82.刺繍
「その刺繍は?」
「うん。ちょっと手遊びに。あまり得意ではないけど」
じっと見られると隠したくなる。六枚の花弁を中央に据え複雑な紋様の蔦でサークルを描き合間につぼみや葉や鳥を埋め込んでいく。隙間や色の配色はシンメトリー、花弁の中央は淡く中央に行くほど濃い配色になっている。
「手遊びなんてレベルではないですよ。どこでそのデザインを見たのですか?」
「え、ああ、そう。思いついた絵柄を縫っているだけなんだけど」
キーファは褒めているというより、怖い顔だ。
「あの、本当に上手じゃないから、自己流だし」
刺繍が得意という蒼妃の作品をみたら、掛布に見事な鳳凰の絵柄を縫っていた。ファズーンに献上するらしい。
「リディア。あなたは、シルビスの貴族階級の出身です。嗜みとして刺繍を習得していても当然だと思います」
「……そうなの?」
また知らない自分の情報。これらの日常動作を忘れていないならば、魔法というものが手に馴染んでいるんじゃないだろうか。そう思っても出し方がわからない。使う場面がくれば、出てくるのかもしれない。
「それは蔦模様の円陣の中に花弁で六角形を重ねていますね」
「――そういえば。こういうのは、見たことないかも」
「――魔法陣、です」
リディアは思わずキーファを見つめ返した。反対にキーファはリディアのまだ刺しかけの刺繍を断ってから取り上げ、指で確認していく。
「普通、魔法陣は紙に書きます。地面や壁に描くこともありますが、刺繍に刺すのは聞いたことがありません。あなたの記憶がその意匠を呼び起こしたのでしょう」
「……そう、なの? でもその意味は?」
「あなたは、とても高度な魔法陣を得意としていました。俺には精緻すぎて細かなものは読み取れませんが――大まかには守護陣でしょう」
リディアは少し考えて、それから棚に走り寄る。そして箱を取ってきて、キーファの前であけた。そして一枚の刺繍を施した手巾を取り出す。空色の地の生地に黄色の六角形の星、天を向き葉をつけた生命の木、濃い蒼色の花とハシバミ色の鳥が謡うデザインだ。
「これ、あなたの瞳と髪の色だなって思って刺したの。よかったらもらって」
キーファの瞳に驚きが走る。「俺に?」と呟くから、こくりと頷く。何かお礼を、と思ったわけではない。手慰みだったし、そこまで自信のあるものではない。喜ばれるとはわからない、たぶん言われなきゃ渡さなかった。
彼がじっくり見ていると恥ずかしくなる。
リディアに意味はわからない。ただ彼を思って刺したというのは、本当だ。縫っている間、彼のことを思い浮かべた。
刺繍は集中が必要だ、他のことを考えると間違える。一針違えるともう生地は使えない。だから考えるというより、むしろ瞑想状態だったかもしれない。
「守る、悪意を跳ね返す、蘇り、心を安らかに……、本当にあなたらしいですね」
「私、らしい?」
「いつも他人のことを思って。俺は、そうやって助けられました。翠玉のペンダントも守護として、一度与えてもらえたこともありました」
「そう、なの?」
たしか、ファズーンに取り上げられた自分の識別票は翠玉のペンダントだった。ディアンに渡したものだ。なくなってもそうやって返ってくるものとは縁がある。
「今はそれをディアンに渡しちゃったの」
「聞いています。あなたを守るものですが、あれはその時々で必要とする人の手を渡っていくもののようですね」
「……」
「また戻ってきますよ」
「うん」
自分と彼をつなぐ物だ。ここから貰ったどんなエメラルドよりも愛しい。自分でディアンに返しておきながら握っていたら安心するのにと何度思ったことか。
キーファは全てわかっていると労わるように頷いてこちらを見て微笑んだ。
「――大事にします」
一瞬、それは、自分のことかと思ってしまいそうな染み入る声だった。深く思いに浸るような声。
けれど、見ればキーファはリディアの刺繍を撫でている。
勘違いしそうだった、慌てて目を逸らしそうになった瞬間、彼と目が合う。ふっと笑い目を穏やかに細めた彼は愛しそうに自分を見て、それからすぐに外して手巾を懐に入れる。
慌てて目を逸らすと、彼が笑う気配がした。
「キーファ! あの……」
「あなたのことはもっと大事です」
はっきりと眼差しを向けて言い切られる。
「この王宮は危険に満ちています。周囲にあまりにも敵が多いわりに、味方がいない閉鎖空間。リディア、あなたは俺を連れていけないことも多い。それでも、どうにかします。俺のことは心配しないで」
「ありがとう」
「今あなたは昔よりも、無力です。でも強みもあります、それはあなたが自分で見つけられると信じています」
「そう……だよね」
魔法、記憶、それらをなくしても。自分なりに自分を信じるしかない。そう思わせてくれる。
「――先ほどの塔の中の人物のことですが。リディアの感覚を信じてください、その上で行動してください。俺はそのために動きます。その人が大切だと思うならば髪の色などは気にしないでいいと思います」
「……ありがとう」
一息入れて頷く。彼女を助けなければと思う。そのためには弱気になっていられない。
