第三十五話:流行りは麦わら帽子ですわ
晴れた朝の空の下、畑へ向かいますと、すでにロバの荷車が止まっておりました。
あの畑に入る手前で、ギルドマスターのガストンさんが、手綱を握って待っていらっしゃいました。
のんびりと道に生えている草を食んでいるロバのそばに、その大きな身体を落ち着かせて立っていらっしゃいました。
荷車の荷台には、毛布でくるまれた姿見が載せられております。
それは太い麻の紐で、ぎっちりと縛り上げられておりました。
「おう、ようやく来たか、お前さんたち」
ガストンさんが、声をかけてまいりました。
「おはようございます、マスター!」
わたくしは笑顔でご挨拶を申し上げました。
「町長から朝早くに叩き起こされてな。これを持ってここまで運べと、きつく言いつけられたんだよ」
ガストンさんは困ったように顎髭をさすりました。
「町長様のお言いつけ通りに運んでいただき、感謝申し上げます」
マリアが頭を下げました。
「まあ、ヴィクトリアさんは本当にお仕事がお早いですわね。とても頼もしいお方ですわ」
「早すぎるくらいだ。おかげで朝飯も食いっぱぐれたぜ。あの町長、突然、自分の家まで呼び出してきたと思ったら、この言いがかりだ。貴様の不始末の落とし前をつけろ、だとよ」
ガストンさんはぶっきらぼうにぼやきながら、荷車の荷台を見ております。
「傷ひとつつけたら承知せんぞと、町長にきつく念を押されたからな。妙なことに使うんじゃないぞ」
「ええ、大切に扱わせていただきますわ」
わたくしは荷台の大きな包みを見上げました。
ヴィクトリアさんのご自慢の品だけあって、グルグルに巻かれた状態でも堂々とした大きさを誇っております。
「では、マスター。こちらを畑の中まで運んでいただけますかしら」
「……あ? 俺は荷車でここまで運べと言われただけだぞ」
「いいえ、ギルドマスター様。町長様は『その畑まで運ばせる』と仰せでございました。つまり、この畑の中まで、と存じます」
マリアが、すました顔で申し上げました。
ガストンさんは、ぐっと言葉に詰まりました。
「冗談じゃねえ。あの一家がギルドに出した依頼書にはな、畑の異変を見てはならんと書いてあったんだ。俺はギルドの責任者だぞ。依頼書を守るべきだろ」
「そのルールを破る必要はございません。異変を見なければよろしいのでございます」
マリアは自分の麦わら帽子を外しました。
そして、精一杯に背伸びをして、ガストンさんの頭へとかぶせます。
「……おいおい、なんで俺がこんなもんを」
「畑の作法でございます。そのまま、つばの下の足元だけをご覧くださいませ。それで異変は見えません」
「まあ! マスター、とてもよくお似合いですわ!」
「似合ってたまるか!」
大柄なガストンさんの頭に、麦わら帽子がちょこんと載っております。
熊のようなお方が、すっかり畑の働き手のお姿でございます。
「でもマリア、それではあなたの帽子がなくなってしまいますわ」
「私は構いません。お嬢様のお顔だけを見ておりますので」
「わたくしの顔、ですの?」
「はい。お嬢様がご覧にならないよう、お見張りいたします」
マリアは、いつもの涼しいお顔で言い切りました。
見張られるのは少々窮屈ですけれど。
マリアにずっと見つめられる分には、悪い気はいたしません。
「さて、マリア。これから姿見を立てる場所を決めておかねばなりませんわ」
わたくしは麦畑を見つめながら申し上げました。
「はい、お嬢様。では、いかがされましょうか?」
マリアが足を止め、わたくしへと向き直りました。
わたくしは、以前にこの畑へ足を運んだときのことを思い出しました。
青い麦が一面に広がる畑で、あのとき、自然と目が向いた場所がございました。
わたくしは手をすっと伸ばして、麦畑の畝を指し示しました。
「あちらですわ、マリア。あの少し土が盛り上がった畝のあたりです。あちらの向きへ、姿見を向けたいのです」
マリアはわたくしの指し示す場所を、真剣に見つめました。
「かしこまりました。あの畝は、こちらからまっすぐに進んだ場所でございますね。立てるときに、鏡がお嬢様のお示しのとおりに向くようにいたしましょう。ギルドマスター様、そのようにお願いいたします」
「ああ、分かったよ」
ガストンさんは、ぶつぶつと文句をこぼしながら、荷台から荷縄を一本引き抜きました。
そして、姿見を背負い上げました。
