チャプター15
〜竜の紅玉亭 夜〜
食器を洗い、明日の洗濯に備えてフォルクローレの着ていた衣類を下洗いすると、エルリッヒもそろそろ寝よかうと部屋に戻る。
そして、寝間着に着替えて髪をほどくと、ベッドの前ではたと考え込んでしまった。
(寝床、どうしよう)
いくらなんでも、床で寝ることは避けたいし、まして下に降りて眠ることも考えたくはない。場所があればいいというものではないし、何より固い。野宿ではないのだから、最低限ー庶民的なレベルでのーふかふかのベッドで寝たかった。
「これは……ちょっと無理すれば入れるかな?」
ベッドは当然シングルなのだが、二人とも体はそんなに大きくない。無理をすれば二人でも寝られそうだった。タンスの一番奥からもう一つ掛け布団を取り出すと、それを少しずらして掛け、次にフォルクローレの体を奥へと押しやる。
「ごめんね」
それから、自分の体を滑り込ませた。確かに狭くてはみ出しそうだが、なんとか寝られそうだ。明日、もしフォルクローレが先に目を覚ましたら、きっと驚くに違いない。何しろ、お互い寝床のことなどまるで頭になかったのだから。
「なんか……疲れた……」
とりあえず、この状態では明日の営業も無理そうだろう。まあ、それは仕方ないのだが、おかげでゆっくり休める。無収入は痛いので、何としてでも約束の報酬はもらわなくてはならないが。
「おやすみ……」
〜朝〜
朝、柔らかな日差しが差し込む。遠くに聞こえる鳥のさえずりが、朝の空気を運んでくれる。
「ふ……」
その、暖かな光にフォルクローレはゆっくりと目を覚ました。見覚えのない風景、窓から見える、やはり見覚えのない屋根。そして、どこからともなく漂ってくる、いい匂い。これはパンを焼く匂いだろうか。鼻腔から、空腹を訴えてくる。
「そっか、ここはエルちゃんちか……」
次第に記憶がはっきりしてくる。ここに運び込まれた経緯を思い出して少し身構えるが、特に違和感はない。のそのそと起き出してみたが、特に痛いところはない。部屋にあった鏡台の前に座り、顔を確認してみる。
「お、かわいい」
普段以上にしっかりと休めたからか、顔色もいいし目の下のクマも見られない。過労で倒れてここにいるというのに、むしろここ最近で一番心地よい目覚めだった。なんたる皮肉だろうか。
「エルちゃん……いない? じゃあ、やっぱこの匂いは朝ごはんかな」
油断せずにゆっくりと階段を下りるも、やはり体に違和感はない。足も痛くないし、ふらつく気配もない。そして、降りるにつれ、料理をする音が聞こえてくる。これはやはり朝ごはん!
「おはよう!」
キッチンに立つエルリッヒの姿を見つけると、元気に声をかけた。
「あ、エルちゃん! 起きた? すぐご飯できるから、そこ座って待っててくれる?」
「ありがとね」
言われるままにカウンターに座ると、朝ごはんが出てくるのをおとなしく待った。
「さて、そろそろ体調も良くなってきただろうし、お話訊いてもいいよね?」
「そっか、事情説明はまだだったね」
朝食後、片付けを終えると二人はテーブルに座って話を始めた。昨日は体調を慮って何も訊かなかったが、今日は大丈夫だろう。そもそも、倒れたことだって怪我というよりは、単なる疲れが出ただけかもしれないのだ。竜の息吹が効いた、などということを言うつもりはなかったが、しっかり休ませたことは確実に良い影響をもたらしたに違いない。
「で? 山で何があったの?」
「大したことじゃないんだよ。あの二人からどこまで聞いてるかわかんないけど、ガーゴイルっていうの? それが現れてさ、戦ってたらちょっと怪我しちゃって。でも、薬は持ってたからちゃんと回復はしたよ? でも、それが原因なのか、それともただ単に疲れてたのか、それはあたしにもわからないんだ」
シュベルトたちの証言とも一致する。嘘や誇張があったなどというつもりはないが、ガーゴイルがいたのはやはり事実なのだ。どうしても、魔王の影がちらつく存在である。
