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勇者様に迫る陰

 ある寒さの厳しい冬。私とマックスとセオドールは私の家のリビングに集まり、温いココアをすすっていました。この場に隊長ユーリクはいません。彼は一つ隣の部屋で、城から来た使者と話をしているのです。


 誰も、何も言いません。

 多分三人とも、考えていることは同じです。でも、誰もそれを口にしません。

 一度口にすれば、枷が外れてしまうから。

 正夢になってしまうから。

 がたがたと隣の部屋でイスが引かれ、使者の人が何か言います。私の両親が使者を見送りに出て、代わりにユーリクがこっちへやって来ました。

 とても、浮かない顔です。手には、くしゃくしゃに握りしめられた手紙が握られていました。

「……ユーリク、ココア、飲む?」

 席を立ってそう問いますが、ユーリクは疲れたように首を横に振りました。ユーリクが私の申し出を断るのは、実はこれが初めてでした。

 ユーリクは空いた席に座り、握り潰した手紙をテーブルに置きました。

「……国王陛下から命令が下った」

 掠れた声で、ユーリクは言います。

「……俺に勇者の称号を与えると。だから、軍を率いて魔王討伐に向かえと」

 誰も、何も答えません。

 予期していたことですから。

 きっととそうなるだろうと、予想していましたから。

「……そうか! そりゃあよかったな、ユーリク!」

 かなり間をおいてから、マックスが立ち上がってユーリクの背中をばしんと叩きます。

「勇者なんて誰もがなれるわけじゃないぞ! 誇りに思えよ!」

「……そうだな」

 ユーリクは硬い表情をわずかに崩して答えますが、決して安堵したわけではないと、誰もが分かっていました。自分の身を気遣うマックスの思いやりに応えての笑顔だったのです。

「マックスの言う通りだよ、ユーリク」

 セオドールもまた、硬い笑顔でユーリクを励まします。

「それにユーリクなら心配ないだろう。今まで幾多の困難を切り開いてきたんだから」

「そうだそうだ!」

 マックスはニッと笑い、こんな寒い中なのに上着を腕まくりしました。

「さて、それならオレたちも準備しないとな! 出発はいつだ?」

 その一言に、ユーリクの表情が固まりました。貼り付けていた笑顔が剥がれ、苦虫をかみつぶしたかのような苦渋に満ちた表情になります。

「……すまない、マックス。それにセオドール」

 ユーリクはさっき皺を伸ばしたばかりの手紙を再びぐしゃっと片手で握り、緩く首を横に振りました。

「二人は、町に残っていてくれ。町の警備を頼むと、陛下から指示があったんだ」

 はっと、二人は息をのみました。マックスは振り上げた腕をぱたりと落とし、セオドールは覚悟していたように、すっと目を伏せます。

 名目上は「町の警備」。国王から命令されるのだから、これも立派な仕事です。

 でも、つまりはユーリクの魔王討伐へは行けないということ。

 ここには、裏の意味が込められているのです。

 おまえたちは実力不足だと。ユーリクの軍に入れるには弱すぎると。

 二人も同時に理解したのでしょう、目を伏せた二人を見、ユーリクは申し訳なさそうに頭を下げます。

「……すまない。マックスもセオも俺と一緒に行きたいと言っているのは分かっている。だが……二人はシリーと一緒にここで町を守っていてほしいんだ」

 自分の意志じゃない、とユーリクの目は訴えています。もちろん私たちはユーリクが嫌々国王の命に従っているのを理解していますし、それに逆らえないということも分かってます。