さすがは力仕事に慣れたお方でございます。
「お嬢様も、お帽子を深くおかぶりくださいませ」
わたくしも、つばの広い帽子を深くかぶり直しました。
つばが視界を奪います。このままでは、地面しか見えなくなります。
悪霊を見てしまわないための、畑の大切な作法でございますね。
「……おっかねえ。おっかねえなあ、まったく」
ガストンさんは、靴だけを見つめて、のしのしと畑へ踏み入りました。
わたくしも、足元だけを見つめながら、そのあとに続きました。
以前にこの麦畑を訪れたときとは、まったく違う感覚でございました。
あのときは、青々とした広い麦畑を遠くまで見渡しておりました。
ですが今は、帽子のつばのせいで、足元の土しか見えません。
視界に入るのは、土の凹凸と、足元を横切る畝たち。
畑の土は柔らかく、踏みしめるたびに靴がズブズブと沈みます。
「ギルドマスター様! 姿見が不安定でございます! うつむきすぎでございます!」
マリアの鋭い声が聞こえてまいりました。
「うおっ!?」
ガストンさんもたじたじでございます。
「背筋をお伸ばしくださいませ! お顔は下を向いたままで!」
「どっちだよ!」
「首から上はそのまま、背中だけでございます!」
ガストンさんが唸りながら、背中を起こしたようでございます。
わたくしは思わず、顔を上げてみたくなりました。
「お嬢様、お気をつけくださいませ。お顔はそのままで」
「マリア、気になりますの」
「目を手で覆います」
「それは困りますわ」
はあ、とため息をついて、わたくしは地面を見ました。
マリアは、わたくしを守ろうと必死です。
ですが、その意志を無下にするわけにもまいりません。
「おい、風で持っていかれそうだぞ!」
「風に逆らわず、踏ん張ってくださいませ!」
「ああ、もう、注文の多いメイドだな!」
マリアの声に従って、ガストンさんが一歩ずつ畝の間を進んでおられるようです。
マリアはといえば、ガストンさんの足取りに声をかけながらも、わたくしをじっと見ているようでございます。
「マリア、さっきからわたくしばかり見ておりますわね。とても視線を感じますわ」
「お見張り申し上げておりますので」
「わたくし、ちゃんと足元を見ておりますわよ。お行儀のよい淑女ですもの」
「そのお行儀のよさを、最後まで保っていただければ幸いでございます」
そんな掛け合いを交わしながら、わたくしたちは畝を進んでまいりました。
土からは、畑らしい匂いがいたします。
さらに畝を進んでまいります。
「マリア……まだ着きませんこと?」
「あと少しでございます。ギルドマスター様、もう少しだけまっすぐお進みくださいませ」
「おい、まだかよ。さっさと戻りたいんだが……」
ガストンさんのぼやきに、わたくしはふふっと小さく笑いました。
畑を吹き抜ける風が、麦の葉をざわざわと揺らし、涼やかな音を立てておりました。
そのときでございました。
風に揺れる麦のさわさわという音だけではございません。何か別の音が聞こえてまいりました。
がさがさ、がさがさ。
麦の擦れ合う音でございます。
ふと、わたくしは風とは違う動きをしていた、あの白いものを思い出します。
「……おい。なんだ、今の音は」
「風の音ではございません」
マリアの落ち着いた声が、麦の音のなかに落ちました。
「お、おう……そうかよ。じゃあ、ここでいいな? いいよな!?」
「お待ちくださいませ、ギルドマスター様。下ろしましたら、そのまま鏡をあちらへ向けてくださいませ。そして、畝にあわせて、まっすぐに安定した状態にお立てくださいませ」
「分かってる!」
ガストンさんが、荷縄を荒っぽくほどく音がいたしました。
どすん。どうやら姿見が土を踏む音でございましょう。
続いて、ずず、と脚が土を擦って回る音がいたしました。
「麻の紐もおほどきくださいませ。お顔は俯いたままでございます」
「またかよ! 注文の多いメイドだな!」
「お戻りになる際に、毛布をお落としくださいませ」
「ああ、ああ。終わったぞ! じゃあ、俺は畑から出るからな! 用が済んだら呼べよ!」
ばさり、と毛布が土に落ちる音がいたしました。
それから、ガストンさんが走っていく音がいたします。どうやら、一目散に引き返していかれたようです。
あれほど重い姿見を背負っていらしたとは思えない、見事な逃げ足でございました。




