第二十三話:ひと目で分かりました。これは、やばいですわ
案内されたのは、お客様をお迎えするための応接間でございました。
この部屋もまた、深紅と黒で整えられておりました。
黒檀の飾り棚には金の飾りが施されて、椅子は深紅のビロードでございます。
その厳粛な雰囲気のお部屋には、黒く丸い卓がありました。
さらに、その卓には、銀のスタンドがございます。
スタンドは三段もありまして、一番下には軽食、中段にはスコーン。そして一番上には焼き菓子。
カップとソーサー、取り分けのお皿をひとそろいにした食器も、三人分ございました。
前世の言葉でいえば、スリーティアーズとトリオでございますわね。
そして卓には、もう一つ、何かがございます。
「座れ。茶菓子くらいは出してやる。好きにつまむがいい」
「まあ、よろしいのですの?」
そうお返事したものの、お菓子はあとまわしでございます。
わたくしの目を引いたのは、何の飾り気もない、黒ずんだ木の小箱でございました。
この華やかで美しい部屋で、それだけが場違いなほど古びて、乾いた木肌をさらしております。
わたくしは、思わずその小箱を見つめてしまいました。
「これだ。茶を淹れてくる。座って待っていろ」
「町長様、それでしたら私がお淹れいたします」
「私の家のキッチンへ、よそ者は入れん!」
ヴィクトリアさんはそう言って、応接間を出ていかれました。
「まあ。ヴィクトリアさんが、ご自分でお茶を淹れてくださるなんて」
「ご自分のことはご自分でなさる。お嬢様と同じでございますね」
「ふふ、マリアったら」
けれど、わたくしの目は、すぐに小箱へ戻ってしまいました。
その小箱はぴったりと閉じております。
木と木がぴったりと合わさっているのです。
ですが、わたくしが気になったのは、その外見の古さだけではございませんでした。
その小箱からは、尋常ではないものが立ち昇っていたのでございます。
「マリア、視えまして?」
「はい、お嬢様。視えております」
わたくしたちには、そこにこもっているものが、はっきりと視えるのでございます。
それは、なんとも痛切な嘆きでございました。
普通の方には何もないように見える場所ですが、そこには言葉では言い表すことができない嘆き、そして苦しみが立ち込めております。
「なんだか、泣いていらっしゃるみたいですわ」
「声は聞こえませんが、そのようにお見受けいたします」
胸を打つような、絶望的な悪霊の雰囲気でございます。
「これはやばいですわ!」
思わず、興奮のあまり大きな声が出てしまいました。
マリアも、静かに小箱を見据えたまま、深く頷きました。
「左様でございますね、お嬢様。ただならぬものがこもっております」
「ええ! わたくし、ひと目でわかりましたわ! この子、とても強い力を持っていらっしゃいます!」
「直接触れるまでもなく、すべてが伝わってまいります。軽々しくお手を触れない方がよろしいかと存じます」
「マリアの言う通りですわね。でも、なんて素晴らしい悪霊なのかしら!」
「素晴らしいかどうかは別といたしまして、危険度が高いことだけは確かでございます」
わたくしたちが楽しげに言葉を交わしておりますと、ヴィクトリアさんが銀のトレーを手に戻ってこられました。
「貴様ら、この私を差しおいて、何を勝手に騒ぎ立てているのだ」
「だって、とても立派で、とんでもない小箱でございますもの!」
「立派だと? 貴様、目が腐っているのか。薄汚れた木の小箱ではないか」
「いいえ、素晴らしさが外まで溢れ出ておりますわ!」
ヴィクトリアさんはポットから、三つのカップへ手際よく紅茶を注いでおります。
湯気とともに、華やかな香りが立ちのぼりました。
その手つきは、マリアに負けないほど慣れたものでございました。
「わけのわからんことを言うな。私の話を黙って聞け」
