チャプター10
〜アーレンの森 奥地〜
辺りにえも言われぬ香りが立ち込めると、突如として周囲に獣の気配が溢れ出す。そして、今までの静かな様子が嘘のように四方八方から迫ってくる。もちろん気配だけではなく、葉擦れの音や飛び立つ鳥のざわめきからも、何者かが迫っていることを力強く物語っていた。
「ちょ、ちょっと、なんか危険な感じがするんだけど、大丈夫?」
「大丈夫も何も、倒すために呼び寄せたんだから!」
自信たっぷりに答えるフォルクローレではあったが、何か大事なことを見落としているような気がしてならなかった。このような状況でお互いの認識にズレが生じるのは危険極まりない。今一度、確認を行う。
「倒すったって、多分、たくさんだよ? この気配」
「げ、嘘、ホント?」
ある程度の凶暴な獣「一頭」なら勝てる。フォルクローレはそう踏んでいたのだ。相手の強さは未確定だが、「数が多い」ということがすっぽり抜け落ちており、それに今気がついた。
こうなっては作戦を立て直すしかない。エルリッヒ自身はどうにでもなるが、この旅のリーダーであるフォルクローレがどういう采配をするのかが重要だ。できるだけそれに従って動きたいし、自分の実力は秘匿しておきたい。何より、ここにはフライパンがない。どこまで通用していたかはわからないが、あのフライパンがあればこそ、その力をごまかすことができたのだ。
「嘘も何も、この音でわかるでしょ! フォルちゃん、どうするの? 逃げとく? て言っても、囲まれてるっぽいから難しいけど」
「い、一応戦うためにこの場所でに匂い袋使ったんだし、道具も持ってきてるんだし、立ち向かおう! 木の実ばっかじゃいいアイテムは作れない!」
一転逃げの姿勢をやめたフォルクローレは威勢良く叫ぶ。そして、手持ちの道具を漁り始めた。もともと、準備は万端の状態でキャンプを出発しているのだから、多少数が多かろうとどうにでもなるはずだった。もちろん、戦いが順風満帆に進めば、であるが。
まず、手持ち式の小型爆弾を取り出す。小さいために効果範囲は狭いが、手に持っている今、一歩間違えば手首から先が吹っ飛んでしまうようなものだ。
「じゃあエルちゃん、手始めに正面の奴から吹き飛ばすよ!」
「き、気をつけてよ? 私は後ろの相手をやっつけるから、正面は任せたよ!」
こうして、フォルクローレの背後で行動すれば、多少のことはごまかせるだろう。早速、フォルクローレが投げつけた爆弾が炸裂しているらしく激しい爆音とともに爆風が吹いてきた。見事と言うべきか、恐ろしいと言うべきか。
「それじゃ、こっちも手始めに!」
一歩、広場から木々の間に分け入る。そして、迫りくる相手の気配を読み取る。どうやら、相手は小型の獣らしい。猪とか小型のリザードとか、その辺りだろう。ならば、どうにでもなる。
こちらも道具袋の中を漁る。フライパンを持って行けないために、代わりとばかりに忍ばせたナイフがある。しかし、戦闘に使えそうな道具はそれっきりで、フォルクローレのような便利な道具が満載、というわけではなかった。爆弾は使い勝手がいいのだが、一方で何かの衝撃に爆発でもされたらたまらない。その他の道具も、使い方のレクチャーを受けなければならないとなれば、あまりありがたくはない。そこで、ナイフなのだ。
「さてと、とりあえずかたっぱしからやればいいのかな? 素材が欲しいって言ってたし、角とかキバとか、その辺が無事なら文句はないでしょ!」
獣の突進、それがどれほどの勢いであるかは、考えるよりも早く経験で知っている。だから、木々を押し分けてそれが現れた時には、すでに受け止める構えをしていた。
猪だ。それも、少し大きい。角はないが、大きな牙を生やしている。並の生き物なら、串刺しにされてひとたまりもないのではないだろうか。悠長にそんなことを考えるだけの余裕が、エルリッヒにはあった。
