第三十話:地図にあったのは、畑のお家でした
ヴィクトリアさんのお家から帰った晩のこと。
わたくしは書斎で手記を開き、館の客間に増えた住人のことを書き留めました。
それから館で穏やかな日をいくつか送り、変わらず静かに過ごしておりました。
そうして迎えたある朝、門の外にある郵便受けを見に行きますと、一通の封筒が届いておりました。
「まあ! お手紙ですわ! 楽しみですわね!」
「お嬢様は、心が広うございます」
郵便受けから封筒を取り出します。そこには、わたくしたちへと書かれておりました。
差出人は、ギルドマスターのガストンさんです。
「まあ、マリア。やはりガストンさんからのお手紙ですわ」
「はい。今度は何行お書きになったのでしょう」
わたくしは封を開いて、手紙を取り出しました。
お手紙は二枚入っておりました。
一枚は、いつものように短く簡潔なお手紙でございます。
もう一枚は、地図でした。
「ふふ、これをご覧になって」
わたくしは手紙を広げて、マリアに見せました。
『ここへ行け』
手紙には、大きな文字で、ただ一言だけです。
時候の挨拶も、詳しい事情の説明も、どこにもございません。
「まあ、ガストンさん、文字をお書きになるのが本当にお嫌いなのね」
「左様でございますね」
マリアは淡々とした声で応じ、もう一枚の紙を受け取りました。
そちらは、ギルドの地図でございました。
手描きのものではなく、あらかじめ刷られた町の地図でございます。
その地図に、赤色の墨で丸がつけられておりました。
「地図も刷られたものをお使いになって、赤い丸をつけただけで済ませていらっしゃいますわ」
「はい。字を書かずに済ませる手を、お考えになったのだと存じます」
「手紙に詳しい説明をお書きになるくらいなら、地図を一枚入れるほうが早いとお考えになったのかしら」
「道順をお書きになる手間まで、省かれております」
「ふふ、実に手早いやり方ですわね! そのお考えにお応えして、マリア、出かけましょう!」
「かしこまりました。お出かけの支度を整えます」
わたくしたちは必要な持ち物を手早く整えると、森の小道を抜けて、町へと入りました。
中央広場を進みますと、冒険者ギルドが見えてまいります。
わたくしは、いつものようにその扉へと向かおうとしました。
「お嬢様。本日は、ギルドへ寄らずともよろしいかと存じます」
「あら、どうしてですの? ガストンさんに、ご用件を伺わなくては」
「この地図がございますから」
マリアは、ガストンさんの地図を広げて見せてくれました。
「赤い丸は、この町を抜けたあとの畑の家についております。小さな家の絵も刷られております。お話を伺わなくとも、そのまま行けます」
「まあ。では、ガストンさんは、わたくしたちが押しかけないように、地図を入れてくださったのね」
「はい、そうでしょう。おそらく、余計な話を交わさず、仕事の場所へ向かえというお考えかと存じます」
「うふふ、早く行っておいでという合図ですわね! では、すぐにでも悪霊のもとへ急ぎましょう!」
わたくしたちはギルドを素通りしまして、そのまま町の通りを進みました。
町を抜けますと、広い畑が続いておりました。
その畑のそばに、素朴な木造りの家が見えてきました。
地図の赤い丸がついていたのは、この家でございます。
「ここですわね、マリア」
「はい、お嬢様。地図の丸と同じところでございます」
わたくしたちは、玄関の戸まで歩み寄りました。
わたくしは、木製の戸をトントンと軽く叩きました。
ほどなく、足音が聞こえてまいります。
やがて、戸ががたがたと音を立てて開きました。
「はい、どなた様でしょう……」
顔を出したのは、質素な服を着た奥様でした。
奥様はわたくしたちを見るなり、固まってしまわれました。
ドレス姿の令嬢と、黒と白のメイド服のメイドが、戸口に立っているのです。
農家の奥様が驚かれるのも、無理はございません。
「まあ! まあ! こんにちは! ギルドから参りました、アリシアと申しますわ」
「ギ、ギルドの……?」
奥様はぽかんと口を開けたまま、わたくしとマリアを交互に見つめました。
