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チャプター11

〜アーレンの森 夕刻〜



「はぁ……はぁ……」

「ふぇ〜……」

 匂い袋の使用から数時間、日も傾きかけた頃、ようやく獣の群れを掃討することができた。もう、一面に死骸が転がっており、ここから腑分けして素材やお肉を確保するのも一苦労だった。しかし、目的がそれである以上、二人は疲労困憊している体に鞭を打って必要なアイテムは手に入れなければならない。

「疲れたけど、お互いなんとか怪我はしてないし、早いとこ素材を剥ぎ取っちゃおう」

「うん、そうして。私もお肉取っちゃうから。ていうか、早くここから立ち去ろう。このままじゃ、第二陣が来るよ」

 辺り一面にむせ返るような血の匂い。そして自分達にもおびただしい返り血がかかっている。さらに悪いことに、間もなく日が落ちる。エルリッヒが常人以上に夜目が利くことを除いても、ランタンと火起こしの道具は持ってきているから暗い道のりでも戻ることは大丈夫だろう。問題は、血の匂いを頼りにやってくる夜行性の獣だ。それらを呼び寄せないうちに、この場を立ち去らなければならない。

「だ、第二陣? わかった、急ぐよ!」

 身じろぎしながらその恐ろしい有様を想像する。体力もない、攻撃用のアイテムもない。そんな状況で、この数時間と同じような数の獣が襲ってくるだなんて、考えただけでも寒気がする。

 そして、首を垂れて自分の体を見てみると、真っ赤に染まった衣服。いや、全身が返り血を浴びて真っ赤だ。エルリッヒは明言しなかったが、立ち上る血の匂いは地面からだけでなく、紛れもなく自分達の体から漂っている分も多い。当然、この匂いを目印に襲ってくるのだ。自然と作業の手が逸る。

「急がなきゃ……」

「無駄になっても困るし、ミスはしないように気をつけてね。て、他人事じゃないか」

 こちらは食用に肉を剥ぎ取るだけなので、部位さえ間違っていなければ多少雑でも構わない。だからミスの可能性は少ないし、気楽ではあった。が、フォルクローレの剥ぎ取りが終わるまでの護衛くらいはしなければ、と考えていた。何も、日が落ちてからしか襲ってこない、などという保証はないのだから。

「フォルちゃーん、どう?」

「んー、もう少しー。急いでるから、も少し待ってー」

 その言葉に偽りはなかったらしく、程なくして籠いっぱいに素材を背負い、フォルクローレがこちらに向かってきた。これで帰ることができる。

「それじゃ、少し早いけど帰りは初めから灯りをつけて行くよ。暗くなってからじゃ遅いからね」

「わかった。でも、あたしこの荷物だし、エルちゃんお願いできる? 道具一式はこっちの袋に入ってるから」

 フォルクローレの道具袋からランタンを取り出すと、手慣れた所作で火を起こしランタンを灯す。まだ夕日の差す時刻だからそのありがたみを感じることはないが、すぐにでも真っ暗になってしまうだろう。森の夜は尚一層暗いのだ。

「よーし、しゅっぱーつ!」

「おー!」

 二人は緩く拳を突き上げ、帰路へと就いた。




〜アーレンの森 ベースキャンプ〜



「ただいま〜」

「疲れたね〜。でも、これで欲しい素材は大体揃ったかな」

 二人がベースキャンプに帰り着く頃には、どっぷりと日が暮れていた。星が出ているのは微かに確認できたが、何しろ鬱蒼とした森の中、その恩恵は無いに等しい。あらかじめ灯しておいたランタンの光が大いに役立った。

 その身から猛烈な血の匂いを漂わせての帰路だったが、幸いにして何者にも襲われることなく帰ってくることができた。行動が早かったせいか、獣が光を恐れたからか、はたまたエルリッヒの気配に怯えてかはわからなかったが、無事に帰り着くことができて、胸を撫で下ろしたのは言うまでもない。

「お腹も減ったしご飯の支度もしたいけど、とりあえず……」

「とりあえず?」

 台車に持ち帰った素材をまとめると、エルリッヒはおもむろに泉のそばに向かった。

「この返り血を落とそう! 服は洗えるだけ洗って、後は家に帰ってから考えるとして、体を綺麗にしよう!」

「!! そうだ! それだー! ひと泳ぎすればますますお腹が減ってご飯が美味しくなるぞー!」

 フォルクローレの思考はどうにも少しばかり気楽な方向にずれているようだったが、この際構わない。こんな体では食事を作る気にもなれないし、落ち着かない。まして血の匂いは獣を呼び寄せかねない。ここが謎の安全地帯だとしても、拭い去れない不安がつきまとう。

