第十二話:お財布が、空っぽになりました
この館に来てから、ずいぶんと日が過ぎました。
メリーちゃんもアリスちゃんも、ご様子はとくに変わらない日々です。
昨夜は、久しぶりに書斎に入り、そこでオカルトの手記を開きました。
そして、わたくしは手記に愛らしいお人形さんたちのことを書き加えてから、パタンと閉じたのでございます。
その朝も、わたくしは朝食を終えた厨房におりました。
綺麗に洗い終えたお皿を布巾で拭きながら、わたくしは棚をじっくりと見つめておりました。
棚にある壺や袋は、どれも寂しい姿になっておりました。
ここへ来る前に町で買ったときには膨らんでいた麦粉の袋が、今ではぺしゃんこにしぼんでおります。
干し肉も、頼りないほど少なくなっております。
塩の壺を覗いてみますと、白い粉が心細く残っているだけでございます。
マリアが持ってきた、お茶の葉の缶を振ってみても、手ごたえがありません。
「マリア、棚がすっかり寂しくなってしまいましたわ」
「はい、お嬢様。石鹸も、残りわずかでございます」
「まあ!」
「魔石も、補充する算段をつけねばなりません」
マリアは鍋を磨きながら、いつもの調子でそう申しました。
わたくしは腰の帯から、お小遣いの入った革のお財布を取り出して、その中を見てみました。
「……少ないですわ」
なんとも心細い数の硬貨しかございません。
ジャラリと鳴るほどの元気も、今の財布にはございません。
日用品も少なくて、お金も少ない。
これって結構、危ないお話でございます。
わたくしは布巾を握りしめて、頭脳を働かせました。
そして、閃きましたわ!
「マリア! わたくし、冒険者ギルドで悪霊のご依頼を受けるのですわ!」
「……ギルド、でございますか」
「ええ! 前世と同じように、悪霊のお仕事でお金をいただくのですわ! わたくしにぴったりでしょう?」
これは、名案でして!?
と、わたくしがお話ししているのに!
あまり興味がない様子で、マリアは鍋を棚へと戻しておりました。
「左様でございますか。では、お嬢様。まずは本日のお買い物の品を決めてしまいましょう」
「お買い物、ですの?」
「麦粉と干し肉と塩、それに石鹸でございます。ご依頼より先に、明日の朝ごはんが要りますので」
「それもそうですわね!」
マリアの言うことは、いつだって現実的で頼りになりますわ。
「町へは、私がひとりで参ります。お嬢様は館でお待ちくださいませ」
「いけませんわ! おひとりで町まで歩くなんて、危ないですわ!」
「一度、通った道でございます」
「そういう問題ではございません!」
そうです。
わたくしたちのような淑女が、おひとりで森の小道を歩くのは、とても危険です。
「それに、わたくしが行かなくては、ギルドでご依頼を受けられませんもの!」
「……除霊のお仕事は、館の暮らしが落ち着いてからでも、遅くはないかと存じます」
「いいえ! 落ち着くためにこそ、お金が要るのですわ!」
「……左様でございますね」
「では、決まりですわね! ふたりで町へ参りましょう!」
「かしこまりました。では、出かける支度をいたしましょう」
そういえば、町へ出かけるのは、この館へやって来た日以来のことでございます。
メリーちゃんとアリスちゃんを主寝室の窓辺に座らせたまま、わたくしたちは出かける支度をいたしました。
「お嬢様、お祓い棒をお忘れではございませんか?」
「ええ。メリーちゃんとアリスちゃんに、託しましたから!」
お祓い棒は主寝室のテーブルに、手記は書斎に、それぞれそのままでございます。
出かける前に、もうひとつだけ確かめておかねばならない場所がございます。
厨房から入る、貯蔵室でございます。
わたくしたちは貯蔵室の重い扉を押し開けました。
ひんやりとした部屋へ足を踏み入れます。
館の水回りや灯りを支えてくれている魔道炉が、今日もコトコトと低い音を立てておりました。
わたくしは炉のそばへと歩み寄り、小さな覗き窓を見つめました。
窓の中で灯っていた光が、今にも消えてしまいそうに弱まっております。
マリアに教わった、止まる直前の状態でございます。
わたくしは魔石の箱から、黒い魔石をひとつ手に取りました。
手のひらにすっぽりと収まる、ごつごつとした石でございます。