信じられない、というお顔でございます。
「ええ、そうですの。ギルドマスターのガストンさんから、こちらへ伺うようにと手紙をいただきましたのよ」
「あ……ああ、ギルドマスター様の……」
奥様はまだ混乱しているご様子でしたが、ガストンさんの名を耳にして、少しだけ落ち着かれたようでした。
「人が来てくださるとは聞いておりましたが……まさか、このような、立派なお方たちがいらっしゃるとは思いもよりませんでしたので……」
「まあ、ガストンさんは何と仰っていたのですの?」
「うちの人が、ギルドマスター様から人をやると言われたそうで……てっきり屈強な冒険者の方がいらっしゃるのかと……」
「ふふ、屈強ではございませんけれど、悪霊に関わることでしたら、わたくしたちが一番ですわ! ギルドカードも、きちんと持っておりますのよ」
わたくしはギルドカードをお財布から出して見せます。
「あ、本当に……ギルドのカードですね」
「左様でございます。どうぞご安心ください」
「は、はい……それなら、よかったです。どうぞ、中へお上がりください。何のお構いもできませんが……」
奥様は戸惑いながらも、戸を大きく開けて、わたくしたちを家へ招き入れてくださいました。
通された部屋では、ご主人と娘さんが、素朴な木の机について腰を下ろしておりました。
ですが、二人ともひどく疲れた顔をしておりました。
わたくしたちが部屋に入っても、驚く様子すら見せませんでした。
「お父さん、ギルドの方が来てくださったよ……」
奥様が声をかけますと、ご主人が重そうに顔を上げました。
「……あんたたちが、ギルドから寄こされたのか」
ご主人は、飾らない、農家の方の素朴な話し方でございます。
「ええ、そうですわ! アリシアと申します。こちらはメイドのマリアですわ」
「……そうか。だが、ずいぶんときれいな服を着たお嬢さん方だな。悪霊退治をするような身なりには見えねえが」
「ご安心くださいまし。わたくし、悪霊に関わることでしたら、喜んでお引き受けいたしますの!」
「悪霊、か……」
ご主人はただ重そうに息を吐き出しました。
マリアも頭を下げます。
「ギルドマスターより、こちらの畑でお困りごとがあると伺って参りました。ご依頼の内容をお聞かせ願えますでしょうか」
マリアの落ち着いた問いかけに、ご主人は渋々と口を開きました。
「……畑に、妙なものが出るんだ。そいつを、どうにかしてほしい」
「畑の妙なものを、ですのね」
「ああ。畑にそいつがずっといるせいで、おちおち畑仕事もできねえ。このままじゃ、町へ納める麦もダメになっちまう。だから、どうにかしてほしいんだ」
ご主人は、そこまでは淡々と語りました。
畑の妙なものをどうにかしてほしい、というのが依頼の趣旨のようでございます。
ですが、その先を続けようとはなさいませんでした。
「その妙なものについて、もう少し詳しく教えていただけますかしら。いつ頃から現れて、どのようなことをなさるのかしら?」
わたくしが尋ねますと、ご主人はぴたりと口を閉ざしてしまいました。
娘さんも、うつむいたまま黙り込んでおります。
その畑に現れた妙なものとは、何か、恐ろしくて口に出せないようなものなのでございましょう。
今、ここにいる家族全員が、言い出せない苦しさに耐えているようでございます。
「あの……」
沈黙に耐えかねたように、奥様が口を開きました。
「実は……うちの息子が……大変なことになってしまいまして……」
「息子さんが?」
「はい……あの子は今、町の教会に預かっていただいております。教会の神官様が、なんとかしてくださるとはおっしゃっておりましたが……」
奥様の声には、戸惑いがあります。
「息子さんに、いったい何がおありでしたの?」
わたくしが尋ねますと、奥様は、ぽつりぽつりと語り始めました。
「少し前に、町へ行商人がやってきましてね。あの子、その商人から、望遠鏡を買ってきたんです。安物で、少し遠くのものが大きく見えるだけの、おもちゃのようなものでしたけれど……」
「望遠鏡、ですのね」
