チャプター14
〜竜の紅玉亭二階 エルリッヒの私室〜
「さーて、本当ならお医者様に診せるところなんだろうけど、まずはお金のかからないところから始めますか」
命に別条はなさそうだと踏んでいるから、そこまでの焦りはない。まずはフォルクローレの体をじっと眺める。
「汚い……」
土煙の舞う山に一週間もいたのだから仕方ないが、衣類も体も、薄汚れていた。怪我の治療はもちろんだが、女の子としてこの様子はあまりにもいただけない。一度、全身を綺麗にしてあげることにした。
まず、井戸まで出向いて桶一杯の水を用意すると、それを部屋に運ぶ。そしてタンスからタオルを取り出す。
「さて、と。フォルちゃん、許してね」
相変わらずフォルクローレの意識が戻っていないことを確認すると、その衣服を脱がしていく。そして、水で湿らせたタオルで全身をくまなく拭っていく。すぐにタオルが黒くなるところを見ると、件の山はとても埃っぽい環境らしい。何度も何度もタオルを洗い、少しずつ綺麗にしていった。
「よし、こんなもんかな。背中側も綺麗にしたし。それにしても……」
改めてその体を見てみると、よくもと思うほど綺麗な体だ。これが怪しい調合や爆弾作りに精を出している娘のものとは思えない。思えば、先日の泉でもここまでまじまじと視界に収めてはいなかったのだから、知り合ってからしばらく、これが初めてのことだった。
「っとと、あんまり見てたら風邪ひいちゃうな。着替えさせないと」
空いてる寝間着をタンスから取り出すと、それを着せていく。これには少々骨が折れたが、なんとか着せることができた。これで一安心だ。
「怪我の程度も大したことなかったし、疲れが出たってところかなぁ。こりゃ、少し様子見かな」
先ほどまでの苦しそうな表情も和らいでいる。きっと、倒れてからここまでは急いで来たのだろう。暴走する台車の上にいたのなら、誰だって辛くなってしまう。
「もし起きてもいいように、ご飯を作っておこうかな」
布団をかけ、桶の中にタオルと脱がせた衣服を放り込む。こちらも汚れていて、洗ってあげないとダメだろう。そして、階下に持って降りる物をまとめると、もう一度ベッドのそばまで向かった。そして……
「……竜の、息吹だよ」
一瞬の躊躇の後、寝息を立てるフォルクローレの唇に、ゆっくりと己の唇を重ねた。
「っ。柔らかいな」
それは、人の姿をした竜王族の口づけによって起こる奇跡とされるもの。人の生命力を増幅させると言われているが、実際に使ったことはなく、元気にさせることができる能力、くらいの認識しかなかった。だから、信憑性のほども含めて、ただの気休めだった。
それに、女の子同士でこんなことを、という抵抗もあった。だが、気休めでも何もしないよりはマシだろうと考えた。もし、これが元気になるきっかけにでもなれば、友達としてこんなに嬉しいことはない。
「元気になってよね、フォルちゃん」
特に変化は見られないものの、悪いことはあるまいとそのまま桶を手に階段を降りていった。
〜夕方〜
二人分の夕食の支度が終わる頃、階段を降りる足音が聞こえてきた。
「! フォルちゃん!」
無事に目を覚ましたのか。慌てて火を消し、階段に駆け寄る。階段を見ると、寝間着姿のフォルクローレがゆっくりとした足取りで階段を降りていた。まだ本調子ではないのか、いつものような元気さは見られない。それでも、こうして目を覚ましてくれたことが、嬉しかった。
「あ、エルちゃん。何があったかわからないけど、大体は察しがつくよ。多分、途中であたしが倒れちゃって、あの二人が伝言通りにここに連れてきてくれたんだね」
「そう……だよ。いろいろ言いたいことも聞きたいこともあるけど、今はご飯食べて、しっかり休んで」
きっと、安堵でひどい表情をしていることだろう。あまり多くは語りたくなかった。だから、言葉の代わりに、しっかりと抱きしめた。
「ちょっと、エルちゃん?」
「もう、あんまり心配かけないでよね」
ただ一言、この一言だけはと、伝えた。フォルクローレの顔を見ないよう、気をつけながら。
「あー美味しかった。相変わらず美味しいねえ。こりゃ、怪我も疲れも吹っ飛ぶってもんだね」
「ありがと。でも、まだ顔色が良くないぞ? もうちょっと、ゆっくり休みなよ。ここで無理を重ねたら、治るものも治らなくなるからね」
温かい食事を終え、二人はカウンターでのんびりとくつろいでいた。とはいうものの、フォルクローレが本調子でない以上、あまりこの一週間の話はしないほうがいいだろう。まして、シュベルトとヴォーテンへの護衛料を立て替えたなどと、今言うべき話ではないような気がした。
だから、会話は自然と当たり障りのないもになった。
「それに、本当なら銀貨50枚はもらうところだからね」
「まほっ! それって、ここのメニューのどこにもない値段じゃん! い、いいのかな、そんなん作ってもらっちゃって。それよりも、ごめんね。あたしのせいでお店休みにしちゃって。多分、そういうこと……なんだよね」
少し申し訳なさそうな表情で瞳を伏せる。フォルクローレが時折見せるこういう表情には、本当にドキッとさせられる。最初に会った時の辛辣な物言いも、今となっては想像もつかない一面だが、どちらも普段のあまりに気楽な性格からはとても結びつかない。
そういう一面を見せてしまうほどに、今は平静ではないということなのだろう。それは、友人として何としてでも解消してあげたいと思った。
「ほら、今はそんなの気にしなくていいから。フォルちゃんだって、友達が倒れたら、全力で助けようとするでしょ? 私だって、同じだよ」
「そっか。ありがとね。あぁ〜、なんか、お腹いっぱいになったら眠くなっちゃった。また、ベッド借りてもいい?」
もちろん、とだけ伝えると、明かりを持たせて二階へと連れて行った。さっきまで意識を失っていたのだ、階段で倒れでもしたら大変だ。しっかりと、ベッドで横になるまで見届けなくては安心できない。
「も〜、あたし病人?」
とはフォルクローレの弁だが、エルリッヒに言わせれば似たようなものである。文句も反論も、今は一切受け付けない。いつでも後ろから支えられるように、フォルクローレを先にして、二人は階段を上った。
「ふふ、なんだかエルちゃんお母さんみたい。ほとんど記憶はないんだけどね」
無事ベッドに入ると、そんなことを言う。年齢的にはご先祖さまでもちょうどいいくらいだが、今の献身がそのように受け止められているのは、なかなかに嬉しかった。
「私も、母様の記憶はないよ。小さい頃に死んじゃって。でも、フォルちゃんがそう思ってくれるのは、嬉しいな。それじゃ、私下を片付けてくるから、しっかり寝るんだよ」
「はーい」
気の抜けた返事に、思わず心が温かくなる。去り際、
「本当、ありがとね」
という声が小さく聴こえた。伝えたいような、聞かれたら恥ずかしいような、そんな微妙なさじ加減の一言だった。聴こえないふりをするのがいいのかもと、あえて反応はしないでおいた。
(こっちこそ、ゆっくり触れ合えて楽しいよ)
そして、思わず口の端が緩むのを感じながら階段を下りていく。夜はまだまだ始まったばかりだが、フォルクローレが休んでいるのだから、食器を洗う音も気をつけなければならない。そんなことを考えながら、キッチンへ向かった。
綺麗に平らげられた皿を見ただけで浮かぶこの不思議な気持ちを消化しながら、皿洗いを始めるのだった。
〜つづく〜




