第六話:はじめての夜は、お人形さんと添い寝で
マリアが主寝室へと戻ってまいりました。
その両手に、一階から運んできた祓いの道具を持っております。
「お嬢様、こちらでございます」
「マリア、持ってきてくれてありがとう」
「いいえ、お嬢様。お役に立てば幸いでございます」
わたくしは、マリアからブツを受け取りました。
まずは、わたくしが自分で木を削って作ったお祓い棒でございます。
手のひらに馴染むよう、角を落として丸みを持たせた、飾り気のない棒でした。
けれど、わたくしにはこれで十分でした。
なにしろ、わたくしの除霊とは、悪霊を力ずくで退治するものではございませんもの。
相手を無理やり追い払うのではなく、お相手のお話を聞くことでございます。
「さて、と」
わたくしは、メリーちゃんの近くで腰を下ろしました。
ちゃんと、メリーちゃんの顔が見えるように座りなおします。
メリーちゃんは、青いガラスの目でじっと前を見つめております。
青いドレスも、乱れひとつございません。
わたくしはお祓い棒を手にして、にこやかに微笑みかけながら、口を開きます。
「メリーちゃん、ご機嫌よう」
わたくしの声が、静かな主寝室に響きました。
メリーちゃんは動きません。
ただ静かに、ちょこんと座っているだけでございます。
「あなたは、どなたですの? どうして、この館にいらっしゃるのかしら」
わたくしは、穏やかな調子で問いかけました。
前世で悪霊と向き合っていたころは、語りかければ相手の怒りや悲哀といった想いが、おのずと伝わってきたものでございました。
たとえ、お言葉を話されないお相手であっても、その場の気配がざわついたり、相手の感情がこちらへ伝わってきたりしたものです。
強い執着や、誰かを求める切ない叫びのようなものが、必ず手応えとしてございました。
けれど、今回は様子がまったく違っておりました。
何もありません。
人間のお言葉でお返事がないのは、もちろんのことでございました。
けれども、このメリーちゃんからは何もございません。
悪霊特有の気配ですら、まったく感じられないのでございます。
胸を打つような想いも、冷え冷えとした怒りも、何一つ伝わってまいりません。
何ひとつ変わらない、とても新しい感覚でございました。
「メリーちゃん、わたくしの声が聞こえていらっしゃいますか?」
わたくしは、もう一度語りかけてみました。
お祓い棒を手にしたまま、わたくしは心を開いて、お相手に向き合いました。
前世で培った感覚を研ぎ澄まして、メリーちゃんの気配を探りました。
「誰かを待っていらっしゃるの? それとも、何か伝えたいことがおありなのかしら」
言葉を繰り返しても、メリーちゃんからの反応はございません。
けれど、拒絶されているわけでもないのです。
ただ、どこまでも何もないのでございます。
どれほど耳を澄ませても、どれほど相手の心を感じ取ろうとしても、そこにはただ静けさがあるだけでございました。
メリーちゃんは、青いガラスの目で虚空を見つめたままでございます。
白い磁器のお顔にも、何の変化も現れません。
「まあ……!」
わたくしは、思わず声を漏らしてしまいました。
この手応えのなさは初めてです。
こんな悪霊、前世でも出会ったことがございません。
「マリア、すごいですわ! まったく手応えがございませんの!」
「手応えがないのでございますか、お嬢様」
控えていたマリアが、いつもと変わらぬ調子で尋ねてまいりました。
「ええ! 声も、雰囲気も、その想いすらも、何一つ反応がありませんわ!」
「それは、除霊が失敗したということでございましょうか」
「いいえ。わたくしの投げかけた言葉が、すべて素通りしてしまっているようなのですわ」
「通じていない、ということでございますか」
「ええ! ここまで通じない相手だと、かえって興味が湧いてまいりますわね」
メリーちゃんの正体がまったく掴めないこと。
それが、わたくしには、とっても面白く思えましたの。
「なんて奥ゆかしいお人形さんなのでしょう。ますますメリーちゃんのことが好きになってしまいましたわ」
「お嬢様、それを世間では不気味と呼ぶのでございます」
「あら、こんなに愛らしいのに、不気味だなんて可哀想ですわ」
わたくしが笑いながらメリーちゃんを見つめているうちに、お部屋へ入ってくる光が赤みを増してまいりました。
主寝室の大きな窓から差し込む光が、夕方のものへと移り変わっていたのです。
「お嬢様、日が暮れました」
マリアが窓へ目を向け、告げました。
