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不機嫌殿下の溺愛生活は期間限定!?  作者: 奏多悠香


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16 夢

『お前さえいなければ』


 ――ああ、夢だ。またあいつの。


 夢だとわかっているのに、どうすれば目を覚ませるのかわからない。


「ひどい出来だった」


 旧校舎の廊下に、そんな消沈した声がぽつりと落ちた。


「まぁ、また練習すればいいさ。あまり気にしすぎるな」


 タリクは隣に立つ少年にそう話しかけた。声変わりの途中の、妙にかすれた声が出た。少年はこちらをチラリと見たが、答えない。落ち込んでいるのだろう。さきほどの授業で少年は教室の薬棚を吹き飛ばしたところだった。


「ちょうど練習室を予約してあるんだ。この後どうだ?」


 そう声をかける。返事はないが、足を止める気配もないので一緒に来るのだろう。

 タリクは彼を伴って魔術練習室に入り、扉を閉めた。


「どうする? 気分転換に別の術をれんしゅ――」


 振り向こうとした瞬間に迫りくる気配に、タリクは体を反転させて両手で術印を結んだ。咄嗟に出たのは、かけられた術をそのまま術者に返す防御魔術だ。すぐ近くにいた少年が横に吹き飛び、華奢な体が壁にたたきつけられる。


「なにを……」


 タリクは呆然としながらも少年に歩み寄った。

 差し伸べた手は、バシンと音を立てて払いのけられた。


「なにが『気にしすぎるな』だ。生まれながらにすべてを与えられた人間に、君なんかに、僕の気持ちなんて、努力の重さなんてわかるものか」


 努力の重さなら知っているつもりだ。放たれた術を無意識に返せるようになるのに、幼い頃からどれだけの鍛錬を積んできたか。

 腕を押さえて呻き声を上げる彼を見ながら、タリクの心は急速に冷えていく。彼が今受けている痛みは、彼がタリクに与えようとしたものだ。


 ――そんなにも憎まれていたのか。いつからだ。なにを間違った?


 少年は腕を押さえてゆらりと立つ。幸いにも、怪我をしたのは利き腕ではないようだ。それにホッとしてしまっている自分に、かすかに苛立つ。

 少年の青い瞳がタリクを見据える。にらみつけるような彼の目を見つめ返しながら、タリクは口を開く。


「やめろ。今やめれば、さっきのことは誰にも話さないから」

「うるさい!」


 二度目の攻撃は弾くだけにして、彼には返さなかった。

 「命を守るために」と幼いころから教え込まれた術を初めて実戦で使った。その相手は、つい先ほどまで一番親しい友人だったはずの相手だった。

 少年はまだ攻撃を続ける。

 呟く術の強さが、 自分に対する恨みの強さを思い知らせてくる。


「もうやめろ」


 練習室は術が外に漏れるのを防ぐ作りになっているが、通りがかりに小窓から覗いた学生が事態に気づいて走り去るのが見えた。遠からず人が来る。


「頼むからやめてくれ」


 懇願も彼には届かない。


「やり返してこいよ!」


 少年が吠える。


「……そんなことはしない」


 できるものか。友人だ。少なくとも、自分はそうだと思っていた。


「僕を馬鹿にしているんだろう! 見下しているんだろう! 君はいいよなぁ! いつも軽々と僕の前を歩いて行く! さっきも僕が誤って吹き飛ばした薬棚と薬瓶をいとも簡単に止めてみせた。腹の底で僕を嗤っているんだろう!」

「ちがう――」


 ――違う、あれは、割れた瓶が誰かに――君にも――当たったら危ないと思ったんだ。それが君を傷つけるだなんて思わなかったんだ。


 そう続けようとしたが、友人はもうタリクを見ていなかった。手をだらりとおろし、虚ろな目をしていた。


「退学する。退学するんだ」


 彼はそう言って笑った。

 場違いな笑い声が恐ろしかった。


「父が失敗した。投資に。学費が払えない」


 タリクは息を呑んだ。


「奨学金の条件、ひとつだけダメだった。なにかわかるか?」


 タリクは首を横に振った。

 が、彼に見えていたのかはわからない。


「『五位以内』。僕は六位だ。なぜかわかるか? わかるよな?」


 虚ろな目がこちらを見た。そして急に焦点が合った。


「学費なんて心配したこともなければ、この先一生心配することもない人間が三位なんかにいるせいだよ」


 彼の名を呼ぼうとした。が。声が出ない。喉をぎゅうと絞り上げられているようだ。


「僕の努力に意味なんかあるのか? あったのか? 出発地点の違う人間と競わされて、優劣をつけられてさ。それでも追い越そうともがいて、もがいて。だけど見ろよ、全部失うんだ」


