第二十五話:古い綴りを、読み解きましょう
ヴィクトリアさんの家から戻ると、わたくしたちはその足で書斎へ上がりました。
書斎の机へ、綴りを置きます。
「さあ、マリア。この綴りを読み解きましょう!」
「かしこまりました、お嬢様」
マリアが、手慣れた様子で綴りの紐をほどきます。
そして、最初の頁が開かれます。
そこには、黒い墨の文字が、スラスラと書いてありました。
マリアは頁をめくりながら、文字を目で追っております。
その様子は、帳簿の数字を改めるときのようでございます。
「最初のほうは、ある家の覚え書きでございます。古い木の小箱が家に来た、とございます」
「まあ。どのようにして来ましたの?」
「そこは書かれておりません。気がつくと箱があった、とだけでございます」
「それで、そのお家はどうなりましたの?」
「良くないことが続き、家が落ちぶれた、とございます。その家の記述はそこで終わり、次の行からは別の家の話になっております」
「今度は、別のお家へと移りましたのね」
「はい。その家にも、いつの間にか小箱があった、と書かれております。誰が持ち込んだのかは、書かれておりません」
「まあ、いつの間にか!」
マリアの声の調子は、少しも変わりません。
「次の家でも、その次の家でも、同じでございます。どの家でも長くは続かず、家が衰えると、小箱は次の家に移動しております」
「まあ! 本当に次から次へと、旅をしておりますのね」
「旅、でございますか。どの家も、望んで迎えたわけではなさそうでございますが」
「ことりちゃん、どこのお家にも長くいられなかったのですわね。可哀想ですわ」
「可哀想とお思いになるのは、お嬢様くらいのものでございます。常人であれば、関わりたくないと願うのが当然の品でございます」
「でも、こうして見ますと、誰もあの子のことを分かろうともしないのですわ」
「分かろうとする前に、どの家もそれどころではなくなってしまったのでございましょう」
マリアは言葉を返しながら、もう次の頁をめくっておりました。
その音を聞きながら、わたくしは、ふと思い当たりました。
「マリア。前世で聞いたコトリバコのお話でも、箱が来たお家は、こうして落ちぶれていくものでしたの」
「では、この綴りは、小箱が通ってきた記録でございますね」
「ええ。でも、前世のお話のコトリバコは、人の手で送りつけられるものでしたわ」
「この綴りでは、そのようには書かれておりません。どの家にも、いつの間にか来ております」
「一晩でヴィクトリアさんのお家の卓へ戻ってしまう子ですもの。人の手など、いらないのかもしれませんわね」
マリアは返事の代わりに、もう次の行を目で追っております。
「それにしてもマリア、綴りを読むのが本当にお上手ですわね!」
「恐れ入ります、お嬢様。ですが、書かれていることを、そのまま読み上げているだけにございます」
「いいえ、とても助かりますわ。昔から、帳簿や書類の細かなところを見抜くのはマリアの特技でしたものね」
「お嬢様が書状や計算を私に丸投げなさっていたため、自然と鍛えられただけでございます」
「まあ! わたくしのおかげとおっしゃるのね!」
「左様でございます。お嬢様の奔放な振る舞いに付き合ってきた賜物でございます」
「うふふ、マリアったら、とってもお上手なんだから!」
「そう仰っていただけますと、読み甲斐がございます」
マリアは小さく頷きました。
そして、綴りの終わりのほうへ読み進めます。
ふと、めくる手が止まりました。
「お嬢様。こちらに、少し気になる記述がございます」
「まあ、何が書かれておりますの?」
「ある土地について記されております。この綴りで、小箱が最後にいた大きなお屋敷のお話でございます」
「最後にいたのは、お屋敷ですの?」
「はい。小箱がそのお屋敷に来たあとの記述で、この綴りは終わっております」
「そこで終わっている、ということは、何かが起きたのですわね」
「左様でございます。そのお屋敷の書きぶりですが……家運がすっかり尽き、一族が立ち行かなくなって、やがて人々が散り散りに去っていった、と結ばれております」
「お家が立ち行かなくなって、人がいなくなってしまいましたの……。最後のお屋敷でも、同じでしたのね」
わたくしも、マリアが指し示す行を読みました。
たしかに、その土地の屋敷で、何かが終わったのでございます。
「マリア、その土地について、何か手掛かりはございませんの?」
