79.食べちゃう
「あなたが、碧妃様ね」
初めて、拝謁した皇太后はふくよかで予想とはかなり違っていた。細身で美しく冷ややかな姿を想像していたのに、頬や手足は、もっちりとしていて、身体も丸い。少し髪が痛んでいて、丸めた髪の毛は枝毛がみえる。
目は頬の肉に埋もれ、ぽてりとして小さい。けれど温かみもない、どこか気だるげで、よどんでいる。着ている衣装は蒼妃の更に東の国の左前に布帯で合わせるもの。彼女のぜい肉の皺が上から見えてしまう。細工は見事だけど、洗練さがない。
着ている衣装は桃色、刺繍は桜桃の花に花車、毬。金粉があしらわれ派手で見事だけど、下品にも見えるし、年齢とあっていない。この華やかだけど可愛らしいものは、婚前の女性が着るもの。この年齢ならば控えめで気品あるものが求められる。
帯でさえもリボン状に結び、だらりと膝まで垂らし年齢相応の落ち着きがない。
化粧も、髪も、肌の手入れもさほどしていなくて、外見に構わない。ファズーンが二十七歳で皇太后は確か年齢は四十代ぐらいのハズなのに、手入れが行き届かないせいか五十代ぐらいに見える。
皇太后ならばほっておいても周りが飾り立てるのに、なぜ、と思う。
「来てくれて嬉しいわ。さっ、こっちに」
リディアの手を掴んできて、慌ててひっこめる。怯えたように小さな目。尊大さもなくて意外過ぎる。“様”とつけられたのもおかしい。
「あの」
「私のこと、おかしいと思ってる、でしょう?」
いきなり言われて戸惑う。
「散々周りからよくない噂を聞いてるでしょう。怖い、おかしい、近づくな、そう言われてるのでしょう?」
鼻をすすられて、それを手巾で拭う皇太后。お茶を持ってきた侍女が卓において背後に立つ。呆然としてリディアは返事につまる。
「どうぞ、お座りください。碧妃様」
皇太后が長椅子に座る。その横が一人分空いていて、しかも侍女はそこを示している。明らかに隣に座れと圧をかけられて困る、というか怖い。
「……あの、恐れ多いので」
「どうぞ、お話をしましょう。せっかく来てくださったのだもの」
……予想、していなかった。高圧的、なじられる、いじられる、嫌みを言われる、赤妃のような人物かと思っていたけれど。
隣におそるおそる座ると、皇太后が手を握ってくる。これ、振り払ったら、いけないよね。
「陛下の妃嬪達に嫌われてるの、そうでしょ?」
「わかりません」
「だって他の三妃は誰も来てくれないのよ」
「それは……わかりません」
ぎゅっと手が握られる。入口には侍女が無表情で立っている。これ、来たら行けなかったのだとわかる。ただ、他の妃が来ていないなんて嘘だ。皇太后への挨拶を疎かにはしない、赤妃も蒼妃も。
「ですが他の妃嬪様方は皇太后様を敬愛なさっているかと存じます」
「どうしてわかるの、リディア」
リディア、と言われてぎょっとした。わずかに肩を揺らしたのはバレただろうか。
グレイスランドの出身、シルビスの産まれ、誰もが当てているのだから今更皇太后が情報を持っていてもおかしくない。
ただ、このグイグイ来る圧、おかしな会話、近い距離、予想していなかった。この人、変。
「どうしてわかるの。誰が何を言っていたか、教えて」
「――そう感じただけです。私は、皇太后様のことをどなたかとお話したわけではないので」
しまった、と思う。皇太后の表情は読み取れない。先程からずっと、ただの世間話をしているような眉を寄せて、「あの人困ったわよね」とゴミ出しルールを守らない隣人をみんなで責めている団地妻のような顔。
「じゃあ、リディアはそれだけでそんなことを言ってしまうの?」
「――申し訳ありません」
「――困らせてしまってごめんなさい、リディア」
と、いきなり言われて困る。
「私は、皇太后なんてふさわしくなくて。どう振舞っていいのかわからないの。皆にそれで笑われるから、今のお妃様達にも笑われているのね」
「それは――」
眉を寄せて泣きそうな顔。ふと、心が揺らぐ、何かを言ってあげなくてはいけないような。
「はっきり言って。みんなそこで濁すのよ」
低い自己肯定感は嘘? それは濁すだろう。このソファから逃げたい。
