第六章 白雪の叫び声
眠っている間。
白雪はずっとぼくの手を握っていてくれた。白雪の温もりがぼくの手を通して伝わってくるんだ。
もうすぐ逢える。もうすぐ白雪に逢える。
ぼくはずっと白雪との楽しい夢を見続けていた。
ぼくは眠り続けていた。
季節が変わったことも知らずに。
ぼくの指が、ほんの少し動いた時、
白雪の肩が震えた。
長いまつ毛が揺れ、
透明な涙が一粒、ぼくの頬に落ちた。
「・・・福大。」
白雪はぼくの頬にそっと触れ、
震える唇で、ぼくの頬にキスをした。
冷たくて、優しくて、
胸が締めつけられるようなキスだった。
そして、
白雪は音もなく消えた。
氷の粒がふわりと舞い、
白雪の姿は風に溶けるように消えていった。
残されたのは、
ぼくの頬を濡らす白雪の涙だけだった。
「・・・し・・ら・・ゆき・・。」
ぼくはゆっくりと目を開けた。
天井の白い光が滲んで見える。
ぼくの頬は濡れ、
涙の跡が冷たかった。
ぼくは白雪の手を握ろうとした。
・・・でも、手の感触はなく、
・・・そこには誰もいなかった。
窓の外では雪が降っている。
シンシンと・・・静かに・・・静かに。
カレンダーを見て、ぼくは息を呑んだ。
11月
あの日から二ヶ月経っている。
ぼくは二ヶ月以上眠り続けていた。
季節は秋から冬へ変わっていた。
ぼくの手はまだ冷たい。
白雪がずっと握っていてくれたからだ。
なのに、白雪はいない。
「・・・白雪・・・?」
胸が締めつけられた。ぼくのそばに白雪がいない。
ぼくはベッドから降りた瞬間転んでしまった。
足が震えて立てなかった。
二ヶ月も寝ていた体は、
ぼくのものじゃないみたいに力が入らない。
それでも、
ぼくは床に手をつき、
這うように病室を出た。
「ちょ、ちょっと!福大くん!?
ダメよ、動いちゃ!」
看護師さんに見つかり、
ぼくはすぐに抱えられて戻された。
「いやだ!!
白雪!!
白雪どこ!!
白雪!!」
ぼくは半狂乱で暴れて叫んだ。
パパとママが駆けつけた。
まつりちゃん、賽ちゃん、雷斗も来た。
「福大!落ち着け!」
「大丈夫だから!」
「白雪ちゃんは?白雪ちゃんはどこ?」
「福大が起きたよ。白雪ちゃんどこ?」
「オレ、白雪ちゃん探してくる。」
「わ、私も探してくる。」
「白雪!!
白雪!!!
白雪!!!!!!」
「福大、落ち着け。白雪ちゃんはすぐに戻るから。大丈夫だから落ち着け。」
「嘘だ!
今までずっといたんだ。
ずっとぼくの手を握ってくれてたんだ。
白雪どこ!!!
戻って来てよ!
白雪!!!
ずっと一緒って言ったじゃない。
これからずっと一緒って言ったじゃないか。
白雪!!
白雪!!!!!!」
ぼくの声は病院中に響き渡っていた。
腕を掴まれたら噛みつき、
押さえられたら爪を立てて引っ掻いた。
殴り蹴り、ぼくは暴れるだけ暴れて
白雪の名前を叫び続けた。
「白雪!!
白雪!!
白雪!!」
涙で視界が滲む。
胸が痛い。
息が苦しい。
ぼくは薬を打たれるまで暴れ続けた。
【貧乏神 つむぎちゃんの贖罪】
夜明け前の病室は静かだった。
雪の光が窓から差し込み、白い影を作っている。
ぼくは薬で眠らされていたはずなのに、
胸が痛くて眠れなかった。
(白雪・・どこ・・・?)
その時だった。
「・・・福大くん」
病室の隅に、つむぎちゃんが立っていた。
いつもの笑顔だけど、どこか無理をしている。
「・・・行きたいんでしょう?
白雪ちゃんのところに」
「・・・つむぎちゃん。」
つむぎちゃんはそっとぼくの手に触れた。
その瞬間、ぼくの体がじんわりと温かくなる。
「神通力・・・使うね。
これで少しの間だけ、動けるようになるよ」
「つむぎちゃんの体が・・・」
「大丈夫・・・ちょっと動けないだけ。
貧乏くじは、いつも私の役目だから」
つむぎちゃんは笑った。
その笑顔が、少しだけ震えていた。
「白雪ちゃんに……ひどいことしちゃったから。
せめて福大くんの力になりたいの」
つむぎちゃんの体が淡く光り、
ぼくの体に力が戻っていく。
代わりに——
つむぎちゃんの足が震え、
その場に崩れ落ちた。
「つむぎちゃん!!」
「ほら、行ってらっしゃい・・・福大くん
みんなも呼んであるから。」
つむぎちゃんは笑って手を振った。
ぼくは夜明けの光の中へ飛び出した。
冷たい風が頬を刺す。
「福大ーー!!」
走ってくる影が三つ。
雷斗、まつりちゃん、賽ちゃんだった。
みんな傷だらけだった。
「ら、雷斗・・・その傷・・・」
「全部お前が暴れた時のだよ。
マジで痛かったんだからな。」
「まつりもここ切れた〜」
「賽は血がブシャーって出たよ。ビチャーって」
「いや出てねぇよ!!
お前は擦りむいただけだ!!」
雷斗はぼくの肩を掴んだ。
「福大!
絶対に謝るなよ。
この傷は・・・オレ達の絆の傷だ」
雷斗の目は真剣だった。
「福大が白雪ちゃんを好きな気持ち・・
痛いほど分かった。
マジで痛かったからな」
「・・・雷斗」
「でもな、福大だけじゃないんだぞ。
オレ達だって白雪ちゃんがいなくなって・・・
辛くて、苦しくて、心が痛かったんだ」
雷斗は拳を握った。
「だからこの傷は・・・
オレ達の絆の痛みだ。
絶対に白雪ちゃんを見つけるぞ。
分かったな」
「・・・うん。
ありがとう・・・みんな・・・」
「絆の痛みってカッコいいじゃん雷斗〜!」
「絆の痛み・・・血がブシャーって・・」
「だから出てねぇって言ってんだろ!!」
「福大、いつものやれよ。
これから白雪ちゃん探しに行くんだろ。
白雪ちゃんが絡んだ時のお前は最高なんだぜ。」
「そうそう。やっちゃいなよ。」
「その為に集まった。」
「・・・分かった」
ぼくは涙を振り払いいつもの様に大声で呼びかけた。
「トラブルファイブ集合!!」
「「「はい!!」」」
「今から白雪を探しに行く!!」
「「「はい!!」」」
「全員、白雪を見つけるまでは戻って来れると思うなよ!!」
「「「はい!!」」」
「オレは白雪レッド!! 千葉福大!!」
「白雪ピンク!! 万来まつり!!」
「白雪ブルー!! 河原賽!!」
「いやいや、なんだよ白雪って……オレ達トラブルファイブ——」
ギロリ。
「雷斗!!名前!!!」
「ひぃーー!!
白雪イエロー!! 藤原雷斗!!」
「全員揃って!!」
「「「「「白雪ファイブ!!」」」」」
チュドーーーン!!!
ぼくの熱い想いが燃え盛り、
背後で四色の爆発が巻き起こった。
「行くぞーー!!
突撃ラブハーーート!!!」
「何だよ突撃ラブハートって!!
