幼なじみの想い
次の日の朝。吹雪が止んで、町中が真っ白な銀世界に染められる中、ユーリクは出発していきました。いつもはユーリクとマックスとセオドールが肩を並べて旅立つ姿を私が一人で見送っていたのですが、今日、旅に出るのはユーリクだけ。お城で他の軍の人と合流するのだそうです。
私は昨日の夜聞いたことは、マックスやセオドールにも話さないことに決めました。「別に言っても言わなくてもいい」とユーリクは言っていたのですが、やはり、二人には話すべきではないと判断しました。特に、私の口からは。
マックスは頭が軽そうに見えるし、セオドールはどこか毒舌家な雰囲気もしますが、二人ともユーリクの大切な友だち。ユーリクが嫌々ながら魔王討伐の旅に出た要因の一つに自分たちを守るため、という理由があったと聞かされても二人とも決して喜ばないでしょうから。むしろ、自責の念に押しつぶされてしまうでしょう。
ユーリクが出発してから、私たちは三人で傭兵団の仕事をしていくことになりました。といっても、隊長であり一番の戦力であるユーリクがいなくなったので、二人で遠征はできません。だから、近所にはぐれ魔物が出たら討伐しに行き、普段はみんなの仕事を細々と手伝うのが筋になってました。
「……ガキの頃はこんなお手伝い大嫌いだったが」
納屋で大雪対策として屋根の補修をしながら、マックスがつぶやきます。
「思えば、町のおっさんたちもそれなりにオレたちのことを応援してくれてたんだな。こうやって、地味なことを重ねていくことで体力作りや物作りに活かせられるって」
「あら、マックスも大人になったのね」
からかいながら楔を渡すと、マックスはムッと不機嫌そうに口を尖らせて木の楔を受け取ります。
「当たり前だろう。オレたち、いくつになったんだと思うんだ」
「マックスの精神年齢はまだ十歳程度だと思うけどね」
相変わらず辛口にセオドールが揶揄します。そんな彼は天上の梁に上るマックスと違い、納屋の床にあぐらを掻いて麻の綱を編んでいます。セオドールほど高身長だと、屋根に頭が突っかかってしまうそうです。
「体は大熊並みだけど、もう少し頭にも成長を回した方がよかったんじゃないか?」
「うっさいぞ、セオ!」
ぽい、とマックスが投げた楔は当然標的を逸れ、セオドールの傍らに積んでいた縄束の間に刺さります。
「おまえ、いつもコツもオレもからかって!」
「悪いね、だってマックスはからかい甲斐があるから」
「何だと!? おまえだって、ユーリクよりずっと……」
しまった、とばかりにマックスの表情が凍り付きます。彼はすぐに口を閉ざし、ふいと顔を背けて黙々と屋根の修理作業に戻りました。セオドールも、さすがに口が過ぎたと思ったのか頭を掻いて、手元の縄作りに意識を集中させました。
ユーリクが出発してから早数日。もう、城の軍隊と合流して彼らを率いて魔王退治の旅に出たことでしょう。
魔王の巣窟はここよりずっとずっと遠く、国境をずっと越えた先の未開の地と言われています。未だかつて誰一人として成就したことのない、魔王退治。ユーリクこそが、世界を救う勇者になれるのでしょうか。
「……別に、そこまで気張らなくてもいいのにね」
ぽつりと、セオドールがつぶやきます。ともすれば外の雪の音にかき消されそうなくらい、微かな声色で。
「ユーリクも。あいつ、そこまで勇者にこだわっていたようには見えなかったけど」
「そりゃ、オレだって思ったさ」
梁からぴょんと飛び降り、手ぬぐいで汗を拭いながらマックスも同意します。
「あいつずっと言っていただろ。金が貯まり次第こっちに戻るって。本人も、魔王討伐に行きたいって意気を持っていたように見えなかったし……」
そうだよ、違うんだよ。私は声にならない声で二人に訴えます。
ユーリクは勇者になんてなりたくなかった。でも、ならなくてはいけなかったんだと、声を大にして言いたかった。でも、言えませんでした。
言ってはダメだと、私の中の理性が歯止めを掛けているのです。
ごうごうと、窓の外で吹雪が鳴り響きます。今日も、厳しい夜を迎えそうです。
「……オレ、くやしいよ」
手ぬぐいを頭に掛けたマックスのつぶやきに、私とセオドールは顔を上げます。セオドールは縄作りの手を止めて、いつになく優しくマックスに問いました。
「それは……自分の実力不足が?」
「……それもある」
これまた珍しく、マックスは曖昧に頷きました。くるりと振り返ったマックスは固く、唇をかみしめてました。
「でも、それよりも……ユーリクに付いていけなかったのが、悔しいんだ」
「マックス……?」
「オレが弱いのは分かってる! 城の兵士みたいに強くないし、団体行動が苦手だってのも、承知している。でも!」
私の頭ぐらいありそうな大きなマックスの拳が、小刻みに震えていました。
「……それでも、付いていきたかった……弱いのは分かってる! 途中で挫折するかもしれない! それでも……あいつと一緒に、魔王を倒しに行きたかったんだ……」