「あら、もうそんな時間になってしまいましたのね」
「はい。今日のところは、これまでとして。夜を越す支度をいたしましょう」
「そうですわね。マリアの言う通りですわ」
わたくしは立ち上がりました。
今日のところは、ここまでにしておくのがよろしいでしょう。
「厨房へまいります」
「まあ! お料理のお時間ね!」
わたくしたちは、厨房へ向かいました。
その間、ずっとわたくしの手には、お祓い棒がございます。
ああ、やっぱり。これがあるとどこかしっくりきますわ。
わたくしはルンルンとした気持ちでマリアと一緒に廊下を歩きました。
「厨房です」
「やっぱり、この館は広いですわね」
厨房に到着いたしますと、テキパキとマリアが支度をはじめました。
「お嬢様は、竈の火を見ていてください」
マリアが火打石で竈に火を入れ、手早く鍋をかけております。
「またそれだけですの?」
「お嬢様だけにお願いできる、いちばん大切なお役目でございます」
わたくしが竈の火を見守っているうちに、簡単な食事ができあがりました。
「マリア、せっかくの最初の晩餐ですもの。食堂でいただきましょう!」
「二人きりで、あの長いテーブルをお使いになるのでございますか」
「ええ! 向かい合わせに座って、ゆっくりお話しいたしましょう」
「お声が届きませんので、お隣に座らせていただきます」
「まあ、それでは晩餐らしくありませんわ」
「スープが冷めるほうが、晩餐らしくございません」
マリアはスープの鍋とパンを抱え、わたくしはお祓い棒を手に、そのあとをついて食堂へまいりました。
温かいスープを口にすると、心まで心地よく温まってまいります。
「お嬢様、今夜はどちらでお休みになりますか」
「もちろん、主寝室ですわ!」
「メリーちゃんのいらっしゃる、あのお部屋でございますか」
「ええ! メリーちゃんがいらっしゃるからこそ、わたくしはあの主寝室で寝たいのですわ!」
「……やはり、そうおっしゃると思いました」
マリアは、わたくしが食堂のテーブルにおいた、そのお祓い棒を見ながら答えました。
「だって、よく考えてごらんなさいな。あの摩訶不思議なメリーちゃんのおそばで夜を過ごせるなんて、最高の贅沢ではありませんこと?」
「お嬢様にとっては、呪いの噂すら素晴らしい余興のように思えるのでございますね」
「余興だなんて、そんな軽々しいものではございませんわ。わたくし、純粋にメリーちゃんともっと仲良くなりたいだけですの!」
「仲良くなる、でございますか」
「ええ。ですから、わたくしは、メリーちゃんと同じベッドで寝ますわね!」
「ご一緒に」
「添い寝ですわ。お話は聞かせていただけませんでしたもの、せめて一晩、おそばにいさせていただきますの」
「かしこまりました。寝具は、貯蔵室から運んでまいります」
「よろしく頼みますね、マリア」
夕食のあと、シャワーを浴び、寝具を運び出して、わたくしたちは再び二階の主寝室へと戻ってまいりました。
「メリーちゃん、ただいま戻りましたわ。今夜は、ご一緒させていただきますわね」
わたくしが扉を開けると、暗かったお部屋に魔道ランプがふっと灯りました。
灯りに照らされたお部屋の様子は、昼間とまったく同じでございました。
窓際のベッドには、メリーちゃんが座っております。
「お嬢様。どちらのベッドでお休みになられますか?」
このお部屋には、ベッドがふたつございます。
「メリーちゃんとご一緒なら、どちらでもよろしくてよ!」
わたくしは、お祓い棒をテーブルにおいてから、そのように答えました。
「でしたら、窓際のベッドがよろしいかと」
「分かりましたわ!」
マリアは手際よく寝具を整えてくれました。
わたくしはメリーちゃんをそっと抱き上げて、ベッドに寝かせ直しました。
小さな身体に、掛け布団を肩まで掛けてあげます。
それから、わたくしもメリーちゃんといっしょに横になりました。
白い磁器のお顔は、天井を向いております。
もう一つのベッドでは、マリアが横になりました。
わたくしが魔道ランプに触れて明かりを落とすと、部屋はしんと静まり返りました。
暗くなった部屋で、メリーちゃんはわたくしの隣におりました。
語りかけても何も返してくれなかった、手応えのない不思議なメリーちゃん。
けれど、同じベッドで横になっていると、どこか心地よい安心感すら覚えてしまうのでございます。
おやすみなさい、メリーちゃん。明日もまた、お話しいたしましょうね。
わたくしは心の中でそう語りかけながら、静かにまぶたを閉じました。