どこの宇宙戦艦だよ!!」
「let's goつき抜けようぜ
夢で見た夜明け」
「まつり歌うな!!」
「オレの歌を聞けーー!」
「賽ちゃんそれ以上言っちゃダメーー!」
ぼく達は朝の集灯町に繰り出した。
白雪の名前を呼びながら、
白雪と歩いた通学路を探し、
白雪と行ったショッピングモールを探し、
図書館、公園、川沿い……
白雪の思い出の場所を全部巡った。
でも、
白雪はどこにもいなかった。
冬の風だけが、
ぼく達の声をさらっていった。
太陽が沈む頃、ぼく達は手がかりを求めて白影寺に向かった。
ぼく達が白影寺の本堂に入ると、
空気がどんよりと沈んでいた。
まるで本堂全体が“ため息”をついているみたいだった。
「・・・はぁ・・・」
「・・・うぅ・・・」
「・・もうダメじゃ・・」
そこには、
見るも無惨な三人の姿があった。
【第200回白雪様神格化推進委員会
大反省会】
と書かれた看板が掲げられている。
木の葉老様の枝はしなしなに垂れ下がり、葉は全部落ち、
幹は干からびて今にも折れそうになっている。
「・・・わしは・・・わしは
もう・・・
枯れる・・・・」
白翁様のあのムキムキ筋肉はどこへ行ったのか。
肩は落ち、腕は細く、
精気が完全に抜けている。
「・・・筋肉も
・・・希望も
・・・消えた。」
つむぎちゃんは床に寝そべり、
顔だけこちらを向けている。
「・・・貧乏くじ・・・200連続」
三人とも、
『見ているこちらが嫌になるほど』
落ち込んでいた。
「・・・白雪様を・・・神として祀ろうとしたのが・・・間違いじゃった・・」
「・・わしらのせいで・・・福大殿が
「・・・白雪ちゃん・・・嫌われた
・・・絶対嫌われた。」
ウジウジ・・・
ネチネチ・・・
クヨクヨ・・・
地獄の三重奏だった。
ぼく達は思わず顔を見合わせた。
「・・・なんだこの空気。」
「・・・ホラーより怖い。」
「・・・霊より重い。」
「白雪を探してるけど
・・・見つからないんだ」
ぼくが言うと、
三人はさらに沈んだ。
「やはり見つからんか・・・」
「わしらも方々探したが・・・影も形もない。」
「白雪ちゃん・・・もう戻ってこない。」
ウジウジ・・・
ネチネチ・・・
クヨクヨ・・・
ぼくは頭を抱えた。
「この寺は白雪を祀った寺なんだろ。
白雪に繋がるものはないのですか?」
ぼくは思わず語気を強めて言ってしまった。
三人は顔を上げた。
「・・・あるとしたら。」
「・・・【氷の欠片】じゃな。」
「・・・白雪ちゃんが残した氷
・・・今でも溶けない。」
「五重塔の最上階に置いてある。
お主らが持っている白雪様のアクセサリーと合わせれば・・・
白雪様の元へ行けるかもしれん」
「でも・・・わしらにはもう無理じゃ」
「見捨てられたんじゃ・・・」
「白雪ちゃん・・・嫌われた・・・」
ウジウジ・・・
ネチネチ・・・
クヨクヨ・・・
ぼくは堪えきれず叫んだ。
「白雪様、白雪様って
うるせぇんだよ!!」
三人がビクッと震えた。
「白雪がいない間に、
ここまで集灯町を守ってきたのはお前達だろ!!
だったら白雪に見せてやれよ!!」
「・・・ふ、福大殿・・?」
白翁様が腰を抜かして驚いた。
「灯を絶やさず、
いろんな人や妖怪が集まる町にしたって!!
白雪に言ってやれよ!!」
「・・・わしらが・・?」
木の葉老様目をパチクリさせてこちらを見ている。
「この町は白雪が作ったんじゃない!!
みんなで作ってきたんだ!!
だから胸張れよ!!
白雪に見せてやれよ!!
『こんなに素晴らしい町になったんだ』って!!」
本堂が静まり返った。
三人は呆然とぼくを見つめていた。
「白雪に・・・
そんなしけた顔見せるんじゃねぇよ!!」
ぼくは鼻息を荒くして床を蹴る様にドンドン音を立てながら本堂を出て行った。
「・・・福大って
・・・白雪ちゃん絡むと人格変わるよね」
「・・・福大怖い・・」
「まさに・・・ホラー」
その時だった。
「ウォォォォォーーーー!!!」
白翁様の筋肉が一気に膨れ上がる。
「キョェェェェーーーー!!!」
木の葉老様の枝の先まで精気が戻る。
「ヨッシャーーーー!!!」
つむぎちゃんが床から跳ね起きた。
「よし!!
白の御方だけじゃなく・・・
赤の殿方も祀ろう!!」
白翁様が名案を思いついたとばかりに筋肉を震わせた。
「そうじゃな!!
二人一組でお祀りしよう。」
木の葉老様が枝をビュンビュン振り回しながら喜んでいる。
「絶対嫌われるやつだよそれ!!
また貧乏くじだぁー!!」
つむぎちゃんも元気いっぱいに貧乏くじを喜んでいた。
「なんか違う方向に盛り上がってるけど。
まぁいいか」
「あとでなんとかなるでしょう」
「一難去ってまた一難・・まさにホラーね」
呆れながらも、福大の後を追った。
【五重塔:氷の欠片を守る残滓】
白影寺を出たぼく達は、
夜の冷気の中を歩き、
境内の奥にそびえる五重塔を見上げた。
月明かりに照らされた塔は、
まるで氷でできた巨塔のように青白く輝いていた。
「・・・夜の五重塔って、やっぱ怖いね」
「・・・前に見たよね、幽霊・・・」
「・・・今日もいる・・気がする・・」
まつりちゃんは恐怖に震え、
賽ちゃんは歓喜で震え、
雷斗は強がりながらも目をそらしていた。
ぼく達は階段を登り始めた。
塔の中は昼間よりもずっと冷たかった。
階段を登るたびに、
空気が白く曇るほどの冷気が漂ってくる。
「・・・白雪ちゃんの気配がする」
「うん・・・すごく強い・・・」
「・・・冷たい・・・でも、優しい・・・」
ぼく達は息を切らしながらも、
最上階へと向かった。
最上階の扉を開けた瞬間、
ぼく達は息を呑んだ。
そこは、まるで氷の神殿だった。
床も壁も天井も、
薄い氷の膜に覆われ、
月光を反射して淡く輝いている。
そして中央の台座に置かれた
【氷の欠片】。
手のひらほどの大きさの氷。
内部には淡い青い光が揺れ、
まるで心臓のように脈打っていた。
「・・・綺麗。」
「これが・・・白雪ちゃんの。」
その時だった。
氷の欠片の横に、
ふわりと『影』が立ち上がった。
透明で、霞んでいて、
輪郭が揺れている。
けれどその姿は、
大人になった白雪にそっくりだった。
「・・・で、出た・・・!!」
「ひぃぃぃぃ・・・!!」
「・・・幽霊・・・でも綺麗。」
ぼく達が後ずさると、
霊はゆっくりと微笑んだ。
「・・・ようやく
・・・来てくれたのですね。」
声は風のように静かで、
氷のように透き通っていた。
「あなた達は・・・白雪様の・・・
孤独を癒した者たち・・・」
「・・・白雪の・・・孤独?」
霊はゆっくりと頷いた。
「私は・・白雪様の『残滓』
木の葉を植えた時・・・
白雪様が抱えていた深い孤独が・・
形となって残ったもの・・・」
「孤独が・・・氷の欠片に・・・?」
「はい。
白雪様は・・・願ったのです。
『どうか、この場所が・・・
誰もが集まる灯となりますように』と」
霊は氷の欠片に手を触れた。
「この欠片は・・孤独から生まれたもの。
そしてあなた達の持つアクセサリーは、
愛から生まれたもの」
霊はぼく達の胸元を見て、
嬉しそうに微笑んだ。
「白雪様は・・・
2000年の時を経て・・・
ついに『友』を得て・・
そして『愛する者』を見つけたのですね・・・」
ぼくの胸が熱くなった。
「氷の欠片と、
あなた達のアクセサリーを合わせれば、
白雪様の元へ行けます」
「本当に!?」
「はい。
白雪様は今・・・
自らの心が作り出した『異世界』にいます。
孤独と恐怖に閉ざされた・・・
氷の世界に」
霊はぼく達に手を差し伸べた。
「どうか・・・
白雪様を・・・救ってあげてください。」
ぼく達がアクセサリーを掲げると、
氷の欠片が強く光り始めた。
青い光と、
赤・桃・黄・青黒の光が混ざり合い、
塔の最上階が一気に輝く。
床に光の紋様が浮かび、
風が渦を巻き始めた。
「うわっ!」
「きゃあ!」
「・・・飛ぶ!」
霊は微笑んだ。
「白雪様は・・・
あなた達を待っています」
光が爆ぜ、ぼくは叫んだ。
「白雪!!
