第十三話:ギルドで笑われてしまいました
石造りの床に、とても高い天井。
そこは、冒険者ギルドの広間でございました。
「うわぁ!」
昼下がりの広間は、酒と肉の匂いに満ちております。
その頑丈そうな木のテーブルでは、昼間から男たちが酒を酌み交わし、大きな声で笑い合っておりました。
そして、乾杯の音が、あちこちから聞こえてまいります。
「まあ! とっても賑やかですわね、マリア」
「はい、お嬢様。お酒の席もございますので、足元にはお気をつけくださいませ」
公爵家のお屋敷とはまるで違う、活気に満ちた空気でございます。
お行儀よく澄ました方など、ここには誰ひとりとしておられません。
「あっ! これは!」
わたくしは見ました。
その壁に掲げられた大きな板。そこに、何枚もの紙が貼り出されております。
これが噂に聞く、ギルド依頼の掲示板というものでしょう。
「お嬢様。窓口はあちらです」
「わ、分かりましてよ」
マリアに言われて、わたくしたちは、受付の窓口へと向かいました。
磨き抜かれた木の受付カウンターには、事務着を着た女性が座っておられます。
ブラウンの髪を後ろで綺麗にまとめて、眼鏡をかけた、黒い瞳の真面目そうな方でございました。
わたくしは、元気よく声をかけました。
「ごきげんよう! 冒険者の登録をお願いしたくてまいりましたの!」
女性は手を止め、ゆっくりと顔を上げられました。
「いらっしゃいませ。冒険者ギルドへようこそ。受付を担当しております、クラリスと申します」
クラリスさんは、淡々とした声で名乗られました。
愛想も振りまかず、とても事務的な態度でございます。
きっと、毎日のように大勢の荒くれ者を相手にしているからなのでございましょう。
クラリスさんはカウンターの下から、羊皮紙と羽ペンを取り出されました。
「冒険者の新規登録ですね。所定の手続きと、適性の確認を行わせていただきます」
「よろしくお願いいたしますわ!」
「まずは、こちらの書類をご記入ください」
差し出された用紙には、お名前、ご住所、生年月日、扱える武器、使える魔法の欄がございました。
わたくしは羽ペンを手に取り、インク壺にペン先を浸しました。
公爵家で学んだ美しい筆致で、名前と住まい、生年月日を書き記します。
ふと見ると、マリアもペンを受け取り、迷いのない手つきで書き進めます。
マリアの文字は、几帳面でとても読みやすいのでございます。
そこまで書いてから、はた、とわたくしは思い至りました。
「クラリスさん。魔法の欄は、使えない場合、どう書けばよろしいのかしら?」
クラリスさんは、少しも表情を変えられませんでした。
「……武器の欄は、いかがでございますか。剣やナイフ、弓などの心得は」
「ございませんわ!」
クラリスさんは、一度だけまばたきをなさいました。
「クラリス様。家事の心得はどう書き入れるのでございますか」
マリアがクラリスさんに聞いております。
「……家事を記入することはできません」
「そうでございますか」
「大変失礼ながら、武器も魔法もお使いになれない方の登録は、当ギルドの規程によりお断りしております」
その声音は、どこまでも平坦でございました。
「でも、悪霊をお祓いすることでしたらできますわ。前世でも除霊のお仕事をしておりましたもの!」
わたくしが申しますと、マリアも淡々と言葉を続けました。
「お嬢様は、悪霊を見つけて言葉を交わし、鎮めることに長けておいでです。剣や魔法ではなく、悪霊と向き合うお仕事であれば、十分に役目を果たすことができます」
わたくしたちにとっては、これは当たり前のことでございます。
ですが、ギルドの中ではそうではなかったようでございます。
すぐ近くの酒場の席から、ぷっと吹き出すような音が漏れ聞こえてまいりました。
酒を飲んでいた冒険者のひとりが、鼻で笑ったのでございます。
「おいおい、剣も魔法も使えねえって本気かよ。どこのお嬢ちゃんだか知らねえが、やめとけ、やめとけ」
男の荒削りな声が、こちらまで聞こえてまいりました。
近くに座っていた数人の男たちも、ニヤニヤと笑っております。
ですが、その笑い声を聞いても、わたくしは何とも思いませんでした。
魔法が使えないのは本当のことですし、恥じるようなことでもございません。
公爵家を出ることになったきっかけのひとつではございますが、わたくしはこの自分を気に入っておりますもの。
何より、魔法が使えなくても、毎日こうして元気に暮らせておりますわ。
「除霊と、書いてもよろしくて?」
