第三話:いざ、辺境の町フロンティアへ
馬車で揺られること、数日。
途中の宿には泊まりましたけれど、御者さんは最後まで一言もお話しになりませんでした。
お部屋も別々でしたし。食事の席でも、朝の支度のときも、ずっと黙っておいででしたの。
早くお役目を済ませてしまいたい、という方でございました。
ただ、宿代は御者さんがすべて公爵家のつけにしておいででした。
うふふ。お金は家持ち。なかなかよい旅路でございます。
ようやく、目的の町へ着いたのは、お昼のことでございました。
「疲れましたわ」
「はい、お嬢様」
そこは、フロンティアという名前の町だそうです。
離宮のある森へは、この町が一番近いのでございます。
公爵家が持たせてくださった荷物だけでは、これからマリアと二人でとても暮らせそうにありません。
入り用のものを買い揃えるため、わたくしたちは一軒の店へ立ち寄りましたの。
食料と日用品を扱う雑貨屋でございます。
「いらっしゃい」
店には、ずんぐりとした店主さんが顔を出しました。
まあ、この町で商いをしている普通の男ということでしょう。
「こんにちは。いくつか日用品を揃えたいのですけれど」
「はいよ、お嬢さん。いったい何が必要なんだい?」
マリアがすっと進み出ました。
こういうお買い物は、マリアにお任せするのが一番ですわ。
「干し肉と麦粉の袋、それにお芋と玉ねぎをいただけますか。それからお塩を多めに、油を少々。あとは日持ちのする乾パンと、火打石と石鹸をお願いいたします」
「あいよ。麦粉は届いたばかりのいいやつがある。油はどれくらいだい?」
「小瓶に少し分けていただけますか」
「分かった、すぐ揃えるよ」
店主さんは品物を棚から降ろしてまいります。
マリアの選ぶものは確かですわね。
どれも向こうでの暮らしですぐに役立つものばかりですの。
けれど、わたくしは別の心配をしておりました。
「マリア、ちょっとこちらへ」
わたくしは、マリアを呼びます。
「なんでしょうか、お嬢様」
「あの……手持ちのお金だけで、足りるかしら?」
腰に下げた革袋を開けてみましたの。
わたくしが今まで貯めてまいりました、ささやかなお小遣いが入っております。
貴族の令嬢としては、ずいぶん控えめな額ですわ。
公爵家からの支援が途絶えた今、これがわたくしの全財産でしたの。
「足りるように選んでおります」
「でも、みるみる減っていきますわよ?」
「屋敷を追い出されたのでございますから、贅沢はできません」
なるほど。
あっ、とその時、わたくしは気がつきました。
「あそこの棚にあります、白い紙は買えませんの?」
「上等な紙はお腹の足しになりません。まず、今は生きるための道具が先でございます」
「あのお札を書くための紙、とても立派に見えましたのに……」
「悪霊にお手紙を書くよりも、今晩暖かくして眠ることのほうが切実でございます」
「お手紙ではなくて、お札ですわ」
「どちらにいたしましても、今は買えません」
「マリアは現実的ですわねえ」
「現実を直視しなければ、明日から飢えることになりますので」
まったく反論の余地がございません。
「お塩もそんなにたくさんお買いになりますの?」
「料理にも使いますし、お嬢様が清めとおっしゃって撒く分も必要でございましょう」
「まあ! わたくしの祓いの分まで考えてくださっていたのね!」
「無駄に撒かれて料理の味がなくなっては困りますので」
「無駄ではありませんわ、大切なお清めですもの!」
マリアは表情をまったく変えません。
本当に頼もしいメイドですわ。
わたくしは、これから買う予定の乾パンを手にとりました。
「マリア、この乾パン、石のように硬いですわよ? 歯が折れてしまいませんこと?」
なにしろ、その乾パンは、叩くとコンコンと音がするくらいに硬いのです。
「温かいお茶や汁物に浸して、柔らかくしてからいただくのでございます」