ぐしっと拳で両目を荒く拭い、マックスはどっかりとその場にあぐらを掻いて座りました。
「……オレみたいなお荷物、ユーリクの迷惑になるとは分かっているんだ。戦力としてもしれたものにしかならないってのも」
「……本当にそう思うかい?」
そっと、セオドールが問います。おまえもしろ、とばかりにマックスに麻紐を放って寄越し、セオドールは真摯な眼差しでマックスと私を見つめます。
「僕が思うにはね、もしマックスが無茶言ってユーリクについて行けたとしても、ユーリクはちっとも迷惑がらないと思う。むしろ、大喜びだっただろうね」
「……私もそう思うわ」
昨夜のことには極力触れないように、言葉を選びながら私もセオドールに同意します。
「ほら、ユーリクは国の強い兵隊のリーダーになったんでしょう? でも、あんまり居心地のいい場所じゃないって思っているみたいだったから。きっと、マックスやセオドオールがいてくれたらユーリク、ずっと気が楽になっていたと思うの。戦力云々の話じゃなくて、気持ちの問題でね」
ちらと、疑うような眼差しをセオドールが投げてきましたが、私は敢えて彼の目から視線を剥がします。頭のいいセオドールのことだから、下手すれば感付かれるかもしれませんから。
「それに今回だって、マックスたちが外されたのもユーリクの意志じゃないんでしょう? その……うちを守るようにって命令を下したのは国王だったそうじゃない」
「……それもそうだけど」
マックスはセオドールから渡された麻布に目を落とし、ゆっくりたぐり寄せて縄を編み始めました。セオドールはそんなマックスを見つめ、小さく肩をすくめます。
「……そういうものなんだよ。英雄叙事詩っていうのは綺麗な部分しか語らない。汚い部分や血なまぐさい部分、人間の醜さが見える部分は全て省かれる。そうしないと、叙事詩を語っても人気が出ないからね」
今や立派な吟遊詩人であるセオドールに説かれると、酷く説得力が増します。同時に、興味も湧いてきました。
「セオドールが歌う曲の中にも、そういうものはあるの?」
「もちろん。むしろ、よく売れる曲や旅先でリクエストされるもののほとんどは、綺麗事ばかりの英雄譚だから」
セオドールは綺麗に手入れがされた自分の指を見つめながら言います。今は粗末な縄を編むこの指先で竪琴を奏で、多くの人々を虜にしているのです。
「僕だって、決して好きこのんでそういう歌を歌ってるんじゃない。むしろ、僕が習った曲の中には血なまぐさくてドロドロした勇者の歌だってあった。でも、誰だってそんな歌聞きたくないよね。おもしろくないし、何より理想の勇者像を打ち砕くようなものばかりだから」
セオドールの言葉に、ケッとマックスが不快そうに顔を歪めます。
「なーにが理想の勇者像だ! そんなお綺麗な超人なんているわけないだろう!」
「憧れが強すぎると人は盲目になるんだよ」
長い睫毛を伏せて、セオドールは言います。
「……誰も、歴史に切り捨てられた者や選ばれなかった者の存在なんて……興味もないし、知りたくもないんだ」
そう。この納屋にいるのも、歴史に切り捨てられ、選ばれることのなかった者ばかり。勇者の重荷になると判断され、お役御免をもらった者。
ずっとずっと、長い歴史の中でもたくさんいたはずです。旅立つ夫を見送るしかできなかった妻や、愛する恋人を魔物に奪われた女性。血の飛び散る戦いの中息絶えた一般兵の名なんて、歴史書には残りません。いくら犠牲を払おうと、書物に残るのは「勇者が勝利した」という一文だけ。
「……セオドールはそういう見捨てられた冒険譚も知っているのよね」
「ああ、たくさん」
「……その歌、聞かせてほしいな」
私のお願いを聞き、セオドールは目を丸くしたし、マックスは輪を掛けて不機嫌そうな顔になりました。
「なんでまた!? オレは結構だ、そんなの聞きたくない!」
「……シリーがあまり好むような歌とは思えないんだけど」
セオドールも、歌うのを拒みます。でも。
「……知りたいの」
私も折れません。目を閉じれば、あの夜見た、理不尽に身を蝕まれたユーリクの姿がありありと思い出されるのです。
あの痛みを、忘れたくないから。
「……勇者になれなかった人のことを。綺麗じゃなくてもいいから、私は聞きたい……」
セオドールは一瞬、何か言いたげに口を開きましたが途中で思い直し、観念したように肩を落としました。
「……いつの時代がいい?」
「そうね、百年くらい前に北方制圧した際の歌はないかしら?」
「あるよ。それこそ、血なまぐさいけど」
「構わないわ。歌って」
私はきちんとセオドールの前に正座して聞く姿勢に入りました。セオドールは手元の麻綱を手持ち無沙汰にいじりながら、ぽつぽつと歌いだしました。
それは、忘れられた、捨てられた物語。
語られることすら拒まれる、悲劇の歌。
最初は背中を向けて拒否姿勢を取っていたマックスですが、いつの間にか私の隣に座り、じっと歌に聴き入っていました。
切なく悲しい、その歌を。




