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婚約破棄してわたくしを追放するのは結構ですが、殿下の後ろにいる女は人間ではありません  作者: 速水静香
第三章:口裂け女

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第十六話:前世の知恵で、べっこう飴を作ります

 大通りへ戻る道中、わたくしは得られたお話を頭の中で整理いたしました。

 知れば知るほど、実に興味深いものが見え隠れしております。


「マリア、先ほどの話ですけれど! あの男、きれいだと褒めたのに、口を裂かれておりましたわ」

「はい、お嬢様。町で集めた噂では、不気味だと叫んだ者や、きれいではないとけなした者は、口を裂かれた、ということになります」


 マリアが淡々とした口調で、聞き集めた事実をまとめました。


「まあ。変な方!」

「そのようでございますね。どちらを答えても、裂かれる結末は変わらないようでございます」

「ということは……お顔の見た目について何かを言うこと自体が、裂かれるきっかけになっているのではありませんこと?」

「左様かと存じます。容姿についての言葉を口にした時点で、相手の術中にはまる仕組みとお見受けいたします」

「ふふ、面白いですわね! どちらを選んでも罠だなんて、とても悪霊らしい意地悪な問いかけですわ!」


 わたくしが感嘆の声を上げますと、マリアは静かに頷きました。


「それから、出現する状況にも決まりがあるようでございますね」

「ふぅむ」

「先ほどの男性たちも二人連れでした。町の人通りが途絶えた場所で、少人数の者を狙って現れる傾向がございます」

「人けのない場所で、少人数のときに出るのですわね。条件がはっきりしてまいりましたわね」


 わたくしは、前世で聞いた口裂け女のお話を思い浮かべました。

 あちらのお話でも、女の問いにどう答えようと、ただでは済まなかったのでございます。

 けれど、あのお話には、ちゃんと逃げ道も語られておりましたの。


 わたくしは立ち止まり、名案を思いついてマリアを振り返りました。


「マリア、とても良い返し方を知っておりますわ!」

「良い返し方、でございますか」

「べっこう飴ですわ!」

「べっこうあめ、でございますか?」


 マリアが首を傾げました。


「そのようなお菓子は、一度も耳にしたことがございません」

「まあ、ご存じありませんの?」

「飴といえば、果汁を煮詰めたものか、ハチミツを固めたものくらいでございます。それらとは違うのでございますか」


 この世界には、べっこう飴が無いのかもしれません。


「全然違いますのよ、マリア! 果汁もハチミツも使いませんわ。使うのは、純粋なお砂糖とお水だけでございますの!」

「お砂糖とお水だけで、飴ができるのでございますか」

「ええ! とても簡単で、甘くて美味しいお菓子ですの。火にかけてじっくりと煮詰めていくと、水分が抜けて、琥珀色に透き通る美しい飴になりますのよ」


 わたくしは誇らしげに説明を続けました。


「わたくしの前世で聞いた口裂け女のお話では、ですね」

「はい」

「口裂け女にべっこう飴を差し出すと、女が飴に気を取られるのです。その間に逃げるのですわ!」

「悪霊が、飴に気を取られるのでございますか」

「ええ! あの女は、べっこう飴が大好物だったらしいのですわ」

「飴そのものに除霊の力があるわけではなく、相手の興味をそらすための道具、ということでございますね」

「そうですわ。あの大きな口を動かして飴を舐めるのに夢中になってくだされば、こちらは悠々と立ち去れますでしょう?」

「なるほど。試してみる価値はございますね」


 マリアは冷静に受け止めてくれました。

 さすがはわたくしの専属メイドですわ。


「そうと決まれば、さっそく材料を集めなくてはなりませんわね!」

「何が必要でございますか」

