ね掛けて見送った。
ナディアは深く息を吐いた。
緊張のせいか、指先が冷たい。
「……お見事」
いつのまにか隣にいたタリクが静かに呟いた。
「変身の術はまだ習っていないはずでは?」
「あれは変身術ではなく、変装術の組み合わせです」
「……なるほど、少しずついじったのか。さすがの機転だ」
ナディアは頷きながらギュウと拳を握った。そして開く。何度かその動作を繰り返し、感触を確かめる。
「……ナディア?」
タリクが窺うような視線を寄越した。
ナディアは「大丈夫です」の意で微笑んで見せた。
*** **
星送りの刻がきた。
遺跡の中央、祭壇に立ったナディアの足はかすかに震えていた。人々を見下ろす高さのせいもあるが、それだけではない。この儀式の重みを知っているからだ。
星はナフリア建国以前から信仰の対象だ。人は死ぬと星になり、砂漠の道標として地上の人々を守ってくれると信じられている。星送りの儀は、その年に亡くなった人の魂を空へと還す儀式なのだ。
儀式の始まりを知らせる笛の調べが響き、ナディアは顔を覆っていた薄布をそっと取り払った。どこかで誰かが息を呑む音がした。
自分に皆の視線が集まっているのがわかる。
視線には様々な感情が込められているだろう。たぶん、ナディアの失敗を願うものもあるはずだ。それでも、少なくとも一対だけは、本心からナディアの成功を願ってくれている。そう信じられる。
ナディアは深く息を吸い、首から下げていた宝石を外した。細かく刻まれた面が星の光や松明の灯りを弾き、キラキラと輝いている。その石を平たい杯にコロリと入れる。薄く張った水に石が浮き、揺れる。ナディアは両手で杯を持ち上げ、夜空に掲げた。
会場は静まり返っている。
頭上に杯を掲げたまま、ナディアは大きく息を吸い込んだ。
「遺されし者よ、嘆くなかれ。
彼の歩みは星に刻まれた」
拡声の魔術で音量を増した声が夜空に響く。
周囲からすすり泣くような声が聞こえてくる。
と、視界の端がじわりと暗くなった。
――あれ?
ナディアは目をしばたたいた。やはり暗い。
儀式の練習のために、このところ睡眠不足だった。そのせいだろうか。体が重い。杯を掲げる手が震える。
でも儀式を止めるわけにはいかない。
「骸は砂に還り、
魂は夜空へと昇りゆく」
足の感覚がなくなった。
頭の中に砂が詰まっているようだ。
その場にしゃがみこんでしまいたい。
――ダメ。もう少し。最後まで耐えなくちゃ。
「天と地を結ぶ光よ 。
我らが仰ぐ空を照らし、
地上の未来を……守り給え」
無事に言い終えた瞬間、歓声が夜空を震わせた。
夜空に掲げていた杯を台座に戻し、巫女の役目は終わりだ。
――よかった。
それしか考えられなかった。
手が震え、歓声が遠ざかり、視界が黒く塗りつぶされた。
体がぐらりと傾ぐのがわかった。
「ナディア!」
吠えるような声がした。