うふふ。
握っておりますと、つい手には力がこもってしまいます。
「お嬢様、砕いてはなりません」
「ふふ、分かっておりますわ」
わたくしは石をそのまま投入口へと運びました。
砕いたりせずに入れますと、新しい魔石が炉に収まりました。
次の瞬間、覗き窓から光がパッと満ちあふれました。
車輪の音も、心なしか軽やかになりました。
「これで安心ですわね、マリア」
「はい、お嬢様。これで留守の間も、水が止まる心配はございません」
マリアが頷きました。
わたくしたちは貯蔵室の扉を閉めて、玄関へと向かいました。
「さあ、出発ですわ!」
玄関扉を開けますと、木々の爽やかな匂いがいたしました。
「お嬢様。足元にお気をつけてください」
マリアがいつも通り、わたくしについてまいります。
そのまま、わたくしたちは前庭を抜けて、門をくぐりました。
町へと続く道は、木々を潜っていく小道でございます。
そして、町までは、決して近い道のりではございません。
公爵家であれば迷わず馬車を使うような距離でございますが、もはやわたくしはアシュフォード家の令嬢ではございません。
わたくしとマリアは徒歩で進みます。
「ピクニック気分とは、このようなものかしら?」
「ピクニックでございますか?」
「そうよ、マリア。森の遊歩道を歩いているのですから!」
「左様でございますか」
小鳥のさえずりを聞きながら、どんどん進んでまいります。
こうして道を歩くだけでも世界がぐんと広がる気がしまして、わたくしは楽しくてたまらないのでございます。
それから、たいそう歩きました。
「さて、町はそろそろかしらねえ!」
「はい」
森も終わりに近づいておりました。
木々の背丈も低くなり、視界が大きく開けてまいります。
「マリア! 町が見えてまいりましてよ!」
「はい。お嬢様」
石造りの建物が立ち並ぶ、活気のある町の姿が見えてまいりました。
「うひゃあああ!」
わたくしは淑女らしからぬ声をあげてしまいまして、走りました。
「お嬢様!」
めずらしく、マリアも大きな声を出しております。
そのまま、町の外れから一気に町の道を進みました。
森の道とは違って、走りやすいのです。
町の中央広場へと駆け込みますと、大勢の人々がいらっしゃいました。
広場には市場が立って、買い出しの人々で賑わっておりました。
「マリア、ご覧になって! 果物が山のように積んでございますわ!」
「走ったあとに、よくそれだけお声が出ますね」
「だって、あちらの魚売りの方が、あんなに大きな声を出しておりますもの! 負けていられませんわ!」
「競うものではございません」
ロバの荷車がゴトゴトと通り過ぎております。
八百屋さんからは甘酸っぱい果物の匂いが漂ってまいりました。
お肉を扱うお店やパン屋さん。そして、露店までございます。
どなたも活気に満ちていて、見ているだけで元気が出てまいります。
「あれっ?」
わたくしは一つ、気になりました。
というのも、その広場には、ひときわ重厚な石造りの建物がございました。
青い看板に、剣と盾を交差させた意匠が掲げられております。
「マリア、あちらの立派な建物は何かしら?」
「……冒険者ギルドでございます」
「まあ! あれがギルドですのね! では、さっそく参りましょう!」
「お嬢様。お買い物が先でございます」
「ふぅむ!」
「お嬢様、早くしないと品切れになろうかと」
「分かりましたわ!」
マリアに促されて、わたくしはギルドを通り過ぎました。
広場から少し歩いた通りに、見覚えのある雑貨屋がございました。
町へ来た日に食料を買い求めた、木造の小さなお店でございます。
その木製の扉を押し開けますと、カランコロンと素朴な鈴の音が鳴りました。
帳場には、ずんぐりとした体つきの店主さんが見えました。
無精髭を生やした、気さくな風貌の男の方でございます。
「いらっしゃ……」
そこまで言って、店主さんは固まりました。
「……お、おい……あんたたち、まさか……」
わたくしたちへの開口一番がそれでした。
「ごきげんよう! またお邪魔いたしましたわ!」
わたくしがにこやかに挨拶をいたしますと、店主さんは慌てて帳場から出てまいりました。
信じられないといった様子で、わたくしたちの姿をしげしげと見つめます。
