第九話:ブナの木の下に、もうひとり
気がつきますと、身体のすべてが動かなくなっておりました。
――また、あの夢ですのね。
二度目ですもの、もう驚きません。
ただ、今度は光ばかりではございませんでした。
窓が見えます。
窓から見えるのは、前庭でございました。
大きなブナの木が、堂々と枝を伸ばしております。
わたくしの目は、その木の下へ向いておりました。
緑の草のなかに、茶色い土がのぞいております。そこだけ草が生えていないのです。
ほかを見ようとしても、目はそこから動いてくれません。
ただ、じっと、その土を見つめ続けておりました。
あそこには何があるのかしら、と考えておりますと――。
ふっと、身体に感覚が戻ってまいりました。
目を開けますと、主寝室の天井でございました。
そのまま、わたくしはベッドで身体を起こしました。
――まあまあ、また不思議な夢でしたわ。
今度の夢は、前よりもずっと、何かを見せたがっているようでございました。
わたくしはベッドから抜け出しますと、窓辺へと近づきました。
窓辺の椅子には、メリーちゃんが腰掛けておいででした。
けれど、そのお顔は、いつの間にか窓の外へ向いておりました。
昨夜は、お部屋のほうを向いたまま、おやすみなさいと申し上げましたのに。
わたくしはしゃがみ込んで、話しかけます。
「おはようございます、メリーちゃん。また、昨夜も、あなたが夢を見せてくださったのかしら?」
メリーちゃんは何も答えません。
けれど、その澄ましたようなお顔を見ているだけで、今はなんだか心が通じ合っているような気がしてまいります。
マリアは、もう身支度を済ませておりました。
「おはようございます、お嬢様。すでにお目覚めでございましたか」
「おはようございます、マリア。ちょうど今、起きたところですわ」
マリアはお辞儀をし、朝の着替えの支度を始めました。
手際よくドレスを整え、ブラシを手にしてわたくしの髪を梳かしてくれます。
わたくしは梳かされる心地よさを味わいながら、口を開きました。
「マリア、昨夜、不思議な夢を見ましたの」
「左様でございますか」
「ええ。窓の外が見えて、前庭の大きなブナの木の下を見ておりましたの。そう、草が生えていないところを、ずっと見ておりましたわ」
マリアの動かしていた手が、ふと止まりました。
「前庭の、ブナの木でございますか」
マリアはそれだけを申しますと、またブラシを動かし始めました。
わたくしは窓辺のメリーちゃんを見ました。
メリーちゃんは、窓の外を見ていらっしゃいます。
夢で見えたのは、あそこの窓から見た景色でございました。
あの夢は、きっとメリーちゃんから見たものに違いありませんわ。
「それにですね。マリア、ご覧になって? メリーちゃん、また窓から外を見ていらっしゃいますわ」
「……昨夜は、お部屋のほうを向いておいででしたが」
「ええ。一晩のうちに、あのようになったのです。なんともご自由なことですわね」
外を見たいのだろうと窓辺へお移ししたときと、同じ考え方でございます。
きっと、ブナの木の下に何かがあるのです。
「マリア、前庭へ行ってみましょう!」
「前庭、でございますか」
「ええ! メリーちゃんが見ている場所へ、行ってみなくてはなりませんわ!」
マリアは髪を整え終えますと、ブラシをテーブルへと戻しました。
「かしこまりました」
「それと、ですね! 貯蔵室から、あの鉄のシャベルを持ってまいりましょう」
「なるほど、シャベルでございますか」
「掘ってみますわ! きっと何かがあるのです!」
わたくしたちは身支度を済ませますと、主寝室を出ました。
わたくしは、たすきをほどいたメリーちゃんを、しっかりと抱きかかえております。
この子が気にしている場所へ行くのですから、一緒にお連れするのが一番です。
わたくしたちは貯蔵室へ立ち寄り、そこにある鉄のシャベルを持ち出しました。
「マリア。これです」
「はい、お嬢様」
昨日使ったものと同じ、頑丈な鉄のシャベルでございます。
わたくしはメリーちゃんを持っておりましたので、マリアが二本のシャベルを持ってくれました。
「外ですわ!」
「お嬢様、足元に注意してください」
わたくしは、玄関の扉を開けて前庭を進みます。
前庭には、穏やかな風が通り抜けておりました。
そして、大きなブナの木が、どっしりと立っております。
太い幹からたくさんの枝が伸び、青々とした葉を茂らせておりました。
わたくしたちは、ブナの木へと進みます。
そして、その場所へと辿り着きました。
そこには、夢で見た景色がそのまま広がっておりました。
木の下では、草の生えていないところがございます。そこでは茶色い土が、そのままなのです。
ほかの場所には、草がびっしりと生えているにもかかわらず。
「本当に、ここだけ草が生えておりませんわね」
「左様でございますね。土がそのまま、むき出しになっております」
「ええ。夢で見たとおりですわ!」
わたくしは抱えていたメリーちゃんを、草の上にそっと下ろしました。
木に背中を預けるようにして、丁寧にお座りいただきます。
「ここで見ていてくださいね、メリーちゃん。今から掘ってみますわ」
メリーちゃんは座ったまま、こちらを見つめております。
わたくしは立ち上がり、鉄のシャベルを両手でしっかりと握りました。
昨日、裏庭で土をかぶせたばかりですから、シャベルの持ち方は覚えております。
「さあ、参りましょう、マリア!」