 彼の瞳は揺れていた。


「いいよなぁ、王子様は。突っ立ってるだけで周りが勝手に道を拓いて導いてくれる。おまけに母親は伝説の魔術師だ。魔術団から派遣されてくる講師は君の母親を崇めてる。そりゃあお前に悪い成績なんかつけないさ。なのにお前は、まるでそれを自分の努力で得たものみたいに勘違いしてるんだ」


 反論できなかった。


「お前が僕から奪ったんだ。お前のせいだ。全部、全部」


 彼の繰り出す攻撃魔術のひとつでも食らった方が溜飲が下がるのだろうかという考えが頭をよぎったが、それもきっと、どうしようもなく傲慢な考えなのだろうと思い直した。それに、王子に怪我を負わせたとなれば彼の罪が重くなる。


 ――もう十分だ。傷つけたいなら成功だ。だから終わりにしてくれ。頼むから――


 バン、と練習室のドアが吹き飛んだ。

 駆けつけた教授に拘束され、彼はその場から引きずられるように去った。「お前さえいなければ」というひと言を残して。


 ゆっくりと意識が浮上する。巣箱の丸い穴の外はまだ暗い。

 ふぅ、とタリクは細く息を吐いた。意図せず「チィ」と小さな声が漏れる。

 学院に入学して間もない頃、親しくなった友人がいた。彼には才能があったし、努力家だった。互いに切磋琢磨して過ごした。少なくとも、そのつもりだった。

 彼は練習室での一件のあと、すぐに学院を去った。彼の学費を確保する手段がないかと両親に掛け合ったが、二人とも首を横に振った。「練習室での一件がなければ方法はあったかもしれないが」と。以来一度も顔を合わせていない。


『お前さえいなければ』


 記憶の底から時折顔を出すその言葉が、繰り返し心を切りつけてくる。

 チィ、とまた声が漏れる。

 巣箱を這い出して屋根に乗り、星を見上げた。丸まって眠っていたせいで体が少しこわばっている。前足を前に押し出し背を反らせて伸びをしながら、巣箱のすぐそばにある窓を見る。ナディアの部屋だ。もう灯りは消えている。


『私……この学院に来て、殿下に出会えてよかった』


 ナディアの声が、脳裏にまとわりつく少年の声をかき消してくれる。


 ――私のほうこそ君に出会えてよかった。


 そう口に出したら友情以上の意味が滲んでしまいそうで言えなかった。


 ――もう少し眠ろう。


 長いしっぽでバランスをとりながら巣箱の中に戻り、四肢を折りたたんだ。


*****


 ナディアは目を覚ました。瞬きをする。窓の外にはまだ星が見える。


 ――夢……?


 それにしても不思議な夢だ。あの少年はナディアに向かって「タリク」と呼びかけていた。他の人視点の夢なんて初めて見た。

 そう考えてハッとした。


『絆が強まると思考を共有する瞬間ができます。使い魔と同じ夢も見ますよ。私はラットを丸のみする夢を、ときどきね』


 授業で使い魔の蛇を撫でながら、先生がそう言っていた。


 ――もしかしてさっきの夢は殿下の……?