今行くから!!」
ぼく達は光に包まれ、
白雪の『心の世界』へと落ちていった。
【春雪と春の心】
光の渦に飲み込まれたぼく達は、
しばらく落ち続けているような感覚に包まれた。
冷たい風が吹き抜けたかと思えば、
次の瞬間には暖かい風が頬を撫でる。
白い光が薄れ、
ぼく達はゆっくりと地面に降り立った。
そこは、
春と冬が同時に息づく、不思議な世界だった。
空には淡い桜色の光が漂い、
桜の花びらと氷の結晶が一緒に舞っている。
風が吹くたびに、
花びらはふわりと揺れ、
氷の粒はきらきらと光を反射した。
地面には緑の草が芽吹き、
その上に薄い霜が降りている。
木々は若葉をつけながら、
枝先には氷の蕾が光っていた。
暖かい風と冷たい風が交互に吹き、
まるで世界そのものが呼吸しているようだった。
「・・・すご・・・」
雷斗が驚き、髪の毛がビリッと電気を帯びた。
「きれい・・・」
まつりちゃんは息を呑んで驚き
「・・・春なのに・・・冬・・・?」
ぼくは美しさに胸を打たれ
「これが白雪ちゃんの世界・・・
・・・ゾクゾクする。」
「・・・・・・」
ぼく達は賽ちゃんの言葉で、言葉を失った。
「・・・福大?」
振り向くと、
桜並木の向こうから一人の少女が走ってきた。
白雪に似ている。
でも背丈は小学校六年生くらい。
髪は少し短く、
表情は柔らかくて、春の陽だまりみたいに優しい。
彼女はぼくを見るなり、
ぱぁっと顔を明るくして飛びついて来た。
「福大!
やっと来てくれたんだね!!」
「し、白雪。」
「ううん。
わたしは『春雪』
白雪の『春の心』だよ!」
春雪はぼくの手をぎゅっと握った。
その手はほんのり温かくて、
でも指先は少しだけ冷たかった。
「よかった・・・
本当に来てくれて・・・
このままじゃ、白雪が白雪じゃなくなっちゃう・・・」
「どういうこと・・・?」
春雪は桜並木の向こうを見つめた。
「白雪はね・・・
『冬の心』に飲み込まれそうになってるの。
孤独と恐怖と・・・
悲しみでいっぱいの心に」
春雪の声が震えた。
「だから・・・
早く福大のところに帰りたい。
白雪を・・・助けてあげたいの」
ぼくの胸がぎゅっと痛くなった。
「行こう!!
白雪のところへ!!」
春雪はぼく達の手を引いて走り出した。
桜と氷が舞う並木道を、
ぼく達は全力で駆け抜けた。
春雪は走りながら、
春の思い出を話し始めた。
「お花見、楽しかったよね・・・
福大と一緒にお弁当食べたの、嬉しかった」
「ぼくが初めて作ったお弁当だったんだ覚えてくれてたんだね。」
「もちろんだよ。」
「パパとママと一緒にピクニックもしたよね!
あの時の空、すっごく綺麗だった!」
「パパもママも白雪にメロメロだったもんね。青空がすごく綺麗で本当に楽しかった。」
「入学式の日・・・
福大が緊張してたの、覚えてるよ。
でも、すぐに笑ってくれた」
「雷斗もガチガチで全身ビリビリしいたよね。」
「み、見てたのかよ。」
「うん、まつりちゃんも賽ちゃんもみんなみんな見てたよ。だってとっても嬉しかったから。」
「春雪ちゃん、可愛い。」
「パクリって食べちゃいたい。
・・・パクリって。」
「学校での思い出も全部・・・
全部、宝物なんだよ・・・」
春雪の声は明るいのに、
どこか切なさが混ざっていた。
ぼく達は走りながら、
その言葉を胸に刻んだ。
桜並木の終わりが近づくにつれ、
風が少しずつ冷たくなっていく。
春雪は立ち止まり、
ぼくの手をぎゅっと握った。
「ここから先は・・・
『夏の白雪』の世界だよ」
春雪は微笑んだ。
「福大・・・白雪をお願いね」
その笑顔は、
春の光そのものだった。
春雪と別れ、
ぼく達は桜と氷の世界を抜けて進んだ。
風が変わった。
さっきまでの柔らかい春風とは違う。
熱を含んだ風と、
氷の冷気がぶつかり合っている。
視界が一気に明るくなった。
【夏雪と夏の心】
そこは、
夏と冬が同時に息づく、眩しい世界だった。
太陽の光が強く照りつけ、
氷の木々がその光を反射してキラキラと輝いている。
青々と生い茂る森の中に、
氷でできた木々が混ざり合い、
緑と透明な青が美しいコントラストを作っていた。
川では氷魚が飛び跳ね、
水しぶきが光の粒になって宙に散る。
氷虫たちが大合唱を奏で、
その音はどこか涼しげで、
夏の暑さを忘れさせてくれた。
氷の葉が風に揺れるたび、澄んだ鈴の様な音が響いた。
冷たい風と熱い空気が入り混じり、
まるで世界そのものが『夏の白雪』を表現しているようだった。
「・・・夏だよな?」
美しさのあまり雷斗が困惑し
「きれい・・・。」
まつりちゃんがうっとりと見惚れる。
「夏なのに・・・氷?」
ぼくは幻想的な世界に魅せられる。
「白雪ちゃんの世界・・・・
・・・・ヒュー、ドロローンだね。」
ぼく達は賽ちゃんの言葉に、言葉を失った。
「福大ぁぁぁぁ!!!!!」
突然、森の奥から
太陽の様な元気いっぱいの声が響いた。
次の瞬間、
氷の滑り台のような斜面を
小さな影が勢いよく滑り降りてきてジャンプしたかと思ったら
「ふーーくーーたぁぁぁぁーー!!」
と、そのままぼくの顔に飛びついてきた。
フンガーーーー
「福大ーーー!!
ほんものだーーー!!」
ギューーと顔にしがみつく女の子を剥がすと目の前には
「うわっ!? し、白雪……?」
小さな白雪がいた。
「ちがうよー!
わたしは『夏雪』!!
白雪の夏の心だよ!!」
夏雪は幼稚園児くらいの背丈で、
白雪にそっくりだけど、
表情がとにかく明るい。
笑顔が太陽みたいに眩しい。
「やっと来てくれたーー!!