「……翌朝に町を出て、城に向かう」

 紙を握りしめたままユーリクは立ち上がりました。

「かなりの長旅になるだろう。ひょっとしたら、年単位になるかも……」

「……そうだな。今までで一番の長期戦になるな」

 にか、と底抜けに明るい笑顔を浮かべ、マックスは幽霊のように暗いユーリクの肩を小突きました。

「期待してるぜ、隊長! オレらのリーダーさんよ!」

「ユーリクなら負けない。僕は信じているよ。町のことなら任せてくれ」

 優しい声でセオドールも励まします。

「さ、明日の朝も早いんだろう。僕たちが片づけをするから、ユーリクは先に休んでいないよ」

「……そうする。ありがとう」

 ユーリクは無理に笑顔を浮かべ、軽く手を振って自分の部屋に上がっていきました。



 今日は冷えるだろうからと、母さんがたくさんの毛布を私に預けてきました。ユーリクの部屋に持っていけということです。

 私は両腕いっぱいに毛布を抱えてユーリクの部屋に上がります。

「……ユーリク」

「シリーか。どうぞ」

 ドアを開けると、ユーリクは私に背中を向けて、明日の仕度をしていました。

「毛布、持ってきたよ。今夜は冷えるだろうから」

「ああ、ありがとう。後でおばさんにも礼を言っておくよ」

 早口で言うユーリク。


 ねえ、ユーリク。

 私の方を見て。


「……長い、旅になるだろうね」

 どかっと毛布をベッドに乗せてそう言うと、ユーリクは荷物を荷袋に詰めながら頷きました。

「だろうね。しっかり荷造りもしないと……」

「でも、私たちはちゃーんとお留守番するから。ユーリクが無事に帰ってくるの、待ってるよ」

 ぴた、とユーリクの手が止まります。どうしてここでユーリクが反応したのか分からず、私が戸惑ってその背中を見つめていると、相変わらず背中を向けたまま、ユーリクは言いました。

「……俺、もうここには戻ってこないかもしれない」

「……え?」

 冷酷な、別れの言葉。思わず、その背中に飛びつきました。

「どういうこと……! ユーリク、まさか旅で死……」

「……例え生きて帰れても。俺はここには帰れないかもしれないんだ」

 ぎゅうぎゅうと背中に抱きついても、ユーリクはこっちを向いてくれません。

「……国王陛下が言ったんだ。もし、魔王を討伐できたなら国で一番の宝をくれる、って」

「国で一番の、宝……」


 もしや、もしや。

 いいえ、そんなはずがない。私の思い違い。

 そう願っていたのに。


 ユーリクはやっとこっちを向いてくれました。表情を一切消した、冷たい顔で。

「……俺に姫様をくれるんだってさ。国一番の美姫を、俺の妻にしてくれるんだって」

「……!」

 息が、できない。

 ユーリクが言った言葉がぐるぐると、頭の中を駆けめぐります。嘘であってほしかったのに。でも、ユーリクは微かに眉を寄せて自嘲気味に笑います。

「……変な話だよな。勝手に向こうが俺を勇者に仕立て上げて魔王討伐に向かわせるんだぞ? 俺はそんな称号結構なのに。おまけに魔王討伐の旅に親友を連れていくことは許されない。蝋人形のように冷たい兵士や嫌みな呪術師と一緒なんだよ? まったく、馬鹿げている」

「……ユーリク?」

「本当に、ふざけている……。それで、死んだら終わりだし魔王を倒して帰還しても、姫様と結婚という罠が待っている。……どうやら、最初から姫様はそのつもりだったんだって。俺に馬を与えたときから唾を付けていたんだと」

「ちょっと、ユーリク!」

 いつになくユーリクがおかしくて、言葉も荒い。なだめようとしても、ユーリクはくつくつとのどの奥で笑うばかり。

「国王としては、自分の愛娘を与えられるんだから感謝しろ、ということだろうな……どうして、そういう思考回路になるんだか。いつ、俺が姫様と結婚した言っていったんだ? 何が褒美だ? ただの束縛じゃないか。魔王を倒しても、俺を離す気はないんだろうな。一生、俺を使い回すつもりなんだろう……」

「やめてよ、ユーリク!」

 下にいる父さん母さんに聞こえたかもしれないけれど、今はそんなこと考える暇ありません。正気を失ったユーリクの肩を掴み、力の限り揺すぶります。

「ユーリクはそんな人じゃない!」

「……じゃあ、どうしろというんだ!」

 初めて、ユーリクが私に声を荒らげました。その覇気に、私のようなちっぽけな一般市民は気圧されてしまいます。

「魔王を倒したら夜逃げしろと? 相手は国王だ! この町が俺の故郷だとも割れているんだ! 逃げたりすれば、町を潰しに掛かる……そういう人間なんだ、国王は!」

「えっ……」

 衝撃の事実に、私はただ声を失うばかり。ユーリクはわずかに目を細めて、苦しそうに首を横に振ります。

「……そうなんだよ。巷で知られているのは、賢明なる国王と美しく慈悲深き姫君。でも、事実はそんな優しくない。俺はこの目で見たんだ。力を得るためなら犠牲を厭わない国王と、自分の欲のためなら何だってする姫……」

