第三十四話:ちょっと失礼、お邪魔いたしますわ
その日の午後、ヴィクトリアさんの家に着きました。
「さあ、マリア! まずはご挨拶からですわ!」
「はい、お嬢様。怒鳴られる覚悟も、できております」
わたくしは意気揚々と、木の扉をトントンと叩きました。
すぐに靴音が近づき、勢いよく扉が開かれます。
姿を現したのは、もちろん、ヴィクトリアさんご本人でした。
呼んでもいない客だからでしょう、不機嫌そうなご様子でございます。
その鋭い視線が、わたくしたちの麦わら帽子のところで、ぴたりと止まりました。
「……何の用だ。それに、そのふざけた帽子は何だ」
「ごきげんよう、ヴィクトリアさん! こちらは借り物ですの。よく似合っておりますでしょう?」
ヴィクトリアさんは鼻を鳴らしました。
「ふん。私は貴様らを呼んだ覚えはないぞ。なんの用もないのに私の家へ押しかけてくるとは、いい度胸だな」
「まあ、用があるからこそ伺いましたのよ」
「以前、用がなければ呼ぶものかといったはずだがな」
「町長様、突然の訪問をお許しください。至急のご相談がございまして参りました」
マリアが頭を下げました。
「至急の相談だと?」
ヴィクトリアさんは扉を大きく引いたままです。
わたくしたちを家へと招き入れる様子が一切ございませんでした。
「そこで話せ」
「あら、応接間へは通してくださらないのですか?」
「当たり前だ。貴様らのような招かれざる客を、私の寛ぎの場へ通すはずがなかろう」
ヴィクトリアさんは冷淡に言い切りました。
応接間へ案内されることもなく、玄関前での立ち話となります。
ここから見える玄関には、目的の立派な姿見が堂々と立っておりました。
ヴィクトリアさんの自慢の品でございます。
ご自身の美しいドレス姿を確かめるための、大切なお道具なのでございましょう。
「それで、何の用だ。手短に言え」
ヴィクトリアさんは腕を組み、冷たい声で促しました。
「実は、町の外れの麦畑について、ご相談がございますの」
わたくしが声を弾ませて切り出します。
ヴィクトリアさんは怪訝そうな顔つきになりました。
「麦畑だと?」
「はい。畑をお持ちのご家族から、ギルドに相談が寄せられたのでございます」
マリアが落ち着いた声で補足いたしました。
「あそこに出る悪霊のことでございますの!」
わたくしが明るく申し上げます。
ヴィクトリアさんは唇をへの字に曲げました。
「悪霊だと? そんな話は初耳だぞ……」
ヴィクトリアさんの声が、みるみるうちに低くなっていきました。
「待て。あの畑の者は、この私の街の民だ。町外れにあるとはいえ、街へ麦を納めている大事な者たちだ。私の街の麦畑のことなのに、なぜ町長である私が聞いておらんのだ」
どうやら、自分の街の麦畑に起きた異変を、自分が知らされていないことが我慢ならないご様子です。
「ギルドマスターのガストンさんが、わたくしたちに依頼を回してくださったのですわ」
「ガストンが?」
ヴィクトリアさんは鋭い目を向けました。
「あの男、また勝手な真似をしおったな」
「勝手な真似、でございますか」
マリアが平然とした声で尋ねました。
「そうだ。ギルドに持ち込まれた依頼とはいえ、街の麦畑に関わる大事なことだ。町長である私へ真っ先に報告を上げてくるのが筋というものだろう。それを怠り、貴様らへ勝手に回すとは何を考えている。この街の管理者は私だぞ」
ヴィクトリアさんが、不快感を募らせておりました。
自分の街を何よりも誇りに思っていらっしゃるお方ですから、当然の憤慨かもしれません。
「ふん。あの怠け者め、いい度胸だ。ギルドの仕事だからと何でも自分の裁量で片付けられると思っているのか。あの一家は、この厳しい土地で麦を懸命に育て、街へ届けてくれているのだ。その麦畑が使えなくなれば、街の粉挽きも困る。そんな重大な話を町長へ上げないなど、職務怠慢も甚だしい。後でたっぷりと分からせてやらねばならんな」
ヴィクトリアさんは冷たく吐き捨てました。
「まあ、ガストンさんも悪気があったわけではございませんでしょうに。わたくしたちを頼りにしてくださったのですわ」
「貴様がかばうな。街を預かる者として、知らぬ存ぜぬで済む話ではないのだ。自分の足元で起きている不始末を、他人の口から聞かされる私の身にもなってみろ」
ヴィクトリアさんは厳しい口調で言い返しました。
本当に、どこまでもご自身の街に対して誇り高いお方でございます。
「それで、その麦畑がどうしたというのだ。わざわざ私の家へやってきた理由を言え」
「ええ! あちらの悪霊を鎮めるために、どうしても大きな鏡が必要なのですわ」
わたくしは胸を張って申し上げました。
「大きな鏡だと?」
「はい。そこで、ヴィクトリアさんにお願いがございますの。そちらの姿見をお借りできませんかしら!」