「おりゃーっ!」
威勢良く右の牙を掴むと、そのまま猛攻を止めてしまう。そして、そのまま全身をひねり、猪の体を横転させる。激しい振動とともに身動きの取れなくなったその間に、心臓にナイフを一突きして息の根を止める。料理人として色々なものを見てきた経験が、よもやこんなところで生きようとは。
「ごめんね……さて、次!」
次に近いのはリザードのような気配。もし、リザードであれば炎を吐くことができるはずだ。そんなことをされれば、辺り一帯が火事になってしまう。こちらも、できるだけ穏便に倒したい。
「来た!」
こちらも木々をなぎ倒しながら現れる。予想通り、緑色の鱗に覆われたリザードだ。とりあえず、ナイフを構える。そして、低い唸り声を上げるリザードと相対した。
次の瞬間、考えるよりも早く体を動いていた。相手の懐に飛び込み、ナイフではなく、こちらは左手で掌底を当てる。生来持ち合わせている龍殺しの力は、人の姿をした今でも十分に利用できた。この力を全身に流し込まれてしまえば、ひとたまりもないだろう。
こちらも、瞬時に絶命し、足元に倒れる。命は奪うものの、できるだけ、血は流したくなかった。
「多分、まだまだ来るよね」
側面からの相手にも対処しなければならないし、フォルクローレの様子もきになる。
「フォルちゃん、大丈夫?」
「大丈夫大丈夫! こっちは順調だよ!」
自分の戦いに集中していて意識していなかったが、木々は倒され草木は炭化し、辺り一面はまるで焦土のようになっている。これを全てフォルクローレの爆弾がやったというのだろうか。確かに今までの数日が安全過ぎたために、爆弾は余っている。だからと言って、これだけのことを成すには、それだけの数を使ったということではないのか。あるいは、想像の先を行く高性能爆弾でこのようにしてしまったというのか。
「順調って、そんなんで獣の素材は大丈夫なの?」
「そ、それは! いやでも、落ち着いたら検分して、使える分だけもらうからいいんだよ!」
本当にそれでいいのかどうか、いささか怪しくはあったが、専門家の言うことに口を挟むものではない。それに、自分もこの後猪を解体して食用になる肉を剥ぎ取るのだ、人のことは言えなかった。
フォルクローレの身が無事であれば、今はそれでいい。
「じゃ、その件は任せるとして、くれぐれも気をつけてよね!」
「お互いにね!」
まだ二頭しか仕留めていないエルリッヒよりも、むしろフォルクローレの方が倒した数は多そうだ。これは負けていられなかった。気配によると、匂いを嗅ぎつけてまだ迫ってきているようだった。もしかしたら、倒した獣から発せられる血の匂いも影響しているのかもしれない。
「戦うのはいいけど、あんまり多いとキリがないぞ? それに、この森の生態系を狂わせてもいけないし……」
少しばかりの思案の後、一計を案じる事にした。
「ちょっと危険だけど、やむをえないね……」
あいかわらず爆弾が音と光、そして風と振動を奏でている。その一番激しいタイミングを見計らい、少しだけ力を解放した。こうして稀有な気配を発することで、少しでもこの場所に群がる獣が減ることを期待したのだ。
「とりゃー!」
力を解放しただけのことはあり、先ほどまでとはまるで違う動きができた。今目の前にいる新たな猪や立派な角を生やした鹿などは、やはり仕留めるしかない。猪のような心臓の位置のわかる相手はナイフで一突きにし、そうでない相手はやはりこちらも拳を叩き込む。ひどく原始的な戦い方だったが、なまじ人知を超えた力を持っているだけに、効果は抜群だった。
「さて、あと少し!」
フォルクローレの奮戦にも期待しつつ、エルリッヒは戦い続けた。
〜つづく〜