ずっと待ってたんだよーー!!」
わぁーーーい
夏雪はぼくの手を両手で握り、
ぴょんぴょん跳ねて喜んだ。
「ほらほらみんなも一緒に
わぁーーーーい。」
まつりちゃんも雷斗も賽ちゃんも一緒に両手をあげてぴょんぴょん跳ねながら喜んだ。
こんなに笑う白雪を、
ぼくは見たことがなかった。
「ねぇねぇ聞いて!!
夏ってね、すっごく楽しかったの!!」
夏雪は走りながら、
次々と話し始めた。
「みんなで行った夏祭り!!
金魚すくいも、花火も、ぜーんぶ楽しかった!!
射的が雷斗あったのはゴメンね。」
「おー、あれは地味に痛かったんだぞ。」
「うふふ、あれわざとだよ。」
「わ、わざとだと。こんにゃろー、ごめんって涙流して謝ってたじゃねぇか。」
「ひっひっひ。女の涙に騙されるようじゃまだまだお子様だね。」
「なんだとー!!」
「川遊びでね、
雷斗を氷漬けにしちゃったの!!
あれ、めっちゃ面白かった!!」
「おい、あれはマジで死ぬかと思ったんだぞ!!」
「でも楽しかったでしょー?
死ななかったし。
「死んだらどうすんだぁー!!」
「大丈夫大丈夫、その辺りの力加減は慣れてるもん。」
「もんじゃねぇよ。可愛く言ってもダメなんだよ。」
「かき氷も大好きになったの!!
練乳が最高!!
アイスは別腹!!」
「あー分かる分かる。
私は全部かける派なんだ。
色んな味がいっぺんに楽しめて最高に美味しいんだよ。」
「・・・まつり
・・・かき氷のシロップは
・・・・色が違うだけで、
・・・みんな同じ味。
・・・怖いわよね、思い込みって。」
「賽ちゃん、それ今言う?」
「夏の白雪はね、
みんなに抱っこされてアイスノン代わりにされたの!!
あれも楽しかった!!
みんなして私を抱っこしてギューってしてくれるの。
私今まであんなに抱きしめられた事なかった。
だから本当に嬉しかった。」
夏雪は楽しそうにずっと笑っていた。
本当に楽しそうに、
心から幸せそうに。
その笑顔を見て、
ぼくの胸が少し痛くなった。
(白雪・・・
本当はこんなに笑える子なんだ・・・)
夏雪は急に立ち止まり、
ぼくの手をぎゅっと握った。
「ねぇ・・・お願いがあるの」
さっきまでの笑顔が、少しだけ曇った。
「白雪を助けてほしいの。
白雪を救えるのは・・・
もう、福大たちしかいないから」
夏雪の瞳が揺れた。
「白雪はね・・・
冬の心に閉じ込められちゃいそうなの。
孤独と悲しみで・・・
自分を見失いそうになってるの」
「だから・・・お願い。
白雪を・・・助けてあげて」
ぼくは強く頷いた。
「絶対に助ける。白雪を取り戻す」
夏雪はぱぁっと笑った。
「うん!!
じゃあ行こ!!
次は“秋雪”の世界だよ!!」
ぼく達は夏雪に手を引かれ、
氷と緑の森を抜けて進んだ。
風が変わった。
少し冷たく、
どこか寂しさを含んだ風。
次に待つのは、
白雪の『秋の心』
ぼく達は冬の白雪を救うため、
異世界の奥へと進んでいった。
【秋雪と秋の心】
夏雪と別れ、
ぼく達は氷と緑の森を抜けて進んだ。
風が変わった。
さっきまでの熱と冷気が混ざった風とは違う。
冷たく、重く、どこか胸を締めつけるような風が吹き、視界が暗くなった。
そこは、
春や夏とはまったく違う世界だった。
紅葉と氷が吹き荒び、
ぼく達の足元を削り取るように通り過ぎていく。
赤い葉が舞うたびに、
氷の刃のような冷気が混ざり、
肌を刺す。
樹々は枯れ落ち、枝は黒く、
葉はすべて凍りついて砕けていた。
空は厚い灰色の雲に覆われ、
激しい雨が降り続いている。
その雨は冷たく、
触れた瞬間に体温を奪っていく。
「・・・寒っ!!」
雷斗が寒さで身を震わせ
「・・・これ・・・秋?」
まつりちゃんが困惑している。
「・・・秋っていうか
・・・冬の手前の絶望。」
賽ちゃんは冗談すら言わない。
誰も笑わなかった。
ぼく達は寒さに体力を奪われながら、
一歩、一歩、
ジリジリと前に進んだ。
誰も何も言わなくなった。
声を出す余裕もなかった。
それでも、
ぼくを先頭に、進み続けた。
その時だった。
激しい雨の向こうに、
白い影が立っていた。
雨に濡れ、
髪が頬に張りつき、
冷気をまとった高校生姿の白雪。
表情は暗く、
瞳は深い悲しみに沈んでいた。
秋雪。
白雪の『秋の心』だ。
秋雪はぼく達を見ると、
ゆっくりと首を振った。
「・・・なんで?
・・・来たの?」
声は震えていた。
怒りでも憎しみでもない。
ただ、深い悲しみ。
「もう・・・そっとしておいて・・・」
冷気が強くなる。
「あなた達に出会わなければ・・・
こんな思いをせずにすんだのに」
ぼくの胸が痛んだ。
「あなたに出会わなければ・・・
あの日・・・私は・・・
死ぬことが出来たのに」
雷が落ちたような衝撃だった。
「白雪、ぼくは君を連れ戻しに来たんだ。
一緒に帰ろう。」
「もう・・・私を苦しめないで・・・」
秋雪の冷気が吹き荒れ、
ぼく達の体を押し返す。
「白雪、やめて」
「白雪ちゃん、一緒に帰ろう。」
「白雪ちゃん、オレ達と帰ろう。」
「・・・白雪ちゃん。」
「・・・もうやめて
あなた達のそばにいるだけで・・・
辛いの・・・苦しいの・・・」
秋雪の瞳から涙がこぼれた。
「あなた達が・・
私を・・・苦しめてるの・・・」
秋雪が手を伸ばした瞬間、
ぼく達の胸元のアクセサリーが震えた。
「・・・やめ・・!!」
ぼくが叫ぶより早く、
秋雪の冷気がアクセサリーを包み込んだ。
ピシッ・・・!
ひびが入る。
パリンッ!!
まつりちゃんのアクセサリーが砕けた。
キャー!!
続いて賽ちゃんの、雷斗のも
次々と砕け散った。
キャ!!
ウワァー!!
「やめて!!
白雪!!