わたくしは、その立派な姿見を指さします。
ヴィクトリアさんは、その姿見をじろりと見ました。
「……私の姿見を、何に使うつもりだ」
「その鏡を畑に立てて、悪霊のほうへ向けますの。そうすれば、ご自身のお姿をしっかりとお見せして差し上げられますわ!」
ヴィクトリアさんは、しばらく黙っておりました。
「……悪霊に、自分の姿を見せてやるだと?」
ヴィクトリアさんの声には、あからさまな疑いが込められておりました。
「こんな大きな姿見を畑へ持ち出して、悪霊に向けて立てるだと? 着飾った淑女ならいざ知らず、畑に出る悪霊に自分の姿を見せてどうなるというのだ?」
「ええ、それでなんとかなりますわ!」
「ふん。自分の姿を見せられたくらいで滅せられる、そんな馬鹿げた悪霊がいるものか」
「いいえ、大事なことでございます。あの方も、ご自身がどのようなお姿でいらっしゃるか、まだご存じないはずなのですから。ご自身で見ていただければ、きっと分かっていただけますわ」
「悪霊にそんな考えが成り立つわけがなかろう」
「それは、お見せしてみなければ分かりませんわ」
「どういう悪霊かは知らんが、さっさと払うなり攻撃するなりして、私の町から追い払え」
「いいえ! わたくしは、決して一方的に追い払うような真似をいたしません! まずはご自身のお姿をお見せして、ご自身が今どういう状態であられるかを知っていただく。それが礼儀というものではありませんこと?」
「悪霊に礼儀だと? ますますわけが分からん」
「理屈ではなく、実践ですのよ、ヴィクトリアさん!」
わたくしが堂々と微笑みます。
マリアも言葉を添えました。
「お嬢様の申します通り、悪霊に自らの姿をご認識いただくことが肝心でございます。そのためには、どうしても大きな鏡が必要不可欠かと存じます」
「ふん……。相変わらず、貴様らの言うことはわけが分からんな」
ヴィクトリアさんは、思案するように押し黙りました。
「……ふん。貸してやる。だが、本当に意味があるのだろうな?」
ヴィクトリアさんは腕を組んだまま、冷たい声で言いました。
「まあ! 貸してくださいますのね!」
「勘違いするなよ。貴様らのためではない」
ヴィクトリアさんはぴしゃりと言い放ちました。
「あの畑の麦が届かなければ、この私の街の粉挽きやパン屋が困るのだ。私の街の麦が減るなど、断じて許せん。それに、麦畑に妙なものが出るなどというくだらない噂が街に立つのも我慢ならんのだ。妙な噂が広まれば、街道を行き交う商人どもがこの街を避けるようになるかもしれん。そんな噂で街が騒がしくなるなど、甚だ不都合だからな。私の街の平穏と秩序を乱すものは、何であれ排除せねばならんのだ」
ヴィクトリアさんは自慢の街を守るためのご都合を仰られました。
常に他の人のことを考えておられる、本当にお優しい方でございますね。
「それに、これは私の自慢の品だ。私が美しいドレス姿を見るために必要な姿見なのだぞ。少しでも傷をつけたり割ったりしてみろ。ただではおかんからな」
「はい! 大切に大切に扱わせていただきますわ!」
わたくしは嬉しくて、ぺこりと頭を下げました。
「しかし、町長様」
マリアが口を開きました。
「何だ、メイド」
「これほど大きく重たい姿見を、私どもの手だけで畑まで運ぶことは難しゅうございます」
「ふん、言われるまでもない。貴様らのようなひ弱な者に任せられるか。運んでいる途中で割られでもしたらどうするのだ」
ヴィクトリアさんは、すぐに続けました。
「ガストンに運ばせる」
「ガストンさんに、ですの?」
「そうだ。私に報告もせず勝手に貴様らを動かした罰だ。町長をないがしろにした罪を贖わせるのだ。ギルドへ言いつける。明日の朝、あの男にロバの荷車を用意させ、その畑まで運ばせる。力仕事くらいしか能のない男だ、それくらい働かせて当然だろう」
「まあ! それはとても助かりますわ!」
ガストンさんが荷車で運んでくださるのなら、これほど心強いことはございません。
「……よし。ならば、今から支度をしておく」
ヴィクトリアさんは踵を返すと、綺麗なお部屋へと戻っていきました。
そして、大きな厚手の毛布を持って戻ってまいりました。
手には太い麻の紐も握られております。
「わたくしたちもお手伝いいたしましょうか?」
「触るな! 貴様らは帰れ! 貴様らのようないい加減な者に触らせるわけにはいかん。私の大切な品だ、私が自分でやる!」
ヴィクトリアさんは誰の手も借りず、一人で姿見へと近づいていきます。
「それでは、ごゆっくり!」
「ああ、もう二度と来るな!」
あれこれと忙しそうなヴィクトリアさんから、わたくしたちは離れました。
玄関の扉を閉めますと、わたくしたちは館へと戻ることにいたしました。