「はい。あの子はそれが珍しくて、嬉しかったのでしょうね。畑仕事の合間に、あの子、その望遠鏡を覗いてしまったんです。畑のずっと向こうに、何か妙なものが立っているのが見えたからって……」
奥様は息を詰まらせ、言葉が途切れました。
「そうしたら……あの子、望遠鏡を手から取り落として……それから……」
「それから、どうなさいましたの?」
「笑い出したんです」
奥様は、そのまま言葉を続けます。
「あの子、笑いながら……体をくねくねと揺らし始めたんです。話しかけても、肩を揺すっても……ただ、へらへらと笑って、体をくねくねと、妙な動きで揺らし続けて……今も、教会で、ずっと一人で笑いながら揺れているのです」
「教会で、今もですの?」
「はい……教会の方のお話では、眠りもせず、食事も喉を通らないそうで……このまま、あの子がどうなってしまうのか……」
奥様は手で顔を覆ってしまいました。
すると、今までうつむいていた娘さんが、口を開きました。
「私、そのとき、兄のすぐそばにおりました」
娘さんの口調は、飾らないものでした。
「兄が望遠鏡を落としたとき、あまりにも様子がおかしかったので、私、すぐに駆け寄って兄の腕を掴んだんです。何を見たの、何があったのと、必死になって兄に聞きました」
「まあ。お兄様は、何とお答えになりましたの?」
「兄は……へらへらと笑いながら、言ったんです。『あれは、何だか分からないほうがいい。分かっちゃいけないんだ』って……」
娘さんは、思い出すように話を続けます。
「それだけ言ったあと、兄はただ笑って、体をくねくねと揺らすばかりで……もう何もダメなんです」
娘さんの語りを聞いて、わたくしは息を整えます。
すると、ご主人が重々しく口を開きました。
「だから、見てはならんのだ」
ご主人は、きっぱりと言い切りました。
「そもそもあれは、見ちゃいかんものなのだ。見てしまえば、あいつと同じになっちまう。それだけは分かっている」
家族全員が、その妙なものを恐れ、息子さんの変わり果てた姿に打ちのめされております。
「……お辛かったでしょう。ここまで、ご家族で支え合っていらしたのですね」
「……ありがとうございます」
奥様が、目元を押さえながら、それだけお答えになりました。
「畑の妙なものは、わたくしたちがお引き受けいたしますわ。ですから、もう少しだけ、お話を聞かせてくださいまし」
ご主人は、何もおっしゃいません。
それでも、どうしても伺っておきたいことがございました。
「なぜ、見ただけで、あのようなことになってしまいますの? 畑に出る妙なものとは、いったい何なのでしょう……」
ご家族からは、お返事がございません。
「なんでもよいのです。どのような感じなのか、どんな気配なのか、それだけでも……」
わたくしが、なおも尋ねようとした、その時でした。
「お嬢様」
マリアが静かな、有無を言わせぬ調子で、わたくしの言葉を遮りました。
「マリア?」
「それ以上、お尋ねになってはなりません」
「まあ、どうしてですの? 相手のことを知ることは、悪霊に対処する上でとても大切なことですわ」
「いいえ、お嬢様。ご家族のお話ですと、それは見てはならないもののはずでございます」
マリアは淡々とした表情を崩さぬまま、首を横に振りました。
「それを見てしまわれたのは、息子様だけでございます。ですから、くわしく知っている方は、もはや、お話しになれません」
「……そう、ですわね!」
わたくしたちが話しておりますと、奥様が口を開きました。
「ええ……その……私どもは、あれを見ないようにしておりますから……お役に立てなくて、申し訳ございません……」
奥様は、うつむいてしまわれました。
見たものを分かろうとした者の正気を奪う、悪霊。
望遠鏡で覗いてしまった息子さんが、笑いながら体を揺らし続けていること。
あれを見続けていれば、いずれああなってしまうということ。
いったい、畑には何がいるのでございましょう。
「その畑を、わたくしに見せていただけますかしら」
わたくしがそう申しますと、お部屋が、いっそう静まり返りました。