「ふぅむ。そうやっていただくものですのねえ!」
思わず、わたくしは感心いたしました。
「あちらへ着いてから何日かは、この乾パンで飢えをしのぐことになります」
「毎日、同じパンですの?」
「それでは、館のあたりにあるという森で木の実でも探してまいりましょうか」
「まあ、それも楽しそうですわね!」
わたくしは、前世の山菜取りを思い出しました。
「くれぐれも、悪霊のことばかり考えて、足元を取られて転ばないようにお願いいたします」
「転びませんわよ、淑女ですもの」
「信用いたしかねます」
わたくしたちがお話をしているうちに、店主さんが品物をまとめた麻袋をマリアに手渡しましたわ。
「へい、お待たせ。これで注文の品は揃ったぞ」
「ありがとうございます」
マリアがわたくしを振り返りました。
わたくしはお小遣いの革袋から、銀貨と銅貨を取り出しましたの。
店主さんへと渡します。
チャリン、と音がいたしましたわ。
そして、革袋は、目に見えて軽くなってしまいました。
お小遣いは、ずいぶん心細くなってしまいましたの。
まあ、こればかりは仕方がありませんわね。
「マリア、本当にこれだけで暮らしていけますの?」
「節約をすれば、なんとかなります。あちらに着いてから、足りないものは手仕事で補いましょう」
「手仕事……わたくしも何か作れるかしら?」
「お嬢様には、悪霊とお話しいただく役目がございます」
「まあ! 頼りにしていただけて嬉しいですわ!」
「話をつけて、危害を加えられないようにしていただくだけで十分でございます」
「うふふ、お任せなさいな。前世でも、荒ぶる悪霊を宥めるのは得意でしたもの」
「それならよろしいのですが」
マリアとお話ししておりますと、店主さんが荷物をまとめながら、ふとこちらを見ました。
荷物を紐で縛る手を動かしながら、不思議そうに問いかけてまいります。
「ところで、お嬢さんたち。見かけない顔だが、どこから来たんだい?」
「王都から参りましたの」
「王都から? 従者を連れた嬢ちゃんが、こんな辺ぴな町へ何の用だ?」
店主さんは尋ねてまいりました。
通りすがりの旅人にしては荷物が暮らし向きに偏りすぎておりますし、護衛の騎士も連れておりませんものね。
怪しむのも無理はございませんわ。
「この先の森にある、古い離宮へ向かいますの。わたくし、あのお屋敷の新しい管理人になりましたのよ!」
わたくしは告げましたわ。
その瞬間でした。
店主さんの手が、ぴたりと止まりましたの。
黙ったまま、こちらを見ております。
その顔から、サーッと血の気が引いてまいりました。
店主さんは口を半開きにしたまま、固まっております。
この町の方々が、あの離宮の名をどう聞いているのか。
いえ、この王国の誰もが、同じ顔をすることでしょう。
それは言わずとも、その顔だけで十分に伝わってまいりますわね。
まあ、あそこへ行く人間は、自ら死にに行くようなものなのでしょう。
でも、わたくしもマリアも、そんなふうには、少しも思っておりませんけれど。
「マリア、荷物はこれで全部かしら?」
「はい、お嬢様。それと申し訳ございませんが、すべてを私一人ではお持ちできません」
「もちろんです。わたくしもお荷物を馬車までお運びいたしますわ!」
「ありがとうございます」
わたくしたちは買った荷物を持ち上げました。
マリアは油の小瓶を、旅行鞄のポケットへ差し込みました。
「まあ、油をそこへ入れてしまって大丈夫ですの?」
「コルクの栓がきっちり詰めてございますので、漏れはいたしません」
マリアが自分の旅行鞄と麻袋を提げて麦粉の袋を抱え、わたくしも旅行鞄を提げます。
「それではごきげんよう」
「失礼いたします」
わたくしとマリアのご挨拶に、店主さんは何も言わないまま、引きつった顔で立ち尽くしておりました。
そんな店主さんをそのままに、わたくしたちは意気揚々と馬車へ戻りました。




