6話 ~嫌われ男振られる~
パリオリンピックの卓球シングルスの日本代表、高比良 紫苑。
中学一年生の時に始めた卓球で、二年生の時には全国大会のシングルスでベスト8、三年生の時には優勝を飾り天才少年と持て囃された。
世界卓球選手権日本代表に史上最年少で選出され、初出場にして初優勝という前代未聞の記録を打ち立てた。
日本人史上最高の卓球選手といわれるほどの実力をもっていながら、非常にアンチの多い選手だった。
高校生にして中国の大手車メーカーとスポンサー契約を結び、年間十億円ともいわれる高額な報酬を手に入れた。
そして中国のマスコミに対しては、事あるごとに中国人選手や中国卓球界に対する賞賛を語り、SNSには中国の人気選手やタレントと食事をしている写真を度々投稿していることから、中国での人気も高かった。
一方、日本のマスコミに対してはほとんど口を開かず、取材に対しても代理人を通しての返答がほとんどだった。
日本代表合宿でも他の選手に比べて練習量は少なく、遅刻も多かったのでコーチとの仲は非常に険悪だった。
ネット上では生意気、偉そう、自己中、代表としての自覚が無い、日本に対する感謝が無い、中国の代表選手のようだ、などと書き込まれ負けることを望む声も多かった。
しかし高比良 紫苑は、自分の行いは当たり前のことだと思っていた。
中国の会社と契約を結び大金を貰っている以上は、中国を賞賛するのは当たり前のこと。
それによって中国の人々が満足し、スポンサーが満足するから高額な報酬を払ってくれる。普通に試合をして勝つ以上のことを果たすのが10億円に対する対価なのだと思っていた。
実際、中国人選手の卓球のレベルは日本人とは比べ物にならないくらいに高くて勉強になったし、世界大会で結果を出している紫苑に対するリスペクトも高いので満足していたし、スポンサー料増額の話もあった。
かたや日本のマスコミは好き勝手な記事を書き、勝手に写真や動画を使い、試合となれば群がって来て、中身のない質問を繰り返し、挙句の果てには碌な対価を支払うわけでもない。
スポンサーの報酬も中国と比べれば微々たるもので、むしろ契約による縛りを受けるデメリットの方が大きく感じ、日本の会社とは契約をしなかった。
オリンピックに関しても日本代表に選ばれることは名誉なことではあるが、自分はプロであって、部活動に参加しているわけではないと思っていた。
だからこそ練習メニューも、時間も、自分で決めるべきだと思っていた。みんなと一緒に練習すれば強くなるわけでもないし、長い時間練習をすれば強くなるわけでもないと思っていた。
しかも自分よりもはるかに下手くそなコーチが規則だ、決まりだ、協調性だと偉そうに言われるのが気に入らなかった。
世界大会で大した結果も出したことのない人間から、オリンピック期間の間だけの指導を受ける意味がわからなかった。
明日には男子シングルスの一回戦が始まるというこの日も、全ての対応を代理人に任せてホテルの中で美味しい食事をとり、エスプレッソを飲んだ後で自分の部屋に戻って来た。
人間の顔など見たくは無かった。
実際のところアンチコメントも、コーチの舌打ちも、他の代表選手の冷たい目線も気になっていた。しかし自分が態度を変えることも弱っている所も誰にも見せるつもりは無かった。
それはプライドが許さない。
現役中に稼げるだけ稼いで、南の島で美しい海を見ながら暮らすことを夢見ていた。
今は耐える時期、そう思っていた。
そうして飛び込んだ真っ白いベッド。違和感を感じてシーツをめくると、そこには白銀色の髪をした少女がいた。
「一体どうやって潜り込んだ?」
動揺していないふりをするために何とか声を出した。
「ねむい………」
こちらを向いた少女が目を擦っている。
心臓を直接素手で揉まれているかのような痛い鼓動。頭の中が真っ白になって言葉が出てこなかった。
甘い声。
そして少女の美貌があまりにも美しかったから。
輝くように白くて張りと艶のある肌、柔らかそうな唇、完璧なまでに整い、左右対象のその顔は人形か彫刻作品のように見えた。
「重い」
甘い声が脳をくすぐる。
上に乗っている腕を恨みがましそうな瞳は宝石のように美しい。少女が動いた途端に、ベッドから溢れ出した甘くて濃密な香りが脳を痺れさせる。
人工的な無機質な光は彼女の白銀色をした髪の毛を照らすことによって、世にも美しい光となった。
シーツに包まった下にあるのは裸体だろうか。
「結婚しよう」
自分の口からそんな言葉が出たことに自分で驚いていた。なぜ部屋の中に勝手に侵入していた少女に対してプロポーズをすると言う発想になるのか。なぜ脳を通さないまま声を出しているのか。
けれどその判断は正しい。
いますぐに結婚するべきだ。
取り消す必要を感じなかった。今まで結婚など意味の分からないものだとしか思っていなかったが、たとえ紙切れによる結びつきだとしても結びつきが欲しかった。
一緒にいたいから。
出来ることなら今すぐに抱きしめたかったがそれをすれば拒絶されることはわかっていた。歯が砕けるほど奥歯を噛みしめながら耐え、少女が応えてくれるのを待つ。
自分が今まで歩んできた人生はこの瞬間のためにあり、それはこの子も同じだ。オリンピックなど、もうどうでもいいとすら思っていた。今はとにかく一緒にいたかった。
「嫌」
あっさりと言った少女。
静寂。
心臓を突き刺されたかのように崩れゆく紫苑。
歪む表情。
ゆっくりと流れていく大粒の涙。
そして慟哭。
これが後に金メダルを獲得する高比良 紫苑と、白銀のサキュバス「ヤチヨ」との出会いだった。