わたくしは、クラリスさんに微笑みかけました。
「いいえ。それはできません」
「それは、どうして?」
「冒険者の仕事の多くは、町を取り巻く魔物の討伐や、険しい土地での採取でございます。自らを守る術も、魔物を退ける武術や魔法も持たない方を危険な現場へ送り出すことは、ギルドの理念に反します」
クラリスさんの説明は、とても分かりやすいものでした。
はなから相手にしないということもなく、ただ純粋に規則としての判断でございます。
自分の仕事に責任を持って、きっちりと判断しておられるのでございましょう。
とても立派な勤めぶりでございますわ。
ですが、そのように登録を断られてしまいますと、お仕事が受けられなくなってしまいます。
お小遣いは、先ほどのお買い物ですっかり使い果たしてしまいました。
何とかして、生活のためのお金を稼ぐ道を見つけねばなりません。
「ですけど、わたくし! 悪霊案件はこなせますわよ!」
「はい。その悪霊という案件につきましても、登録された冒険者の方にしかお回しできません」
クラリスさんは、酒場の男たちの笑い声などで態度が変わることもありません。
最後まで事務的な態度を崩さず、冷静にこちらを見つめておられます。
「困りましたわね。悪霊のお話を聞いて、お困りごとを解決して差し上げようと思いましたのに」
「お気持ちはありがたいのですが、規則でございますので、例外を認めることはいたしかねます」
何千回も同じような説明を繰り返してきたかのような、静かな語り口です。
それでも、わたくしは書きかけの書類をそのままにしておくわけにはまいりません。
わたくしは武器と魔法の欄に『特になし』とだけ書き入れて、その用紙をクラリスさんへ差し出しました。
マリアも同じように書き終えて、用紙を差し出します。
「……書類は、お預かりだけいたします」
クラリスさんは淡々と受け取り、目を通されます。
と、そのとき、動きが止まりました。
「あの、ご住所に間違いはございませんか?」
「ええ、合っておりますわ」
「いえ、この住所は何かの間違いでしょう」
「そんなことはございません! だって、わたくしたちの住まいは、町の外れの森にある、あの人形の館でございますから!」
わたくしの言葉を信じていないように、クラリスさんは、じっとこちらを見つめたままでございます。
そういえば、雑貨屋の店主さんも、こんなふうに止まりましたわね。
「……失礼ですが、本当はどちらから来られましたか?」
「森にある、人形の館でございますわ」
「……あの、呪われた館、でしょうか。町の外れの、木々に囲まれた……」
「ええ、そうですわ! 門には立派な鉄格子がついておりますの」
「あそこは、立ち入ることを禁じられている場所です」
クラリスさんが事務的な説明を続けます。
「何人もの冒険者が調査に向かい、誰ひとりとして無事に戻ってこなかった館です。悪霊の巣窟として、町でも最も恐れられている場所なのですよ」
酒場の席が、少しずつざわつき始めております。
「いいえ? そんなに恐ろしい場所ではございませんでしたわ!」
「はい、お嬢様のおっしゃる通りです」
マリアも同意してくれました。
「だって、わたくしたち、もうずいぶん長くあの館で暮らしておりますけれど、毎日とっても快適でしてよ!」
「……ま、毎日……?」
初めて、クラリスさんが動揺しているように見えました。
「お湯も水も問題なく使えております。館は清潔で、夜もぐっすりと眠れております」
「そ、そんなはずはございません……。あの館に留まって、無事だった者など過去に誰ひとり……」
クラリスさんはそれ以上、お言葉を続けずに、動きを止めてしまいました。
事務処理の書類を山のようにこなしてきた手練れの受付の方が、ペンを持ったまま固まっておられるのでございます。
それほどまでに、あの館の噂は町の人々にとって恐ろしいものなのでございましょう。
お人形のメリーちゃんやアリスちゃんは、あんなに可愛らしいのに、不思議なものでございますわね。
ガタン、と酒場で椅子の倒れる音がいたしました。
「おい、聞いたか。あの呪いの館からか!」
「嘘だろ」
「生きて帰った奴なんざ、ひとりもいねえって話だぞ!」
先ほどまでわたくしたちを笑っていた冒険者の方々が、今度は口々に騒ぎ始めました。
ざわめきは、あっという間にギルドじゅうへ広がりました。
「……」
クラリスさんが言葉を失って固まっておりますと、ドスンと重い音が聞こえてきました。
黒く豪勢な扉が開いたのです。
それは、どなたか偉い方のお部屋にありそうな扉でした。