お願いだから!!」
ぼくの叫びも届かない。
秋雪は涙を流しながら、
最後の一言を告げた。
「・・・二度と・・来ないで・・・」
ぼくのペンダントにヒビが入った。
次の瞬間、
ぼく達の足元に大きな亀裂が走った。
「うわっ!!」
「きゃあ!!」
「・・・落ちる!」
世界が崩れ落ちる。
紅葉と氷の嵐が渦を巻き、
ぼく達を飲み込んだ。
秋雪の姿が遠ざかる。
最後に見えたのは、
雨の中で泣き続ける白雪の姿だった。
ぼく達は光に包まれ、
異世界から追い出された。
【パパの叫び】
・・・目を開けた時、
ぼくは病室のベッドの上にいた。
天井の白い光が滲んで見える。
息を吸うと、冷たい空気が胸に刺さった。
横を見ると、
雷斗、まつりちゃん、賽ちゃんがいた。
みんな、ぼくと同じように
ベッドの上で目を覚ましていた。
(・・・戻ってきたんだ。
異世界から・・・)
白雪を連れ戻せないまま。
ぼくの手の中には、
ボロボロになったペンダントが握られていた。
ひびだらけで、
今にも崩れそうなほど弱々しい。
でも——
これだけが残った。
みんなのアクセサリーは砕けて消えたのに、
ぼくのだけが、かろうじて形を保っていた。
「・・・福大くん、起きたのね!」
看護師さんが駆け寄り、
すぐにパパとママを呼びに行った。
窓の外を見ると、
雪が静かに降り積もっていた。
カレンダーは——12月。
(・・・ぼく達。
1ヶ月も・・・異世界を旅してたんだ)
胸が締めつけられ、涙が勝手に溢れてきた。
春雪の笑顔に、ぼくは希望を見た。
夏雪の笑顔で、それは確信に変わった。
(白雪は絶対に取り戻せる・・・)
そう信じていた。
でも。
秋雪の拒絶が、ぼくの心を完全に砕いた。
「・・・あれが・・白雪の本心なんだ。」
声が震えた。
「ぼくのそばにいたくなかったんだ・・
ぼくなんか・・いらなかったんだ・・」
胸が痛い。
息が苦しい。
「ぼくは・・・白雪のこと・・
何も知らなかった・・・
知ろうともしなかった・・・」
涙が止まらなかった。
「好きだ、好きだって・・・
結婚して下さいって・・
白雪の気持ちも知らないで・・・
ぼく・・・最低だ・・」
ぼくはペンダントを握りしめた。
「ゴメン・・・
ゴメンね白雪・・・
白雪の本当の気持ち・・・
分かってあげられなくて・・・」
「ぼくがそばにいちゃ・・・
ダメだったんだ・・・
ぼくみたいな奴が・・・
白雪のそばにいていいわけ・・・
なかったんだ・・・」
気づけば、
まつりちゃんも、賽ちゃんも、雷斗も泣いていた。
誰も言葉を発せず、
ただ泣いていた。
薄暗い病室に、
ぼくらの啜り泣く声だけが響いていた。
病室の扉が開き、
ママが駆け込んできた。
「福大・・・!
無事で良かった・・・本当に良かった・・
もうどこにも行かないで・・・
お願いよお願い。」
ママはぼくに抱きつき、
ぼくもそのまま泣き崩れた。
ママの手は震え、
ぼくの背中を必死に撫でていた。
その後ろから、
パパがゆっくりと近づいてきた。
「・・・白雪ちゃんはどうした?」
ぼくは涙で濡れた顔を上げた。
「・・・もういいんだ・・・
もう白雪は・・・
帰って来たくないって・・・
ぼく達が・・白雪を傷つけてたんだって。」
パパは顔を伏せたまま奥歯を噛み締める様に言った。
「・・・白雪ちゃんが・・・そう言ったのか?」
「そうだよ!
ぼくに・・・言ったんだよ・・・!
『もうそっとしておいて』って・・・
だから・・もう・・ぼくは・・白雪に。」
言葉が途切れた。
胸が痛くて、息ができなかった。
ぼく達は絶望していた。
諦めかけていた。
その瞬間だった。
パパがぼくの胸ぐらをグウっと掴んだ。
片手で、軽々と。
そして——
ぼくの顔を殴った。
乾いた音が病室に響き、みんなの視線がぼくへと集まる。
何が起きたのか分からなかった。
ただ、頬が熱くて、痛くて、
ぼくは初めてパパに殴られたんだと理解した。
「パパ何するの!!」
ママが叫んだ。
「福大大丈夫か。」
「おじさん酷いよなんで殴ったりするの。」
雷斗とまつりちゃんが大声で叫んでいる。
その様子を賽ちゃんがじっと見つめていた。
でもパパはぼくを睨みつけたまま、
鬼のような顔で怒鳴った。
「好きな女を守れないで戻ってくる奴があるかぁーーー!!」
パパの声が病室を震わせた。
「お前の愛はそんなものか!!」
パパの声は震えていた。
怒りだけじゃない。
悔しさと、悲しさと、愛が混ざっていた。
「白雪ちゃんがそう言った?
そんな言葉をお前は信じたのか!!」
「……っ」
(信じたよ。白雪の言葉を、信じたくなかったけど、信じるしなかったんだ。
あの場にいなかったパパに何が分かるんだ。ぼくの気持ちなんてこれっぽっちも分からないくせに。)
「お前達の今までの関係は、
そんな言葉ひとつで覆されるような
『軽いもの』だったのか!!」
胸に突き刺さった。
(ぼく達の関係は軽くなんてない)
「立て!!
好きなら、愛してるなら、諦めるな!!」
パパの怒声が病院中に響き渡る。
「諦めるしかなかったんだ。
あれが白雪の本音だったんだ。
だからぼくは・・ぼくは。」
「お前の想いが本物なら、
絶対に連れ戻せる!!」
「もう無理だよ。白雪が二度と来ないでって言ったんだ。泣きながら言ったんだ。」
「白雪ちゃんがお前を待ってない訳がないだろう!!
お前が白雪ちゃんを信じてあげないでどうするんだ!!」
「ぼくじゃ白雪を連れ戻せないんだよ。」
「そんな訳ないだろう。
お前だけが・・・
白雪ちゃんを幸せにできるんだぞ!!」
そう言ってパパはぼくを抱きしめてくれた。暖かいパパの温もり、パパを見上げるとパパの目は涙で濡れていた。
「福大なら、必ず出来る。」
「・・・うん。」
「ガッハッハッハ!!
だったら行けーい。」
「病院でなんて事をするんですか!!」
「自分の子供を殴るなんて!!」
先生たちがパパを取り押さえる。
それでもパパは叫んだ。
「ガッハッハッハ!
福大!!行けーー!!
絶対に連れ戻して来い!!
お前ならできる!!」
「パパはお前を信じて待つ!!
だから、
連れ戻すまで戻ってくるんじゃないぞ!!」
ぼくは涙を拭い、
ボロボロのペンダントを握りしめた。
(ありがとうパパ。
ぼくに勇気をくれて、
ぼくを送り出してくれて。
ありがとうパパ。)
ぼくは全力で走り出した。
向かうのは、
ぼくの家の冷凍庫。
白雪が眠っていた場所。
(きっと・・・ここからなら・・
もう一度・・白雪に会える)
ぼくは雪の降る夜の町へ飛び出した。
【冷凍庫から異世界へ】
家に帰りついた時には、
外はすっかり夜になっていた。
雪が静かに降り続け、
街灯の光に照らされて白く舞っている。
ぼくは玄関を開けると、
まっすぐ台所へ向かった。
そこに、
白雪がいつも眠っている『冷凍庫」がある。
ぼくは冷凍庫の前に立った。
足がブルブル震えている。
全力で走ったから息がゼェゼェ上がっている。
胸の奥が熱くなり鼓動は早まる。
手の中のペンダントはボロボロで、
今にも崩れそうだった。
でも、
これだけが、白雪とぼくを繋ぐ最後の絆だった。
息を整え、ぼくはそっとペンダントを胸に抱きしめた。
「・・・白雪。」
声が震えた。
「戻ってきてほしい・・・
もう一度・・・ぼくのそばに・・・」
冷凍庫の前に膝をつき、
ぼくはペンダントを両手で包み込んだ。
「この町は・・白雪が戻ってくる場所なんだ。
みんなが白雪を待ってる。
白雪が灯してくれた光で・・・
この町はここまで大きくなったんだよ」
涙がぽたぽたとペンダントに落ちた。
「この家は・・・白雪の家だよ。
白雪が笑って、泣いて、怒って・・・
全部を見せてくれた家なんだ」
ぼくは冷凍庫の扉に手を置いた。
「そして・・・ぼくの隣が・・・
白雪の居場所なんだ」
胸が締めつけられた。
「だから・・・ぼくが連れ戻す。
白雪を幸せにするために。
ぼくが白雪を幸せにするんだ」
ぼくは強く、強く願った。
「それが・・・ぼくの幸せだから・・・
白雪・・・お願いだよ・・・
ぼくの声を・・・聞いて・・・」
ペンダントが、かすかに光った。
ひびだらけのその欠片が、
最後の力を振り絞るように。
ぼくはゆっくりと冷凍庫の扉を開けた。
冷気がふわりと溢れ出し、ぼくの頬を撫でる。
その冷たさは、
ぼくの手をずっと握りしめていた白雪の手の温度と同じだった。
「・・白雪・・・行くよ」
ぼくはペンダントを胸に抱きしめ、
冷凍庫の中へ足を踏み入れた。
次の瞬間、
冷気が渦を巻き、
ぼくの体を包み込んだ。
視界が白く染まり、世界が反転する。
ぼくは白雪の『冬の心』へと落ちていった。
【冬雪と冬の心】
冷凍庫の光に飲み込まれたぼくは、
次の瞬間、凍てつく風に叩きつけられた。
息ができないほどの冷気。
視界は真っ白で、
上下の感覚すら分からない。
吹雪が、世界そのものを引き裂くように荒れ狂っていた。
足元の雪は深く、
一歩踏み出すたびに膝まで沈む。
空は黒く、雲は裂け、
氷の破片が雨のように降り注ぐ。
ここは、白雪の『冬の心』
絶望と孤独が形になった世界だった。
ぼくは必死に前へ進んだ。
吹雪に押し戻されても、
何度も何度も足を踏み出した。
「白雪ぃーーー!!