「そんなことはないと思います」
「前の陛下のお妃達も私が殺したと思っているのね」
「そ……」
「はっきり言ってリディア」
先ほど来てから、怒涛のようにずっと質問攻めだ。しかも答えにくい物ばかり。リディア自身のことを聞かれると思っていたのに、全く違う。
彼女がどう思われているか。そのお試しで、少しの間違えで首が飛ぶもの。でも、それを試されているのかわからない。
「私は、そんなことは思っていません」
「じゃあ、それを神官に誓える? メルクリッサの神事で乙女として言える? 証明してくれる?」
「……」
「リディア?」
「私が乙女じゃなかったから、馬鹿にしてるのでしょう。ふさわしくないのでしょう?」
「初めて知りました」
「じゃあ今知ったわよね、どう?」
いきなり追い詰められた。ぎゅうと握られた手、ずいとのし上げられた身体。表情を変えない侍女。
皇太后の顔が迫る、リディアの頬を彼女の長い爪が撫でる。
「あなたは本当に美しい。尊いわ。すごく美しくて素敵――」
「皇太后様」
「ふふ。珀蘭と呼んで?」
「はくらん、様?」
「――皇太后になる前の私の、名前」
そして皇太后はリディアの頬にキスをして、それで舌で頬を舐める。呆然として、リディアは動けなかった。
どうしよう、としか思えない。ここで襲われてもたぶん侍女は騒がないだろうし、リディアの侍女は宮殿の外だ。そもそも、何も言えない。
「――私ね、前の陛下からとても愛されたの」
また変わる話題。さすがにここまでくると、この人は正気を失ってるのでは、と思う。
「リディア?」
「……はい」
「陛下はね、とてもお上手なのよ」
「……」
なにが、って聞くほど馬鹿じゃないけど。……なぜ今ここで話されているのだろう。
「上手で気持ちよくて。それって、男性の条件よね?」
「……」
「ジャイフも上手なの」
「……あ」
呆然としている、自分が何を聞いているのかわからない。ただ、気持ち悪い、と思った。後宮だからこんな話をするのだろうか。仲間だったら、のろけ話で出てくるのだろうか。
しかもジャイフは、ファズーンの付き人。謎でリディアを憎んでいて。
でもここで貫通していたら、いくら前陛下が亡くなっていたとしても、皇太后は罪に問われる。
(でも、ジャイフは皇太后が連れてきたと聞いた)
だとしたら、通じていてもおかしくない? でもあの彼と? そんな間違いをジャイフが犯す?
「ジャイフは指がとても上手なのよ」
気持ち悪い、皇太后が、じゃなくて、その話の内容が。
(この人は、ファズーンのことを一言も漏らさない)
自分の息子のことを、話さない。その嫁であるリディアを前にしているのに、自分のことだけだ。しかも気持ちの悪い夜のことを話す。
「皇太后様、失礼します。私には刺激が強すぎまして」
「あら?」
「その、気分がすぐれなくて――」
(でも、何の情報も得られなかった)
こんなただ混乱させられるばかりで。
(でも、ジャイフのことを知ってるのは皇太后だけだ)
どこで出会い、正体は何者か。
だとしたら、その話を聞かないと来た意味がない。
「ジャイフとは、いつ出会ったのですか? 彼が皇太后様をお慕いしている理由は?」
皇太后はリディアの上に乗り上げたまま微笑んだ。
「秘密よ」
「教えてくださらないのですか? ここまでおっしゃって。ジャイフは陛下より皇太后様をお好きなのかと」
「――そうね。――出会いは、伯花宮」
「……」
リディアはただ好奇心を全面に出す。ひどく疲れる会話、その中で考えるのはやめたほうがいい。ただ単語だけを覚えておいた方がいい。
「ごめんなさいね。リディア」
いきなり顔を起こした皇太后が、手巾で涙をぬぐうふり、をした。
「あなたにしか話せなくて。私、酷いことをみんなに言われてるでしょ。前もそうだったの」
「……」
「……あのね。後宮でも散々言われてたの。妾だったから」
「……」
「宮から出たのも何もしていないの。陛下が出してくれたの、私は何もしてないのよ」
「……」
「リディア?」
陛下とは、ファズーンのことじゃない、前陛下のこと。この人、混同してる? それとも全て演技?