 単なる夢だろうか。それとも、夢じゃなく本当にあった出来事だろうか。

 前にフィオレンシアが言っていた「仲のいい友達」というのが、あの少年なのでは、という気がする。

 授業で本気を出すことを避けていたり、ハサン卿のことで「苦労や努力は人を歪ませる」と語ったり、フィオレンシアと練習室で二人きりになったことを叱ったり、という彼のこれまでの言動がその経験によるものなのではないかと、思わずにはいられない。

 寝不足のまま朝を迎え、タリクと顔を合わせた。が、「もしかして男の子の夢を見ました? あれは過去に本当に起きたことですか?」なんて問えるはずもない。

 ナディアは努めていつもと変わらない朝を過ごした。

 その日の防御魔術の授業で漏れ聞こえてきた「えっフィオ、星見の祭典行けないの?」「そうなの。ごめんね。巫女に選ばれなければ祭典には行かせないとお父様に言われていたから」という会話で、なぜ避けられているかわかった気がした。


 ――もうフィオとは話せないかもしれないな。


『お前さえいなければ』


 夢の中のあの少年の言葉が、頭にこびりついていた。


*****


 そして迎えた課題提出日、ナディアは分厚い束になったレポートを教授の机に置いた。教室のあちこちから「やっと終わったー」「ホッとした」「今夜はよく眠れそう」「大変だったね」なんて声が聞こえてくる。

 ナディアにはそんな言葉を交わす相手はいない。が、スナネズミが「チチチチチチ」と鳴いて労ってくれる。

 提出が終わり、皆が席に着いたところで教授がおもむろに紙の束を取り出した。


「これから小考査を行う」


 教室がどよめいた。

 ナディアも驚いた。予告はなかった。抜き打ちだ。


「心配はいらない。課題に関する内容だ。課題にきちんと取り組んでいれば簡単に解ける」


 ナディアの肩の上で、スナネズミが体を左右に揺らしながら「チッチチッチチー」と鳴いた。やけに弾んだ鳴き声だった。「ザッマアッミロー」に聞こえたけど、気のせいかもしれない。

 小考査の結果はすぐに出た。

 教授は手元の解答用紙をめくり「ふむ」と低い声を出す。


「同じ班の中で正答率に大きな差が出ているところがあるようだな」


 レポートの束をめくってひとつ引き抜くと、再び「ふむ」という。


「このレポートは一人分の筆跡で書かれている。小考査で満点をとったのと同じ筆跡だ。つまり、こういうことかな? グループ課題を誰かひとりが担った、と。言い方を変えれば、担わせた、と」


 ナディアと同じグループの学生たちがそわそわと椅子に座り直す。


「反論があるなら聞こう」


 教授の口調は淡々としている。

 教室はシンと静まり返っている。

 グループの学生たちの「君がとりなしてくれ」と言いたげな視線を感じたが、ナディアは口を開かなかった。


「君たちはここに何をしに来ているんだ? 魔術団入団を目指して学んでいるんじゃないのか? 誰かに課題を押しつけ手柄だけ得ようとする人間が魔術団に必要か、そんな人間に国の重要機関に勤める資格があるか、よく考えるんだな」


 グループの学生たちは下を向いた。

 ナディアは顔を上げて教授を見つめていた。


「学びたくないものは去れ。その手伝いならいくらでもしてやる。この教科の単位が得られると思うなよ」


 教授はそう言い残し、固い足音と共に去った。

 グループの学生たちは終了の鐘が鳴ってもまだ俯いたままだった。級友たちも「ナディアに押し付けて全部やらせたってこと?」「さすがにさぁ」と口々に言う。

 止める気にも参加する気にもなれず、ヒソヒソ声を縫うように教室を出た。


「……小考査のこと、知ってたんですか?」


 廊下を歩きながら小声で問いかけると、スナネズミは「チチチチッチッチチチチー」と楽しそうに鳴く。やはり知っていたらしい。

 その後、空き教室で人間に戻った彼はニヤリと笑った。


「あの授業の課題は例年小考査とセットなんだ。不正に厳しい教授だからな。確実にバチが当たると知っていたから、私からは何もしなかったんだよ」

「教授が小考査の話をしたとき『ザマアミロ』って鳴いてました?」

「当たりだ。よくわかったな」

「私も同じことを考えていたので」


 タリクが眉を上げた。


「君も言うようになったな。その意気だ」

 

 ナディアは彼の笑顔を見ながら口を開く。


「私、本当に、殿下に出会えてよかったです。殿下がいてくださってよかったです」


 もう一度伝えておきたかった。

 夢の中の少年のセリフを上書きしたかった。


「……ありがとう」


 タリクは先ほどよりも優しい目をして笑った。


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