 まして衣類は下手をすれば綺麗にならないかもしれない。それでも、この場で少しでも洗い流しておくことが大事だった。幸い、多少の着替えは持ってきている。着替えるのには丁度いいきっかけと言えた。

「それじゃ、おっ先ー!」

 快活な調子で衣類のまま泉に飛び込むフォルクローレ。そしてそのまま水中で服を脱ぎ始めた。なんと器用なことだろうと思いつつ、エルリッヒはランタンの火を薪に移し、焚き火を灯すことを優先した。それに、衣類のまま飛び込むような真似も、そのまま水中で服を脱ぐような真似も、できなかった。やはり、恥ずかしさが先に立つ。

「ほらー、早く入りなよー。気持ちいいよー!」

「泉は逃げないんだから、大丈夫だってば」

 暗がりだというのにもかかわらず、やはり茂みに隠れこそこそと服を脱ぎ、脱いだ衣類で体を隠しつつ、ゆっくりと水に入る。フォルクローレの様子は気になるが、やはり心地いい。一日中体を動かし、久しぶりの戦闘を行った体を優しくクールダウンさせてくれるかのようだった。

「はー、疲れが取れるねぇ」

「でしょ?」

 思い切り顔を洗い、そして全身の感覚を研ぎ澄まして身体中を摩って返り血を落とす。何しろこびりついた血液というものは厄介で、ただ水中に入れば洗い流せるというものではない。こうして思いつく限りの全身を洗ってやらねばならないのだ。でも、体をきれいにするという意味だけでなく、明日以降の行軍で無駄に狙われないようにするためにも、こうすることには大きな意味があった。

「フォルちゃーん、返り血、ちゃんと落としてる〜?」

「えー? こうしてたら落ちるじゃーん。気にするところ〜?」

 やはりフォルクローレは返り血を落とすことをあまり大きく考えていないらしい。これでは絶対に残ってしまう。仕方ないとばかりに、エルリッヒはそばまで泳ぎ寄った。

 すぐそばに、気の抜けた表情で浮かぶフォルクローレがいる。

「ちょっと、やっぱり何にもしてない。体が冷えないうちに洗って出ないと、風邪ひくよ? もー」

「あ、ちょっ!」

 あまり表立って使いたくはないが、人間以上の夜目を利かせてフォルクローレの体についている返り血を確認していく。エルリッヒよりも露出の多い服を着ている分、その量も多かった。それを、丹念にこすって落としていく。

「ほら、こうしないと乾いた返り血は落ちないんだよ。獣たちは人間なんか比べ物にならないくらい鼻が効くんだし、明日嗅ぎつけられても知らないよ? それでもいいの?」

「いや、それは嫌だけど、さすがにこれはくすぐったいというか恥ずかしいというか……」

 どのみち自分一人ではここまでは落とせないのだ、ある程度は手伝う必要があるだろうとは踏んでいたが、全身の返り血を落としてあげることになろうとは思わなかった。それでも、ここまですればフォルクローレの羞恥心を呼び起こすことができるのかと、思わぬところで感心してしまった。

「これで、昨日の私の恥ずかしさが少しは理解できたでしょ?」

「そ、そうだけど、あとは自分でできるから。だから……」

 もうすぐに終わるし、その性格を熟知しているからこそ、今は聞き入れたりはしない。それよりも、と顔をよく洗うように指示をする。

 世話が焼けるというほどのことはないが、これは思わぬ経験だった。

「んっ! これでいい?」

「どれどれ? よーし、大丈夫! これで綺麗さっぱりでしょう! さ、冷えないうちに上がっちゃって。私も、服を洗ったら出ちゃうから」

 そう言って、先に上がるように促し、自分はフォルクローレから受け取った分と自分の分と、二人分の服を水中で丹念に洗った。着替えてからでも別に良かったのだが、やはり羞恥心が先に立つ。なんとかタイミングをずらしたかったのだ。

「よし、行ったか。さて、こっちはこっちで、少しでも落ちてくれるといいけど」

 安堵の声を漏らしながら、手にした服を見つめる。血の匂いはもちろん、赤く染まってしまった部分も、少しでも落としたい。夕食は肉だなんだと気楽なことを言っているフォルクローレをよそに、エルリッヒは一人水面にたゆたいながら、熱心に衣類を洗うのだった。


 美味しい夕食は、まだ遠い。




〜つづく〜

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