「お砂糖とお水、それから平らな天板に塗る油と、持ち手にする棒が二本あれば十分ですわ。わたくしとマリアで、一本ずつですの」


 材料を集めるのは、とても簡単でございました。

 大通りで、香ばしい煙を上げている焼き串屋さんの露店を見つけました。

 余っている木の串を二本分けてほしいとお願いすると、気前の良い店主さんが快く手渡してくれたのです。

 それから、わたくしたちは町一番の宿へと戻りました。

 宿の方にお願いして、厨房をしばらく貸していただきました。

 砂糖と油も、宿の蓄えから分けていただけました。


「なかなかですわね!」

「なかなか、お広い厨房でございます」


 宿の厨房は、石造りの落ち着いた台所でございました。

 昼下がりのこの時間は、宿の料理人さんたちも仕込みを終えて休んでおり、わたくしたちだけで広々と使えます。

 調理台には、分けていただいた白砂糖と、少量の油、そして焼き串屋さんから譲り受けた二本の串がございます。

 マリアが手際よく、平らな鉄の天板を持ってまいりました。

 油を薄く布に染み込ませて、クッキングシート代わりに、天板へ丁寧に塗り広げております。


「お嬢様、準備が整いました」

「手際が良いですわね、マリア! では、わたくしが火にかけて差し上げますわ!」


 わたくしが飴を煮るのは、本当に久しぶりのことでございます。

 うふふ。腕が鳴りますわ。


「お嬢様は、鍋を見ていてくださいませ」

「まあ。わたくしも手鍋を持って、お料理を作りたいですのに」


 マリアは手鍋に、白い砂糖をざらざらと入れました。


「お砂糖の量は、これくらいで足りますか」

「ええ、ちょうどよろしくてよ! そこへ、お水を少しだけ注ぐのですわ」


 少しのお水を注ぎ入れると、白い砂糖が水を吸って、しっとりと落ち着きました。

 マリアが手鍋を竈の火にかけます。


「さて、ここからが腕の見せ所ですわね」

「はい。火加減を保ちます」


 わたくしが調理台のスプーンを取ろうとすると、マリアが首を横に振りました。


「なりません、お嬢様。砂糖を煮詰めているあいだは、かき混ぜてはならないのでございます」

「あら、そうでしたかしら? お料理はよく混ぜるものだと思っておりましたわ」

「かき混ぜてしまうと、砂糖がしゃりしゃりとしたものになって固まります」

「まあ! 飴ってそうでしたかしら!」


 なにせ、わたくしが飴を作ったのは前世以来です。

 細かなところは、マリアに従う方が間違いありません。


「はい。白く濁ってしまい、おそらく琥珀色にはなりません。じっと見守るのが肝要でございます」

「ええ、触りませんわ。じっと我慢して見つめておりますわね!」


 わたくしは、手鍋を穴があくほど見つめます。


 火に温められた手鍋では、砂糖が水となじんでいきます。

 しばらくすると、ぷつぷつと小さな泡が立ち始めました。

 泡は次第に大きくなり、ぽこぽこと音を立てて弾けます。

 透明な液体が、熱を受けて激しく煮立ってまいりました。


「マリア、泡がたくさん出てまいりましたわ!」

「はい。余分な水分が抜けていく段階でございます」

「甘い匂いが、ほんのりとしてまいりましたわね」

「まだでございます。もう少し熱を通します」


 水分が少なくなってきたせいか、泡が細かく、小さく密集してまいります。

 ふつふつ、パチパチと、耳に心地よい音がいたします。

 無色透明だった液体が、ごく淡い黄色みへとなってまいりました。

 そこからの変化は、とても早いものでした。

 その色がみるみる濃さを増し、美しい琥珀色へと染まっていきました。

 それと同時に、厨房じゅうに香ばしい香りが満ちてまいります。

 砂糖を焦がした、あの甘くて懐かしい匂いでございました。


「お嬢様、飴に色がつきました」

「まあ、なんて綺麗な琥珀色ですこと!」

「この色でよろしゅうございますか」

「ええ、この色ですわ!」

「これ以上火にかけると焦げてしまいます。下ろします」


 マリアは素早く手鍋を火から下ろしました。