「ねえフォルちゃん。ガーゴイルって、結構凶悪な魔物だよね。前からそんなのが出るの? あの山。それとも、魔王がどうとかいうのの影響?」
「ん〜、あたしも詳しいことはわからないんだけどね、前に話をした騎士団の人によると、土着の魔物が魔王時代にその影響で強くなって暴れてたのが、魔王が死んで弱くなっただけなんじゃないかって」
なるほどその話には説得力があった。魔族全体を見ても、魔王が滅んだ時に消滅しなかったものは数多くいる。魔王の影響が強ければ強いほど、往時は凶悪な魔族の将軍として凶刃を振るっていたが、その分魔王がいなくなった後の影響は大きかったという。ガーゴイルにも、その理屈が当てはまるということか。
当時は勇者のような魔王を倒そうという気概と実力のある者にしか相手が務まらなかったガーゴイルが、本来の力にまで弱体化したことで、一介の戦士やお城の騎士団員にも太刀打ちできるようになったのだろう。彼らと勇者一行とでは、装備品の性能も違うのだ。
「なるほどねー。じゃあ、怯える必要はないってことなのかな。そんな凶悪な魔物が街に現れたら、絶対やばいよね」
「それは、ないと思うよ。断言はできないけど、その騎士団の人もあの山が住処なんだって言ってたし」
エルリッヒ一人ならばどこにも負ける要素のない相手だが、集団でこの街を襲おうものなら、果たしてどう戦えばいいか、考えも及ばない。
それに、魔王復活の影響でないというのであれば、まだこの国には及んでいないことになる。それも、一安心だった。所詮エルリッヒは一介の市民である。まずはこの国、そしてこの街が無事なら、それでいいのだ。もちろん、仕事をする上でそれに必要な流通に影響がでるとなったら、ただ事ではないし、全力で解決に乗り出すのだが。
「じゃあ、そっちは安心できたとして、収穫は……あ、そうだ! そこ! そこの角に荷物一式は置いてあるから、後で確認してね。台車は裏手に置いてあるから、それも帰る時になったら忘れないようにね。それと……」
「それと?」
ここまで話して、おもむろに咳払いをする。そして、例の話を切り出した。
「シュベルトとヴォーテン、あの二人の賃金、立て替えておいたからね? 後でいいけど、きっちり払ってね」
「う! その話だったか! ぐ、具合が!!」
わざとらしく胸を押さえる様子を見せているが、体調を気遣うのとそれは別だ。急かさずとも取り立てるものはとりたてる。しかし、これが昨日だたら、本当に体調を崩していたかもしれない。やはり今日にして正解だった。少なくとも、表情はとても冗談めいている。
だから、こちらもわざとらしく、胸を押さえる手にそっと自分の手を添えた。
「苦しかったら、休んでていいからね?」
「う! やっぱ通じないか。あー、でも、踏み倒したいとか、そういうことじゃないから、後できっちり払うからね!」
こうして、若干言い難い話も無事にできた。あとは採取の旅の話だ。果たして、無事に素材は集まったのか。怪我が元で途中で切り上げてきたのか。
「で、素材は集まったの?」
「それはもう、バッチリ! ちょっとずつだけど、アイディアも浮かんできてるしね」
そう語った表情はとても明るかった。きっと、アイディアが浮かびつつあることで精神的にも負担が軽くなっているのだろう。なにしろ依頼主は王様だ、何も浮かびませんでしたでは済まされない。そんな様子を見ていると、こちらも安堵の息が漏れる。
「それはよかった。私も安心したよ」
「でしょ? それはそうとエルちゃん……」
今度はフォルクローレが問いかける。その視線は下を向いており、まじまじと己が着ている寝間着を見つめていた。
「な、何?」
「うん、ちょっとね……」
その顔には、少しばかりの疑問が見え隠れしていた。
〜つづく〜