「はい、お嬢様。無理をなさらず、危なくなったらすぐにお止めください」
「ふふ、大丈夫ですわよ。せーの、でいきますわ!」
わたくしたちは、草の生えていない土へとシャベルを突き刺しました。
サクッ、と軽い音がいたします。
シャベルに足を乗せ、力をぐっとかけました。
刃先が土へと沈み込んでまいります。
地面は柔らかく、シャベルがズブズブと入っていきました。
そのまま、地面をほじくり返していくと、たちまち土の山ができていきます。
マリアも無駄のない動きで、シャベルを入れて、土を掻き出していきました。
「よいしょ、っと!」
「お嬢様、急ぎすぎてはいけません。何かが埋まっていたら、シャベルで壊してしまいます」
「ああ、そうですわね! 慎重に、慎重に、ですわ!」
わたくしたちは、大胆かつ慎重に土を掘り進めてまいりました。
シャベルで掘る穴は少しずつ深くなり、わたくしの足首を越え、すねほどの深さになってまいりました。
けれども、特に何かが出てくるわけでもございません。
さらに周囲を掘り進めていきます。
サクッ、ぽい。サクッ、ぽい。
土をかき分けて、そこに何かが埋まっていないか、確認するのです。
その時でした。
何かの手応えが手のひらへと伝わってまいりました。
土の柔らかさとは異なるものでございます。
「っ……! マリア、止まってくださいまし!」
わたくしは慌てて声を上げ、シャベルを止めました。
マリアもすぐにシャベルを土から引き抜きました。
「何かに当たりましたでしょうか」
「ええ、当たりましたわ! けれど、石ではありませんの」
「左様でございますか。では、これ以上シャベルを使うのは危険でございますね。傷つけてしまうかもしれません」
「ええ、手で掘りましょう!」
わたくしたちはシャベルをおいて、膝をつきました。
土でドレスが汚れることなど、少しも気になりませんでした。
わたくしは両手で、慎重に土を掻き分け始めました。
マリアも、丁寧に手際よく土を払いのけていきました。
何かに触れました。
湿った布のような、ざらざらとした手触りでございます。
「ありましたわ、マリア! 布ですわ!」
「はい、お嬢様。こちらにも、何か硬いものがございます」
わたくしたちは息を合わせ、土を優しく払っていきました。
土の中から、少しずつ何かが形を現してまいります。
細い腕のような形。
ほつれた布の胴体。
そして、白く滑らかな磁器の丸みが、土から顔を見せました。
『まあ……!』
わたくしは両手を差し入れ、土ごとすくい上げるようにして、抱き上げました。
土の中から、ぽろぽろと泥をこぼしながら、そのお方が姿を現しました。
小さなお人形さんでございました。
土まみれになった、ビスクドールでございます。
草の上に座っているメリーちゃんによく似た、別のお人形さんでございました。
メリーちゃんよりも一回りくらい小さい姿をしております。
長いあいだ埋まっていたのでしょう。
メリーちゃんとうり二つの金色の髪には土が固まり、ぼさぼさに乱れておりました。
胴体は布で作られておりますけれど、ところどころほつれてしまっております。
そして、片方の腕が外れかけておりまして、少し動かすだけで取れてしまいそうなほど、頼りなくぶら下がっております。
それに、着ている古い服は擦り切れてぼろぼろでございました。土で茶色く染まり、もともと何色の布だったのかさえ見当もつきません。
けれど。
磁器で作られたその小さなお顔には、傷ひとつございませんでした。
「お人形さんですわ……! メリーちゃんと同じ、ビスクドールですわ!」
わたくしは思わず、その小さなお人形さんを抱き寄せました。
「お嬢様、服が土だらけになってしまいます」
マリアがハンカチを取り出しながら、忠告を口にいたしました。
「いいえ、マリア、構いませんわ! こんな土の中に、ずっと一人で埋まっていたのですもの。早く温めてあげなくては可哀想ですわ!」
泥がついたって、洗えば落ちますもの。
そんなことよりも、この小さな子がこうして見つかったことのほうが、何倍も大切でございます。
マリアは、わたくしが抱いたお人形さんを、じっと見つめました。
「メリーちゃんによく似ておりますね。ですが、お身体が少し小さくございます」
「ええ、一回り小さいですのね! そうです! わたくし、この子の名前を決めましたわ!」
「もうお決めになったのでございますか」
「ええ、もちろんですわ! アリスちゃんですわよ。メリーちゃんとアリスちゃん。おふたりとも、とっても可愛らしいと思いませんこと?」
わたくしがそう告げますと、マリアは一礼をいたしました。
「アリス様、でございますね。かしこまりました」
「様はいりませんわ、アリスちゃんです!」
「かしこまりました、アリスちゃん」
勝手に名づけてしまいましたけれど、絶対にこの名前がぴったりですわ。
もちろん、アリスちゃんは何も話しません。
ただ、わたくしの腕の中におられます。
「マリア、そのハンカチをお貸しくださいな」
「……お召し物ではなく、でございますか」
「ええ。この子のお顔ですわ」
わたくしはハンカチを受け取り、アリスちゃんの小さなお顔の土を拭ってあげました。
ぽろぽろと土が落ちてまいります。
その紺碧のガラスの目が、澄んだ色をしておりました。
わたくしはメリーちゃんに振り返りました。
メリーちゃんは、静かにこちらを見つめておりました。