白雪ぃーーーー!!。」
何度も何度も名前を呼んだ。
その時だった。
吹雪の向こうに、
ひとつの影が立っていた。
風が一瞬だけ止み、
その姿がはっきりと見えた。
そこにいたのは、白雪だった。
でも、ぼくの知っている白雪じゃない。
背は伸び、
髪は腰まで届くほど長く、
雪のように白く輝いている。
肌は透き通るように白く、
頬は冷たく紅を差したように淡く色づいている。
瞳は深い氷の青。
光を吸い込むような、
底の見えない静かな青。
その姿は、
まるで『雪の女神』のように美しく、
そして『絶望の化身』のように冷たかった。
白雪は20代の女性の姿をしていた。
妖艶で、儚くて、
触れたら壊れてしまいそうなほど美しい。
けれど、その表情は無だった。
喜びも、怒りも、悲しみも、
何も浮かんでいない。
ただ、吹雪の中で静かに佇んでいた。
白雪の周りだけ、
吹雪が渦を巻くように強くなっていた。
まるで白雪自身が、
この世界の中心であり、
吹雪そのものを生み出しているかのようだった。
白雪が腕を少し動かすだけで、
風が唸り、氷が砕け、世界が震えた。
その姿は、
ぼくが知っている白雪とはまったく違う。
でも、確かに白雪だった。
ぼくの胸が痛くなった。
(白雪・・・
こんなに・・大人になって・・
こんなに・・・孤独な顔して・・・)
白雪はぼくを見ていた。
でも、その瞳には何の感情も宿っていなかった。
ただ、ぼくを『見ている』だけ。
それが余計に苦しかった。
白雪の髪が吹雪に揺れ、
そのたびに氷の粒が舞い散る。
白雪の肌は雪のように白く、
冷気を帯びて淡く光っていた。
唇は薄く、
触れたら凍りつきそうなほど冷たそうで、
それでいてどこか艶めいていた。
白雪の姿は、
『美しい』を通り越して、
『神秘的』で『妖艶』だった。
ぼくは息を呑んだ。
(これが・・・白雪の本来の姿・・
冬の白雪・・・冬雪)
冬雪は、
ぼくの知っているどの白雪よりも美しく、どの白雪よりも遠かった。
「白雪ぃーーーー!」
ぼくが大声を上げると、冬雪は無表情のまま腕振った。
その動きは静かで、
まるで風を撫でるだけのようだった。
けれど、世界が一瞬で変わった。
吹雪が止み、
視界が白から黒へ反転する。
ぼくは気づけば、
まったく別の世界に立っていた。
そこは真新しい神殿だった。
黄金色に輝く台座に座るのは大人の姿をした白雪。
けれどその表情は、今よりもずっと幼く、怯えていた。
白雪そばには神官が控え、目の前には多くの信者が頭を下げている。
神官達は白雪を囲み、
頭を床につけて祈っていた。
「白の御方……!」
「どうか……どうか我らをお救いください……!」
「冷気を……お与えください……!」
白雪は震えていた。
その手は、
『拒絶』ではなく『恐怖』で震えていた。
カーーンカーーンカーーン
鐘の音が鳴り響くと、
私は神輿で運ばれる。
白雪を讃える鐘。
白雪を神と呼ぶ鐘。
白雪を崇める鐘。
神輿を下ろされると、一斉に祈りを捧げられる。
「やめて・・・
そんなふうに・・祈らないで・・・」
白雪が小さく呟いた瞬間、
冷気が爆発した。
大勢の人間の体が凍りつき、
田畑が一瞬で氷に覆われた。
白雪は叫んだ。
「違う……!
そんなつもりじゃ……!」
でも冷気は止まらない。
白雪の涙が落ちるたびに、
地面が凍りつき、
人々が倒れていく。
白雪は両手で耳を塞いだ。
「やめて……
やめて……
やめて……!!」
カーーンカーーンカーーン
鐘の音が鳴り響くと、
私は再び神輿で運ばれる。
白雪を讃える鐘。
白雪を神と呼ぶ鐘。
白雪を崇める鐘。
神輿を下ろされると、一斉に祈りを捧げられる。
その音が、
白雪の心を切り裂いていく。
何度も何度も鐘の音を聞いた。
何度も何度も祈りを捧げられた。
だから、何度も何度も人を殺めて来た。
何十年も私は人殺しの神だった。
「この音が・・・
嫌いになったの・・・」
冬雪の声が、
ぼくの背後から聞こえた。
「私を讃える声が・・・
怖くなったの・・・」
白雪の記憶の中の白雪は、
泣きながら冷気を撒き散らしていた。
「私はただ・・・
『やめて』って言えなかった・・・
怖くて・・・
誰も傷つけたくなくて・・・
でも・・・止められなくて・・・」
白雪は震えていた。
「だから・・・逃げたの・・・
歯向かうことも・・・
断ることもできなくて・・・
ただ・・・逃げるしかなかった・・・」
ぼくはその光景を見て、
胸が締めつけられた。
白雪が人を傷つけたのは、
望んだからじゃない。
崇められ、
祈られ、
求められ、
逃げ場を失って、
ただ泣きながら冷気を撒き散らしただけ。
白雪は『神』なんかじゃなかった。
ただの、孤独な女の子だった。
(白雪・・・
こんな思い・・・
ずっとひとりで・・・)
ぼくの足が震えた。
息が苦しい。
胸が痛い。
(白雪・・・
ごめん・・・
ぼく・・・何も知らなかった・・・)
ぼくは涙を流しながら、
白雪の記憶の中で立ち尽くした。
「ねぇ・・・福大・・・」
冬雪がぼくの横に立っていた。
その瞳は氷のように冷たく、
でも奥に深い悲しみがあった。
「これが・・・私の『冬』なの・・・
私が・・・ずっと隠してきたもの・・」
白雪はぼくを見つめた。
「あなたは・・・
こんな私でも・・・
まだ・・・『白雪』だと思える?」
吹雪が再び強くなり、
世界が白に染まった。
世界が再び反転した。
吹雪が止み、
視界がゆっくりと色を取り戻す。
ぼくは気づけば、
荒れ果てた大地の上に立っていた。
草木はすべて凍りつき、
地面はひび割れ、
空はどこまでも灰色だった。
風が吹くたびに、
氷の粒が地面を転がり、
乾いた音を立てた。
その世界の中心に、
白雪がいた。
大人の姿の白雪、
瞳は深い闇を宿していた。
「・・・気づけば、
私は『悪魔』と呼ばれていたの」
冬雪の声が、ぼくの背後から聞こえた。
記憶の中の白雪は、
小さな小屋の前で膝を抱えていた。
その小屋は、
雪に埋もれそうなほど小さく、
壁はひび割れ、
屋根は傾いていた。
「私の住む場所は寒くて・・・
草木も凍るの。
近づけば氷漬けにされるって・・・
命を取られるって・・・
そう言われていたの」
白雪は震えていた。
「でも・・・私は何もしていない。
ただ・・・そこで暮らしていただけ。」
風が吹いた。
ヒューーー……ヒューーー……
その音は、
まるで誰かが泣いているようだった。
白雪は耳を塞いだ。
「この音が・・・怖かったの・・・
ずっと・・・ずっと・・・」
次の瞬間、
地面が凍りつく音が響いた。
ピキピキピキィィィーーン!!
