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婚約破棄してわたくしを追放するのは結構ですが、殿下の後ろにいる女は人間ではありません  作者: 速水静香
第五章:くねくね

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第三十五話:流行りは麦わら帽子ですわ

 晴れた朝の空の下、畑へ向かいますと、すでにロバの荷車が止まっておりました。

 あの畑に入る手前で、ギルドマスターのガストンさんが、手綱を握って待っていらっしゃいました。

 のんびりと道に生えている草を食んでいるロバのそばに、その大きな身体を落ち着かせて立っていらっしゃいました。

 荷車の荷台には、毛布でくるまれた姿見が載せられております。

 それは太い麻の紐で、ぎっちりと縛り上げられておりました。


「おう、ようやく来たか、お前さんたち」


 ガストンさんが、声をかけてまいりました。


「おはようございます、マスター!」


 わたくしは笑顔でご挨拶を申し上げました。


「町長から朝早くに叩き起こされてな。これを持ってここまで運べと、きつく言いつけられたんだよ」


 ガストンさんは困ったように顎髭をさすりました。


「町長様のお言いつけ通りに運んでいただき、感謝申し上げます」


 マリアが頭を下げました。


「まあ、ヴィクトリアさんは本当にお仕事がお早いですわね。とても頼もしいお方ですわ」

「早すぎるくらいだ。おかげで朝飯も食いっぱぐれたぜ。あの町長、突然、自分の家まで呼び出してきたと思ったら、この言いがかりだ。貴様の不始末の落とし前をつけろ、だとよ」


 ガストンさんはぶっきらぼうにぼやきながら、荷車の荷台を見ております。


「傷ひとつつけたら承知せんぞと、町長にきつく念を押されたからな。妙なことに使うんじゃないぞ」

「ええ、大切に扱わせていただきますわ」


 わたくしは荷台の大きな包みを見上げました。

 ヴィクトリアさんのご自慢の品だけあって、グルグルに巻かれた状態でも堂々とした大きさを誇っております。


「では、マスター。こちらを畑の中まで運んでいただけますかしら」

「……あ? 俺は荷車でここまで運べと言われただけだぞ」

「いいえ、ギルドマスター様。町長様は『その畑まで運ばせる』と仰せでございました。つまり、この畑の中まで、と存じます」


 マリアが、すました顔で申し上げました。

 ガストンさんは、ぐっと言葉に詰まりました。


「冗談じゃねえ。あの一家がギルドに出した依頼書にはな、畑の異変を見てはならんと書いてあったんだ。俺はギルドの責任者だぞ。依頼書を守るべきだろ」

「そのルールを破る必要はございません。異変を見なければよろしいのでございます」


 マリアは自分の麦わら帽子を外しました。

 そして、精一杯に背伸びをして、ガストンさんの頭へとかぶせます。


「……おいおい、なんで俺がこんなもんを」

「畑の作法でございます。そのまま、つばの下の足元だけをご覧くださいませ。それで異変は見えません」

「まあ! マスター、とてもよくお似合いですわ!」

「似合ってたまるか!」


 大柄なガストンさんの頭に、麦わら帽子がちょこんと載っております。

 熊のようなお方が、すっかり畑の働き手のお姿でございます。


「でもマリア、それではあなたの帽子がなくなってしまいますわ」

「私は構いません。お嬢様のお顔だけを見ておりますので」

「わたくしの顔、ですの?」

「はい。お嬢様がご覧にならないよう、お見張りいたします」


 マリアは、いつもの涼しいお顔で言い切りました。

 見張られるのは少々窮屈ですけれど。

 マリアにずっと見つめられる分には、悪い気はいたしません。


「さて、マリア。これから姿見を立てる場所を決めておかねばなりませんわ」


 わたくしは麦畑を見つめながら申し上げました。


「はい、お嬢様。では、いかがされましょうか?」


 マリアが足を止め、わたくしへと向き直りました。

 わたくしは、以前にこの畑へ足を運んだときのことを思い出しました。

 青い麦が一面に広がる畑で、あのとき、自然と目が向いた場所がございました。

 わたくしは手をすっと伸ばして、麦畑の畝を指し示しました。


「あちらですわ、マリア。あの少し土が盛り上がった畝のあたりです。あちらの向きへ、姿見を向けたいのです」


 マリアはわたくしの指し示す場所を、真剣に見つめました。


「かしこまりました。あの畝は、こちらからまっすぐに進んだ場所でございますね。立てるときに、鏡がお嬢様のお示しのとおりに向くようにいたしましょう。ギルドマスター様、そのようにお願いいたします」