フッと顔をあげた。
「あのね。皇太后の館を訪ねたの」
「――聞いてます」
キーファは魔法師団から聞いているのだろう。
皇太后から持ち掛けられた話を“内緒”にはしなかった。だいたい、内緒という人は皆に自分で触れ回っている可能性が高い。
行為の話は気持ちが悪くてさすがに話せなかったけれど、それ以外はそのまま話した。
「彼女が名乗った“珀蘭”という名、それが気になるの」
「珀は白が入っていますが、”宝石”という意味ですね。――やはり白が文字に入っていますが、妾にしてはいささか不遜だ」
伯花宮の名と神は関係しているのだろうか。
「ずっと思っていたのだけど。あなたに魔力相関図を教わったでしょ? なんでも『魔法は光の主を神とし、その力を用いるから、日が昇る方向、東を聖なる方向としている』よね?」
魔法は六属性に呼び掛けるもの。それは六芒星の頂角の四角を抜いた”六角形”で魔力相関図というものができる。東を上に右回りで各頂角で風属性、水、木、火、土、金となり各属性が関係しあっている。
風は水(雨)を降らせる、水は木を育てる、木は火を生む(燃やす)、火は土をならす、土から金は生じる、金板は風を作る、という関連だそうだ。
「そうです」
けれど魔力相関図は、最近の現場では否定されていると聞いた。属性ではなく、上位存在の幻獣や神に等しい主がいるらしい。それらを認めるとさらに複雑な多角形になる、もしくは相関図が成り立たない。
でもほとんどの魔法師は、ただ属性の力を借りるだけ。だから魔法学界ではそれらの存在を認めない。
だが一部の上位魔法師は、神に等しい存在と契約している。
でもそれは秘められたこと。彼らは明かさない。だから公には知らされていない。
そしてリディアもそうらしい。
本来は口にするのもご法度らしいが、キーファが教えてくれた。
それは――東の六芒星の頂点に坐する存在であり、リディアの主は――生を司どるらしい。
リディアの主はグレイスランドの光の神だ。
そんな大それたことは実感がわかないし、その方と意思の疎通が取れない。記憶がないからか、封じられているからか、師団の皆でもわからないらしい。
というか、誰にも――最終的にはリディアではないとわからないようだ。
「この国のアスタリスクの先端を、結ぶと六芒星になる。魔法を否定している国だけど無関係と思えない」
「そう、ですね」
キーファは短く頷く。
「アスタリスク状で区切られた壁、東の碧佳宮、次の壁を越えれば伯花宮。次は青花宮、黄華宮、次は闇花宮、そして赤花宮。魔法相関図と重なるなら――六芒星の頂角に東に私の生の主が坐するけれど……」
「言いたいことは、わかります。リディア」
「……六芒星と重なるなら反する西に当たる個所には俺の”主”がいます。どうなのか俺は主に聞きたいのですが。教えてくれないのです」
リディアには覚えがないが、キーファは魔法が使えない生徒だったようだ。その理由が強大過ぎる存在が主だったせい。それは死を司どる者。
最も死ではなく”刻”を司る魔法としてキーファは現出させているらしい。
いくつかの神話では死の神は刻を刈る、つまり死と同一視される。キーファの主も例にもれず刻の神であり、死の神でもあるが、彼がどのように力を用いているか知らない。
これは互いに本来不可侵なことなのは、言われなくてもわかる。
だからリディアは踏み込まない。彼がその力を悪用しているとは思えない、信用もある。
「俺も、この国と魔法が無関係だとは思ってません。おそらくこちらが使う魔法の原点と重なるか、何かでしょう。でも、深く読みすぎてもいけない。研究では都合よく証明できる証拠ばかりを集めてはいけないと教わりました」
「……たしかにそうね。少し目を逸らしましょうか」
問題はまだある。地下にあった空間、大樹に水質。それから狂っている皇太后。
リディアは棚からファズーンから貰った試験管に入っていた枝端と水のサンプルをキーファに渡した。閉鎖空間にあったから、これが漏れて大気に影響を及ぼしたら大変だ。
ウイルスの類はついていなかったと調べてくれたようだが、生態系に影響を及ぼしてほしくない。
と、キーファもリディアも同時に顔を強張らせた。
切り取った枝の下、水に浸かっていた箇所から左右に三本、白い髭のようなものが生えてきている。
「これって……根っこ?」
挿し木をする際に、切り取った新芽を水につけておくと発根する。それから植え付けをする時があるけれど。受け取った時にはまだ何も出てきていなかった。
「調べてみます」
いろいろと不思議な木だ。悪い物ではない気がするのだけど。繁殖率が高いのだろうか。
「それから第三師団から、この王宮に訪ねてきている方がいます。じきにリディアに会いにくるでししょう」
「第三師団?」
「俺は少し入り込めないので。ただリディアとは縁が深い方なので――」
そこでキーファは言葉を切った。言いよどんでいる。耳飾りが一瞬揺れた。
「悪いようには必ずしないと思います。彼女はあなたの味方です。ただ俺達には――」
キーファのいつもは余裕のある顔が、引きつっているような気がした。