「教えてほしいのですが」
ただ伯花宮のことを持ち出すのは、話していいからだ。それはこの人に忌み言葉ではない。
「もしかして、ジャイフが伯花宮から出して下さったのですか?」
首をかしげる仕草は何もわからないという無邪気な幼子のよう。あんな下の話をしていながら。
「あなたは私の味方になってくれる?」
手を握られて、迫られて。涙ぐまれて、一瞬くらりときた、まるで仲間になり庇ってあげたいような気もしてくる。かわいそうと思う。この人のことを好きだと思う。気持ち悪いと思ったのが嘘の様。
「ジャイフと出会ったのはどこでですか?」
「どうして、あなたはジャイフのことを聞くの?」
「その――、皇太后様のことが、心配で」
「あなたは私のことを好きになってくれる?」
ここで、イエス以外の言葉が言えるのだろうか。イエスと答えたら何をさせられるのだろうか。
「嫌い?」
「そんなことはありませんが」
どう答えればいいの? もちろん、うまい人なら答える。自分は皇太后派だと。
「私はジャイフに嫌われているようです。ですからそれを皇太后様から少しお執り成しを願えませんか」
あら、と皇太后は笑った。
「だって、そうしたらジャイフの願いを妨げることになるわ」
ジャイフが、リディアを害していることを知っているのか?
「ジャイフの願いとは――」
「んもう、ジャイフのことはいいのよ。私はリディアが気にいってるの。大好き。誰よりも好き。仲良くしてね。お手紙頂戴ね、訪ねてきてね。だって同じグレイスランドの出身でしょう?」
好きの連発、ここまで言う人って当たり前なの? それとも異常? 皇太后なのに? みた目と話す言葉がかみ合わない。それよりもグレイスランドを持ち出されて固まる。
「――私は記憶がなくて。過去のすべてのことが。だから同郷の出と言われましても」
「じゃあ、なんで来たの?」
いきなり声が低くなって、返事が間違えたのかと焦る。ひどく疲れる。
「……挨拶が遅れていましたので」
「私、あなたの過去を知っているの」
リディアは伏し目がちだった顔のまま止めた。
「魔法師団だったでしょう? 私も入っていたことがあるの」
「ま、さか……」
「第五師団、そう言えばわかるかしら?」
「……皇太后、様?」
「『可愛がって』と言ったでしょう?」
引き寄せられた腕に長椅子に倒れこむ。その上にのりかかった皇太后はリディアの上で唇を重ねてきて口づけをした。
蹴って叩いて、上の存在をどかすそんなことを想像したけどできなかった。ようやく離れた存在が、リディアの唇の上で囁いた。
「ねえ。お願いがあるの」
聞いちゃいけない、と思う。聞いたら果たさなきゃいけなくなる、巻き込まれる。でももう、蚊帳の中。
「これは誰にも言わないでくれる?」
頷けない。
「魔法師団に私を戻して。第一師団に第五師団から守るようにお願いして。もちろん、あなたからのお願いよ。あなたが私を大好きだからするの」
「……どういう、ことですか」
「じゃないと、あなたのこと、食べちゃうわよ」