「ああ、分かったよ」


 ガストンさんは、ぶつぶつと文句をこぼしながら、荷台から荷縄を一本引き抜きました。

 そして、姿見を背負い上げました。

 さすがは力仕事に慣れたお方でございます。


「お嬢様も、お帽子を深くおかぶりくださいませ」


 わたくしも、つばの広い帽子を深くかぶり直しました。

 つばが視界を奪います。このままでは、地面しか見えなくなります。

 悪霊を見てしまわないための、畑の大切な作法でございますね。


「……おっかねえ。おっかねえなあ、まったく」


 ガストンさんは、靴だけを見つめて、のしのしと畑へ踏み入りました。

 わたくしも、足元だけを見つめながら、そのあとに続きました。


 以前にこの麦畑を訪れたときとは、まったく違う感覚でございました。

 あのときは、青々とした広い麦畑を遠くまで見渡しておりました。

 ですが今は、帽子のつばのせいで、足元の土しか見えません。

 視界に入るのは、土の凹凸と、足元を横切る畝たち。

 畑の土は柔らかく、踏みしめるたびに靴がズブズブと沈みます。


「ギルドマスター様! 姿見が不安定でございます! うつむきすぎでございます!」


 マリアの鋭い声が聞こえてまいりました。


「うおっ!?」


 ガストンさんもたじたじでございます。


「背筋をお伸ばしくださいませ! お顔は下を向いたままで!」

「どっちだよ!」

「首から上はそのまま、背中だけでございます!」


 ガストンさんが唸りながら、背中を起こしたようでございます。

 わたくしは思わず、顔を上げてみたくなりました。


「お嬢様、お気をつけくださいませ。お顔はそのままで」

「マリア、気になりますの」

「目を手で覆います」

「それは困りますわ」


 はあ、とため息をついて、わたくしは地面を見ました。

 マリアは、わたくしを守ろうと必死です。

 ですが、その意志を無下にするわけにもまいりません。


「おい、風で持っていかれそうだぞ!」

「風に逆らわず、踏ん張ってくださいませ!」

「ああ、もう、注文の多いメイドだな!」


 マリアの声に従って、ガストンさんが一歩ずつ畝の間を進んでおられるようです。

 マリアはといえば、ガストンさんの足取りに声をかけながらも、わたくしをじっと見ているようでございます。


「マリア、さっきからわたくしばかり見ておりますわね。とても視線を感じますわ」

「お見張り申し上げておりますので」

「わたくし、ちゃんと足元を見ておりますわよ。お行儀のよい淑女ですもの」

「そのお行儀のよさを、最後まで保っていただければ幸いでございます」


 そんな掛け合いを交わしながら、わたくしたちは畝を進んでまいりました。

 土からは、畑らしい匂いがいたします。


 さらに畝を進んでまいります。


「マリア……まだ着きませんこと?」

「あと少しでございます。ギルドマスター様、もう少しだけまっすぐお進みくださいませ」

「おい、まだかよ。さっさと戻りたいんだが……」


 ガストンさんのぼやきに、わたくしはふふっと小さく笑いました。

 畑を吹き抜ける風が、麦の葉をざわざわと揺らし、涼やかな音を立てておりました。


 そのときでございました。

 風に揺れる麦のさわさわという音だけではございません。何か別の音が聞こえてまいりました。

 がさがさ、がさがさ。

 麦の擦れ合う音でございます。

 ふと、わたくしは風とは違う動きをしていた、あの白いものを思い出します。


「……おい。なんだ、今の音は」

「風の音ではございません」


 マリアの落ち着いた声が、麦の音のなかに落ちました。


「お、おう……そうかよ。じゃあ、ここでいいな? いいよな!?」

「お待ちくださいませ、ギルドマスター様。下ろしましたら、そのまま鏡をあちらへ向けてくださいませ。そして、畝にあわせて、まっすぐに安定した状態にお立てくださいませ」

「分かってる!」


 ガストンさんが、荷縄を荒っぽくほどく音がいたしました。

 どすん。どうやら姿見が土を踏む音でございましょう。

 続いて、ずず、と脚が土を擦って回る音がいたしました。


「麻の紐もおほどきくださいませ。お顔は俯いたままでございます」

「またかよ! 注文の多いメイドだな!」

「お戻りになる際に、毛布をお落としくださいませ」

「ああ、ああ。終わったぞ! じゃあ、俺は畑から出るからな! 用が済んだら呼べよ!」


 ばさり、と毛布が土に落ちる音がいたしました。

 それから、ガストンさんが走っていく音がいたします。どうやら、一目散に引き返していかれたようです。

 あれほど重い姿見を背負っていらしたとは思えない、見事な逃げ足でございました。


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