「よぉ、どうした?」
そう言って、大柄な男性が姿を現しました。
四十代くらいでしょうか。短く刈った黒髪に黒い顎髭をたくわえた、いかついお顔の男の方でございます。
着崩した革鎧からのぞく鍛え上げられた腕には、古い傷跡がいくつも走っておりました。
ギルドの中でまで鎧をお召しになるなんて、よほど用心深い方なのでございましょう。
「ん? なんだぁ?」
その方は鋭い目で、広間をひと睨みいたしました。
それだけで、騒いでいた冒険者たちが口を噤みました。
その方は重い足取りで受付へと歩み寄り、カウンターに手をつきました。
「……何の騒ぎだ。クラリス、何を固まってる」
その声を聞いて、クラリスさんはハッと我に返ったようにまばたきをいたしました。
「も、申し訳ございません。その、こちらの登録希望者の方々が……」
「登録なら、さっさと済ませりゃいいだろうが。何か問題でもあったのか?」
その方はこちらをちらりと見てから、言い捨てました。
ですが、クラリスさんは首を横に振りました。
「そうではないのですよ、ギルドマスター様! この方たちの……その、現住所が……」
「住所? それがどうかしたのか?」
「森にある、あの人形の館にお住まいだと言うのです! すでに長く暮らしておられると!」
クラリスさんの必死の報告に、ギルドマスターと呼ばれたその方が、ぴたりと黙りました。
そして腕を組み直し、鋭い目でわたくしたちを見据えました。
「わたくしは、アリシアと申しますの。こちらはメイドのマリアですわ。わたくしたち、あの館でとっても仲良く暮らしておりますのよ」
わたくしはスカートをつまんでお辞儀をし、元気よくご挨拶をいたしました。
「……アリシア、だと?」
「ええ。それで、あなた様のお名前は?」
「……俺はガストンだ。ここの冒険者ギルドを仕切ってる者だ」
ギルドマスターのガストンさんでございます。
ガストンさんは黒い顎髭をさすりながら、鋭い目を細めてわたくしを見つめました。
「……ああ、そういうことか。王都の公爵家を追い出された娘が、管理人って名目であの館へ放りこまれた、って話は聞いてた。とっくに逃げ出したと思ってたがな。嬢ちゃんが、それか」
「今は、ただのアリシアですわ」
「それが、あそこの悪霊どもに命を取られもせず、平然とした顔をしてやがる。……嘘をついてる顔じゃねえな。本気か」
マリアが静かに頭を下げました。
「はい、ギルドマスター殿。お嬢様のお言葉に偽りはございません。私どもは、毎日あの館で寝起きしております」
ガストンさんは、ふん、と短く鼻を鳴らしました。
わたくしたちの身なりや、少しも怯えていない表情を確かめているようでございます。
そして、その口角が少し上がりました。
「……はっ。面白い。気に入ったぜ、嬢ちゃん。あの館にいて、そこまでケロリとしてる奴は初めてだ」
「まあ! 褒めていただけて嬉しいですわ!」
「だが、それとこれとは話が別だ」
ガストンさんは表情を消し、首を横に振りました。
その声は、とても重々しいものでございました。
「度胸があろうが、魔法も剣も使えねえ奴に冒険者の資格は出せねえ。外の魔物は、爪と牙で人を殺す獣ばかりだ」
「悪霊のお仕事だけでも、引き受けることはできませんかしら?」
「駄目だ。ギルドの冒険者として登録する以上、どんな依頼でも魔物と出くわす危険はついて回る。魔法も剣も使えねえ奴を野に放り出す真似は、このギルドの看板にかけてさせねえ」
きっと、ガストンさんは意地悪で断っているのではなく、命を守るために厳しくしてくださっているのでございます。
ガストンさんは、とても誠実な方でございますわね。
ですが、登録はやはり断られたままでございます。
これでは、ギルドから悪霊のお仕事はいただけません。
「困ってしまいましたわね、マリア。お小遣いも使い切ってしまいましたし、どういたしましょうかしら」
わたくしが首を傾げますと、マリアは落ち着いた様子で頷きました。
「お嬢様、冒険者登録が認められないのであれば、他の手段を探すしかございません。別の方法を考えましょう」
「ええ、そうですわね! 悪霊のお祓いができる場所は、きっとありますもの!」
わたくしは少しも気落ちせず、笑いました。
新しい暮らしを始めてからというもの、毎日が思いがけない出来事の連続で、ちっとも退屈いたしません。
お仕事が簡単に見つからないのも、またひとつの冒険のようです。
わたくしたちがこれからの算段を話し合っていた、その時でございました。