ヴィクトリアさんが、ため息をつくように話し始めました。
「その箱は、差出人の名も書かれていない包みに入れられて、私の家へ届いたのだ」
「差出人がございませんの? いったい誰が送ってきたのかもわかりませんの?」
「王都の方から回ってきたらしい、としかわからん」
ヴィクトリアさんは、そう言い捨てました。
「王都から、でございますか」
「そうだ。だが、厄介なのは出所ではない。この箱そのものだ」
ヴィクトリアさんは腕を組み、不快そうに唇を尖らせました。
「私は届いたその日のうちに、悪質な嫌がらせだと思い、捨てさせた。ガストンへ命令して、街の外にある森の中へ捨てろ、とな」
「まあ、捨ててしまわれたのですか?」
「ああ。だが、明くる日には、元の通りこの卓の上へ戻っていた」
ヴィクトリアさんの語る内容は、実に不可解でございました。
「捨てても戻るならと、今度は薪にして燃やしてしまおうとした。だが、火をつけても焦げ目ひとつ付かん。ほかの薪がすべて燃え尽きても、箱だけが最後まで残っていたそうだ」
ヴィクトリアさんは忌々しそうに、小箱を睨みつけました。
「ヴィクトリアさん。壊してみようとは、なさいましたの?」
「当然だ。ガストンに命じて、ギルドの力自慢どもに斧を振るわせた。だが、いくら叩いても傷つくそぶりすらないそうだ。最後は斧の柄が折れたらしい」
「まあ」
「魔法使いにも当たらせた。魔法も同じだ」
「ふぅむ!」
わたくしは、卓の小箱に目をやりました。
そこにある黒ずんだ木肌には、傷ひとつ見当たりません。
「それだけではない。男どもが、ほんの一瞬よそ見をした。その間に、目の前から消えたという」
マリアが、静かに聞き返しました。
「消えた、でございますか」
「私が家へ戻ると、この卓の上にあった。澄まし顔でな」
「まあ、よかったですわ。壊れなくて」
「何がよいものか」
「だって、もし小箱が壊れてしまったら、中にあるものが、外へと出てきてしまいますもの」
「開かん箱だぞ」
「開かないのなら、それがよろしいのですわ」
「お嬢様の仰る通りでございます。ギルドの皆様の腕が足りず、何よりでございました」
マリアのさりげない毒舌が聞こえましたわ。
「ふん。まあ、私も噂では耳にしていたのだ。手放しても必ず手元へ戻ってくる呪いの箱がある、とな。まさか私の家に届くとは思わなかったがな」
それを聞いたわたくしとマリアは、顔を見合わせました。
わたくしたちは、少しも動揺いたしませんでした。
「まあ! 捨てても戻ってくるなんて、まるでメリーちゃんと同じですわね!」
「左様でございますね、お嬢様」
「ふふ、戻ってくるだなんて、とっても健気で可愛らしいではありませんの!」
「館のお人形と同じ性質でございますね。驚くには当たりません」
わたくしたちが平然と頷き合っておりますと、ヴィクトリアさんが怪訝そうに目を細めました。
「おい、貴様ら。何を訳の分からぬことを言っているのだ。捨てても、壊そうとしても戻るのだぞ。恐ろしくはないのか」
「ちっとも恐ろしくありませんわ! わたくしたちの館にも、捨てても戻ってくるお友達がおりますもの!」
「お嬢様の部屋の窓辺に、いつもきちんと並んで座っております」
「ふん。相変わらず頭の足りない小娘たちだ。だが、怯えずに済むのなら話が早い」
ヴィクトリアさんは鼻を鳴らすと、スタンドの焼き菓子へ目を移しました。
勧めていただいたお菓子のことも、紅茶のことも、わたくし、すっかり忘れておりましたわ。
わたくしが手を付けませんので、マリアも口にしておりません。
ヴィクトリアさんはスタンドから、焼き菓子を一つつまみ上げました。
そして、ためらわずにお口へと運ばれます。
サクッ、と、とても軽やかで心地よい音が立ちました。
その瞬間でございます。