 濡らした布に鍋を当てると、じゅっと音が立ちました。

 厨房の甘い香りが、いっそう濃くなりました。


「ここからは、急ぎますわよ!」

「かしこまりました。熱いうちに落とすのでございますね」

「そうですの! 天板に棒を寝かせて、棒の先へ丸く落とすのですわ」


 マリアは油を引いた天板に、持ち手の棒を一本寝かせました。

 大きなスプーンで、琥珀色のとろりとした液をすくい上げます。

 棒の先へ、ぽたり、と落とします。

 熱い液は綺麗に広がり、見事な丸になりました。


「素晴らしい手際ですわ、マリア! わたくしもやってみます!」

「火傷には十分お気をつけくださいませ」


 わたくしも、残る棒を寝かせて、スプーンを使って、手鍋から琥珀色の液をすくいました。

 とろりとした飴は、思ったよりも重みがございます。

 棒の先を目掛けて、そっと液を落としました。

 ぽと、ぽとと垂らすうちに、丸というよりは、ひょうたんのような形になってしまいました。


「あら……? 少しばかり、個性的なお姿になってしまいましたわ」

「お嬢様の飴は、独創的でございますね」

「マリアの飴は、どうしてそんなに綺麗に整っておりますの? まるで職人さんが作った売り物のようですわ!」

「余計な力を入れず、まっすぐ落とすのがよろしいかと存じます」


 マリアが淡々と教えてくれました。

 マリアの飴は、棒の先に、見事なまでに整った丸を描いておりました。

 わたくしが作った飴はといえば、何とも独特なくびれがございます。

 ですが、どちらも透き通った琥珀色に輝いていて、とても美味しそうでございます。


「ふふ、形はいびつでも、琥珀色の輝きは同じですわね!」

「ええ。冷えればしっかりと固まるかと存じます」


 わたくしたちは、天板の二本の飴を見つめました。

 立ち上っていた湯気が徐々に薄れ、熱が引いていきます。

 熱いうちは柔らかかった飴が、冷たい空気に触れるにつれて、しっかりと硬さが出てまいりました。

 ちょっとだけ触れてみると、つるつるに冷え固まっております。


「むむむ」


 わたくしが、飴を天板から持ち上げてみると、パキリと小気味よい音を立てて綺麗に外れました。

 透かしてみると、向こうが見えるほど澄んだ琥珀色でございます。


「完成ですわ、マリア! 見事なべっこう飴ができました!」

「上手くいきましたね、お嬢様」

「ええ! これなら、あの悪霊も絶対に夢中になってくださるはずですわ!」


 わたくしは確信に満ちた声で申しました。

 美味しいものに目を奪われてしまうのは、生きていても悪霊になっても同じはずでございます。

 この甘い飴を差し出せば、口裂け女も、夢中になって舐め始めるに違いありません。


「お嬢様、飴を収める袋を用意いたしました」


 マリアが取り出したのは、清潔な布で縫った二つの小袋でございました。

 口には紐が通してあって、きゅっと絞れるようになっております。

 マリアは飴にひとつずつ袋をかぶせ、飴のすぐ下で、棒ごと紐を絞りました。

 マリアの作った綺麗な飴と、わたくしの作った少し不格好な飴が、仲良く袋に入りました。

 布越しにも、甘く香ばしい匂いがふわりと立ち上ってまいりました。


「お砂糖と油のお代は、町長様へのお勘定につけていただきました」

「うふふ。町長様には、後でたっぷりとお礼を申し上げなくてはなりませんわね」

「依頼を解決することが、何よりのお礼になるかと存じます」

「それもそうですわね!」


 マリアから手渡された、わたくしのべっこう飴の棒を手に取ります。

 マリアも、自分の一本を手にしております。

 厨房の後片付けを手早く済ませ、わたくしたちは宿の玄関へと向かいました。


「さあ、冒険ですわよ」

「お嬢様、足元にお気をつけください」


 こうして、わたくしたちはべっこう飴を一本ずつ手に、宿から出ました。


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