ふじわらしのぶの夜ごはん EPISODE 04 ふろふき大根
今日の夜ごはんは「ふろふき大根」だ。
大根を切って三分くらいレンチンする。
断面をフォークで刺す。
…もっと憎しみを込めて‼
ぐおおおッ‼
地球なんか無くなっちまえ‼
はあはあ。
こんなにやらなくていいからね。適度に頼むよ。
そして小鍋に水300ml、入れる。
ガス点火。少し温かくなったら出汁の素、小さじ一振り。
いい感じに沸騰したら大根投下。落し蓋、無かったらアルミホイルを代用して鍋の蓋をした状態で7分から10分、弱火で煮る。
その間に甘味噌を作りたいが、今回はポン酢で我慢する。ポン酢、大根おろし、刻みネギを用意する。
そして時間が経過したら完成。
さてお味の方は…良くも悪くも大根の煮物だな。
下処理をしているからだしの味はまあ、する。
本当は泥を綺麗に落とした皮付きの大根を煮干しと一緒に炊いて作るが今回は省略だ。
もぐもぐ、時は金なりってね。
若い頃はここから漬け物とご飯とか食ったんだが五十路手前ともなるとそうもいかない。
今日は風呂に入ってこのまま寝ようかな…。
――と見せかけていつもの退屈な話に移らせてもらう。
大人は汚いのだよ。覚えておきたまえ。
今回は「正論家」だな。
正論ばかり言う奴はなぜウザがられるか?という話だ。
理屈から考えると正論は間違っていないから本来は歓迎されるべき意見なのだろう。
混沌とした状況で胸のすくような正論を聞けば実に心地良い。
何かをしようと感じた時には後押しされたような気持ちになって、勇気づけられる事もあるだろう。
正論はある特殊な条件下では極めて正しい。それは認めよう。
だが転じて正論とは特定の条件下ではこの上なく野暮ったい物でもあるのだ。
主な要因として考えられるのはやはり利き手の精神状態なのだろう。
例えば気分が悪かったり、体調が思わしくない時に訊かされる正論は劇薬というよりも毒に近い。
何しろ身体が不調な時に真っ当なだけの意見を聞かされれば、気分が悪くなって当然だ。
つまり正論を吐く時に注意しなければいけないのは相手の心理状態を把握する必要がある。
よってもしも誰かに自分なりの正論を聞いて欲しい時はまず相手の体調を留意しよう。
仮に思わしくないと判断した時は控えた方がいい。うざがられるのは誰だって嫌なはずだ。
第二に考えられるのは相手との関係だろうか。
まあ分かり易く言えば喧嘩をしている最中に正論を吐き続ければ、きっと相手は耳を貸さないだろう。
人間の良心には限界があるし、対立している関係上好悪の感情を優先しても無理からぬ話だと私は思う。
せめて仲直り、或いは譲歩して関係を深めてから正論を聞いてもらおう。
批判されて険悪な関係になるかもしれないが、人間という生物の性質上それは仕方ない。面倒なら放棄してしまえばいい。
だが、それでも自分の話を聞いてもらいたいなら互いの相違点を認めた上で考えるべきだ。
付け加えるならば正論を武器にしてはいけない。
世の中の正論を用いる時に必ず心得なければならないのは正論という物を他者を攻撃する為の道具として使わないという一点に尽きる。
言葉を戦いの道具として使えば、必ずその報いがある。人の心を踏みにじれば愛を失い、他者の身体を傷つければやはり愛を失うのだ。
サドマゾの世界というのも江戸川乱歩の著作に描かれているようにあくまで親愛と献身ありきの繋がりなのだ。
正論という武器は、このか細い縁を容赦なく立つ。敵味方関係無しに断ち切る。
「勝った。勝った」と有頂天になっているうちは頭がお花畑でいられるが、相手から渾身の憎しみを受けたた時にそれは後悔にしか変わらない。
私という人間がその最たる者だからまず間違いないだろう。
正論はその完全さゆえに危うい。
用途を誤れば全てを失うきっかけにしか為り得ない。
大人ならばもう子供ではないのだから正論ばかり吐いていい気になってはいけない。
結局は正論は駄目なのだ。
だが全てを理解して、この世をまっ平にしたいというなら止めはしない。
それは自己責任というものだ。かつて世界を席巻した社会主義や共産主義の為れの果てをみれば正論の作る世界の程度というものが知れてくる。
あくまで私見にすぎないが私は財産の共有化などというものは絵に描いた餅でしかないと思っている。
その理由は人間の強欲さゆえだ。そういえば性格の欠陥は先天的なものであるがゆえ克服できない欠点だと誰かが言っていたような気する。
正しく「それ」だろう。
そして今の時代というものは困った事にこっれらの思慮の欠片も無い胡粗暴な正論家が増えている。
彼らの大半は社会的な背景を武器に心ある人々を迫害してわずかな人生を楽しんでいるのだ。
ああ、私は別に正論家が増えている事を憂いているわけではない。
むしろこの後に確実に起こるであろう反動を恐れているのだ。
世界は思ったよりも冷酷ではないし、無法者を放置しておくほど優しくも無い。
ただそれだけの、この世の摂理についての話だ。