常に厳しく引き結ばれていたヴィクトリアさんの口元が、ほんのわずかなあいだ緩みました。
柔らかく満ち足りたお顔になられたのです。
甘いお菓子を味わうそのお顔は、先ほどまでとは思えないほど、とても愛らしく見えました。
「まあ! そのお菓子、ヴィクトリアさんがお焼きになりましたの?」
「……私が焼いた。文句でもあるのか」
ですが、その愛らしいお顔は長く続きませんでした。
お菓子を飲み込みますと、ヴィクトリアさんは咳払いをいたしました。
そして、瞬く間にいつもの鋭く厳しい顔つきへと戻られたのでございます。
「ふん。甘いものは頭を冷やすのに役立つ。だが、街の問題を甘やかす気は毛頭ないぞ」
わたくしは、あらためて小箱を見つめました。
小箱から立ち昇る、胸を打つような重い嘆き。
その禍々しい気配を感じ取っているうちに、わたくしの前世の記憶が、鮮やかによみがえってまいりました。
「ヴィクトリアさん。わたくし、この箱が何であるか存じておりますわ」
「何だと? 貴様にこの箱の正体がわかるというのか」
「ええ、もちろんわかりますわ! 前世で聞いたお話にある、『コトリバコ』と呼ばれるものに間違いありませんの!」
「コトリバコ……? 聞いたこともない名だな」
ヴィクトリアさんが怪訝そうに問いかけてまいりました。
「この箱は、女の人や幼い子どもに祟る悪霊なのでございます」
「女と子どもに祟るだと?」
「はい。理不尽に命を散らした幼い子らと、その子たちを奪われた母たちの深い嘆きが、この中にぎっしりとこもっているのですわ」
小箱から溢れ出る冷たい気配は、まさにその嘆きそのものでございました。
「子らと、母たちの嘆きか……」
ヴィクトリアさんは苦々しそうに呟き、黒ずんだ小箱を忌々しそうに見下ろしました。
「気分の悪くなるような話だ。そのような忌まわしいものを、私の街においておくわけにはいかん」
「では、わたくしはこの子を『ことりちゃん』とお呼びすることにいたしますわ!」
「……は? ことり……ちゃん……?」
ヴィクトリアさんが、こいつ正気か、というとても分かりやすい表情をします。なんとも失礼ですわ。
「貴様、正気か。女や子どもに祟るようなおぞましい箱に、何をふざけた名をつけている」
「だって、コトリバコですもの! ことりちゃんとお呼びした方が、愛嬌があって親しみやすいではありませんの!」
「お嬢様は、危険な悪霊ほど可愛らしい名前を付けたがる癖がおありでございます」
マリアが、至極淡々と言い添えました。
「メリーちゃんやアリスちゃんとも、きっとすぐに打ち解けて仲良くなれると存じますわ!」
「ふざけるな。貴様らの交友関係など知るか」
ヴィクトリアさんは、こめかみを押さえました。
「貴様らがその箱を何と呼ぼうと勝手だが、私の前でそんなふざけた名を口にするな。私はその薄汚い箱を、ただの『箱』と呼ぶ」
「まあ、素っ気ないですわね」
「素っ気なくて結構だ。話の本題はそこではない」
ヴィクトリアさんは鋭い眼差しで、わたくしたちをまっすぐに見据えました。
「私には、その箱をどうにかすることなどできん。捨てても戻ってくる。壊そうにも壊せんのだからな」
「まあ、町長様にも手に負えませんのね」
「そうだ。だからこそ、貴様らを呼んだのだ。私に片づけられんのなら、貴様らが片をつけろ」
ヴィクトリアさんは威圧的な態度を崩さず、傲然と言い放ちました。
「片がつくまで、その箱を持っていけ。貴様らのあの薄気味悪い館へな」
「わたくしたちの館へ、ことりちゃんをお迎えしてもよろしいのですの?」
「持って行けと言っているのだ。この私の街の平穏を守るためだ。町長である私が命じているのだから、貴様らが引き取るのが道理というものだ」
ご自身では手に負えない厄介なものを、わたくしたちに押しつけて処分させようという腹積もりでございます。