 枷が外れたのか、ユーリクは絞り出すように私に訴えてきました。

「……マックスとセオを逃がすのも精一杯だったんだ。下手すれば、あの二人は国王軍の手に掛かって処刑されかねないくらい、危険な立ち位置にあったんだ。あの二人がいれば俺の決心が薄れる、という理由で」

「……そんな……」

「俺を勇者に任命したのも、簡単な話じゃない。俺が断れないよう、何十にも警備を敷いて、あらゆる外部の手をはね除けて、不安要素となる人物を始末して……マックスとセオ、それにシリーは特に警戒されていたんだ」

 そこまで言われて、ようやく私も気付きました。

 ユーリクは私たちを盾に取られたのです。もし逃げようものなら私たちを処刑し、町を滅ぼすと。それが嫌なら黙って勇者の任務を受けて魔王を討てと。

「……それでも俺は、国王を憎みきることはできなかった」

 もう、つぶやくようになりながらユーリクは言います。

「それだけ、魔王討伐は最大の優先事項だったんだ。小さな障害を踏みつぶしてでも、魔王を討たねばならない。俺がいなくなれば次にいつ、勇者候補となる者が現れるか分からないんだ」

「……」

 ユーリクは大きく息を吸い、「ごめん」とつぶやきます。

「こんなこと……シリーに言うべき内容じゃなかったな」

「そんなこと……ないよ」

 項垂れたユーリクの背中に、私は腕を回しました。細い割に筋肉がしっかり付いたユーリクの体は、私の腕では到底包みきることはできません。

「言ってくれてよかった。私も、ユーリクの辛さを分かち合うことができたから」

「シリー……」

 ユーリクの淡いブルーの目が私を射抜きます。優しくて、それでいて強い力を秘めたユーリクの眼差し。

「……ユーリクは、ユーリクのしたいようにすればいいんだよ。私もマックスもセオドールも、誰だってユーリクを嫌ったりしない。みんな、ユーリクのことを信じているから」

「俺、は……」

「ね、覚えていて。ユーリク」


 どんなに遠くに行ってしまっても。

 私の手の届かない人になってしまっても。


「……シリーっていう幼なじみがいたこと……ユーリクのことが大好きな女がいたこと、どうか、忘れないで……」

 ずっとずっと、小さい頃から抱いていた想い。

 今ではもう遅すぎたけれど。

 私の告白を聞き、ユーリクの体がぴくっと震えます。青空のようにすんだ目に炎が宿ったように、見えました。

「……シリー、君は……俺のことを、好いてくれるのか?」

「ええ」

「……こんなに汚くても、情けなくて醜い男なのに……好きでいてくれるのか?」

「ええ。……もっと早くに言えなくてごめんね、ユーリク」

「……そんなこと、ない……!」

 息をついたのもつかの間、いきなりユーリクが立ち上がったかと思うと、私の体はすっぽり、ユーリクの腕の中に収まっていました。さっきまで私がユーリクを抱きしめていたのに、今は私は身動き一つできず、ユーリクにされるままになっています。

「俺も……俺も、君がよかった。シリーがよかったんだ! だから、もっと強くなって、しっかり稼げたら……それから、言おうと思っていたんだ……」

「ユーリク……」

 どくどくと、ユーリクの胸から熱い心臓の音が響きます。きっと、早鐘のように打つ私の心臓の音も、ユーリクに届いているんでしょう。

「……シリー」

 耳元に熱い息が吹き掛かって、思わず身が跳ねてしまいました。

「決めた。俺は必ず、魔王を倒す。倒したら……シリー、君を迎えに行く」

「え?」

 話が違う、と警告しようとしましたが、ユーリクの大きな手が私の口を封じてしまいました。

「姫のことなら……気にするな。もう迷わない」

 そう確固とした口調で言うユーリクの目には、確かに迷いは消えていました。

「褒美を取らせるというのなら、俺の身を自由にすることを願う。押しつけの褒美ではなく、俺が本当にほしい物を遠慮なくいただくことにする」

 それくらい、許されるだろう? と、ユーリクは優しい眼差しで問います。

「……いいの?」

「何が?」

「私で」

「ああ、シリーがいいんだ」

 にこっと、久々に見るユーリクの笑顔。

「ありがとう、シリー。俺は必ず……帰ってくるよ。シリーのいる、この町に」

「うん……」


 その約束、叶えてね。


 大好きな人の腕の中で私は静かに目を閉じました。

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