白雪は肩を震わせた。
「この音も・・・怖かった・・・
私が・・・また何かを壊してしまったんじゃないかって・・・
誰かを傷つけてしまったんじゃないかって・・・
怖くて・・・怖くて・・・」
白雪は小屋の中に逃げ込んだ。
でも——
そこにも救いはなかった。
ある日、
村人たちが大勢で小屋に押し寄せた。
松明を持ち、
武器を持ち、
怒りと恐怖の顔で白雪を囲んだ。
「出てこい!!」
「悪魔め!!」
「村を凍らせる気か!!」
「食べ物も何もかも凍らせる気なの!!」
白雪は震えながら小屋の隅に隠れた。
「・・・私は・・・何も・・・してない。」
でも、誰も聞いてくれなかった。
「出てこい!!」
「殺される前に殺すんだ!!」
「焼き殺せ!」
「悪魔を追い出せ!!」
白雪は泣きながら小屋を飛び出した。
歯向かうことも、
反撃することもできずに。
「私は・・・逃げたの・・・
ただ・・・逃げるしかなかったの・・」
白雪の記憶の中の白雪は、
雪の中を必死に走っていた。
涙が凍りつき、
頬に張りついていた。
ぼくはその光景を見て、
涙を流し絶望した。
(白雪・・・
こんな・・・こんな思い・・・
ずっとひとりで・・・)
全身が凍える。
体がバラバラに引き裂かれる。
生きているだけなのに、
心がすり潰される。
(白雪は・・・
悪魔なんかじゃない・・・
ただ・・・ただ・・・
ひとりで・・・
怖かっただけなのに・・・)
ぼくの視界が滲んだ。
白雪は無表情にじっとぼくを見ている。
ぼくは膝をついた。
涙が止まらなかった。
吹雪が再び強くなり、
世界が白に染まった。
世界がまた反転した。
吹雪が止み、
代わりに眩しい光が差し込む。
ぼくは気づけば、
豪奢な宮殿の前に立っていた。
白い大理石の階段。
金色の装飾。
整列する兵士たち。
その中心に、白雪がいた。
白雪は美しかった。
そしてその美しさは息を呑み、全てを魅了するほどだった。
白雪の周りには、
人々がひざまずいていた。
「天使様!
「どうか我が国に祝福を!」
「その美しさ、その力・・・どうか我らに・・・!」
白雪は困惑したように、
ただ立ち尽くしていた。
「・・・気づけば、私は『天使』と呼ばれていたの」
冬雪の声が、ぼくの背後から聞こえた。
記憶の中の白雪は、
宮殿の中へ連れて行かれた。
豪華な部屋。
絹のカーテン。
宝石のような装飾。
その中心に、
ひとりの男が座っていた。
王冠をかぶり、
豪奢な衣をまとった男。
男は白雪を見るなり、
恍惚とした表情で手を伸ばした。
「我が天使よ・・・
その美貌、その氷の力・・・
すべてが我が国を救う」
白雪は後ずさった。
「・・・私は・・・そんな・・・」
「結婚してほしい」
「我が妃となれ」
「お前の力があれば、我が国は世界を征服できる」
「すべての栄華を、お前に捧げよう」
白雪は震えた。
「・・・いや。
私は・・・そんなこと・・・」
「断るのか?」
男の声が低くなった。
「天使が・・・私を拒むのか?」
白雪は必死に首を振った。
「私は・・・ただ・・・
静かに暮らしたいだけ・・・
誰も傷つけたくない・・・」
「ならば——力を貸せ」
「・・・いや・・・」
「貸せと言っている!!」
白雪は涙を流しながら、
何度も何度も首を振った。
「いや・・・いや・・・いや・・・!!
私は・・・そんなこと・・・
したくない・・・!!」
男が手を振り下ろした。
「ならば死ね。」
「我を拒む天使などいらぬ。」
ザッザッザッザッザッザッ——
何百もの軍靴の音が響き渡る。
白雪の周りを、
黒い軍服の兵士たちが取り囲んだ。
銃口が一斉に白雪へ向けられる。
「やめて・・・
お願い・・・やめて・・・」
「撃て!!」
パンッ!
パンッパンッパンッパンッ!!
銃弾が白雪に向かって飛んだ。
白雪は悲鳴を上げた。
「いやぁぁぁぁぁぁ!!」
冷気が爆発した。
銃弾はすべて凍りつき、
地面に落ちた。
兵士たちの足元が凍りつき、
悲鳴が上がる。
「違う・・・
そんなつもりじゃ・・・!!!
私は・・私は・・・!!」
白雪は泣きながら走り出した。
歯向かうことも、
反撃することもできずに。
「私は・・・また逃げたの
ただただ、逃げるしかなかったの・・」
ぼくは涙を流し歯を食いしばりながら見る事しか出来なかった。
世界がまた静かに反転した。
吹雪も、光も、音も消えた。
ぼくは気づけば、
果てしない闇の中に立っていた。
空も地面もない。
上下も左右もない。
ただ、無限の闇が広がっている。
その中心に、
白い光がひとつ、漂っていた。
それは人の形をしていなかった。
輪郭もなく、
ただ淡く揺れる光の塊。
でも、ぼくには分かった。
(・・・白雪?)
