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勇者様の帰還

 厳しい冬は去り、山路に積まれた雪は水となって麓の小川を流れていきます。いつしか風は暖かくなり、新しい命が大地に芽生えました。そしてどんどん日差しが強くなり、眩しいばかりの日光が降り注ぎました。そのうちに木の葉が赤や黄色に染まり、ひらひらと枯れて風に乗って落ち葉が吹き飛んでいきました。風が厳しくなり、また冬がやってきます。

 冬が過ぎれば、また春が。

 ユーリクが出発してから二回目の春が訪れました。



 つい先日、私は二十一歳の誕生日を迎えました。この国の一般市民の女性で二十一と言えば、もう立派な行き遅れどころか、売れ残りのおばさん扱いです。だって、いつぞや人形遊びしていた同い年の女の子たちはみんな、たくさんの子どもを連れているんですもの。

 彼女たちからもよく、早く結婚すればよかったのにとなじられます。ユーリクが待てないならマックスやセオドールでもいいじゃないか、と。

 でも、そんなことはできません。私はずっと、ユーリクのことが好きなんです。そのことはマックスもセオドールもよくよく、分かってくれています。彼らだって、何人もの女の子から告白されているのに全部断っているそうです。理由を聞けば、「ユーリクを差し置く真似はできない」と。

 絶対、四人で一緒。ユーリクを信じて待つ。それが私たちの中の暗黙の了解になっていました。

 だんだんと私は傭兵仕事から家事の手伝いや近所の子どもの世話をするようになり、二人と一緒に過ごす機会は減ったけれど、時折うちに招いてお茶をすることにしていました。


 ユーリクを待ちながら。




 そして、その時はやって来ました。

 「勇者ユーリク、魔王を倒して本城に帰還」の知らせが私たちの町にも伝わったのです。

 この知らせで町中お祭り騒ぎでした。だって、世界中の悲願である魔王討伐が町出身のユーリクの手によって果たされたんですもの。ユーリクに親しい者もそうでない者も、美奈手に手を取って喜びを分かち合いました。そして、勇者様の帰還のためにとせっせと宴の準備を始めたのです。

 旗や花が飾られ、だんだんとお祭りムードに染まっていく街の様子を見ながら、私は不安に胸を染めていました。町の人が明るければ明るくなるほど、不安は強くなるばかり。

 ユーリクは本当に帰ってくるのだろうか。

 そればかりが気がかりでした。



 みんな、ユーリクは軍隊に囲まれ、馬に乗って、華々しく帰還するものと思いこんでいました。だから……当の勇者様が粗末な服を纏い、徒歩でスタスタと町へ続く道を下ってきたときには、見張りの人も思わず目を疑ったそうです。