「生きて……生きて戻ってきたのかい!? あの森の、人形の館から!」
「ええ、元気に暮らしておりますわ。とっても快適な館ですのよ」
「快適な館だって……!?」
店主さんは声を荒げて続けました。
「あそこへ入ったやつは、誰ひとり戻ってこねえって噂だったんだぞ! なんでも悪霊に呪い殺されるって……」
「まあ、そんな物騒な噂がございましたの? 大丈夫ですわ、わたくしたち、毎日とってもぐっすり眠れておりますもの」
店主さんは額を押さえております。
「信じられねえ……。だが、生きてるなら何よりだ。前はあの館に行くって聞いて、肝が冷えたぜ」
「ふふ、ご心配をおかけいたしましたわね」
店主さんは、深いため息をつきました。
「で、今日は何の用だい? また食い物かい?」
「ええ、食料と日用品を買い足しにまいりましたの」
「なるほど。で、何が欲しいんだ?」
「麦粉と干し肉、それからお塩と石鹸、それと魔石もいただきたいのです」
そのまま、マリアは何個が必要かを答えます。
「あいよ。すぐに揃えてやるよ」
店主さんは手際よく棚から品物を取り出し、帳場へと持ってきました。
ずっしりとした麦粉の袋や、干し肉たち、陶器の壺に入った塩、石鹸、そして魔石の入った木箱でございます。
「マリア、これを持って帰れるかしら?」
「前は馬車がございましたが、今日は歩いて帰らねばなりません。魔石の箱まであっては、なおさらでございます」
「たしかに、森の小道を抱えて帰るのは、わたくしたちの手には負えませんわね」
わたくしは帳場へ向き直りました。
「店主さん、ひとつご相談がございますの」
「あん? なんだい」
「この品物を、館まで届けていただくことはできませんかしら?」
店主さんの顔色が、さっと青ざめました。
「じょ、冗談じゃねえ! あんな恐ろしい館に近づけるわけねえだろ!」
店主さんは両手を激しく振って、全力で断ってまいりました。
なるほど。いまだに町の方々には、あの館はさぞ恐ろしい場所なのでございましょう。
「店主殿、門の中へ入っていただく必要はございません。屋敷の外には郵便受けがございますので、そこへおいていただくだけで結構でございます」
「……郵便受け?」
「はい。手紙も荷物も、あそこへ届くことになっております」
店主さんは丸い顔に手を当てて、うーんと唸り声を上げました。
「……郵便受けまでなら、配達人が手紙を届けにいけるはずだ」
「配達人、ですの?」
「町の手紙や荷物を運んでる奴だよ。屋敷に入らないというのなら、あいつに頼んでやる」
「まあ! 本当ですの!?」
「ただし、配達人の手間賃も別にかかるぞ」
「ええ、それで十分でございますわ! 本当に助かりますわ、店主さん!」
「あいよ。代金と手間賃を合わせて、これくらいになるが……払えるかい?」
店主さんが示した額を見て、わたくしは財布の紐を解きました。
「……マリア。足りるかしら」
「足りる分量で頼んでおります」
わたくしは財布を傾けて、中の硬貨をすべて手のひらへ出しました。
チャリン、チャリンと、店主さんへ手渡します。
それから、空になった財布を逆さにして振ってみました。
中からは、もう何ひとつ落ちてまいりません。
公爵家を出るときに持ってきたお小遣いは、これですっかり底をついたのでございます。
「ありがとう、店主さん!」
「まいど」
店主さんの声に送られて、わたくしたちはお店を出ました。
「ふふ、見事に空っぽになりましたわ!」
わたくしは思わず、声を出して笑ってしまいました。
落ち込むどころか、むしろすがすがしい気持ちでいっぱいでございます。
お財布が空っぽになるところなど、生まれて初めて見ましたので、それもまた新鮮でございました。
マリアが一礼をいたしました。
「これで、お嬢様のお手持ちはすべて尽きましてございます」
「ええ! きれいに使い切ってしまいましたわ!」
空っぽになった財布を腰へ戻し、わたくしたちは中央広場へと戻ってまいりました。
目指すのは、先ほど通り過ぎた冒険者ギルドでございます。
「マリア、今度こそ参りますわよ!」
「はい、お嬢様」
「さて、どんなご依頼があるのかしら!」
わたくしは胸を躍らせながら、頑丈な木製の両開きの扉を、ゆっくりと開けました。