冬雪の声が、
闇の中に静かに響いた。
「これは・・・
私自身も忘れていた記憶・・・
私が『白雪』になる前の・・・
もっと遠い、もっと古い・・・
私の『最初の孤独』」
光の塊が、ゆっくりと揺れた。
「私は・・・雪女じゃないの・・・
私は・・・遠い宇宙から来た・・・
ただの『エネルギー体』だった・・・」
光が震えた。
「何万光年もの時を・・・
私はひとりで彷徨っていた・・・
真っ暗な闇の中を・・・
誰にも触れられず・・・
誰にも見つけられず・・・
ただ・・・漂っていた・・・」
その声は、
風よりも静かで、
氷よりも冷たく、
涙よりも儚かった。
「ある時・・・
私は『光』を見つけたの・・・」
闇の中に、青い星が浮かび上がった。
地球。
「この星には・・・
たくさんの命があった・・・
たくさんの声があった・・・
たくさんの温かさがあった・・・」
光の白雪が、
その星にゆっくりと降りていく。
「私は・・・
惹かれたの・・・
この星なら・・・
私の孤独を癒してくれるかもしれないって・・・」
白雪の光が地球に触れた瞬間、
世界がまた変わった。
白雪は人の姿を得た。
雪のように白い肌、
冷気をまとった体。
でも、
その力が、白雪をまた孤独にした。
「私は・・・人と関わるほど・・・
孤独になっていった・・・」
白雪の声が震えた。
「触れれば凍らせてしまう・・・
近づけば傷つけてしまう・・・
笑っても・・・泣いても・・・
誰も・・・私に触れられなかった・・」
白雪の姿が、
何度も何度も変わった。
神と呼ばれた白雪。
悪魔と呼ばれた白雪。
天使と呼ばれた白雪。
どの白雪も——
ひとりだった。
「私は・・・ずっと・・・
ずっと・・・孤独だったの・・・」
ぼくはその光景を見て、
胸が締めつけられた。
(白雪・・・
こんな・・・こんな遠いところから・・
ひとりで・・・
ずっと・・・)
息が苦しい。
涙が止まらない。
(白雪は・・・
孤独を癒すために・・・
地球に来たんだ・・・
なのに・・・
誰にも触れられず・・・
誰にも理解されず・・・
ずっと・・・ひとりで・・・)
ぼくは拳を握りしめた。
(白雪・・・
ぼくが・・・
白雪の孤独を・・・
終わらせる・・・)
【白雪の心の声】
世界が再び反転した。
神と呼ばれた記憶。
悪魔と呼ばれた記憶。
天使と呼ばれた記憶。
そして、白雪自身も忘れていた
『宇宙の孤独』。
そのすべてを見せられたぼくは、
もう立っているのがやっとだった。
涙と鼻水と嗚咽で顔をグシャグシャにして、胸が押しつぶされそうなほど苦しくて、手足が震えて、心が砕けそうだった。
でも、
それでも、ぼくは進んだ。
まともになんか歩けなかった。
足がすくんで一歩も前に進まない、だから足をする様に進んだ。
何度も転んだ。顔も手も足も擦り切れ、血だらけにしながら歩いた。
涙で目が霞んで前が見えない。
それでもぼくは進むんだ。
白雪を助けるために。
気づけば、ぼくは雪山に立っていた。
あの日、白雪と初めて出会った場所。
星降る夜に、流れ星と共に白雪が降って来た場所。
集灯山の麓【星雲の狭間】だ。
でも今そこに立っているのは、
大人になった白雪だった。
あれは紛れもない白雪だ。
大人になった妖艶な姿。
長い白髪が吹雪に揺れ、
氷のような青い瞳が虚空を見つめている。
表情は無。
でも、ぼくには分かった。
(白雪・・・泣いてる・・・
心の中で・・・ずっと・・・)
白雪は何も言わず、
ただ吹雪の中心で佇んでいた。
「白雪!!」
ぼくが一歩踏み出すと、
吹雪が一気に強くなった。
顔に氷の粒が叩きつけられ、
体が後ろに押し戻される。
でも白雪は動かない。
ただ、そこに立っている。
「白雪・・・!!
行くよ・・・!!
今、行くからね・・・!!!」
ぼくは体の中の熱をさらに強めた。
白雪の冷気に負けないぐらい、
白雪の冷気に対抗するように、
ぼくの体から熱が溢れ出す。
吹雪がさらに強くなる。
視界が真っ白になる。
足が凍りつきそうになる。
それでも、ぼくは進んだ。
一歩。
また一歩。
転び、這いずり。
かっこ悪く。
無様で惨めでそれでも、
白雪のそばへ。
そしてついに白雪の目の前まで辿り着いた。
白雪は無表情のまま、
ぼくを見つめていた。
その瞳の奥に、
深い深い孤独が渦巻いていた。
ぼくは震える手で、
白雪の体を抱きしめた。
「白雪・・・!」
その瞬間、吹雪が止まった。
世界が静まり返り、白雪の体が震えた。
そして、白雪は泣いた。
大声で。
子どものように。
胸の奥に溜め込んだ何千年分の涙を、
全部吐き出すように。
「いや・・・いやぁぁぁぁ・・・
もう・・・いや・・・
ひとりは・・・いや・・・!」
白雪の姿が揺れた。
大人の姿が崩れ、
光に包まれ、
気づけば、
夏雪の姿になっていた。
幼稚園児の白雪。
あの無邪気で、明るくて、
誰よりも笑っていた白雪。
その白雪が、
ぼくの胸の中で泣いていた。
ぼくは白雪を抱きしめたまま、
何も言えなかった。
何も出来なかった。
白雪の何千年もの孤独を癒すことなんて、
ぼくには出来ない。
過去を変えることも出来ない。
傷を消すことも出来ない。
でも、
ぼくは白雪の耳元で、
静かに言った。
「白雪・・・
ぼくは・・・何も出来ないよ・・・
白雪の孤独を全部癒すなんて・・・
そんなこと・・・出来ない・・・」
白雪の小さな手が、
ぼくの服をぎゅっと掴んだ。
「でもね・・・
これからの白雪を・・・
ぼくが幸せにすることは・・・
出来るんだ」
白雪の泣き声が止まった。
「ぼくは・・・白雪のそばにいるよ。
これからもずっと・・・
白雪が笑えるように・・・
白雪が泣かないように・・・
白雪がひとりにならないように・・・
ぼくが・・・そばにいる」
白雪は顔を上げた。
涙でぐしゃぐしゃの顔で、
ぼくを見つめた。
「・・・いて・・・くれるの・・・?」
「うん。
ぼくで良ければ・・・
白雪のそばにいても・・・
いいかな・・・?」
白雪は泣きながら笑った。
「・・・うん・・・
いて・・・
いてほしい・・・
ずっと・・・」
ぼくは白雪を抱きしめた。
「白雪・・・
ぼくが白雪を幸せにするよ。
それが・・・ぼくの幸せだから」
吹雪は完全に止み、
世界に静かな雪が降り始めた。
白雪を抱きしめたまま、
ぼくはしばらく動けなかった。
白雪は泣き続けていた。
大人の姿から秋の高校生の姿へ、
秋の姿から夏の幼稚園児の姿へ
夏の姿から春の小学6年生の姿へ——
白雪の心が、少しずつ溶けていくように。
やがて吹雪は完全に止み、
空から静かに雪が舞い落ちた。
白雪はぼくの胸の中で、
小さく、小さく呟いた。
「・・・福大・・・」
その声は震えていて、
でも確かに『白雪の声』だった。
「・・・ただいま・・・」
ぼくは白雪を抱きしめたまま、
涙が止まらなかった。
「・・・おかえり、白雪・・・」
世界が光に包まれた。
気づけば、ぼくは家の前に立っていた。
白雪の手を握ったまま。
白雪は、
春の姿をしていた。
小学六年生くらいの背丈。
春雪の姿。
でも、瞳はもう泣いていなかった。
外の空気は冷たくなく、
雪はすでに溶けている。
暖かく柔らかい風が吹き、桜の花びらが舞い落ちる。
空は明るく、
どこか懐かしい匂いがした。
春が来たんだ。
ぼくがあの冷凍庫を開けたのは12月。
きっと年が明けて、
もう春が来たんだ。
白雪はぼくの手をぎゅっと握った。
「・・・福大・・」
ぼくは頷いた。
「行こう、白雪」
ぼく達は手を繋いだまま、
ゆっくりと玄関の扉を開けた。
春の光が差し込む。
白雪は小さく息を吸い、
そして——
「・・・ただいま」
その声は、
冬を越えて、
春を迎えた声だった。
ぼくは微笑んだ。
「おかえり、白雪」
玄関の中に、
春の風がふわりと流れ込んだ。