強引な理屈ですが、これはわたくしにとっても都合がよいのです。
だって、こんなにも興味深い悪霊の箱を、館へ連れて帰れるのですもの。
「かしこまりましたわ、ヴィクトリアさん! 町のためとあれば、喜んでお引き受けいたしますわ!」
「……ふん。小娘のくせに、殊勝な返事をするではないか」
ヴィクトリアさんは少し拍子抜けしたように鼻を鳴らしました。
「片がつくまで、その箱ごと私の前に顔を出すな」
「はい! 大切にお預かりいたしますわ!」
マリアが持っていた清潔な布を手際よく広げ、黒ずんだ木の小箱を丁寧に包みました。
マリアに抱えられて、ことりちゃんは静まり返っております。
「ヴィクトリアさん、お仕事のご依頼、誠にありがとうございました!」
「礼など言うな。さっさと立ち去れ。私の街を危険に晒すなよ」
ヴィクトリアさんは冷たく言い放ち、深紅のドレスを翻して背を向けました。
わたくしたちはヴィクトリアさんの家を後にいたしました。
わたくしたちは町を抜け、木々の生い茂る森の道を歩いて館へと戻りました。
館の重い扉を開けると、玄関ホールは、いつもどおり静まり返っておりました。
「お嬢様、この小箱はどちらへ置きましょう。貯蔵室でしたら、ひんやりとしておりますし、ほかの物とも離しておけますが」
「まあ、マリア。貯蔵室だなんて」
「いけませんか」
「いけませんわ。ことりちゃんは、ヴィクトリアさんのお家からいらしたお客様ですのよ。お客様は客間にお通しするものですわ」
「……かしこまりました。では、客間へ」
「その前に、メリーちゃんとアリスちゃんにもお伝えしなくては。黙ってお客様をお泊めしたら、お二人に失礼ですもの」
わたくしたちは階段を上がり、主寝室へ向かいました。
窓辺のメリーちゃんとアリスちゃんに、わたくしはお辞儀をいたしました。
「ただいま戻りましたわ。こちらは、ことりちゃん。今夜から客間にお泊めしてもよろしいかしら」
お二人とも、お返事はございません。
いつもどおりの雰囲気を保っていらっしゃいます。
「よろしいようですわ!」
「私には何も分かりませんでしたが」
「いいえ。お二人とも、駄目とはおっしゃいませんもの。つまり、よろしいということですわ」
「お嬢様のお受け取りは、いつも前向きでございますね」
わたくしたちは階段を下り、廊下を進んで、客間の扉を開け放ちました。
マリアが布を解き、客間の机に、ことりちゃんを置きました。
小箱からは、相変わらず冷たく重々しい嘆きの気配が、静かに満ちていきます。
ですが、それ以上、暴れ出すような気配もございません。
「ことりちゃん、今夜はこちらのお部屋でお休みくださいませね」
わたくしは、小箱に小さくお辞儀をいたしました。
「お嬢様。悪霊にお辞儀をなさる方は、そうはおられません」
「あら、お客様ですもの。ご挨拶は大切ですわ」
わたくしはマリアから、小箱を包んでいた布を受け取りました。
その布を、小箱にふわりと掛けます。
「せめて、お布団の代わりですわ」
「先ほどまで、運ぶのに使っていた布でございますが」
「でしたら、ことりちゃんも慣れた布で、安心してお休みになれますわね」
本当は、今すぐにでもお話を伺いたいところでございます。
ですが、お客様をお迎えしたその晩に、根掘り葉掘りお尋ねするのは無作法というものですわ。
「お話は、明日ゆっくり伺いますわね。今日は越していらしたばかりで、お疲れでしょうから」
「町長様のお宅から、森の道を歩いてきただけでございます。私が抱えて」
「まあ、マリア。それでも、知らないお家へ来るのは気疲れするものですのよ」
おやすみなさいませ、と声をかけました。
小箱は、黙ったままでございます。
わたくしたちは部屋を出て、客間の扉を閉めました。