「少々お待ちくださいませ」
マリアは書斎の棚を見始めます。
そして、分厚い学術書を一冊抜き出してまいりました。
その目当ての頁は、すぐに開かれました。
「こちらでございます」
「まあ、手際がよろしいですわね!」
「この書斎の本は、一通り見ておりますので」
「すごいわ!」
わたくしは、マリアに拍手を送りたいところですが、今は本を読み解くほうが大事でございます。
「お嬢様……この本によりますと、その土地は、かつて交易の要所として大いに栄えた、とございます」
「大いに栄えた場所でしたのね!」
「はい。街道を行き交う商人たちで、たいそう賑わっていたそうでございます」
「ですが、ずいぶん昔のことが書かれた本ですわね」
「左様でございます。栄えていた頃の話でございます」
マリアは、綴りの最後の頁を、もう一度開きました。
「栄えていた土地のお屋敷が、綴りの終わりでは立ち行かなくなり、人も去っております」
「まあ。賑わっていた土地から、人がいなくなってしまったのですわね。それなら、その土地は今ごろ、すっかり寂れているのではなくて?」
「私も、そう見当をつけております」
「誰もいなくなった町か、荒れ果てた村……というわけですわね」
「あくまで見当でございますが」
「気になりますわね。その土地が、いまどうなっているのか……」
わたくしたちは、お互いに顔を見合わせました。
かつて栄え、そして寂れてしまった土地。
小箱の足取りがそこで終わっていることには、きっと深い理由があるはずでございます。
「それにしても、不思議ですわね」
「何がでございましょうか、お嬢様」
「ことりちゃんのことですわ」
わたくしは、ヴィクトリアさんの家で見た小箱のことを、思い返しておりました。
両手を合わせて語りかけても、何の言葉も返してくれませんでした。
それでも、一つだけ分かったことがございます。
「あの子、あのときとても落ち着かない様子でしたの」
「落ち着かない、でございますか」
「ええ。怒り狂っているというよりは、そわそわとして、帰る場所を探しているような、そんな落ち着きのなさでしたわ」
マリアは、綴りへ目を落としました。
「コトリバコのお話には、あんな落ち着きのなさは出てまいりませんでしたわ。でも、あちこちのお家を渡り歩いて、どこにも長くいられなくて……。綴りの中のあの子の旅と、あの落ち着かなさは、どこか似ている気がいたしますの」
「どの家にも長くはおりませんでしたから、そうかもしれませんね」
「でしょう? あの子がどうして戻ってきてしまうのか、何を求めているのかは、まだ分かりませんけれど……」
わたくしは、首を傾げました。
けれど、まだ答えを出すには、手掛かりが足りません。
あの頑固なことりちゃんの願いは、そう簡単に言い当てられるものではなさそうでございます。
「帰る場所……。あの子の帰る場所というのは、綴りの最後のお屋敷のことかしら」
「それには、その土地の今を知るのがよろしいかと」
「ええ。何か手立てはございませんかしら」
「学術書の記述は過去のものでございます。この館にある本では、近頃の様子までは分かりかねますね」
「本では、今の姿は分かりませんわね」
わたくしは、開いたままの学術書を閉じました。
どうすれば、その寂れた土地の今の様子が分かるでしょうか。
町の誰かに聞けば良いのかしら。
ですが、この町の住人が、遠く離れた土地の様子に詳しいとは思えません。
そのとき、良い考えが浮かびました。
「まあ! そうですわ!」
「お嬢様、何か思いつかれましたか」
「冒険者ギルドですわ、マリア!」
我ながら、良い思いつきでございます。
「冒険者ギルド、でございますか」
「ええ! 町を行き交う行商人や旅慣れた冒険者たちが集まるギルドなら、古い本には載っていない遠い土地の噂や、今の様子も聞けるはずですわ!」
「なるほど。旅の商人は、通れる道と廃れた道を誰よりもよく知っておりますから」
「それに、ギルドには古い記録や地図もしまってあるかもしれませんでしょう?」
「左様でございますね」
「うふふ、そうと決まれば話は早いですわ! 明日一番で、ギルドへ頼みに行きましょう!」
まだ見ぬ土地の謎に、わくわくとした気持ちが湧き上がってまいります。
「かしこまりました。朝のうちに町へ出られるよう、支度を整えておきます」
「ありがとう、マリア! 明日がとても楽しみですわ!」
わたくしたちは、微笑み合いました。




