理解と和解と近親憎悪
GW終了。
感想、GWなんて最初から無かった。
そもそも予定なんか無かったし、今年も私はビジーだからね。アイムビジー。
はい、そういうわけでふじわらしのぶのゴミ溜め人生相談、”コイツにだけは人生相談したくねえ‼”の時間が始まっちゃったんだよな。
K・O・R・E・G・A。
覚悟無き者は去れ。
ここが地獄だ。
さあ今日の相談を行ってみようか。
えーと、「うちはマダラ(仮)」さんからの相談だ。
『こんにちわわ、ふじらしのぶさん』
はい!こんにちわわーッ‼
うちはマダラさん(仮)、元気ですかー‼
「最近、年下の連中と会話が噛み合わなくて苦労しています。もう万華鏡写輪眼”月読”しかありませんか?」
はいはい。よくある質問ですねー。
でも月読は待った方がいいですよ。
最悪、「百地再不斬、水影暗殺みたいなイレギュラーな事態に発展しますから…。汗拭き拭き。
「では天照で焼きます。オビトめ、よもや土壇場で裏切るとは…」
受話器の向こうの気配がが消える。
相互理解って必要だね。というわけで今回は相互理解について語って行きたいと思います。
和解だけが理解じゃない。
負の要素を含んだ理解ってのも実在するんだ。近親憎悪って言えば少しは分かると思う。
似ているからこそ、わずかな違いが許せない。
そして私も呪術廻戦の五条悟とは色々とダブっている部分があるので近親憎悪の関係にある。話を進める。
理解とは解釈の接点を検索する上での必要な過程と、とりあえずは認識していただきたい。
物事をわかるという事は、自分に合わせて脳の記憶領野をチューンアップする行為なのだ。
つまり貴方のこうは、私のこうとは違うわけだ。
即ち二人は対岸の住人であり、分っているようでいて分かり合ってはいないのである。
あくまで仮定の話だが。
ゆえに「お前の事は十分に理解している」というのは傲慢が過ぎる行為なのだろう。
例えそうであっても容易に口にすべきではない。
保護者気取りで接しようものなら逆に鋭い拒絶を受ける。我々は神でも悪魔でもない。
ただの人間なのだ。
保護者という立場を保険にして他者の領分を土足で踏み荒らすような真似はするべきではないだろう。
ああ、そうだ。
相手をラノベの主人公宜しく家畜ないし奴隷あつかいしたいというなら止めはしない。
そうあれかし、だ。
ある意味、相互理解とは理解とは最も遠ざかった行為なのではないかと思う。
少年漫画でもあっただろ?
「憧憬は理解から最も遠い感傷だ」と癒し系の顔をした眼鏡紳士が言っていたような気がする。
あれって丸くなる前の黒崎一護の父親の事だよね。愛染もそりゃグレるわけだ。
話を戻そう(キリッ)。
良きにせよ、悪しきにせよ、我々は常に危うい状態で相互理解を広げている状態にある。
その様は目隠しをして大海原に挑む姿にもよく似ていると思う。
一つでも間違えれば遭難どころか難破してもおかしくはない。理解という行為に絶対は存在しないのだ。
あくまで互いの暗黙の了解だけが、頼みの綱でしかない。
心通わせた友がいつ「お前は敵だ」と猛り狂う事は、実は珍しい事ではない。
所詮は対岸の者同士、分かり合えるはずもないのだから。
私は和解は妥協、敵対理解は勘違いという考えを持っている。
あくまで指標にすぎないので気にする必要は無い。
他人の思惑など知ろうとする方が土台無理な話で、それこそ必要のない行為だ。
自分がどう思うか、それだけが必要なのだろう。
大人とは罪な生き物で、すぐにわかった気になって自分の世界観を他者に強要してしまう。
学校の先生の言う通りに生きても、税金を搾取されるだけの生き人形になるだけだ。
それは幸福からは最も遠い立ち位置である。
故に我々が為すべきことは価値観をより練達の域にある価値観を形成する為の日々の学習であり、異なる情感の許容にある。
要するに好き嫌いをせず何でも食べろという話だ。
その上で相手の話をじっくりと聞いてやれば諍いを避けて多岐の事を理解出来るのではにかと私は日々祈るばかりである。
争いは何も生まない。真の闘争とは恨みや憎しみさえも生み出さない。
終わった後には個人では消化しきれない虚無感を抱くだけだ。
私は鬼崎きらら先輩のウェディングガチャで手持ちの千個以上はあった対魔石を溶かしてその事に気がついた…。無課金勢には希望は無いのか…。
最後に「うちはオビト」さんからのお手紙を読もうと思う。
なになに…「拝啓ふじわらしのぶ様、お久しぶりです。今日は組織の老害と衝突し、十尾の人柱力の座を奪い取ってやりました。アイツ、はっきり言って人使い荒すぎます。無限月読の世界になったら永遠に柱間と扉間にフルボッコにされる世界線に叩き込んでやる。覚悟しろ、マダラ…」
…。
一応、身内なわけだし仲良くしろよ、オビトよ。