 でも、そんなこと関係ありません。


 ユーリクが帰ってきた。

 生きて帰ってきた。

 一人で、帰ってきた。


 そればかりが頭を占め、私は家のお手伝いもそこそこに、靴のかかとを踏みつぶしながら玄関を出て、だっと町を飛び出しました。

 懐かしい、姿。

 私の大好きな人。

「……、ユーリク!」

 迷わずその胸に飛び付きます。私にタックルされても一つも動じないその体は私を抱きとめ、優しく抱きしめてくれました。

「……シリー」


 低い、優しい声。ユーリクの声。

「ユーリク、ユーリク……!」

「俺はここだよ、シリー」

 埃と土の匂いがするユーリク。顔をすり寄せられると無精髭がちくちくと痛かったけれど、それさえ嬉しくて。私も頬ずりを返します。

「よかった、帰ってきてくれた……」

「ああ。約束しただろう?」

 ユーリクは一旦私の体を離し、私の姿を上から下までじっくり眺めて……安心したように微笑みました。

「ああ、やっぱり元気そうだね。よかったよ」

「それはこっちの台詞じゃない!」

 私はユーリクの胸元を掴んで……今にも引き裂けそうなその生地の薄さに驚きながら……詰め寄ります。

「でも、どうして……? 言ってたじゃない、ユーリクは……」

「ああ、そのこと」

 ユーリクは疲れたように微笑んで、緩く首を振りました。

「もちろん、難儀したよ。疲労困憊で帰ってみれば、なんと城では俺と姫との結婚式の準備が進められていたんだから」

「え……!」

 そんな話、聞いてません。国王はユーリクの故郷であるこの町の者にも何も知らせず、淡々と事を進めていたということなのでしょうか。

 ですがユーリクはまた、首を振ります。

「俺には休む暇も与えず、帰れば即、式を挙げるなんてほざきだして。だから、言ってやったんだ」

 そこでようやくユーリクはにっと、昔から変わらない笑顔で笑いました。

「いいからとにかく家に帰してくれ、って」

「いいからって……」

 どきっと鳴る胸を押さえながら、私は急かすように言います。

「まさか、少しは丁重に申し出たんでしょう?」

「いや、今言った通り、一言一句違わず言ってやったんだ」

 どうだ? とばかりに胸を張るユーリク。まるで、小さい頃いたずらをしたときのような無邪気な笑顔。

「そりゃ、国王は怒り狂うし姫は泣き叫ぶし。わたくしとの約束を踏みにじるのですか! ってね。そんな約束、した覚えすらないのに」

「そ、それで?」

 ユーリクはなおもにこにこ笑顔のまま、頷きました、

「ん? ああ、そうそう。それでね、栄誉も何も要らないから俺のことは放っといてくれって言っておいた。で、見ての通りさ」

 ユーリクは自慢気に、ぼろぼろの服を広げてみせました。今私が着ている質素な普段着よりもっと貧相で汚らしい、雑巾を切り貼りしたような服です。

「金は全部没収。軍隊も解散。馬も返却。豪華な武具も回収。服も剥がれて、勇者の称号も剥奪。いやあ、すっきりしたよ。国王は俺が慈悲を請うと思ってしたらしいが、一つ奪われるたびに俺は少しずつ気が楽になっていったよ。国王も姫もビックリだったろうね。ぼろ一枚になった俺が笑顔で城を出ていったもんだから」

「で、でも! それで場を切り抜けられるものなの!?」

 私には信じられない話です。しかしユーリクはおどけたように肩をすくめました。

「俺たちと王家ではものの考え方が違うんだよ。あの人たちは、名誉や富裕が何より大事。だから、身ぐるみ剥がれたら俺が泣きつくと思ってたんだろう。それを思って俺に言ったんだろう。代わりに貴様の名誉を全て剥奪するぞ、って」

「……」

「もし、貴様の故郷を焼き討ちにするぞ、とか言われたら俺も従うしかなかっただろうけど、国王は俺が望んだように動いてくれた。一度言ったことは取り消せないからな。こうして俺は晴れて自由の身だよ」

 驚きました。ユーリクは直感で動くところがあるとばかり思っていたのに、先のことを見通していた策士だったなんて。


 ユーリクはさて、と首を傾げます。

「見たところ……町ではお祭り騒ぎみたいだな」

「え? あ、うん。みんな、ユーリクの帰りを待っているよ」

「そりゃ、嬉しいな」

 ユーリクは笑って、私の手を握りました。大きくて、傷が多くて、剣ダコがいっぱいの、愛おしい手。

「俺、城での歓迎会よりずっと、こっちの方が楽しみだったんだ。俺の好きな料理はあるかな?」

「うん! 私も母さんの手伝いしたんだ! 冷やし鴨肉のソテー、ちゃんと作っているよ!」

「そうか、それは楽しみだな」

 おーい、と背後で声が。振り返ると、祭で使うクロスや旗を抱えたまま走ってくるマックスとセオドールが。二人とも、ようやく祭の手伝いから解放されたのでしょう、荷物を置く間も惜しんでこっちに駆けてきました。

「ああ、あの二人も元気そうだな」

 全力で駆けてくるマックスと、既に息切れ気味のセオドールを見てユーリクは安心したように笑います。

「もちろん。みんな、無事よ。みんな元気よ」

 力を込めて、そう言います。ユーリクはそんな私を優しい目で見下ろします。ぽっと心の奥が暖かくなるような、優しい眼差し。

「……ああ。じゃあ、行こうか。シリー」

 勇者様は私の前に跪き、恭しく手を差し伸べてきました。


 私の勇者様。

 私だけの勇者様。

 私はその手を、取りました。


 遠くでマックスが囃し立てる声と、ぜえぜえ息をつくセオドールの息の音がします。もっと遠くでは、大喜びでお祭りの準備をする人たちの元気な声が。


 優しい風が、吹いていきました。





 大きな王国の辺境に、小さな町がありました。とても小さな町なので世には知られておりません。

 その小さな町の外れには、勇者様が暮らしていました。

 かつて魔王を倒した勇者様。しかし彼は今、畑を作って木を切る仕事をしていました。

 とても貧しい家でした。それでも勇者様は幸せでした。

 ある時は、筋骨隆々の男性が彼のもとを訪ねました。今、護衛業をしている彼は勇者様の古くからの友だちでした。

 ある時は、細身の吟遊詩人が彼のもとを訪ねました。今、有名詩人の彼もまた勇者様の古くからの友だちでした。

 そして今。勇者様が畑仕事から帰ると、元気のいい男の子が出迎えてきます。勇者様にそっくりの少年は彼の背に乗り、肩車をねだります。

 勇者様は男の子を肩に乗せ、家に入ります。キッチンでは、勇者様の奥さんが今日の夕飯の仕度をしています。

 お帰りなさい、ユーリク。

 奥さんがお玉を手に笑顔で言うので、勇者様も笑顔で応えました。

 ただいま、シリー。と。




 勇者様の話は、その後の歴史書からは消されていました。

 国王の命令によって、魔王を打ち倒した勇者は相打ちで死亡したと、歪曲されたそうです。

 勇者ユーリクの名は、歴史書には残ることはありません。

 それでも。


 勇者様は幸せでした。

 とてもとても、幸せでした。




おわり

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